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9.誠の過去
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――12年前――
西園寺邸。
部屋一面の大きい窓から太陽の光が差し、1階の広いリビングは暖房を入れなくてもぽかぽか暖かいそんな日だった。イギリス土産のよい香りのする紅茶を一口、コクリと飲む。英国製のソファにちょんと座った6歳の誠がただ一人で時間を過ごしていた。
外からはワンワンと犬のマシュウの声が聞こえる。
程よくして、廊下をパタパタと走る音がリビングに近づいてきた。
勢いよくドアの開く音。
「誠お坊ちゃま。いらっしゃいました。お見えになりましたよ」
息を荒げて走ってきたのは誠に赤ん坊の頃から仕えている家政婦の佳子よしこだ。
「佳さん……うん。わかった。今、行くよ」
手にしていたカップをテーブルに置き、誠は玄関へと向かうのだった。
*
「初めまして、誠さん。幸恵ゆきえと申します」
品のある落ち着いた声だった。
見上げると優しげな笑みを浮かべた綺麗な人が自分を見つめていた。
そしてその人の後ろには、自分と同じ位の年の男の子がなにやら恥ずかしげにこちらを覗いている。
隣にいた父が答えた。
「誠、これから一緒に暮らす幸恵さんと京介きょうすけ君だ。よろしく頼むぞ」
「……はい。誠です。6歳です。よろしくお願いします」
誠はぺこりとお辞儀をした。
「まあ。しっかりしていらっしゃるのねえ。京介、ご挨拶は?」
「……えっと、京介……5歳です。……よろしくおねがいします」
京介は恥ずかしげに、やっと聞こえる位の小さい声で挨拶をする。
「誠さん。これから仲良くしましょうね」
そう言うとその人は、美しくにこりと微笑んだ。
「何、遠慮はなしだ。な、誠?」
「はい。お父さん。お継母かあさん。義弟おとうと」
誠の実母は身体が弱く、誠を産んで1年もしない中に息を引き取った。
誠は幼い頃より母親の記憶がないのだ。
この広い家でただ一人。父親は仕事中心で家にいる事は少なく、家政婦の佳子と教育係の人達に育てられたと言っても過言ではなかった。
だから始め、戸惑ったのだろう。
「誠さん、私お菓子作りは得意なのよ。アップルパイ焼いたの食べてみてくれる?」
「……はい」
パクリと一口食べてみる。
「どう? おいしい?」
甘かった。
とても甘かった。
「はい。おいしいです……」
隣にいた京介がごく自然に。当たり前のように。
「僕も食べるー」
「誠お兄ちゃん。おいしいね」
そう言って誠に微笑みかけた。
甘かった。じんわりと浸透するかのように……。
じわりと思わず涙が溢れた。
自分でも驚いて、幸恵と京介に分からないように涙を拭いた。
温かかった。
ぬくもりが。
温かかった。
毎日の日々が……。
「兄ちゃん。遊ぼう」
「だめよ京介。誠お兄ちゃんは、今お勉強中よ!」
「クスッ、もう少しで終わるからね」
京介の人懐っこさが誠と幸恵の緊張を溶かしていった――。
そう、あんな事件にさえ遭わなければ今頃はもっと温かい家になっていたに違いないだろう。
「誠さん、京介、母様と父様は上の階で贈り物を見てきますから、このおもちゃ屋さんで少し待ってて頂戴ね。側に執事の高橋がいるから安心して」
「はい。お継母さん」
「兄ちゃん、車見ようよ!」
京介は誠の腕を引っ張り急かす。
2人はおもちゃ屋へと消えて行った。
誠達家族は、今日は町のデパートに親戚の贈り物を買いに来ていた。
「これ! カッコいい!」
赤い車のおもちゃを手にした京介が目を輝かせた。
「そうだね。これはフェラーリだよ。京介はスポーツカーが好きだね」
その時だった。
ビィービィービィーと言うサイレンが鳴り響いた。
『火事です。火事です。非常口から避難してください。火事です。火事です。――――』
辺りに避難勧告のアナウンスが流れる。
「兄ちゃん!」
「京介。急ごう」
「母ちゃんは!」
「誠様! 京介様!急ぎましょう」
近くにいた執事の高橋が促した。
「ねえ! 母ちゃんは!」
「大丈夫です京介様。幸恵様には旦那様と付添いの者がついてます」
高橋は2人の手を握ると非常階段へと急いだ。
既に周りは、逃げようとする人々の集まりで混乱していた。
次第に辺りは人々の渦でいっぱいになる。
ぎゅうぎゅう人々で押しあう仲、3人は流れに身を任せた。
「大丈夫だよ京介。大丈夫」
誠は怖い気持ちながらも必死に義弟の京介を宥めた。
絶対離すまいとギュッと手に力が入る。
しかし人々の渦にまぎれた3人は離れ離れになって行った。
(京介――――!)
