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25話 犬じゃあるまいし
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「ダニング伯爵令嬢ウェンディ、学園に何の用なの?」
緩やかにウェーブした肩までのピンク色の髪をなびかせ、若草色の瞳をウェンディにひたりと合わせてきたのは王女レイチェルだ。
自分たちの女神の登場に、攻略対象たちはワッと盛り上がる。
「レイチェル、君を迎えに行こうとしていたんだよ」
「そうしたらハリスンが、走り出してしまったのです」
「すまん、どうしても一言、釘を刺しておきたかったのだ」
レイチェルの機嫌を取ろうと、攻略対象たちは躍起になって話し出す。
それを手を挙げることで制したレイチェルは、ウェンディからの返答を待っているようだった。
ここで無視をするには、相手の身分が高すぎる。
仕方なしに、ウェンディは失礼にならない程度の挨拶をした。
「ごきげんよう、王女さま。今日は図書室へ用向きがあって伺いました」
「図書室? もう学園を卒業したあなたが?」
「卒業生でも図書室を使える制度には、助けられています」
優等生なウェンディの受け答えは、レイチェルのお気に召さなかったらしい。
フンと鼻で笑うと、嘲るような眼差しをウェンディへ向けてきた。
「そうやって、周囲を騙しているのね。真面目に勉強をしている風を装っても、私の眼は誤魔化されないわよ」
攻略対象たちと同じく、レイチェルとも話が通じなさそうだ。
そう判断したウェンディは、もう余計な口はきくまいと、穏やかに微笑むに留める。
「教授たちも勇者さまも、あなたの本性を知ったら呆れるでしょうね。本当に才のある人間が誰なのか、いずれ明らかになるわ。だいたい、この学園の教授陣からして、レベルの低さが窺えるというものよ。私の会得した高位魔術がどれほどのものか、理解できていないんじゃないかしら? 勇者さまにも――」
レイチェルが滔々と垂れ流す誹謗中傷を黙って聞いていたウェンディだったが、ふとホレイショの言っていたことを思い出し、ずいっとレイチェルへ近づいてスンスンと鼻を動かした。
こういったときのウェンディの頭の中は、完全に研究者のそれで、体面などは二の次だ。
「何なの!? 犬じゃあるまいし、急に匂いを嗅ぐだなんて失礼ね!」
しかし、それが功を奏して、気味悪がったレイチェルは攻略対象たちを連れて、ウェンディから離れていってしまった。
きっと、遅れそうだと言っていた次の授業へ向かったのだろう。
ひとりで正門前に取り残されたウェンディは考え込む。
「嫌な匂いなんてしなかった。むしろ高級な化粧品の香りがしたわ。ホレイショが表現していたのは、その香りではないでしょうし、一体なんの匂いを察知しているのかしら?」
魔王の核の香りも、強弱が分かるほど敏感に嗅ぎ分けるホレイショの鼻を、ウェンディは信頼している。
デクスターの体内にある魔王の核の問題が解決したら、ぜひ王女が発しているという匂いについても調べてみたいと思った。
そしてウェンディは今度こそ、学園を後にしたのだった。
◇◆◇
学園長たちが頑張ってくれたのだろう。
ウェンディの卒論にまつわる嘘は、正されていった。
しかし、悪意ある噂のバラ撒きは、それだけで終わらなかった。
デクスターの経過観察から帰ってきたダニング伯爵によって、ウェンディはそれを知らされる。
「私とザカライアさんが? 在学中から男女の仲だったと?」
「そうなんだよ、王城でそんな噂が出回っていてね。デクスターがすっかり元気をなくしている」
やれやれと肩をすくめるダニング伯爵からは、諦めが感じられた。
きっと王城で噂を否定してくれたのだろうが、それくらいでは広がりを抑えられないのだ。
「その噂の出所は、王女さまね?」
「学園でウェンディの卒論に関するでたらめな噂を流したが、あまり効果がなかった。だから今度は王城で、もっとインパクトのある噂を流そう。――レイチェル王女の浅はかな考えは、そんなところだろうな」
