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地元編

⭐︎特殊シナリオ 人でなしの独白(下)

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 その日から世界は少しだけ色付いた。
 ついたり消えたりする踏切の信号を綺麗だと思ったし、夏空を見上げて、うっすらと気持ち悪い色だと思った。3色の飴玉を差し出されても、今なら好きな物を選び取れるだろう。
 14年ぶりに夢から覚めたような。はたまた生まれ変わったような、そんな感じ。
 やりたい事と、何かを慈しむ感情を手に入れて。人は初めて個人として確立するのだと思った。
 虫や小動物を見ても、俺はそれを自分だとは思わなくなっていた。
 
 以前はそこらじゅうに虫や小動物の死体が転がっていた廃墟も、随分と落ち着いた様相になった。そこでやりたい事への準備を進めながら、学校と家では兄の動向を見守る。いつになく充実した日々だった。
 兄はなんだかんだで俺のことが大好きなので、準備に快く付き合ってくれる。キャリーケースに詰めても、山小屋に3日間監禁しても、俺から離れるようなことはしなかった。寛大で、かつ体格的にも平均的な兄は、本当に良い協力者になってくれた。
 けど兄は、変なところで強情だった。
 何かにつけて、貴船への進学を避けようとしてくる。俺の言葉には何だかんだ従ってきたのに、それとなく誘導してみても、強引に外堀から埋めてみても、中々思い通りに動いてくれなかった。
 愚かではあるけれど、あれは馬鹿ではない。現代の選抜試験に則った評価基準にも、かなりマッチした頭の造りをしている。
 何故そこまで渋るのかは理解できなかったが、なんにせよ俺は兄を貴船に連れて行くと決めていた。
 自分の準備の方を多少疎かにしながらも、兄の監視に労力を割いて。兄が無事貴船に受かった時には、何か大きな仕事を一つ終えたような充足感を覚えていた。本当に良かったと思った。
 兄には、自分の選択がもたらした結果を、特等席から見届けてほしかったから。

 問題は、兄が高校に上がってからだった。
 俺が貴船への進学を決めた最大の理由は、立地条件と全寮制であると云う2点からだ。
 当たり前ではあるが、四六時中兄を構うことはできなくなった。俺はその代わりに準備に没頭する事になったが、兄の協力が得られ無くなったのは痛手だった。あと単純に、物足りないと思った。快も不快も、喜と楽も。あの日の火事と兄が与えた物なのに。
 夜の散歩に耽りながら、あれこれ考える。兄にやらせたいことや協力してもらいたいことは、雪だるま式に増えていった。

 だから、夏休みに入ったその日。課外後のカラオケに誘ってくる男子生徒も、話しかけてくる女子生徒も、全部を躱して、真っ先に俺は帰宅した。
 兄が帰ってくる日だったからだ。帰ってきすぐに、兄には2階からロープ一本でバンジーをしてもらおうと考えていた。兄の悲鳴と荷重が、今すぐに欲しかった。
 なのに兄が帰宅したのは、すっかり日が落ちてからだった。あまつさえ、寄り道をしてきたらしい。俺は真っ先に帰ってきたのに、面白くないと思った。バンジーには、激しい回転を帯びた物に改造を施しておいた。
 
「高倉くん」
 そして、次の月曜日。微かに頬を赤らめながら話しかけてきた女生徒に、首をもたげた不快感を噛み潰す。案の定、兄の連絡先をせびってきたそれを、「兄貴に聞いとくね」と躱し。
「────随分カッコ悪い奴になったな」
 兄のそんな言葉に、俺は面食らった。兄らしからぬ強い口調は元より、自分の感情の挙動に一番驚いていた。
 変わった?カッコ悪い?
 そうだろうか。俺は変わっただろうか。内面はともかく、側から見ても?
 前までと同じように振る舞っていたはずだけど。否、前までって。前までって、どんなだっけ。
 俯いて、フローリングを眺めながら考える。考えて、考えて。
「……そうだね。らしくなかった」
 沈思黙考の末に出た結論だった。
 確かに、兄の言う通りかもしれない。もっと深く考えてみれば、これはまたとない好機のように思えた。とある思いつきに、笑みを抑えることができなかった。

