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婚約前(エスタファドル伯爵家サイド)

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 マグノリア付きの侍女リタが父伯爵が彼女を呼んでいると告げたのは、マグノリアが自分の執務室で書類を捌いているときだった。

 母が立ち上げたセンテリュオ商会の一部門をマグノリアは任されている。元々彼女の発案をもとに立ち上げた部門ゆえ、商会長である母クラベルはまだ学院生であるマグノリアをその部署の責任者としたのだ。

 準備に半年かけ、二か月前に漸く正式稼働したばかりの部署は忙しい。学業を疎かにすることも出来ず、マグノリアは二足の草鞋を履いて充実した多忙な日々を過ごしている。

 更にいえば、エスタファドル伯爵家の社交はクラベルとマグノリアが担っている。今は社交シーズンでもあり、立ち上げた部署の宣伝も兼ねてマグノリアは様々なお茶会や夜会に出ては精力的に動き回っていた。

 そんな彼女を父アマネセルが態々執務室に呼んでいるという。つまりそれは『エスタファドル伯爵令嬢』としてのマグノリアに関する何かがあるということだ。

 彼女の年齢を考えれば、おそらくは縁談。そう簡単に予想がついたマグノリアは不機嫌になった。だが、早合点はいけない。まずは話を聞こうとマグノリアはアマネセルの執務室を訪れた。

 許しを得て入った執務室には一人の壮年男性がいる。とても成人済みの長男を筆頭に三人の子持ちとは思えない若々しい、穏やかで人畜無害そうな男性こそが父のアマネセルだ。

 尤も国王の懐刀と影で呼ばれている男が人畜無害なはずがない。しかし、アマネセルは人に警戒心を抱かせない見た目と雰囲気を持っている。それこそが彼の仕事にとって最も重要な要素だ。

 そんなアマネセルは学院で出会ったクラベルを溺愛しており、結婚して二十年以上経つというのにいつまでも仲睦まじい夫婦だった。兄や弟とはいつ弟妹が出来てもおかしくないと話しているくらいには仲睦まじい。

「マグノリア、君の結婚が決まってしまったよ」

 普段は愛称のリアと呼んでいる父がマグノリアと呼んだことで、マグノリアは父もまたこの結婚が本意ではないことに気付いた。いや、言葉そのものが本意ではないと確り主張している。

「あら、お父様、わたくしの結婚は自由にしてよいと仰っておられましたのに」

 父が本意ではないことに気づいてはいるが、マグノリアは嫌味を交えて問いかける。

 エスタファドル伯爵家は代々自由婚姻の家だ。自由恋愛ではない。結婚を自由に自分で決めてよいという家訓があるのだ。

 ゆえにマグノリアはデビュタントを終え成人となったにも関わらず、まだ婚約者がいない。十三歳の弟ルシアノにも婚約者はおらず、兄エクリプセはつい先ごろ学院で出会った才女で有名な子爵令嬢と婚約したばかりだ。

 そういった表面的な事柄しか知らぬ学院のクラスメイト達は『政略ではなく恋愛結婚できるなんて羨ましい』と勘違いしている。

 エスタファドル伯爵家の自由婚姻は恋愛結婚ではない。恋愛結婚でも政略結婚でもどちらでもよいのだ。自身で決めて相手を選ぶ。それが恋愛でも政略でも本人が決めたのであれば何も言わない。尤も歴代を見ると純粋な恋愛結婚という者は少ない。大抵は家の利益になる相手を選んでいる。

 両親は恋愛の比率が高い結婚だが、エクリプセは政略に近い。領地と王都間の流通を考えて、また領地経営のパートナーとして相手を選んでいる。

 マグノリアも商会の発展に繋がりそうな相手を選ぶつもりで吟味中だ。隣国から留学中の子爵子息が中々面白い発想をするので、はしたなく思われない程度に距離を近づけている最中である。

 だが、そんなマグノリアの秘かな計画も頓挫することになりそうだ。アマネセルは縁談があるとは言わなかった。結婚が決まったと言ったのだ。決定事項であり、マグノリアに拒否することは出来ない。