「巻き添えにしてしまったザカライアさんに、申し訳がないわ。在学中も今も、司書として私を支えてくれただけなのに」
ウェンディだけなら、まだ我慢ができる。
しかし、無関係の人を巻き込むのは許せなかった。
「私からもイアン殿下と聖女さまに、遺憾の意を表してきたよ。どれだけ効果があるか、分からないけどね」
「あまりにも、王女さまの身勝手が、野放しにされている気がするわ」
「間違いない。これ以上、うちの可愛いウェンディを妬み嫉みの対象にするのなら、こちらも反撃の狼煙を上げよう」
ダニング伯爵の物騒な発言で、ややウェンディは落ち着きを取り戻した。
自分以上に怒っている人を見ると、なぜか冷静になるものだ。
「ということで、ウェンディ、今日も夜更かしをするといいよ。噂の真相は、本人に聞くべきだと、デクスターには伝えてきたからね」
◇◆◇
ウェンディはベランダに続く掃き出し窓を開放し、デクスターの到着を待つ。
「口で否定するのは簡単だけど、それで信じてもらえるかしら?」
あくまでもザカライアとは、司書と図書室利用者の関係であると、分かってもらいたい。
どう説明しようかと悩んでいると、やがて目の前の空間がゆらぐ。
そしてデクスターと、その肩に乗るホレイショが現れた。
【よっ! お嬢ちゃん、デクスターのこと、頼んだぜ!】
そう言い残すと、小さな羽根をぱたぱた動かして、ホレイショはどこかへ飛んで行ってしまう。
陽気なホレイショがいなくなると、俯いて陰鬱な雰囲気のデクスターだけがベランダに残り、途端に重たい空気が漂った。
「デクスターさま、今夜は少し冷えますね。よかったら、部屋の中に入りませんか?」
「ここは寝室の窓なのだろう? 部屋というのは、ウェンディの寝室なのでは……」
背の高いデクスターには、ウェンディ越しに大きなベッドが見えている。
最後の一線は越えてないとはいえ、それらしい行為をしたふたりが、ベッドのある部屋にこもるのはどうなのか。
デクスターの顔には、そう書いてあった。
だが、立ち話で済ませるのも嫌だと思い、ウェンディはやや強引にデクスターを招き入れる。
妙に緊張したていで長椅子に腰かけたデクスターを見て、もしかして女性の部屋に入ったのは、初めてなのかもしれないと思うウェンディ。
自分も真向かいに座りながら、温かいお茶を入れた。
「どうぞ。心が落ち着くポーションが入っています」
ウェンディは同じお茶を一口飲んで、デクスターに今回の噂について話し始めた。
問答無用で始まってしまった話に、デクスターは慌ててお茶を飲むと、姿勢を正して聞く体勢をとる。
「ザカライアさんは、私が通った学園の司書さんです。どうしても早く錬金術士になりたかった私は、けっこうな無理をして、飛び級での卒業を狙いました。資料集めのために、ザカライアさんには手を貸してもらいましたが、在学中は名前すら知りませんでした。ずっと、司書さんと呼んでいたのです」
「ウェンディが早く錬金術士になりたがったのは、俺を助けるためだとアルバートから聞いた」
デクスターが確かめるように言葉を挟んでくる。
それに対して、ウェンディは笑みを返した。
その通りだ、というウェンディの意思表示だ。
デクスターの自意識過剰ではないと、伝わっただろうか。
「卒論のテーマは、『ポーションで描く魔法陣の作用に関する研究』でした。デクスターさまや私の体にも、魔法陣を描きましたよね。あれは私の研究の成果だったのです」
魔法陣を描いた夜に、何をしたのか思い出してしまい、ウェンディはもう一口だけお茶を飲む。
デクスターも同じことをしているので、お互い、心を落ち着けたいのだろう。
「ザカライアさんは司書として優秀で、研究に行き詰った私をよく助けてくれました。卒論を書いていた在学中にもお世話になりましたが、卒業してからもお世話になっているのです。そのせいで……私の噂に巻き込んでしまいました」
おそらくザカライアが美麗である点も、ウェンディの相手役にされた要因のひとつだ。
あの顔ならあり得ると、噂を聞いた人に思わせやすい。
「噂が終息したら、謝罪に行かなくてはなりません。ザカライアさんには、とんだ迷惑をかけてしまいました」
俯きがちにそう零したウェンディに、デクスターが力強く反対した。
