茜空に咲く彼岸花

沖方菊野

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第二章 ツギハギ(42)

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 かさかさという音に意識が近づく。


 あぁ、起きないと。


 幼くなった青年、沖田は畳に何かが擦れる音で覚醒した。
 気怠い瞼を眼に被せたままにしていると、再びかさかさという音がする。
 外との境界が曖昧である日本家屋は、自然からの来訪者が多い。
 それが側を歩いているのかと考えるが、音の大きさ具合や合間合間に割居る人の声から、生活音であることを察する。

 着物が畳に擦れる音だ。


「お前さぁ、本当、下手くそだよな。
何百年かけても下手くそだよな。」


 鈴を転がしたような声が、乾いた嫌味を並べていく。


「五月蠅いですよ、朝方から。
それにこう見えても私。
自分の着物の帯締めは下手でも、人に着せるのは得意なんですから。」


「いや、下手くそだよ。」


 間髪入れない辛辣な言葉に、「もうっ。」と低めの声が粗めにあげられると、ばさっという音が鳴る。


「おい、紛いなりにも主人じゃねぇのかよ、あたいは。」


 衣擦れや外の世界の音以外の一切が途切れる。低い声の持ち主、静代は返事をしない。

 先ほどより激しくなった衣擦れの音は、彼女の心の表れでもあるのだろう。


「……普通、主人に寝間着投げつけるかよ。どうなってんだか。
そんなんじゃ、お前他で奉公できねぇぞ。」


「鈴音様以外にお仕えする気はありませんから、結構です。
そのような心配、無用です。」


 とげとげしい忠誠心に、浅い吐息が返される。


「それより、ご自身の身なりをもう少し整えたらいかがですか。
着たすぐから、だらしがないですよ。
衿の合わせも隙間が多いですし。」


「あんまきつく締めると動きにくいんだよなぁ。
ただでさえ、さらしも締めてんだぜ。
刀裁きが鈍くなっちまう。
袴で足下ももたつくしさ。」


 深めの吐息に静代が笑う声が重なった。

 狸寝入りを続ける沖田は、目を覚ましていることに気が付いて欲しくなってくる。
 声を掛け自分を起こす素振りを見せてくれたら、とうに軽くなった瞼をこすりながら開いてみせるのに、と暖かい布団の中でもじもじ足を動かす。

 昨夜の一件の後、鈴音の部屋に連れられた沖田は、吐瀉物の臭いがする着物を静代に引き剥がされた。当然ながら近藤の褞袍も畳みに投げ出される。吐瀉物の付く着物の上からくるんで使ったのだから、仕方のない扱われ方ではあった。

 だが脱いだは良いが着替えがない。元より新選組に童などいるはずもないのだから、これもまた至極当然のことである。
 このことについて再び土方の元を訪れ、相談に行くのを面倒がった鈴音は、静代の着物と褞袍を行李から取り出すと、寒さに色を変える童をくるみ、半ば投げ入れるかたちで布団に詰め込んだ。

 その両側を挟むようにして、静代と鈴音が並んで横になる。
 二枚の小さな布団に三人並べば、意識することもなく密着し合う。

 静代は何も言わず沖田に手を回すと抱き寄せるような形で眠り出す。

 初めての感覚に目が覚醒してしまう童の背後から、「早く寝ろよ。」と鈴音の声がした。振り返りたくはあったが静代と向き合う体勢であり、それを腕で固定されているため、鈴音を見ることはできない。

 沖田は、もじもじとしながら隠し持っていたいつかの石を、こっそり胸元から触れた。
 硬いゴツゴツとした感覚を指でなぞっていると、冷たい手が頭を乱暴に撫で付けてきた。

 擦り合わせていた足が自然と動きを止め、瞼が緩やかな上下運動を始める。


 疲れている、体がだるい。


 沖田はそんなことを今更ながらに実感する。頭が一度、それを理解してしまうと、そんな気になった体と意識を睡魔が誘ってくる。

 開いては閉じ……開いては閉じ……。

 慣れないこの景色をもう少し見ていたい童は、自身の意志に反する瞼の動きと戦うが、気がつけば朝を迎えていた。

 沖田は大げさに寝返りをうってみせた。だが、誰かが近寄ってくる気配はない。


「おい、何かようかよ。」


 小さな肩がわずかに跳ねる。


 狸寝入りをしていたことなどとうに知れていたのだろうか。


 自分で起きないことを叱責されるのだろうか。

 沖田が恐る恐る瞼を押し上げると同時に、背後の障子が桟を滑る音がした。


「副長の小姓か。」


 聞いたことがある声音に、沖田は思わず振り返ってしまう。
 開かれた障子戸の向こうに、細雪を背後に座っている斎藤の姿があった。


「訪ねてきておいて、何の問いかけなんでしょうか。
初見ではありませんでしょうに。」


 唇を突き出し不服そうな静代は、鈴音に視線を送る。
 二人とも身支度は終えたようで畳に腰を下ろしていた。鈴音は、静代の帯の手直しを止め、頭を掻きむしる。
 油で固めることもなく無造作に結われただけの総髪は、乱雑な手の動きに激しく揺られた。


