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25.モニカ夫人
しおりを挟むようやくモニカ夫人が到着する日を迎え、ティムは例の如く「むはぁ……」と大きな欠伸と共に目覚めた。
イゼルの指示で今日は朝からイブニングドレスを着ることになっていたが、もちろん一人で着れるわけもなく、手伝いで部屋に入ってきたカリーナは……。
「う……、ぐっ」
「カリーナ、大丈夫?」
「は、はい、何とか……」
意図的に汚されたツル付きの眼鏡をイゼルから渡され、それを装着したカリーナがヨタヨタと近寄って来る。
「あ、危ない!」
「ひゃぁっ」
彼女が長椅子の脚に躓き倒れそうになったのを見て、ティムが彼女を抱き抱えた。
いくら自分が彼女より背が低いとはいえ、一応男なので、彼女を支えるくらい造作もないことだった。
けれど、ガシっと抱えた瞬間「ティナ様って見た目に反して力があるのですね」と言われてしまい、ティムは慌てて手を離し、「咄嗟のことでしたので」と、しおらしく答えて場を凌いだ。
しかし、その眼鏡では部屋の様子どころか、ティムの姿さえぼやけて見えているはずだけど、本当に大丈夫かな? と心配しつつ、コルセットを着けてもらうが、手が危ない部分を行った来たりしてヒヤっとする。
「あ、あのカリーナ、そこはダメ、もう少し上に」
「はい、この辺りですか?」
「ち、ちがう、もっと、もっと、上ぇぇー」
実に危ない着替えを経験しながら、何とかコルセットを付けてもらう。けれど、なんていい人なんだろう、とカリーナを見てティムは思った。
普通、好奇心で眼鏡の隙間からこちらを伺うくらいのことはしてもいいと思うのに、彼女にその気は一切ないようだった。
本当にティムを恥ずかしがり屋の令嬢だと思っているんだな、と我ながら自分の令嬢姿が完璧なことに鼻が高くなる。
無事にドレスに着替えると、カリーナが髪に着ける精油を手に取った。
「ティナ様の髪は艶々ですので、必要ないと思うのですが、これは王都で一番人気の高い精油なんですよ」
「へぇ……」
「もしかして、精油は一度もお使いになったことがないのでしょうか?」
彼女の問いにコクと頷くと、珍しいことだと彼女は言う。
大半の女性は髪を洗うと広がってまとめ難くなるため、精油を使うのが当たり前だと教えられる。
それを聞いて、あー、そうか、と思う。つけ毛は洗わないので髪が広がることがないし、精油を使っても意味が無いから、母も使わなかったのだろうと一人で納得した。
カリーナが瓶の蓋を開け、「香りがいいので、少しだけつけて見ましょうか?」と勧めてくるので、お願いすることにした。
「ところで、カリーナは大奥様にお会いしたことはあるの?」
「ございますよ、と言っても私が幼い頃に一度だけです。とてもお優しい方ですので、ティナ様のことも大切にして下さると思います」
そんなことを言われ、すっかり若妻の気分になるが、自分の息子の婚約者となると、流石に厳しいことを言われそうだと思う。
カリーナが精油を髪にかるく振りかけ、「どうですか?」と聞いて来る。花の香りなのは分かるけど、見た目に関して言えば、あまり変わっているようには思えなかった。
取りあえずは彼女の好意にお礼を伝え、胸元へ降ろされた髪を摘まみ上げ、くんくんと髪の匂いを嗅いでみた。
「凄く、いい匂い」
「気に入って頂けて良かったです」
ほっとした表情を見せる彼女と、しばらく美容に関して雑談をしていると、部屋の扉が叩かれる。
「宜しいですか?」と尋ねるイゼルの声が聞え、ティムは「どうぞ」と招き入れた。
「用意は出来ていますね」
「はい、カリーナのおかげで無事に着替えも終わりました」
「では玄関ホールへ向かいましょう、大奥様が王都の正門を潜ったと知らせが届いてます」
「分かりました」
返事をしたあと、イゼルが奇妙な顔をしたので、何処か変なところでもあるのかな? と自分の見える範囲で見直してみる。
だが、おかしな部分は見当たらないので、直接聞いて見ることにした。
「どこか変でしょうか?」
「いいえ、外観に関しては特に問題はありませんが、なんだか、今日は、いつもより令嬢らしい気がします」
