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天才ころす

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僕が2歳のときに、Ωの母が蒸発して父が宇宙人にキャトられた。
 残された僕自身は、孤児で貧乏で地球人でベータ。ハンディキャップの煮凝りみたいなステータスである。
「はるくんはお勉強の才能があるからね。良い学校に行くと良いよ」
 けれども兄がそう言ったので、僕は国内有数の名門私立である高嶺高校に通っていた。

 この地球には、地球原住民と宇宙人がいて、地球原住民にはさらに、雄と雌と、α、β、Ωの区別がある。惑星規模の多民族社会とも言えるこの世界は、漫画やら小説やらでは「盛りすぎボツ」と一蹴されるような複雑さだ。
 なので、説明するのなら地球原住民の性別についてだろう。地球原住民にとって、宇宙人とはまともな人生を送ればまず関わり合いの無い存在だから。
 まずαは、『生まれながらの強者』と呼ばれる選ばれし性別である。容姿、知能、身体能力。あらゆる点で優れ、地球原住民の総人口の1%というマイノリティでありながら、王族、政治家、経営者、革命家、学者。古今東西、地球原住民の社会を牛耳るのはαの彼らである。
 そして、残りのΩ。マイノリティと云う面ではaと同様だが、その社会的立ち位置は対極だった。個体として特別劣っているわけではないが、致命的な結果を抱える性別だ。欠陥──定期的な『ヒート』と呼ばれる発情により、社会生活に大きなハンディキャップを背負っている。αを『生まれながらの強者』と呼ぶなら、Ωとは『生まれながらの弱者』と呼ばれそうなステータスである。けれども実情と云えば、その希少性や『運命の番』というロマン、ヒューマニズムの浸透も相まって、庇護すべき対象として天然記念物が如き扱いを受けている。
 そして、人口の約98%を占めるβは、極一般的な能力値を持つ。平均的な地球原住民だ。ただ『凡人』と一纏めに言えど、個体差に依る能力値の分布は、広範である。社会的規範を逸脱するβも居れば、高い社会的地位を持つβも少なからず存在する。
 それでも生物的にαに劣り、一部のΩのように玉の輿で人生大逆転!のような華やかなサクセスストーリーも無い。コツコツ勤勉に生きるβにとって、このような学園生活は場違いという他ない。
 特に国内有数の名門私立校なぞ、華やかなるα様とΩ嬢の物である。
 僕のような冴えないβは、己は場違いなのだと身の程をわきまえ隅の方で静かに過ごすに限る───

「なんてなァ!はーっはっはっはっは!ザマァ見やがれ色ボケ野郎共!」
 腕を組み、仰け反りながら高笑いをする。
 貼り出された中間考査の順位表の前で騒ぐ僕を、他生徒たちが怪訝な目で一瞥しては避けていく。
「性別というアドバンテージに胡座をかくお前のような怠惰αを!遥か上方から指差し高笑いする!最高だ!最高の愉悦!僕のようなβに負けて!どうだ!今どんな気持ちだ冴木千文ィ!」
「………………帰って良い?」
 グリン!と振り返って問いかける僕に、ソイツ──冴木千文(さえきちふみ)は後頭部を掻きながら言った。
 半開きの碧眼で地面を見つめ、180ある背を丸めてフラフラ歩く。「帰って良いか」と問いかけながらも既に踵を返した冴木の首根っこを、僕は慌てて掴んだ。
 けれどもそんな抵抗も無いみたいに、教室に向かう足取りに淀みは無い。クソ、ヤジロベエみてぇな歩き方の癖にビクともしねぇ。僕は肉体派では無いのだ。
 ズルズル引き摺られながら、道行く生徒達の、「変人コンビ、またやってる」という嘲笑に中指を立てる。中指を立てたら、バランスを崩して床にベシャリと投げ出された。
 それでもこちらに一瞥すらくれずに離れていく背中に、「逃げるな卑怯者ーーッ!」と叫んだ。
 冴木は本当に振り返りもしなかった。