「いや、多分何か問いかけたとかじゃねぇんだろ。」


 女二人の視線が斎藤に向けられると、後を追うように沖田も視線を走らせる。
 六つの眼玉に捉えられた男は、しばらく無言を通していたが、はっとしたように口を少し開くと言葉を発した。


「……。
この気配に勘付くとは、流石、副長の小姓を任せられているだけのことはあるか。
という意味だったのだが……。」


 斎藤の言葉に静代は素っ頓狂な声を上げるが、鈴音も沖田も特に反応も示さない。どちらかといえば、平生のことかと見知ったような顔で斎藤に冷めた眼差しを投げている。

 一方で静代の驚嘆に頬を染めた斎藤は頭を撫でながら首を傾けて見せるが、可愛さの欠片も感じられない。


「で、こんなくそ朝っぱらから何の用だよ。ガキも起きちまったじゃねぇか。」


「……。」


 斎藤は口を閉ざしたまま、両拳を膝前の畳に打ち付ける。
 何事をするのかと、三人が黙って見つめていると滑るように拳の元へ膝頭を滑らせた。
 微妙に室内に入りきらない位置で動きを止めた斎藤は、折り畳んで座っている足の上に正しく手を添え直す。


 絡繰り人形みたいだ。


 沖田は斎藤の動きを密かに笑う。


「黙ってんじゃねぇよ。
何か言えよ、居心地悪ぃな。」


 見るからに聞くからに鬱陶しいという面持ちと鈴声を鳴らす女に、斎藤は意を決する。心持ちを固めたにしても、無表情な彼の心中は誰も容易に察することができないため、男は一人、生唾を飲み込む覚悟で口を開く。


「来てくれ。」


「……。
どこに。」


「勝手場に。」


「なんで。」


「朝餉の支度のために。」


「なんで。」


「いや、だから朝餉の支度のためにだ。」


「それはさっき聞いたんだよ。
今聞いてるのは、なんであたいが朝餉の準備なんかしなきゃなんねぇのかってことだ。
お前ら順に作ってんだから、当番の奴がすりゃぁ良いじゃねぇか。
それとも勝手場に何か出たってのかよ。」


 ぐうの音も出ない斎藤は、むーんっと唸るように腹を力ませる。

 返す言葉が見つからない。

 昨夜、眠りに落ちるまでの間に考えた作戦として、無鉄砲に頼んでみるというものを実行してみたが、結果は出せないようだ。波にひかれるつぶてのように、即座に流されてしまう。

 女であるから武士の体面を取り繕って、案外簡単に事を引き受けてくれると踏んでみた斎藤ではあったが、鈴音がそんな男の道理などに、心やすくのってくれるはずもなかった。 

 そもそもそこまで交流がある訳でもない。

 斎藤は苦虫を頬張って噛みつぶしたような顔で鈴音を見つめる。

 土方の命令で何度か巡察を共にしたことはあったが、何故その際、もっと親しくしておかなかったのだろう。
 どこから来たかも分からぬ得体の知れない新参者が、敬愛すべき土方の小姓を務めることを斎藤は快く思えなかった。
 それがあったため、山椒の粒程度に距離をとり接してしまっていた。

 鈴音がくる巡察は土方も必ず同行していたため、余計に自分から彼女に歩み寄ろうとはしてこなかった。斎藤は自身の行い全てを嘆きたくなってくる。


 あのとき、少しでも気を利かせてやっていれば、今、この頼みを気楽に承諾してくれていたかもしれない。


 たった一度でも挨拶を多く交わしていれば、気楽は難しくとも、小言と共に引き受けてはくれたかもしれない。


 どうにもならない堂々巡りが、斎藤の口中を更に苦くしていく。


 あぁ、こんなことで悔い悩むなど武士らしくもない。潔く諦め、いつものように飯の支度に戻らねば。


 武士らしさを徹底するこの新選組において、今の自分は士道不覚悟も同じ。


 自分を律さねば、戒めねば。


 そうは考えながらも、斎藤の臍(ほぞ)は中々に固まらない。固まらないからいつまでも足は動かず、そのしかめた面を鈴音に向け続けている。

 向けてる方は内なる自分との戦いに励んでいるため自覚はないだろうが、向けられている方は何とも言えない心持ちになってくる。


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