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14話 夜の奇襲は夜這いです

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【赤いクラゲが欲しかったのか? それなら一匹、お嬢ちゃんの脚に付いてたぜ?】



 ホレイショが指さした先には、べちゃりと床にへばりついている赤いクラゲがいる。

 どうやら海中でウェンディのふくらはぎをぬるりと掠めた物体は、赤いクラゲだったらしい。

 それがそのまま脚に張り付いて、ホレイショの瞬間移動で一緒にここまで来てしまった。

 ウェンディが号泣している間に剥がれたが、クラゲというものは陸地では満足に移動できない。

 赤いクラゲは誰にも気づかれず、床の上でじわじわと干上がるのを待つしかなかったようだ。



「可哀想なことをしたわ。すぐに海水の中に入れないと」



 砂浜の上に置いていたウェンディの荷物も、ホレイショが運んでくれていたので助かった。

 筒形の水槽の中に赤いクラゲをたぷんと入れると、しばらくじっと下に沈んでいたが、やがてモゾモゾと触手が動き出す。

 ウェンディが水流を起こすポーションを垂らすと、赤いクラゲは気持ちよさそうに渦巻く流れに乗った。

 

「良かった、復活してくれた」

「それは何だ?」



 揺蕩うクラゲを眺めていると、風呂から上がったらしきデクスターが、隣から覗き込んでくる。

 デクスターの体から立ち昇るほかほかとした湯気が、ウェンディの頬にも感じられて、距離の近さに心が騒ぐ。

 

「この赤いクラゲから採れる粘液で、ポーションの質感や粘度を変えられるんです。これまでは、デクスターさまにポーションを飲んでもらっていましたが――」

「待った。その先は、こいつに聞かせない方が、いいんじゃないのか?」



 デクスターが魔王の核がある下腹をさすって見せる。



「こいつは、意志を持っているのかもしれないのだろう? だったらウェンディの話を聞いて、何か対策を練るかもしれない」

「魔王の核には、耳があるってことですか?」

【あながち間違いでもないと思うぜ。大人しくしている間はただの核かもしれないが、デクスターの体を乗っ取ろうと動き出した今は、そいつはもうただの核じゃない】

「用心するに越したことはない。ウェンディの策は、俺に内密にした方がいい」

「そうすると、実験は奇襲のようになってしまいますが、いいんですか?」

【奇襲って! お嬢ちゃんはやっぱり面白いな!】



 ホレイショが歯を見せて笑う。

 ウェンディも、さすがに奇襲は言い過ぎたかなと思っていると、デクスターが真剣な顔をして宣う。



「それでいい。俺を襲うつもりでいてくれ。ウェンディになら、何をされても構わない」



 魔物姿になっているデクスターを相手に実験するのだから、奇襲とはつまり夜這いだ。

 ウェンディの顔が、ボッと紅潮する。



【あ~あ、無自覚でお嬢ちゃんを煽るんだから、デクスターは罪作りだなあ】

「デクスターさまは実験の許可を出してくれただけで、そんな、あ、煽るだなんて……」



 わたわたするウェンディと、意味が分かっていないデクスターを、交互に見ながらホレイショが口角を上げる。

 その顔には間違いなく、【これは絶対に面白いことになる!】と書かれていた。



 ◇◆◇



 赤いクラゲが雄であると確認できたので、ウェンディはホレイショに家まで送ってもらうことにした。

 筒形の水槽を持って突然現れたウェンディに、実験中だったダニング伯爵は驚愕して保護メガネがずり落ちる。

 どうやらホレイショが瞬間移動した先は、研究室だったようだ。



「ありがとう、ホレイショ。作戦実行のときには、またお願いね」

【おう! 試作ポーションが出来たら、デクスター宛てに連絡してくれ。デクスターに隙ができた夜を狙って、お嬢ちゃんを迎えにくるからよ!】



 ホレイショは悪い人相をしながら、揺れて消えた。

 ウェンディは持っていた水槽を机の上に置き、背負っていた鞄を床に下ろすと、ホッと肩から力を抜いた。

 そんなウェンディに、ダニング伯爵が間合いを詰めてくる。

 

「い、今のは……? ホレイショに見えたけど?」

「うん、ホレイショの瞬間移動で送ってもらったの。デクスターさまのとこから」

「デクスターのとこから? ウェンディは、海に行ったんじゃなかったっけ?」

「あれ? お父さまが私の見守りを依頼したわけじゃなかったの? じゃあ、デクスターさまは自主的に……?」



 頼まれてもいないのに、ホレイショを海に寄こして、ウェンディを見守っていてくれたのだ。



(なんだか、それって、それって――!)

