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後編

希望の音色

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 二人の想いは次第に実を結び始めた。

 梓は海斗の指導のもと、触覚や振動を通じて音楽を感じる技術を磨いていった。
 彼女はピアノの鍵盤の上で指を滑らせることで、音の波形を感じ取り、心に響く旋律を創り出していた。
 この新しい方法で音楽に向き合うことにより、梓は失った聴覚の代わりに、別の感覚で音楽を楽しむことができるようになっていた。

 ある日、二人の噂を聞きつけた音楽プロデューサーから、「地元のコンサートホールで演奏してみないか」と提案があった。
 梓も海斗も思ってもみない幸運を喜んだ。
 二人の共演は、梓にとって新しい始まりであり、海斗にとっても未知の挑戦であり、さらに特別な想いが込められたものであった。

 コンサートホールは、地元の小さな会場だったが、壮大な空間と重厚な響きを持っており、今の二人には充分過ぎるほどだった。
 ここで、二人で演奏ができるのかと思うと、梓の心はときめいた。
 海斗の方を見ると、海斗は神妙な顔をしていた。

「どうしたの?」
「いや……」
 海斗は嬉しい反面、このまま何事も起こらず無事にコンサートが成功すればいいと願っていた。
 決して、梓が傷つくことがないように、それだけが心配だった。


 コンサート当日、観客席は空席が目立っていた。
「なんてことだ、こんなに、埋まらないなんて……」
 プロデューサーが頭を抱える。他のスタッフも困った顔をしていた。

「耳が聞こえない、目が見えない。そんな二人っていうだけで、話題になると思ったんだ」

 その言葉は、海斗の耳にだけ聞こえた。彼は決して梓にそのことを悟られまいと明るく振舞った。
「梓、頑張ろう。お客さんが待ってる、精一杯演奏しよう」
 海斗が笑うと梓も笑った。


 二人はステージに立つ。
 観客は数えるくらいしかいなかったが、梓はそんなこと気にしていなかった。このステージでピアノを弾けることが嬉しかった。
 その姿に、海斗はほっと胸を撫で下ろす。

 梓は深呼吸をして、ピアノの鍵盤に指を置く。海斗も静かに座り、音楽に集中した。

 演奏が始まると、ホールは静寂に包まれた。
 梓の指が鍵盤を優しくたどり、海斗の指がそれに応えるように動いていく。二人の演奏は完璧に調和し、一つの美しいメロディを生み出していた。

 梓はピアノの振動を感じながら演奏を続ける。海斗の演奏は梓のそれを完璧に補完し、彼らの音楽は、今までのどの音楽にもない唯一無二のメロディーを作りあげていた。

 観客は息をのむような演奏に聞き入っていた。
 二人の演奏が終わると、一瞬静まりかえる。

 そして次の瞬間、観客から拍手と歓声が飛び交った。
 たった数えるほどしかいない観客は全員、二人の演奏に魅了されていた。

「梓……」
 海斗が梓を引き寄せ、抱きしめた。
「梓、おめでとう……よかった」
 彼の目には涙が浮かんでいる。梓も泣きながら笑った。
「ありがとう、海斗。本当にありがとう」

 そんな二人を祝福するかのように、観客の拍手はいつまでも鳴りやまず、ホールに響いていた。


 コンサートの成功により自信がもてた梓は、自分と同じように聴覚に障害を持つ人々に音楽を通して何かできないかと考えた。

「触覚を使った音楽のワークショップを開催してみない?」
「ワークショップか、いいんじゃないかな、みんなで楽しめるしね」

 梓と海斗はワークショップの計画を練り、準備をし、開催した。

 始めはもちろん人は集まらなかったが、街頭などで宣伝活動をした。
 たまに心無いことを言われることもあったが、梓はめげなかった。そんな梓の姿は、いつしか海斗の心の支えになっていた。

「疲れたあ」
 梓と海斗が休んでいると、
「あの……」
 一人の女性が声をかけてきた。

「私の娘も聴覚障害なんです。こちらのワークショップが気になってて」
 二人は顔を見合わせた。
「ありがとうございます!ぜひ、いらしてください」

 最初は一人、二人から始まった、このワークショップだったが、口コミで人が集まり始めた。
 今では満員で、キャンセル待ちが出るほどの人気となっていた。

 いつしか、梓と海斗は障害を持つ人々にとっての希望の光となり始めていた。
 二人の音楽への情熱は、次第に周囲の人々にも影響を与え始め、多くの人々の心を動かしていく。