 僕と冴木の因縁は、中学2年生の秋から始まった。
 冴木は学校では有名で、『ねむり王子』やら『麗しの宇宙人』やらと云う二つ名が出回っていた。それらの異名は3桁に及ぶが、軒並み『ツラがべらぼうに良い』と言う点は共通していて。
 ふわふわの赤毛に、大きく二重幅の広い碧眼。ひょろりと高い背に、陶器みたいに真っ白な肌。おとぎ話の中から飛び出してきたような浮世離れした美貌は、完全にαのそれであって。
 皆が皆、勝ち馬として冴木に近付いて行っては玉砕した。人気者のハルマくんも、街で1000年に一度の美女と評判だったミホちゃんも、みんな玉砕した。
 冴木が変人すぎたからだ。
 学校では基本寝ていて、話しかけよう物なら「はい」「いいえ」というAIみてえな返答しか返ってこない。遊びの誘いも告白もぜんぶ跳ね除けて、挙句一年の終わりに、クラスメイトの名前を一つも覚えていない事が判明したとか何とか。
 人類に興味が無いにも程がある。
 そして冴木と云う男は、とにかく目立たず、ひたすら惰眠を貪る無害な男だったので、次第に『変人』と言う枠組みで人々に受け入れられた。
 そして僕も、例外なくその一人であって。
「何でだ!?」
 その一人であったはずで。
 忘れもしない、中学2年生の秋。僕は順位表を握り潰した。その順位表には、『冴木千文』の名前が、一番上に書かれていた。
 耐えられずその足で詰め寄った僕を、冴木は「プリペイドカード」の一言で一蹴した。
 プリペイドカード?プリペイドカードとは、スマホでお買い物ができるあのカードの事か?それが何だって今会話の中で?
 混乱する僕を置いて、ぐぅと寝息を立て始める冴木。
 後日分かったことだが、あまりの無気力さを見かねた冴木パパが、中間考査のご褒美として『プリペイドカード』を彼に与えたらしい。悍ましい事実だが、プリペイドカードを眼前に垂らされた怠け者に、僕はけちょんけちょんに敗北したのだ。
 その日から僕は、冴木に事あるごとに宣戦布告した。「おはよう!お前を倒す!」と毎朝あいつの元へ向かった。
 中学3年生になって、クラスが離れてもそのルーティンは欠かさなかった。4月も5月も6月も欠かさなかった。
 そして7月になって、冴木は「あのさ」と初めて僕に話しかけた。あの冴木が反応したのが物珍しかったのか、クラスがしんと静まり返った。
「俺、αだったよ」
 その一言に、僕は首を傾げた。先日行われた血液検査の結果だろうが、それを伝える意図がわからなかったからだ。結果、「だ、だろうな……」と答えた僕に、冴木は困ったように眉をキュッと寄せた。
「越えられないし、越えなくて良い壁でしょ。αに勝てないβを攻めようだなんて、誰も思わない。生物的に劣ってるんだから」
 ──その気があれば、普通に喋れるんじゃないか、こいつ。
 そんな驚きが脳裏を掠めるも、言葉の意味を理解するのと同時に「あ?」と低い声が漏れる。苛立ちが諸々の感情を呑み込んで行くのが分かった。
「つまりお前はこう言いたいのか?僕はお前に勝てなくて当たり前だと」
「……別に。無駄な労力割くのやめたら、ってだけ。そっちのが、お互いのためになるでしょ」
 その瞬間、僕はこいつを絶対に逃してやるものかと決めた。
「何か勘違いしているようだが第一に。僕はお前と利害を擦り合わせてWin-Winな関係になりたいわけじゃない。ぶっちゃけお前の利得とか心底どうでも良い」
 早口で言えば、濁った碧眼が非難がましく細められる。それを無視して、「あとお前」と言葉を継いで。
「今更すぎるだろ。お前がαだなんて、前々から分かってた事だろうが」
「……………」
「その上で僕は!?お前を地の果てまで追い回して?!その小ぶりなケツを背後から蹴り倒して?!地面を舐めさせてやろうって言っているんだ!」
 わ゛がっ゛だが!?と唾を飛ばしながら叫んだ僕は、もともと少なかった友人を3人失った。冴木は僕の顔を見る度に、露骨に嫌な顔をするようになった。