 

 デクスターから大切にされているようで、思わず緩んでしまった顔を、ウェンディは両手で覆って隠した。

 感極まっているウェンディの様子を、微笑ましそうに見るダニング伯爵。

 

「なんだか、聞かなくてはいけないことがたくさんありそうだけど、取りあえず無事に帰ってこれて良かったよ。おかえり、ウェンディ」

 

 ◇◆◇



 採集してきた赤いクラゲは、ダニング伯爵が素材を取るために管理している、大型水槽へと移された。

 その中には、雌の赤いクラゲがいるので、きっと寂しくはないだろう。

 元気そうにしている赤いクラゲに、ウェンディが胸を撫で下ろしていると、ダニング伯爵からの質問攻めが始まった。



「それで海で何があった? どうしてデクスターのところに? ホレイショの力って一体――」

「順を追って説明するわ。きっと、お父さまには衝撃を与えてしまうでしょうけど」



 ウェンディは、話が長くなると見越して、ダニング伯爵に着席を勧める。

 王家から依頼があったポーション制作を横にやり、ダニング伯爵は大人しく座って聞く姿勢を見せた。



 海で溺れてしまったこと、そこをデクスターに助けてもらったこと、ホレイショの持つ瞬間移動の力で山小屋に戻ったこと、デクスターに内容を明かさず実験すると決めたこと。

 ウェンディの話題のひとつひとつに、顔をしかめたり輝かせたりしたものの、ダニング伯爵は最後まで口を挟まなかった。



「なるほどねえ」



 一通りの説明が終わり、未熟さを叱られるかもしれないと思っていたウェンディだったが、ダニング伯爵の見解は違った。



「親心から言わせてもらうと、危ない目に合った海には、もうウェンディを行かせたくない。けれど、ウェンディが一人前の錬金術士になるためには、それではいけない。今回の失敗を教訓として役立てるように、というのが先輩錬金術士としての、私からの助言だね」

 

 ダニング伯爵はそこで足を組みかえる。

 ウェンディへの苦言はここまで、ということだろう。



「デクスターがしてくれた配慮には、感謝しかない。ホレイショの力を活用して、よくぞウェンディを助けてくれた。デクスターにこっそり、泳げないウェンディが海へ採集の旅に出て心配だと、憂いを吐露した甲斐があったよ」

「いつの間に連絡を取り合っていたの?」

「王家から急ぎで、ポーションの制作を依頼されただろう? それに関してちょっと、昔のことを思い出してね。デクスターも憶えているかどうか、尋ねたんだ」

 

 まあ、そちらは杞憂に終わったんだけどね、とダニング伯爵は締めくくる。

 ウェンディは、先ほどまでダニング伯爵が使っていた融合釜を見やる。

 隠すつもりはないのか、使用した素材の残りも並んでいるので、ウェンディにはそれだけで、ダニング伯爵が制作したポーションが何なのか分かった。



(王家が依頼したのは、媚薬ポーション?)



 眉根を寄せたウェンディの顔に、ダニング伯爵が苦笑を漏らす。

 

「どうして? と、思うだろう? 私もそう思った。そして昔のことを思い出したんだ。魔王討伐パーティを結成して、旅立ってからしばらくした頃だった。私は自分が誰かに、媚薬ポーションを盛られたかもしれないと感じた」

「え……?」

「ほんの僅かだが、媚薬ポーションと同じ作用が身心に現れたんだ。すぐさま、媚薬効果を打ち消すポーションを作って飲んだよ」

「それで、大丈夫だったの?」

「私はね。念のためにデクスターにも尋ねたんだが、彼は童て……いや、純真だから、何も感じていないようだった。でも一応、打ち消すポーションは飲ませておいたよ」



 そこでウェンディは、恐ろしいことに思い当たった。
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