心の叫びを上げながら……。
誠は、やっとの事で出口にたどり着くことが出来た。
辺りを見回す。
「京介! 京介!」
答えはない。
「京介! 京介! 高橋さん! 高橋さん!」
「誠様!」
返事が返ってきたのは執事の高橋だった。
まもなく幸恵と幸助夫妻が避難してきた。
「ねえ。京介。京介は!」
取り乱した事がない誠が声を荒げる。
「誠さん。京介……いないの?」
幸恵が青ざめる。
「探してきます!」
高橋が青い顔をして非常階段へ戻って行った。
ピィーポーピィーポーと消防車と救急車のサイレンの音が近づいてきた。
辺りは静かだった。
泣き喚く者もいなければ大声で呼ぶ者もいない。
ただ静かに自分達の家族が出て来るのを待ち、出口を凝視した。
どれくらい立つだろう。突然、幸助の携帯電話が鳴り響いた。
「どうした?」
沈んだ幸助の声が答えた。
「な……に……を言っている」
幸助声が震え、顔色が変わった。
「誠はここにいる!」
幸助は誠を見つめた。
「?」
隣にいた幸恵が察したのか
「どうしたの? あなた……」
青ざめた顔をした幸助が答える。
「誠を誘拐したという電話が家に入っていると……」
「!」
幸恵も誠も幸助を凝視した。
事件が起きたのは誠が7歳、京介が6歳の時の事だった。
犯人は京介を誠と間違えて誘拐し西園寺家に巨額の身代金を要求したのだ。
デパートの火事騒動は、誠の誘拐をスムーズにする為の犯人による偽装火災だったのだ。
西園寺家は犯人の言う通りにしたものの、京介は変わり果てた姿になって帰ってきた。
誠も幸助も声にならなかった。
「京介――――!」
幸恵は発狂したかのように号泣した。
この日より西園寺家は暗く、光の見えない家へと変わって行くのだった。
西園寺邸。
部屋一面の大きい窓から太陽の光が差し、1階の広いリビングは暖房を入れなくてもぽかぽか暖かいそんな日だった。イギリス土産のよい香りのする紅茶を一口、コクリと飲む。英国製のソファにちょんと座った6歳の誠がただ一人で時間を過ごしていた。
外からはワンワンと犬のマシュウの声が聞こえる。
程よくして、廊下をパタパタと走る音がリビングに近づいてきた。
勢いよくドアの開く音。
「誠お坊ちゃま。いらっしゃいました。お見えになりましたよ」
息を荒げて走ってきたのは誠に赤ん坊の頃から仕えている家政婦の佳子よしこだ。
「佳さん……うん。わかった。今、行くよ」
手にしていたカップをテーブルに置き、誠は玄関へと向かうのだった。
*
「初めまして、誠さん。幸恵ゆきえと申します」
品のある落ち着いた声だった。
見上げると優しげな笑みを浮かべた綺麗な人が自分を見つめていた。
そしてその人の後ろには、自分と同じ位の年の男の子がなにやら恥ずかしげにこちらを覗いている。
隣にいた父が答えた。
「誠、これから一緒に暮らす幸恵さんと京介きょうすけ君だ。よろしく頼むぞ」
「……はい。誠です。6歳です。よろしくお願いします」
誠はぺこりとお辞儀をした。
「まあ。しっかりしていらっしゃるのねえ。京介、ご挨拶は?」
「……えっと、京介……5歳です。……よろしくおねがいします」
京介は恥ずかしげに、やっと聞こえる位の小さい声で挨拶をする。
「誠さん。これから仲良くしましょうね」
そう言うとその人は、美しくにこりと微笑んだ。
「何、遠慮はなしだ。な、誠?」
「はい。お父さん。お継母かあさん。義弟おとうと」
誠の実母は身体が弱く、誠を産んで1年もしない中に息を引き取った。
誠は幼い頃より母親の記憶がないのだ。
この広い家でただ一人。父親は仕事中心で家にいる事は少なく、家政婦の佳子と教育係の人達に育てられたと言っても過言ではなかった。
だから始め、戸惑ったのだろう。
「誠さん、私お菓子作りは得意なのよ。アップルパイ焼いたの食べてみてくれる?」
「……はい」
パクリと一口食べてみる。
「どう? おいしい?」
甘かった。
とても甘かった。
「はい。おいしいです……」
隣にいた京介がごく自然に。当たり前のように。
