痣の娘

綾里 ハスミ

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 あの夜から、度々二人は体を重ねている。残念ながら、まだ妊娠の兆しは無いが、いずれ子を授かる事ができるだろう。一応お医者様にも診てもらって、健康面でいつでも妊娠可能の太鼓判を貰ったパトリシアは日々、夜のお務めに勤しむのだった。
 夜はそんな風に彼とラブラブして過ごすので忙しいのだが、一変して昼間になるとどこへ行く場所も無いパトリシアは暇だった。なので、庭作りを頑張っている。半年経って、庭もだいぶ理想の形にできた。予算の上限が無いので、パトリシアは思う存分想像の翼を羽ばたかせてすてきな庭を作っている。そんな時、来客がある。最近だと、エレーナが呼んでもいないのに妊娠はまだかと尋ねて来る事が多かった。
「ご来客です」
―またエレーナ義姉様ね……。
 エレーナは度々屋敷に現れては、パトリシアのドレスや宝飾品を盗って行った。
 パトリシアは庭でため息をつきながら、重い足取りで客間へ行こうとした。
「ユリアーノ・イズスター様がお待ちです」
 パトリシアは足を止める。ユリアーノ・イズスターは、アレクサンダーの弟である。以前、結婚式の時の晩餐会での席で会って以来、彼とは会っていなかった。その時、『痣』を見せてくれと不躾に言われたせいで、パトリシアは彼の印象がよくなかった。
「……」
「お嬢様?」
 庭師のオルガが、心配そうに見て来る。
「いえ、大丈夫よ」
 パトリシアは顔を上げて、客間に向かう事にした。
「やぁ、パトリシア!」
 しかし彼はなんと、薔薇の茂みから顔を出した。
「!」
「すごいね、コレ。ここの庭は君が設計して指示を出しているんだろう。これは、ちょっとしたモノだよ。ダオト国の庭園コンテストでも上位に入るセンスだ。もちろん、この庭を管理している庭師の腕も素晴らしい」
 ユリアーノが庭を見渡して笑みを見せる。
「……ありがとうございます」
 パトリシアは警戒しつつも、庭を褒められた事がうれしくて笑みを見せた。なにより、庭師のオルガの腕を褒めてくれ事が彼女の態度を軟化させた。
「僕が見た事の無い薔薇も多いね、輸入品かい?」
「えぇ、夫が好きにして良いとおっしゃったので……」
 珍しい、薔薇の株を他国から輸入して植え付けていた。
「ふーん。キンギョソウや、パンジーなんかの定番の花の植え方も良いね。君、庭の勉強はどこで?」
「え、それは……庭師と話しながら勉強しました……」
 パトリシアはオルガをちらりと見る。
「そうなのか……なぁ庭師くん。君は彼女のセンスをどう思う」
 突然声をかけられたオルガが驚く。
「そ、そりゃあお嬢様のセンスは素晴らしいもんだと思いますよ」
「そうかそうか」
 彼は笑みを浮かべる。
「パトリシア、よければ僕に君の素晴らしい庭を案内してくれないかな」
「えぇ、かまいませんよ」
 パトリシアはやや困惑しながら、彼と一緒に庭園内を歩いた。
「これはシュタスと言う名の新種のバラです。とても美しい大輪の薔薇を咲かせるんですよ」
「新種って事は、君の庭で作ったものかな」
「はい……」
 ユリアーノが、シュタスに触れる。
「芸術とは、孤独の中でこそ花開くもの……か」
 彼がぼそりと小さな声でささやく。
「え……」
「いや、なんでもないんだ。君とは面白い話ができそうだと思ってね」
 パトリシアはうつむいて、石畳を見つめる。
「そんな……ユリアーノさんを楽しませる話なんて私……」
 社交界と切り離された場所で生きているパトリシアに、社交界で名をはせている彼を楽しませる事などできるのだろうか。
「君は自覚が無いようだけど、君の中には静かな光があるんだ。兄はそこに惹かれたのかもしれないね」
 パトリシアは瞬きをして、顔をあげる。
「そうなのでしょうか……」
「きっと、そうだと思うよ。僕はねパトリシア、恋愛小説家なんだ」
 彼は笑みを見せる。
「はぁ」
「僕の小説は読んだ事無い?」
「……実は機会が無くて」
「おかしいな、兄さんには本を送っているはずだけど」
「書斎を探せば出て来るかしら……」
「きっと、そのはずだ。探してみよう」