「ウェンディのせいではない。……この騒動はすべて、俺のせいだ」
緩やかにウェーブした肩までのピンク色の髪をなびかせ、若草色の瞳をウェンディにひたりと合わせてきたのは王女レイチェルだ。
自分たちの女神の登場に、攻略対象たちはワッと盛り上がる。
「レイチェル、君を迎えに行こうとしていたんだよ」
「そうしたらハリスンが、走り出してしまったのです」
「すまん、どうしても一言、釘を刺しておきたかったのだ」
レイチェルの機嫌を取ろうと、攻略対象たちは躍起になって話し出す。
それを手を挙げることで制したレイチェルは、ウェンディからの返答を待っているようだった。
ここで無視をするには、相手の身分が高すぎる。
仕方なしに、ウェンディは失礼にならない程度の挨拶をした。
「ごきげんよう、王女さま。今日は図書室へ用向きがあって伺いました」
「図書室? もう学園を卒業したあなたが?」
「卒業生でも図書室を使える制度には、助けられています」
優等生なウェンディの受け答えは、レイチェルのお気に召さなかったらしい。
フンと鼻で笑うと、嘲るような眼差しをウェンディへ向けてきた。
「そうやって、周囲を騙しているのね。真面目に勉強をしている風を装っても、私の眼は誤魔化されないわよ」
攻略対象たちと同じく、レイチェルとも話が通じなさそうだ。
そう判断したウェンディは、もう余計な口はきくまいと、穏やかに微笑むに留める。
「教授たちも勇者さまも、あなたの本性を知ったら呆れるでしょうね。本当に才のある人間が誰なのか、いずれ明らかになるわ。だいたい、この学園の教授陣からして、レベルの低さが窺えるというものよ。私の会得した高位魔術がどれほどのものか、理解できていないんじゃないかしら? 勇者さまにも――」
レイチェルが滔々と垂れ流す誹謗中傷を黙って聞いていたウェンディだったが、ふとホレイショの言っていたことを思い出し、ずいっとレイチェルへ近づいてスンスンと鼻を動かした。
こういったときのウェンディの頭の中は、完全に研究者のそれで、体面などは二の次だ。
「何なの!? 犬じゃあるまいし、急に匂いを嗅ぐだなんて失礼ね!」
しかし、それが功を奏して、気味悪がったレイチェルは攻略対象たちを連れて、ウェンディから離れていってしまった。
きっと、遅れそうだと言っていた次の授業へ向かったのだろう。
ひとりで正門前に取り残されたウェンディは考え込む。
「嫌な匂いなんてしなかった。むしろ高級な化粧品の香りがしたわ。ホレイショが表現していたのは、その香りではないでしょうし、一体なんの匂いを察知しているのかしら?」
魔王の核の香りも、強弱が分かるほど敏感に嗅ぎ分けるホレイショの鼻を、ウェンディは信頼している。
デクスターの体内にある魔王の核の問題が解決したら、ぜひ王女が発しているという匂いについても調べてみたいと思った。
そしてウェンディは今度こそ、学園を後にしたのだった。
◇◆◇
学園長たちが頑張ってくれたのだろう。
ウェンディの卒論にまつわる嘘は、正されていった。
しかし、悪意ある噂のバラ撒きは、それだけで終わらなかった。
デクスターの経過観察から帰ってきたダニング伯爵によって、ウェンディはそれを知らされる。
「私とザカライアさんが? 在学中から男女の仲だったと?」
「そうなんだよ、王城でそんな噂が出回っていてね。デクスターがすっかり元気をなくしている」
やれやれと肩をすくめるダニング伯爵からは、諦めが感じられた。
きっと王城で噂を否定してくれたのだろうが、それくらいでは広がりを抑えられないのだ。
「その噂の出所は、王女さまね?」
「学園でウェンディの卒論に関するでたらめな噂を流したが、あまり効果がなかった。だから今度は王城で、もっとインパクトのある噂を流そう。――レイチェル王女の浅はかな考えは、そんなところだろうな」
「巻き添えにしてしまったザカライアさんに、申し訳がないわ。在学中も今も、司書として私を支えてくれただけなのに」
ウェンディだけなら、まだ我慢ができる。
しかし、無関係の人を巻き込むのは許せなかった。