 そしてその日から、冴木は少しだけ変わった。
 今まで僕に対して反撃どころか反応すらしてこなかったくせに、ビンタしてきたり、昼飯をぶんどってきたり、もたれ掛かられるようになった。
 なので僕はある日、サンドイッチを左右から引っ張って奪い合いながら、「なんのつもりだお前」と尋ねた。「急に自我を持ちやがって」と。それに冴木は、「お前がどうでも良いって言うから」と答えた。
「人見はさ、俺の気持ちなんてどーでも良いから好き勝手するんでしょ」
「だから俺も、そうするって決めたんだよね」
 僕からぶんどった10枚切り食パンのサンドイッチを齧りながら、朴訥と言う。
 どうやら今までの対応は、彼なりの寛容だったようだ。僕が完全な敵であると認定できたので、目には目を、ということか。
 
 臨戦対戦に入った冴木に対して、「望むところだ」と答えてから、現在。僕は宣言通り冴木と同じ高校に進学し、日々宣戦布告を行っているわけだが。
「お前、もっと悔しがれよ。こう、顔面から液体という液体を撒き散らしながら」
「……ぐぅ…」
「張り合いが無さすぎるぞ」
 僕のおにぎりをぶんどった挙句、満腹で寝こけている男にボヤく。
 マンネリ化とは恐ろしいもので、あまりの響かなさというか暖簾に腕押しビリティに、僕は頭を悩ませていた。
 だって、この学園は日本という国の地球原住民に於ける頂点。知力、体力、人間力全てにおいて秀でた上澄みだけが集まる場所だ。故に、αというだけでは最早ステータスにはならず、重要視されるのは『何を為したか』で。
 この綺麗な石ころみてえな男に執着する僕は、周りに変人コンビの片割れと呼ばれる羽目になっている。解せない。
「お前、ほんとはもっと凄いやつだろ」
「……人見(ひとみ)はさぁ」
「ギェ!」
 起きてるなら起きてると言ってほしい。
 急に口を開いた男に仰反る僕を、気怠げな碧眼が一瞥する。
「なんで俺に付き纏うの」
「はぁ?何を言い出すんだ今更」
「俺より凄いαはたくさんいるよね?」
「だから?」
「俺じゃなくても良くない?あっちいけよ、あっち」
 あっち、と指さされた先は、和やかに談笑するαたちの集団だった。皆が皆見目麗しく、そして、無意識に僕のようなβを見下している連中だった。腹立たしいことこの上ない。
 だが、僕が背後から蹴り倒したい相手では無かった。
「いやだ」と云えば、眉をギュッと寄せて、「何で」と打ち返してくる。これがこいつなりの苛立ちの表情なのだと知ったのは、最近のことだった。
「お前が特別だからだよ」
 少し考えて答えると、ボンヤリとした碧眼が少しだけ見開かれる。
 僕は僕であまり深掘りをされたくなかったので、冴木が何か言う前に口を開いた。
「そうだ、お前。次の中間、期末で一位を取れよ」
「いやだ」
「そしたら僕の溜飲は下がるし、僕の功績にも箔がつく」
「俺に何らメリットが無いよね?」
「あるよ。スッキリした僕はお前に付き纏わなくなる」
「何らメリットが無いよね?」
 ここにきて驚きの事実だった。絶対こいつはこれでやる気を出してくれると思っていたのに。長年の時を経て、冴木にとって僕は、『なんかうるさい奴』から『居ても居なくても変わらない奴』に降格していたらしい。
「ム……じゃあ俺がプリペイドカードを用意してやる」
「要らない。ソシャゲ飽きた」
 断腸の思いでの提案は、すげなく拒否される。貧乏学生の『金品を用意しようか』がいかに重い言葉なのかを、こいつは知らないらしい。
 手詰まりに歯軋りをしながらも、「じゃあ何でも言うこと聞いてやるから」とヤケクソで唸る。
「…………乗った」
「何だお前、一体どうなればやる気を出すって言うんだ、まさか一生そ────ゑっ、」
「ぐう……」
「ええ……?」
 まさかの交渉成立に、素っ頓狂な声が漏れる。喜ぶべきことだが、こいつの要求がもし『今すぐに5兆円をよこせ』とかだった場合、僕は終わる。いや、勝てば良い話なのだが、本気を出したこいつと勝負するとなれば、それだけの覚悟が要ることも事実。
 細々とした制約を取り決める必要がある。
 「おい」「おい」と、ユサユサと広い背を揺するも、その日冴木が目を覚ます事はなかった。
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