 彼に手を引かれてパトリシアは、屋敷の書斎に向かった。そして、大きな本棚を二人で確認する。
「ほら、あった!」
 ユリアーノが棚から本を取り出す。
「アリソン・イズスター……?」
 本に書かれた著者名を見て、パトリシアは驚く。
「あぁ、ペンネームってやつだ。最近は、本名と作者名を変えるやつも多いんだよ」
「でも、アリソンって女性の名前よね……?」
「そうだね。女性の作家が書かせたと思わせるためのトリックさ」
「なぜ、そんな事を……」
 女性作家と言うのはとても珍しかったから、目はひくだろう。
「僕は女性視点の恋愛小説をよく書くからさ」
「……そうなんですね」
 本を真ん中から開いて、ページを数枚めくった後にパトリシアは本を閉じる。顔が熱い。
「おや、ちょうど濡れ場のシーンだったかな」
 本の中では、男女がもつれあって愛しあっているシーンだった。
「あぁでも、怒らないでくれパトリシア。こういう本には、そういうシーンは読者へのサービスとして入れなくちゃいけないんだ。許しておくれ」
 彼はパトリシアの手に触れる。
「お話はきっと面白いよ、作者の僕が保証する。だからパトリシア、僕の本を読んでくれないか?」
 彼がじっとパトリシアを見る。
「ど、どうして私にご自分の本をそんなに勧めるんですか」
「読者のいない作家程、哀れな者は無いからね。君だって、美しい庭を誰も鑑賞してくれる者がいなかったら悲しいだろう」
「それは……」
 パトリシアは本を見つめる。
「わかりました。本を読んでみます」
「そうか、ありがとう。できれば、今度感想を聞かせてくれ」
「はい……読んだら手紙を送りますね」
「いやいや、近い内にまた遊びに来るよ。その時、直接教えて欲しいな」
 彼はパトリシアの手を取って、キスをする。
「では、そろそろお暇しよう」
 彼は手を振って書斎を出て行った。パトリシアは彼の本を見つめる。
「アリソン・イズスター……」
 濡れ場のシーンには驚いたが、数ページ読んだだけでこの本がとても面白そうな物である事をパトリシアは感じていた。 

 約束したので、パトリシアは律儀にユリアーノの本を読み始めた。時間はたっぷりある。庭仕事を終えた後に、紅茶をお供に本を読む。ユリアーノの言う通り、彼の本はとても面白かった。中世の騎士と姫の物語で、二人が結婚するまでが綴られている。いくつもの困難を乗り越え愛を深めて行く二人に、パトリシアは気づくと夢中になっていた。続きが気になって、寝る前のベッドにまで彼の本を持ち込んで読んでいた。
 寝室にアレクサンダーが入って来る。パトリシアは慌てて、本を閉じてベッドサイドに置く。
「何を読んでいるんだい」
 アレクサンダーがベッドの横に入って枕を整えながら尋ねる。
「あ、あなたの弟のユリアーノの書いた本よ」
 パトリシアはなぜだが、慌てて声が上ずってしまった。
「……珍しい本を読んでるね」
 瞬間アレクサンダーの表情が固まったように、パトリシアには見えた。
「え、えぇ。先日、ユリアーノが尋ねていらして……本を読んで欲しいと勧められたから……」
「……そうか、それは知らなかった」
 アレクサンダーはしばらく遠方の地に出張していたので、その間の事を彼はあまり知らない。
「ごめんなさい……」
 パトリシアは視線を落として謝る。
「いや、良いんだよ。ユリアーノは社交的だからね、君と親睦を深めたかったんだろう」
「そうね……私は、あまり表に出ないから……」
 しんと、静まる室内。彼がパトリシアの手を引く。
「僕はそれで良いと思っているよ……君がこの屋敷に居てさえくれれば」
 パトリシアの体を抱いて、髪を撫でる。彼の手が好きだ。アレクサンダーの手が、パトリシアの髪を優しく撫でる度に幸福な気分になる。それと同時に、いつかこの手が失われてしまうかもしれない、と言う恐怖が常にあった。
 パトリシアは誘うように、彼の首に手を回してキスをした。すると優しくパトリシアを見つめていた彼の瞳の色が変わる。軽いキスは深いキスになり、彼が上に覆いかぶさって来るのを感じた。
「いいの……?」
「えぇ」