 翌日から俺は、塾の1週間体験コースに通い始めた。春野美樹が通っていると聞いたので。
 そこからは早かった。自分も春野美樹に接近しつつ、兄の連絡先も渡した。兄とくっついてくれたのならそれで、美味しいと思っていた。
 けれども、春野美樹が選んだのは俺だった。
 俺と兄は遺伝子的には似た構造をしているし、造形で見ると俺の方が少しだけ優れている。無理もないことだと思った。
 その日から俺は、夜の散歩に励みつつ、週に一度は春野美樹と夜を過ごした。そう言った雰囲気になることもあったが、適当に流して回避した。肉体関係に発展すると後になって面倒なことが多いし、何より勃たない。
 兎にも角にも、何かと理由をつけて、春野美樹を深夜に外に連れ出すことに専念した。

 さて、とあるデートの日に、兄が後ろからついてきた。前日にちょっとした言い合いをしたのが原因だろう。兄は乾物のようなメンタルをして、時に妙な行動力を発揮する事がある。それは大抵、俺が何かに危害を与えようとしたときであったり、何かを傷つけようとしたときであったり。
 とにかく、俺が自分以外に手を伸ばすのを異常に忌避する節がある。
 余計なところで勘が鋭い。煩わしくもあったが、今にしては都合が良いと思った。
 ベタベタ気持ちの悪い砂糖菓子を食べて、面白味のかけらもない映画を見る。斜め後ろの席で、グズグズ泣く兄は少しだけ面白かった。
 そして、デートの終盤。ちょっとした布石として買った、同柄のスマホケース。それとさらに同じものを兄が購入したときは、流石に吹き出すところだった。
 そうだね、お揃いだね兄貴。

 そして、夜になって。いつものように春野美樹の家で夜を過ごして、いつもと同じ時間に春野宅を出た。
 もうすぐ、春野美樹は取り間違えたスマホを返しにやってくる。1人で、いつもの時間、いつものルートで。
 春野美樹の向かいから歩いてくる男に、口端が上がる。ゾワゾワと背筋が泡立つような感覚に、思わず肩を抱いた。
 
…………連続通り魔殺人事件。
 一月近く近辺を騒がせたそれは、中高生の若い女性を狙った物だった。
 その事件を聞いた時に、まず好機だと思った。確かめるための良い機会だと。
あの火事の日の感覚を、もう一度掴む必要性を感じていた。俺は人が死ぬところが見たいのか、人が焼けるところが見たいのか。
 夜の散歩を始めたのも、その時期からだ。
 あれだけ派手な動きをしておきながら、現代の警察の捜査力をして逮捕に至らない。用心深い、完全に計画的な犯行なのだと思った。下見は念入り。そして地域の見回り隊や警察の見回りに引っかからないところを見るに、それらの動向や情報を比較的入手しやすい立場にいる。
 被害者はいずれも黒髪長髪の若い女。犯行時刻は23:00~26:00と比較的広範。
 被害者の特徴に一致する女性の動向を追いつつ、警察や見回り隊の巡回ルートとは反対方向を散策。
 二週目にして、俺はようやく通り魔の犯行現場を目撃した。
 結果として分かったのは、自分は手段に拘らず、人が死ぬ瞬間にどうしようもなく興奮する人間なのだと云う事。
 丁度兄が帰ってくる、1週間前の夜。ある種の絶望感と興奮を胸に、おぼつかない足取りで帰路を辿った。
 
 だから、「らしくない」と兄に言われたときは、全くその通りだと思った。
 春野美樹は、被害者の特徴に完全に一致している。こんな好機を逃すのは、確かに馬鹿な話であって。
 3回目の逢瀬で、通り魔は春野美樹に目をつけたようだった。春野美樹を、決まった時間決まった場所に連れ出した。通り魔は念入りに下見をしているようだった。

 そして今。
 通り魔はとうとう犯行に出た。春野美樹の向かいから歩いてくる。巧妙に隠されてはいるが、右手に刃物を携えているのはわかる。
 兄と春野美樹の死角から、事の成り行きを見守る。春野美樹が刺されて、事切れて。またあの感覚を味わえるのかと身震いする。何より兄が、どんな反応をするのかが1番の楽しみだった。目の前で、少なからず情を抱いた少女が殺される。考えただけで頬が緩む。
 でも、春野美樹と兄が恋人にならなかったのが、今は少しだけ惜しい。春野美樹は、本当に見る目がない。
 