「え、そうですか?」
イゼルに令嬢らしいと褒められ、それならジェイクの母親にも気に入られるかも? と頬が自然と緩む。
部屋から出るとイゼルは大きな溜息を吐き、「今日の日を寝ずに悩みました」と言う。
「どうりで疲れた顔をされてると思いました。大奥様を迎えるのは大変なんですね」
「他人事ではありません、大変なのは貴方のせいです。いっその事、昨日の食事に腐った物を混ぜて、貴方に病気になって頂こうと考えました」
――相変わらず、さらっと酷いことを言う人だな……。
「ですが、大切な旦那様の仮初の婚約者ですので、悪に手を染めるのをやめたのです」
「そうですか、よく我慢しましたね、偉いです」
その言葉を聞いたイゼルの目が、くわっと見開き「やはり悪に手を染めておけば良かったです」と片頬をヒク付かせる。ジェイクと同様、思っていることを口に出さないと気が済まないのか、この人も……、とティムは目を眇めた。
それにしても、普段以上に華やかな屋敷の様子に驚きながら、ティムは通路をキョロキョロしながら歩いた。
こちらの落ち着きのない様子がイゼルにも伝わったようで、正面を向いたまま「どうかしましたか?」と聞いて来る。
「とても華やかな雰囲気だなと思いまして」
「当然です。大奥様をお迎えするのに、地味で質素な接待など出来るわけがありません」
それに関して言うなら、ジェイクが結婚をしていれば、普段から華やかな屋敷になっていただろうなと思う。
屋敷の内装は女主人が気合を入れる場所だということくらい、自分の母親を見て来たのだから理解は出来る。ただ、本音を言えば、今までのように無駄のないシンプルな屋敷の装いの方が、ティムは好きだった。
けれど、通路の端々に活けられた香り高い花や、色鮮やかなガーベラの刺繍が施されたドレープなど、女性が好きそうな装飾を見ると、この屋敷の本来の姿を見た気がした――。
玄関ホールへ辿り着くと、使用人達が勢揃いしており、彼達の緊張している様子がこちらにも伝わって来て、自然とティムの背筋も伸びる。
イゼルに「ティナ様はこちらへ」と誘導され、従僕達の前に立たされた。
彼はそのまま玄関の扉へと向かうと扉を開き、その付近で待機する。ティムはチラっと辺りを見て、ジェイクの姿がないことに気が付くが、イゼルがそのことに触れないのを見ると、特に問題ではないのかなと思う。
ほどなくして、正面から貴婦人と呼ぶに相応しい女性が、水色のドレスに真っ白なレースを羽織り、しずしずと歩いて来る。
彼女が片足を屋敷に内へ踏み入れた瞬間、「お帰りなさいモニカ夫人」と弾んだ声が背後から聞こえ、ティムが振り返るとジェイクがいた。
「なんです、その他所余所しい言い方は……」
「冗談ですよ、母上」
久しぶりの対面を交わす二人を見て、なんとも華やかな親子だな、と美麗な親子の姿を見せつけられ、ティムの目がしょぼしょぼした。
ジェイクは先代の当主、つまり父親に似ているとイゼルから聞いているので、母親には似ていないと思っていたが、何処となく雰囲気は同じ物を漂わせているし、親子だなと認識出来るくらいには似ていた。
冗談を言い合っている二人がティムの前に来ると、ジェイクの母親であるモニカ夫人は「貴女が婚約者ね」と笑みを零した。
その佇まいにティムは気圧されながらも、しっかり腰を落として、総身で令嬢の挨拶を披露した。
「は、はい、初めてお目にかかります。ラディーチェ伯爵家より参りましたティナ・グラエイドです。宜しくお願い致します」
挨拶を終えたティムが顔を上げると、モニカ夫人はジェイクとよく似た笑みを浮かべ、「ここに滞在中、仲良くして頂けると嬉しいわ」と優しい言葉をかけてくれた。
ふと、何故か初めてジェイクと出会った時と、まったく同じような視線を彼女から受けている気がした。
探るような、それでいて楽しそうな、やっぱり親子って色々な意味で似るのかもな、とティムは彼女から向けられる好奇な目を見ながら、「もちろんです」と返事をした。
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