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20 前線への許可

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 そうして王太子の寝所前で座り込み、待つこと数時間。

 腹がグキュルルと鳴ろうが、俺は待った。セルジュは相変わらず姿勢よく立ったままだ。こいつはこいつで元気だな。

 すると豪奢な廊下の向こうから、ざわめきが聞こえ始める。横目でセルジュを見上げた。セルジュも目だけを俺に向ける。

「ようやく来たか」
「そのようですね」

 セルジュに手を貸されて立ち上がると、俺は腰に手を当ててあいつが来るのを待った。

 臣下に囲まれたロイクが視界に入る。すっかり王太子って感じで、俺に厄災が怖いとか言って縋り付いていた頃のあいつの面影は、どこにもなくなっていた。

「――やあ、ファビアン。こんなところまでどうしたんだ?」

 金髪碧眼で元々端正すぎる顔立ちに立派な体躯の持ち主のロイクは、繊細な刺繍が散りばめられた高そうな服を身に纏い、輝かんばかりの王子様っぷりだ。

 俺はそんなのに騙されないけどな。

「どうしたじゃねえよ。今日ずっと俺が探してたのは知ってるんだろ」
「ファビアンが私を? 済まない、今日は特に忙しくてね」

 ロイクが済まなそうな笑みを浮かべた。

 本当こいつは、嘘ばっかりだ。俺は吐きそうになった唾を、最大限の努力で呑み込んだ。

 チラリと周囲を確認したけど、残念ながらオリヴィアはまだいないみたいだ。オリヴィアがいたら説得してくれるかもと思ったけど、その線は早々に捨てる。

 薄らと微笑んでいるロイクを睨んだ。

「単刀直入に言う。今すぐ聖国マイズと戦ってる前線に俺が行く許可を出せ」

 俺の言葉に、ロイクが大仰に驚いてみせる。殴ってやりたい。

「……どうしてそこまで前線行きに拘るんだ? もうすぐ私とオリヴィアの結婚式もあるというのに」
「結婚式はお前らがいりゃいいだろ。俺には関係ない」

 拳を握り締めながら努めて冷静を装ってはいるけど、どうせロイクには全部お見通しだろう。

 悲しそうな顔を作ると、ロイクは知らない奴だったら騙されそうな悲しそうな声色で始めた。

「関係ないだなんて……私たちは厄災を倒した仲間だろう? 何故そんな冷たいことを言い出したんだ」
「冷たい冷たくないの問題じゃない。戦争をやって人がどんどん死んでるんだぞ? この戦いに負けたら、オリヴィアだってもしかしたらあの国に戻らなくちゃいけなくなるかもしれないんだぞ? オリヴィアが嫌がってたのはお前だって知ってるだろうが!」

 ロイクに俺の都合を述べたところで、どうせこいつはのらりくらりと誤魔化すだけだ。だから俺は、オリヴィアを理由にすることにした。それに俺が言っていることは別に間違いじゃない。実際に起きる可能性もあることだ。

「そうか……ファビアンはオリヴィアの為にこうまでして国を守ろうとしてくれているのか」

 感動したように頷くロイクに、俺はこくりと頷いてみせた。これならいけそうだ。俺は拳を身体の前で握り締めると、更に訴える。

「そうだよ! だから俺をすぐに行かせてくれ!」

 なのにロイクは、例の悲しそうな笑みを浮かべながら、この期に及んで粘りやがった。

「でも……せめて結婚式まで待てないかな? クロードがいなくなってしまった今、四英傑の残りは俺とオリヴィア以外には君しかいないんだ。英傑に祝ってもらえたら、きっと国民も喜び兵士たちの士気も上がると思うんだ」
「――お前な! いい加減にしろよ!」

 ロイクに掴み掛かろうとした瞬間、近衛兵の槍先が俺の顔の前に突き出される。俺はそれを掴んで近衛兵に一瞥をくれると、力任せに槍を引っこ抜き床に放り投げた。

 カラン、と曲げられた槍が音を立てて転がっていく。

「ひっ」

 近衛兵がビビった顔をして俺を見た。俺がガキであんまり男臭くない顔をしてるから、舐めてたのかもしれない。腐っても竜の痣の英傑なのに、だ。

 ――だったらもう、いっそのこと騎士団の特別顧問なんて辞めてやろうか。

 横にいるセルジュには巻き込んでおいて申し訳ないけど、俺ひとりなら。

「ロイクが意地でも反対するっていうのなら、俺にも考えがある」
「……え」

 ロイクの嘘くさい笑顔が、初めて崩れた。俺が息を吸って言ってやろうとした、その時。

「王太子殿下! 大変です!」

 別の近衛兵がバタバタと音を立てて廊下を駆けてきたかと思うと、床に倒れ込むようにして膝をつき、大慌てで報告を始めた。

「き、昨日王都を出発した後続隊が、道中何者かに襲われたそうです!」
「……なに?」

 ロイクが片眉を上げる。

「昨日出た後続隊……?」

 俺は目を見張ってそいつの報告を聞いていた。昨日王都を出たって、それってアルバンの隊じゃないか?

 近衛兵は、半ば叫びながら続ける。

「王城の警護を担当していた者たちの小隊が、ぜ、全滅と――!」
「……え?」

 全滅? 嘘だ、だってまだ前線にすら着いてないのに? いや、城を警護していたのはアルバンだけじゃないんだから、きっとアルバンは生きている。そうに違いない。

 すると、ロイクが悲しそうに首を横に振る。

「何ということだ……! 襲撃犯は見つかっていないのか?」
「申し訳ございません!」
「痛ましい……っ」

 俺はただ、目頭を押さえるロイクをぼんやりと見ていた。何も言わない俺を振り向いたロイクが、例の悲しそうな表情で今更ながらに謝罪を口にする。

「済まない、ファビアン。君が正しかった。こんなにも国民に危険が迫っていたというのに、私は自分の結婚のことで浮かれていたようだ」
「ロイク……」

 ロイクが、俺の肩をポンと叩いた。

「前線のことを君に頼みたい。我が国、ひいてはオリヴィアを守ってくれるかい?」
「わ、わかった」

 何故突然賛成に切り替えたんだろう。報告の内容があまりにも衝撃的で、俺は悲嘆に暮れた顔のロイクをぼんやりと見上げていたけど。

「――ありがとう、ファビアン」

 悲しそうな顔の中、ロイクの頬が一瞬だけ嬉しそうに緩んだように見えたのは俺の気のせいだろうか。

「ファビアン様、参りましょう」

 ぼんやりとしていた俺に、セルジュが声をかけた。俺はハッと我に返ると頷き、「い、行ってくる!」とロイクに残し、その場を立ち去る。

 王城の廊下を走る俺の横を並走するセルジュが、訝しげな表情を浮かべた。

「……さっぱり訳が分かりませんが、許可が降りたのならすぐに向かいましょう」
「そうだな、まずはその後発隊の所まで急ごう!」
「はっ」

 アルバンじゃない。きっとアルバンじゃないから。

 締め付けられそうな思いで一杯になりながら、俺はセルジュを引き連れて王城を後にしたのだった。
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