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伽藍洞の侯爵邸

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 豪遊の資金が底をついたペルデルはアバリシアを伴って侯爵家の王都別邸へと戻った。しかし、誰も出迎えることはなく、不審に思う。

「おい、ご主人様のご帰還だぞ! なぜ誰も出迎えない!」

 仕方なく重い扉を自力で開け、屋敷に入るもやはり誰も出迎えない。それどころかいやに屋敷内が閑散としている。

 なぜだろうと考えたペルデルは、二十日前に出かけた時とホールの様子が異なっていることに気付いた。出かけるときには両親好みの大ぶりな壷や絵画が飾られていたのだが、それがない。婚約の際に支度金として贈られた金で買ったはずのそれらがなくなっているのだ。

 何もない玄関ホールをアバリシアはきょろきょろと見まわす。これでは実家の男爵家のほうが調度品があるではないか。確かに男爵邸とは違ってとても広いし立派な屋敷だが、使用人は出迎えてこないし、殺風景すぎる。自分が女主人になったら、不出来な使用人は馘首クビにして、華やかな装飾を施そう。お金はお飾りの妻に出させればいい。それが役目なのだから当然だ。

 アバリシアはペルデルの狼狽にも気付かず、そんなのんきなことを考えた。

 出迎えない使用人にアバリシアが内心で文句を言っていると、ペルデルは使用人たちを呼びながら邸内を進んでいく。アバリシアは慌ててそれを追いかけた。こんな大きなお屋敷では迷子になってしまう。だが履き慣れない高いヒールの靴とよく磨かれたつるつるの床のせいでうまく歩けない。そもそも女性の高いヒールはエスコートがあることが前提の靴だ。それなのにペルデルは焦りと怒りでアバリシアのことを忘れているようだ。

(もう、ペルデルも使えないなぁ)

 内心で文句を言いながら、アバリシアは靴を脱いでペルデルを追いかけた。

 内心で文句を言われているなど当然気付かないペルデルは異様な邸内に嫌な予感を覚え、屋敷中を見て回った。

 広間、食堂、応接室と一階の部屋は殆ど何もない。自分たちが普段使うところは改装して調度品も新調したはずなのに、それらが消えている。

 普段は入ることのない厨房は改装もしていないから、そのままだった。調理器具も残っているし、僅かばかりの食材もあった。しかし、この時間であれば晩餐の仕込みをしているはずの料理人たちは一人もいない。

 二階の自分の部屋にも何もなかった。大人三人が余裕で横になれる大きな寝台も、自分の美しさを映し出して堪能するために作らせた大きな鏡もなくなっている。東の異国で織られたという毛足の長い豪奢な絨毯もなくなっていた。

 隣の夫婦の寝室も同じだ。アバリシアと今夜楽しもうと思っていた天蓋付きの王宮のような寝台が消えている。更には名ばかりの妻の部屋からも全てが消えていた。そのまま奪ってアバリシアに与えようと思っていたドレスも宝石も何もかもが消えている。幸いにも自室のクローゼットにはペルデルの服だけは残されていた。入ってくる予定の援助金目当てにツケで購入した宝飾品も残っていたことにペルデルは安堵する。

 三階の両親の部屋も同様だった。服と宝飾品は残っているが、結婚前の改装時に合わせて購入させた調度品は消えていた。これまた幸いに父の書斎には金庫が残っていたし、そこには僅かとはいえ現金も残されていた。その他に一通の契約書らしきものもあったが、ペルデルは気にも留めなかった。

 その契約書こそが、最も重要であったのに。

 屋敷内を全て見て回った結果、屋敷内はほぼ伽藍洞といってよい状態になっていた。婚姻に際してエスタファドル家の資金提供によって購入した家具・調度類が全てなくなっていたのだ。おまけに使用人たちは一人もいなかった。

「おい、どうなっているんだ!」

 慌ててペルデルは自分に従っているはずの護衛騎士を振り返った。しかし、自分についてきているのはアバリシアしかいない。

 実はペルデルが屋敷に入った時点で護衛騎士と御者は侯爵邸を去っている。エスタファドル家の資金で用意した馬と馬車も同様だった。

 一体どうなっているのか、訳が分からぬペルデルは呆然とするしかない。まさか離婚に十分な証拠が集まり、侯爵家の契約不履行によりオルガサン侯爵家有責での離婚が承認目前であるとは考えもつかなかった。