 梓は、海斗と共に、より多くの人々に触覚音楽の魅力を伝えるためのコンサートを企画することにした。

「もっと、たくさんの人にこの音楽の魅力を伝えたい。目で見るだけじゃなく、聞くだけじゃなく、心で感じて欲しいの」
 梓の声は希望に満ちて、弾んでいる。その声を聞いて海斗は嬉しくてたまらなかった。
「そうだね、僕たちにしかできない演奏をしよう。聞いている人が心から感動できる音楽を届けよう」

 海斗は梓の手を握った。
「梓、君は強くなったね。出会ったときは、あんなに心細そうにして泣いていたのに。今では一人でどんどん歩いて行ってしまう……」
 どことなく寂しそうな表情の海斗に梓は眉をひそめた。

「何言ってるの? 海斗がいたから。海斗のおかげで、私強くなれた、ここまでこれたんだよ」
 必死な梓に、海斗はくすっと笑う。
「わかってる、ありがとう。僕も君といると幸せだよ」
 その瞬間梓の顔が赤くなる。海斗には見えないので気づくことはなかった。


 コンサートの当日、
「とうとう来たね」
 梓と海斗が視線を交わす。
「うん、ようやくここまで辿りついた」

 念願のコンサートホール満員。
 観客がほとんどいなかった、あの頃からは考えられない、夢のようだ。
 二人は胸に手を当て深呼吸をする。そして硬く握手を交わした。

 二人がステージに登場すると、盛大な拍手で迎えられる。

 静かに演奏が始まった。
 梓のピアノと海斗のピアノが調和し、心に寄り添う繊細で優しいメロディーがホールに響き渡る。

 彼らの演奏は、普通のコンサートとは違う。音楽が体に心に染みわたってくるのだ。観客たちは目を閉じ、メロディーを堪能する。
 心が洗われていくようだった。一度聞くと、この音楽の虜になってしまう者が続出するほどに。

 演奏が終わると、一度静寂が訪れる、皆余韻に浸っていた。
 次に、ホールは大きな拍手と感動の声で満たされる。皆スタンディングオベーションで二人を祝福した。


 梓と海斗は満たされていた。
 自分たちが音楽を通じて人々に感動を与えることができたことに深い喜びを感じていた。

「私たちの音楽は、心に響く、人に届くんだね」
 と梓は嬉しそうな笑顔で海斗に語った。
 海斗もそんな梓に優しく微笑む。

「そうだね、音楽は心で感じるものだから」
 いつまでも鳴りやまない拍手と歓声を浴びながら、二人は喜びを分かち合っていた。


 梓と海斗のコンサートは大成功を収め、二人の音楽は多くの人々に影響を与えることになった。

 彼らの演奏は、聴覚障害を持つ人々に新たな音楽の楽しみ方を示し、音楽の可能性を広げるきっかけとなり、マスコミにも取り上げられ、テレビに出演することもあった。二人は瞬く間に有名人となった。
 もちろん、いいことばかりではない、嫌なこともその分増える。
 しかし、そんなことにはもう負けない。二人の気持ちは強かった。

 梓は自分の人生が大きく変わったことを実感していた。彼女は失った聴覚を乗り越え、音楽を通じて新たな生きる意味を見つけ出したのだ。

「海斗、あなたと出会って本当によかった。あのままじゃ私、ずっと聞こえなくなったことを悔やんで生きるだけだった。きっと立ち直れなかった……ありがとう」
 梓は海斗に心からの感謝を伝えた。

「僕だって、梓がいたから新しい世界を見つけることができた。梓といるから強くなれた……君といる日々はとても楽しい、君といるとあきないんだ。君といると世界は色鮮やかに見える。いつの間にか、僕は」
 海斗の頬が赤くなっていることに梓は気づく。

 もしかして、海斗も私と同じ気持ちなの? 少しの期待が梓の背中を押した。
 
 梓がためらいがちに尋ねる。
「海斗、私とこれからも一緒にいてくれる?」
 その言葉を聞くと、海斗は嬉しそうに、大きく頷いた。
「もちろん!」

「海斗、大好き」
 そう言って、梓が海斗に抱きついた。
「え……わあ」
 海斗が慌てている。お互いの目が合ったような気がした。

 こんなに幸せな日がくるなんて……
 梓の瞳は輝き、満面の笑顔を海斗に向ける。

 海斗もそんな梓を感じ、愛おしそうに目を細めた。
 二人はこれからも一緒に音楽を奏で、生きていく。

 梓と海斗のメロディーは重なり、人々の心へ訴えかける。体と心で感じる音楽。
 二人が開催するコンサートや教室はいつも大勢の人から愛され続けたのだった。





 最後までお読みいただきありがとうございました!

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