「っ、美樹ちゃん!」

 なのに。
 あろう事か兄は、春野美樹を庇うために駆け出した。
 そうだ。兄は変なところで妙に行動的だ。そして、嫌な勘の良さをしている。
 庇っても精々、春野美樹が一度刺されてからだと踏んでいた。暗闇の中で、あの風貌の男を視認するのは難しい。尚且つ、地続きの現実と、ニュースでしか見たことのない通り魔事件とを咄嗟に結びつけることはできない。少なくとも人が傷つくところと、兄が傷つくところは見られると思っていたのに。
それが、どうだ。あろう事か兄は、恐るべき反射神経で、犯行を未然に防いだ。
 そして通り魔もまた、慎重で。
 嫌になる。本当に嫌になる。
 予測が甘かった?否、不確定要素が多すぎた。けれどある程度の不確定要素は避けられないのも必然だ。
 ────やはり、自分で手を下さない限りは。
 焦燥のまま顔を覆って、ため息を吐く。思いの外重くて大きなやつが出た。
 そして案の定、ことの成り行きは、あまりにも興醒めな物で。何事も起きずに、ただただ兄が一つ下の少女から不審者を見るような目で見られている。鼻白んだ心地のまま、俺は息を切らしながら2人と合流した。

「気をつけろよ、お前。女の子に1人で夜道を歩かせるような真似するな」
 そして低く云う兄の表情は、警戒心と、ある種の確信に満ちた物で。
 なんとなく、気に入らない目だと思った。
 俺への猜疑だけならまだしも、春野美樹に対する顧慮を滲ませたそれは、不愉快極まりない。ともすればあのまま兄が刺されでもして、うっかり死んでいたのなら。
 兄はあの女のために死んだ事になるのかと思った。
「うん、気をつけるね。兄貴」
 反射的に聞き分けの良い言葉を吐きながら、胸中にとぐろを巻く、言いようのない不快感に眉を顰めた。



 生温い夜風に眉を寄せ、暗い夜空を見上げる。
 夜道を歩きながら、あの時の感情について考えていた。あれもまた、初めての物だったから。
 不快感、とはまた違うなにか。火事の時の、煩わしさを伴った殺意とも違う。カテゴリは同じだけれど、もっと剥き出しで、暴力的な。
 足を止める。
 終着──自販機の前では丁度、黒服の男が馬乗りになった女を滅多刺しにしていた。怨恨でもあるのか、今回は特別念入りだと思った。
「…………裏切りやがって、裏切りやがって!」
 何か言っている。人が集まってくるので、静かにしてほしいと思った。今日は特別試したいこともあるのに。
「俺を弄んで楽しかったか。お前の言動に一喜一憂する俺は、そんなに滑稽だったか」
「俺だけだって言ったのに、俺だけが好きだって」
「俺は、俺はお前だけを見てたのに、お前は──」
「お前は俺の物なのに」
 喚いて、喚いて。何度も何度も刃物を振り下ろして。
 やがて別人のように静かになった男が、覚束ない足取りで歩き出す。フラフラ、フラフラと幽鬼のような後ろ姿を見送って。
 「ああ、」と、俺は声を漏らしていた。
「『俺を弄んで楽しかったか』」
 復唱しながら、女の元へと歩み寄る。どこもかしこも穴だらけで、今までで一番状態が悪かった。
「『俺だけだって言ったのに』」
 バッグを探って、スマートフォンを取り出して。冷たくなった指先に、液晶を押し付ける。血で汚れているからか、ロックは解除されない。指先を軽く拭いてやると、解除に成功する。
「『俺はお前だけを見てたのに』『お前は』───」
 次は顔だろう。設定をいじってフェイスIDに切り替えて。元々登録自体はしてあったのか、死体の顔でも問題なく鍵は開いた。
 ストンと胸に落ちた納得感は、実証の結果に対するものか、はたまた別のものに対してか。
 スマートフォンを投げ捨てて、煩わしい手袋を外す。死後硬直や腐敗を経ても、ロックは解除できるのか。もっと試したいことはあったけれど、そろそろ警察の見回りが通りかかる時間だ。
 渋々腰を上げ、視線を上に。
 街頭に群がる蛾が、ひらひら、ひらひらと煩わしい色彩で蠢いていた。
 目を見開く。目を焼いた眩しさに、瞳孔が収縮する。
 「────おまえは、おれのものなのに」
 わけもなく呟いた言葉は、確かに俺自身のものだと思った。
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