「僕も食べるー」
「誠お兄ちゃん。おいしいね」
そう言って誠に微笑みかけた。
甘かった。じんわりと浸透するかのように……。
じわりと思わず涙が溢れた。
自分でも驚いて、幸恵と京介に分からないように涙を拭いた。
温かかった。
ぬくもりが。
温かかった。
毎日の日々が……。
「兄ちゃん。遊ぼう」
「だめよ京介。誠お兄ちゃんは、今お勉強中よ!」
「クスッ、もう少しで終わるからね」
京介の人懐っこさが誠と幸恵の緊張を溶かしていった――。
そう、あんな事件にさえ遭わなければ今頃はもっと温かい家になっていたに違いないだろう。
「誠さん、京介、母様と父様は上の階で贈り物を見てきますから、このおもちゃ屋さんで少し待ってて頂戴ね。側に執事の高橋がいるから安心して」
「はい。お継母さん」
「兄ちゃん、車見ようよ!」
京介は誠の腕を引っ張り急かす。
2人はおもちゃ屋へと消えて行った。
誠達家族は、今日は町のデパートに親戚の贈り物を買いに来ていた。
「これ! カッコいい!」
赤い車のおもちゃを手にした京介が目を輝かせた。
「そうだね。これはフェラーリだよ。京介はスポーツカーが好きだね」
その時だった。
ビィービィービィーと言うサイレンが鳴り響いた。
『火事です。火事です。非常口から避難してください。火事です。火事です。――――』
辺りに避難勧告のアナウンスが流れる。
「兄ちゃん!」
「京介。急ごう」
「母ちゃんは!」
「誠様! 京介様!急ぎましょう」
近くにいた執事の高橋が促した。
「ねえ! 母ちゃんは!」
「大丈夫です京介様。幸恵様には旦那様と付添いの者がついてます」
高橋は2人の手を握ると非常階段へと急いだ。
既に周りは、逃げようとする人々の集まりで混乱していた。
次第に辺りは人々の渦でいっぱいになる。
ぎゅうぎゅう人々で押しあう仲、3人は流れに身を任せた。
「大丈夫だよ京介。大丈夫」
誠は怖い気持ちながらも必死に義弟の京介を宥めた。
絶対離すまいとギュッと手に力が入る。
しかし人々の渦にまぎれた3人は離れ離れになって行った。
(京介――――!)
心の叫びを上げながら……。
誠は、やっとの事で出口にたどり着くことが出来た。
辺りを見回す。
「京介! 京介!」
答えはない。
「京介! 京介! 高橋さん! 高橋さん!」
「誠様!」
返事が返ってきたのは執事の高橋だった。
まもなく幸恵と幸助夫妻が避難してきた。
「ねえ。京介。京介は!」
取り乱した事がない誠が声を荒げる。
「誠さん。京介……いないの?」
幸恵が青ざめる。
「探してきます!」
高橋が青い顔をして非常階段へ戻って行った。
ピィーポーピィーポーと消防車と救急車のサイレンの音が近づいてきた。
辺りは静かだった。
泣き喚く者もいなければ大声で呼ぶ者もいない。
ただ静かに自分達の家族が出て来るのを待ち、出口を凝視した。
どれくらい立つだろう。突然、幸助の携帯電話が鳴り響いた。
「どうした?」
沈んだ幸助の声が答えた。
「な……に……を言っている」
幸助声が震え、顔色が変わった。
「誠はここにいる!」
幸助は誠を見つめた。
「?」
隣にいた幸恵が察したのか
「どうしたの? あなた……」
青ざめた顔をした幸助が答える。
「誠を誘拐したという電話が家に入っていると……」
「!」
幸恵も誠も幸助を凝視した。
事件が起きたのは誠が7歳、京介が6歳の時の事だった。
犯人は京介を誠と間違えて誘拐し西園寺家に巨額の身代金を要求したのだ。
デパートの火事騒動は、誠の誘拐をスムーズにする為の犯人による偽装火災だったのだ。
西園寺家は犯人の言う通りにしたものの、京介は変わり果てた姿になって帰ってきた。
誠も幸助も声にならなかった。
「京介――――!」
幸恵は発狂したかのように号泣した。
この日より西園寺家は暗く、光の見えない家へと変わって行くのだった。
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