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34.湖の畔の教会
しおりを挟むクリスマスパーティーから二日後、カサンドラはヒース・コートの裏の丘を下って湖へ散歩にやってきていた。
本当は昨日此処へ来たかったのだが、雪が降っていたので敢え無く散歩を断念したのだ。
前日のパーティーで山ほどケーキを食べた身としては深刻な問題だったのだが、雪が止んだら散歩する事を心に誓って、昨日は一日屋敷で本を読んで過ごした。
そして満を持して今日、少し遠くまで足を運んでいる。
そしてカサンドラには気になる事があった。
ロイスは一体何を見ているのかしら?
あの晩以降、ロイスの姿が見えない時は時々書斎を覗いてみた。そしてロイスは大抵あのクリスマスの日のように、書斎の大きなフランス窓から湖の方角を眺めている。
どうしてなのか、カサンドラは好奇心を抑えられなかった。
雪に縁取られた湖は先日よりも氷が分厚くなっている。恐る恐る片足を乗せてみると、以前のようにすぐにヒビが入る事は無かった。
これは本格的にスケート靴が必要かもしれないわ!
そう歓喜に心を弾ませながら、行ける場所まで大きな湖の周囲を歩いてみる事にした。
暫く湖に沿って歩いていると、突然背後から声を掛けられた。
「その辺りは湖が広くなっているので危険ですよ、レディ・カサンドラ」
聞き覚えのある声にハッとして顔を上げると、銀色の長い髪を後ろで一つに結んだ長身の男性が近くにある建物に入ろうとしている所だった。
何処かで見覚えがある‥‥‥?
訝しげに眉を潜めたカサンドラに、男は苦笑いを浮かべる。
「先日グレスティンの町で会ったフランシス・ルベルです」
「ミスター・ルベル。本当にごめんなさい。
悪気があって忘れた訳じゃないのよ。でも‥‥‥」
覚えていなかった事に後ろめたさを感じ、慌てて弁明を始める。
「ほら、あの日は‥‥‥いろいろな人を紹介してもらったから」
「気にしないでください。それより足を滑らせないよう気を付けてくださいね」
男は人形のように整った顔を頷かせた後に手振りで湖を指し示しながら忠告し、再び建物の中へ入ろうとした。
カサンドラは慌ててフランシスを呼び止める。
「あの、ミスター・ルベル。お聞きしたい事が有るのですが」
「何でしょう?」
フランシスは扉のノブに手を掛けたまま、もう一度カサンドラを振り返る。
そして緊張をはらんだ様子の彼女を目にすると、建物の扉を大きく開いた。
「ここは冷えますから、中へどうぞ」
「えっ?」
「安心してください。此処は僕の家では無く、教会ですから」
そう言われて弾かれたように建物を見上げてみる。
湖の畔には厳しい石造りの建造物があり、彼が入ろうとしている建物こそ教会なのだ。
すすめられるがままに礼拝堂に入り、整然と並んでいる椅子の一つへ座った。
頭上を見上げてみると美しいステンドグラスがはめ込まれている。
フランシスは説教台付近に立って、私が話を始めるのを待っていた。
戸惑い、そして躊躇った末にカサンドラは口を開く。
「どうして私をレディ・カサンドラ‥‥と?」
「‥‥‥何処かおかしな事を言いましたかね」
膝の上で揃えていた手をぐっと握りながらどう言おうか悩み、そして再び言葉を紡ぐ。
「グレスティンの町の人は、私がレディだと知らない筈ですわ。私は此処へ来てから一度も家名を名乗っていませんから」
「そうですね。僕も貴女のお名前だけ聞いた気がします」
「それなら、どうしてですの? 普通なら、ミス・カサンドラと呼ぶ筈でしょう?」
そう、私の事を伯爵令嬢だと知らなければ、レディ・カサンドラ等と呼ぶ事はしない筈。
きっと彼は私が何者かを知っているのだ。
カサンドラはつい尋問しているような口調になってしまった事に罪悪感を感じ、自然と視線は膝で握り締めている手を見つめていた。
フランシスは少しの間沈黙した後、とても穏やかで心地の良い声を礼拝堂に響かせた。
「そんなに悩ませてしまってすみません。
けれど、貴女が不安になるような事では無いんですよ」
「えっ?」
「僕の家は数代続いている牧師の家系ですから。この近辺の古くからの歴史は聞いているんですよ。過去この近辺に住んでいた貴族の方の事も」
「それで‥‥‥」
「はい。あの丘の上の屋敷は、数代前のウィリアムズ伯爵の弟君のものだったと聞いています」
これで彼が私をレディの敬称を使った理由に合点がいった。彼は牧師だったのか。
カサンドラは立ち上がってフランシスに謝罪した。
「随分と失礼な態度を取ってしまってごめんなさい。でもこれで安心致しましたわ」
「いいえ、悩みを聞くのも僕の役目ですから」
そこで初めて彼と真っ直ぐ目を合わせると、艷やかな銀髪だけでなく瞳も不思議な色合いをしている事に気付いた。
フランシスの榛色の瞳は、窓から注ぐ光の加減によって虹彩に緑色の星が散っているように見える。 美しくて神秘的だった。
無意識の内に視線を吸い寄せられそうになる事に戸惑い、もう用事は済んだからと自分に言い訳をしながら教会の扉へ行く。
けれど背を向けたカサンドラにフランシスが声を掛けた。
「数代前伯爵の弟さんは此処の墓地に眠っています。見に行きませんか」
カサンドラは躊躇いがちに頷いた
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
前を歩くフランシスについて行きながら、カサンドラは周囲を見渡した。
墓石は整然と並び、とても良く管理されている事が伺える。
彼が立ち止まったのは他の墓石とは違って、開けた場所にポツンとあった。
この場所からは湖や丘だけではなく、遠くにヒース・コートも見える。
フランシスに促されて静かに墓石へと近付き、しゃがみ込んで墓石の上の雪を手で払う。
最初に見えたのは年代だった。
百年前だわ‥‥‥。
という事は、私の曽祖父様の弟さんという事かしら?
少し躊躇った後、墓石の上の雪を全て取り払った。そしてハッと息をのむ。
書かれていた名前は、
ヒースロット・ロイス・ウィリアムズだった
「‥‥ウィリアムズ‥」
ロイス・ウィリアムズ
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