「私からもイアン殿下と聖女さまに、遺憾の意を表してきたよ。どれだけ効果があるか、分からないけどね」
「あまりにも、王女さまの身勝手が、野放しにされている気がするわ」
「間違いない。これ以上、うちの可愛いウェンディを妬み嫉みの対象にするのなら、こちらも反撃の狼煙を上げよう」
ダニング伯爵の物騒な発言で、ややウェンディは落ち着きを取り戻した。
自分以上に怒っている人を見ると、なぜか冷静になるものだ。
「ということで、ウェンディ、今日も夜更かしをするといいよ。噂の真相は、本人に聞くべきだと、デクスターには伝えてきたからね」
◇◆◇
ウェンディはベランダに続く掃き出し窓を開放し、デクスターの到着を待つ。
「口で否定するのは簡単だけど、それで信じてもらえるかしら?」
あくまでもザカライアとは、司書と図書室利用者の関係であると、分かってもらいたい。
どう説明しようかと悩んでいると、やがて目の前の空間がゆらぐ。
そしてデクスターと、その肩に乗るホレイショが現れた。
【よっ! お嬢ちゃん、デクスターのこと、頼んだぜ!】
そう言い残すと、小さな羽根をぱたぱた動かして、ホレイショはどこかへ飛んで行ってしまう。
陽気なホレイショがいなくなると、俯いて陰鬱な雰囲気のデクスターだけがベランダに残り、途端に重たい空気が漂った。
「デクスターさま、今夜は少し冷えますね。よかったら、部屋の中に入りませんか?」
「ここは寝室の窓なのだろう? 部屋というのは、ウェンディの寝室なのでは……」
背の高いデクスターには、ウェンディ越しに大きなベッドが見えている。
最後の一線は越えてないとはいえ、それらしい行為をしたふたりが、ベッドのある部屋にこもるのはどうなのか。
デクスターの顔には、そう書いてあった。
だが、立ち話で済ませるのも嫌だと思い、ウェンディはやや強引にデクスターを招き入れる。
妙に緊張したていで長椅子に腰かけたデクスターを見て、もしかして女性の部屋に入ったのは、初めてなのかもしれないと思うウェンディ。
自分も真向かいに座りながら、温かいお茶を入れた。
「どうぞ。心が落ち着くポーションが入っています」
ウェンディは同じお茶を一口飲んで、デクスターに今回の噂について話し始めた。
問答無用で始まってしまった話に、デクスターは慌ててお茶を飲むと、姿勢を正して聞く体勢をとる。
「ザカライアさんは、私が通った学園の司書さんです。どうしても早く錬金術士になりたかった私は、けっこうな無理をして、飛び級での卒業を狙いました。資料集めのために、ザカライアさんには手を貸してもらいましたが、在学中は名前すら知りませんでした。ずっと、司書さんと呼んでいたのです」
「ウェンディが早く錬金術士になりたがったのは、俺を助けるためだとアルバートから聞いた」
デクスターが確かめるように言葉を挟んでくる。
それに対して、ウェンディは笑みを返した。
その通りだ、というウェンディの意思表示だ。
デクスターの自意識過剰ではないと、伝わっただろうか。
「卒論のテーマは、『ポーションで描く魔法陣の作用に関する研究』でした。デクスターさまや私の体にも、魔法陣を描きましたよね。あれは私の研究の成果だったのです」
魔法陣を描いた夜に、何をしたのか思い出してしまい、ウェンディはもう一口だけお茶を飲む。
デクスターも同じことをしているので、お互い、心を落ち着けたいのだろう。
「ザカライアさんは司書として優秀で、研究に行き詰った私をよく助けてくれました。卒論を書いていた在学中にもお世話になりましたが、卒業してからもお世話になっているのです。そのせいで……私の噂に巻き込んでしまいました」
おそらくザカライアが美麗である点も、ウェンディの相手役にされた要因のひとつだ。
あの顔ならあり得ると、噂を聞いた人に思わせやすい。
「噂が終息したら、謝罪に行かなくてはなりません。ザカライアさんには、とんだ迷惑をかけてしまいました」
俯きがちにそう零したウェンディに、デクスターが力強く反対した。
「ウェンディのせいではない。……この騒動はすべて、俺のせいだ」
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