「お相手はどなたですの? 我が家が断れない相手となると王家や公爵家くらいしか思い浮かびませんけれど」

 いや、王家なら断れる。表立って取り沙汰されることはないが、国王とアマネセルにはそれだけの関係があるのだ。

「オルガサン侯爵家の嫡男ペルデル卿だ」

 そう言われてマグノリアは頭に入っているオノール王国の貴族名鑑を捲る。爵位・格式順に並んでいる本物のそれとは違い、エスタファドル家と王国にとっての有益度で並べられている脳内貴族名鑑の後半の後半にその人物はいた。

「ああ、お兄様と同学年にいらした方ですわね。寄子の取り巻きに囲まれて狭い世界でふんぞり返っていたこ…方でした」

 危うく小物と言いかけて取り繕う。それにアマネセルは苦笑した。

「知ってはいたのか」

「一応国内の貴族は皆頭に入っておりましてよ。でも、あの方ですの……」

 秘かに婚約者候補にしていた隣国の彼に比べて全く興味も関心も湧かない相手だ。いや、比べるのも烏滸がましく嫌悪感しか湧かない。

「あら、でもあの方、確か男爵家のご令嬢と実質ご夫婦だと言われておりますわ。身分を超えた真実の愛だとかで一部の責務を理解していないお花畑な方々が持て囃しておりましたもの」

 学院では一年しか在籍が重なっていない。だから交流などはないが、カフェテリアや食堂、中庭などで客と娼婦かと見紛うほどに貴族子女としては有り得ない触れ合いを人目を憚ることなく楽しんでいたのを何度か目撃している。

 ということは結婚当初から愛人容認が求められるのか。それとも市井の恋愛小説の三大流行の一つ、『新婚初夜の白い結婚宣言』でもされるのか。

 因みに残りの流行は『高位貴族令嬢の悪行を暴いて断罪し、身分違いの真実の愛を成就させる王子と平民美少女』と『責務を放棄して浮気に走った高位貴族令息と阿婆擦れ少女を逆断罪して幸せを掴む淑女』だ。

 恐らくこれらの小説は裕福な平民か高位貴族の社交場に招かれることのない弱小低位貴族が書いていると予想している。あまりにも貴族社会の厳しさと恐ろしさを理解していないからだ。特に真実の愛。

 あんなものは婚約者である高位貴族令嬢が『邪魔ね』と呟くだけで事は済む。忖度した分家や寄子、誼を通じたい誰かがこっそりと始末してくれる。そして何事もなかったかのように日常が続くのだ。

 真実の愛の片割れは騒ぐかもしれないが、数日後に病気になり風光明媚な僻地に療養に出ることになるだろう。そしてその途中で運悪く山崩れや山賊に遭い命を落とす。もしくは療養の甲斐なく儚くなるだろう。

「ほう、真実の愛ねぇ。まるで市井の恋愛小説のようだ。男爵令嬢と懇意になるとはオルガサン侯爵家嫡男としては随分寛大な人柄のようだね」

 決して褒めてはいないアマネセルの言葉に今度はマグノリアが苦笑する。

「あの方、素晴らしい呆れ返るほどに選民意識の塊ですわ。男爵令嬢をご寵愛なのも身分違いの真実の恋に酔っているだけでしょうね」

 そんな男と結婚し子供を生さなければならないのかとうんざりする。恐らくこれは侯爵家から持ち込まれた結婚だろう。あの家は困窮しているのに当主夫婦も嫡男も贅沢を止めない。持参金と援助目的と考えて間違いない。

 そうなれば、自分の役目は侯爵家の立て直しか。そして、自分が生んだ子に爵位を継承させ、実質的にオルガサン侯爵家をエスタファドル伯爵家の分家にしてしまうというところだろう。

 途轍もなく面倒臭いが、没落一歩手前の領地の立て直しは遣り甲斐があるし面白そうだ。兄と弟も巻き込んで早速調べて計画を立てよう。

 父と話しながらそう計画を立てるマグノリアだったが、それは父の言葉で霧散する。

「リア、この結婚は王命だよ」
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