 既に領地に向かっている侯爵夫妻のもとには使者が送られており、エスタファドル伯爵家にも承認の内諾が下りている。ゆえにマグノリアは侯爵家を出、使用人たちは契約終了して侯爵家を去っている。更に愛娘が婚家で快適に過ごせるようにと設えられていた家具や調度品は全て伯爵家が回収した。それらは既に故買商に売られている。

 なお、マグノリアの私室で使っていた家具類はそのまま彼女の個人邸に移されている。成人し離婚した(正確には間もなく離婚成立する)マグノリアは実家を出て、貴族街の中でも学院にほど近い一角にある小ぶりだが品の良い館を買い取り、そこに弟とともに住むことにしたのだ。漸く兄の結婚が決まったのでいずれ独立して分家を興す弟とともに『小舅と小姑はいないほうがよろしいでしょう』と笑って引っ越したのである。

 尤もそれは新婚の邪魔をしないためというよりも離婚によって伯爵邸に押しかけてくるだろう面倒な者たちを避けるためでもあったのだが。

 そんなわけでオルガサン侯爵邸はすっかりもぬけの殻になっている。こんなところで生活など出来ようはずもなく、しかし軍資金を使い果たして宿を出たペルデルが再び宿に行けるはずもなく、ペルデルは途方に暮れた。

「ねぇ、ペルデル、どうなってるの?」

 あまりに異様な侯爵邸の様子に流石のアバリシアも何かがおかしいと感じた。

「五月蠅い! 俺が判るわけがないだろう!」

 ペルデルは判るはずもないことを訊いてくるアバリシアに怒りを感じ、怒鳴りつけた。自分だって何も知らされていないのだ。帰ったらこうなっていた。

「ご、ごめんなさい、愛しいペルデル。びっくりしちゃったの」

 慌ててアバリシアはペルデルに謝る。ペルデルの怒りを買うことは避けなければならない。この男はこれからの自分に贅沢をさせてくれる貴重な存在だ。直ぐには侯爵夫人にしてもらえないが、ペルデルの計画では三年後にはお飾りの妻を第二夫人に格下げして自分を正妻にしてくれるのだ。

「大切なペルデル、このお屋敷にはベッドもないし、使用人もいないから大変だわ。そうだわ、夫が大変なんですもの、お飾りの妻の家に行けばいいのよ! 伯爵家はとってもお金持ちなんでしょ? 妻の実家が夫を持て成すのは当然だもの。そこで優雅に暮らしながら調べさせればいいと思うの」

 何をどう考えたのか、アバリシアは頓珍漢なことを提案した。しかも自分も行く気満々である。夫の愛人が妻の実家に行って歓迎されるはずがないという当然のことにも思い至らないらしい。

「おお、流石は俺の愛しいアビィだ! それは名案だ」

 そして、ペルデルも同類だった。アバリシアの迷案を名案だと賞賛する。エスタファドル家が用意した調度品がなくなっているのだ。これはエスタファドル家の責任であり、慰謝料を請求し、更に豪華な調度品を用意させようなどと訳の判らぬことを考えていた。

 しかし、ここで問題が発生した。ペルデルはエスタファドル伯爵邸が何処にあるのか知らない。婚約の調印の際は王城にて書類を取り交わした。不本意な婚約だから婚約者時代に伯爵邸に赴くこともしなかったし、会わねばならないときは侯爵邸に呼びつけた。

 確か伯爵邸はかなり遠いと婚姻の打ち合わせのために出向いていた執事がぼやていたのを覚えている。

 結局、場所も判らぬ伯爵邸には行けず、二人はここよりはマシなはずだとアバリシアの実家の男爵家に行くことにした。確りと父の金庫に入っていた僅かばかりの現金も持ち出した。

 男爵邸で暮らしながら男爵家の使用人にエスタファドル家と領地へと向かった両親に知らせるよう手配させればいい。

 そうして、何も知ろうとはせず戸惑いを疑問へと発展させることもなくペルデルは時を浪費するのである。
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