 小さく囁くようにうなずく。すると、彼が明かりを消す。再び、唇に柔らかいものが当たる。彼の背を抱いて、キスに応える。こうやって、パトリシアの誘いに乗ってくれる限りは、彼の中にパトリシアへの愛情がまだあるように思えた。それにほっとする。同時に、早く彼との子が欲しいと思った。子がいれば、彼との絆になるように思えた。背を抱いて、彼に体を預けた。

 ユリアーノの本を読み終わったパトリシアは、書斎で彼の本をまた探した。すると、もう一冊『アリソン・イズスター』の本があった。パトリシアは、その本を毎日大事に読んだ。こちらは中世の騎士が、ドラゴンの姫と愛を深める異種間婚礼譚だった。やはりこの本も、どんどんページを捲らせる力のある本だった。彼の本は荒唐無稽でありながら、その幻想の嘘に読者を引き込んで楽しませる力があるのだ。パトリシアはなるべく、アレクサンダーには見つからないようにその本を読んだ。ユリアーノの本を読んでいるとアレクサンダーは少しだけ、嫉妬したような表情をするからだ。なら、読むのをやめれば良いのだが、ユリアーノの本の魅力にすっかり取り憑かれてしまったパトリシアは、読む手を止められないのだった。
 二冊目のユリアーノの本を読み終わった頃、彼女はすっかりユリアーノの本のファンになっていた。そして、ちょうどその頃にタイミング良く彼はやって来た。
「やぁ、パトリシア」
 庭でオルガと、薔薇の苗を植えていると彼が訪ねて来た。
「まぁ、ユリアーノさん!」
 パトリシアは、自然と笑みが顔に浮かんで彼を歓迎する。
「忙しそうなところすまないね」
 パトリシアは泥だらけのエプロンと手袋を付けている。
「ご、ごめんなさい、こんな格好で」
「いやいや、僕も来訪の手紙を出さなかったからね」
 パトリシアはエプロンと手袋を脱ぐ。
「また薔薇を買ったのかい」
「はい、オルガが他の庭で見た薔薇が綺麗だったからって。勧めてくれたんです」
 オルガが立ち上がって、帽子を上げユリアーノに軽く頭を下げる。
「なるほど。他家の庭の情報は彼に聞くわけか」
「えぇ。おかげで、知らない薔薇がたくさん知れるわ」
 パトリシアはユリアーノに笑みを見せる。
「オルガ、パトリシアを少し借りても良いかな」
 ユリアーノがオルガに尋ねる。
「もちろんです。お嬢様、薔薇の植え付けは俺がやりますので」
「ごめんなさい、お願いね。後で、見に来るわ」
 ユリアーノが腕を差し出す。パトリシアは、緊張しながらユリアーノと腕を組んで庭を歩いた。
「本は読んでくれたかな」
「えぇ、もちろん読みました」
「それは良かった。それで、楽しんでくれたのかな」
「もちろんです、すごく楽しくて読むのが止まりませんでした」
 パトリシアはにこにこと笑う。
「もう、本当にドキドキして。本を読んであんなにドキドキしたのは、小さな子どもの時以来です」
「そう言ってくれると、苦労して書いている甲斐があるよ」
「まぁ、そうなんですか?」
 いつも、不敵に笑っているユリアーノが苦労している姿は想像つかない。
「作家業てのは、原稿を書いてる時は地味なもんさ。僕の場合は朝起きて、決まった時間に原稿をやるんだけど、書ける量は毎日マチマチだ。一万文字だって書ける日もあれば、あぁでもないこうでもないと唸って二千文字も書けない日もある」
「それは……本当に大変なんですね」
「でも、作品ができ上がった時は最高の気分さ。なにしろ僕は、この世で一番素晴らしい作品の最初の読者になれるんだからね」
 パトリシアはまばたきする。
「ご自分の作品でも、読んだら楽しいものなんですか?」
「そりゃそうさ。僕は自分の読みたい物語を書くからね」
 彼はにっこり笑う。そして、庭を見渡した。
「君だって、自分の庭を見て満足な気分になる時があるだろう」
「それは……そうですね。想像通りの完璧な庭にできた時、私はまるで自分が庭の神様になったような気持ちになるんです」
「そう、それだよ。僕らは作品を通して、神様になるんだ。僕は自分の物語の神、君は美しい庭園の女神様だ」
「そんな、女神だなんて……」
 彼が、パトリシアに笑みを見せる。
「君と話しているのは楽しいなぁ。貴族で芸術の話しができるやつって少ないんだ」
「そうなんですか?」
「そうさ、高い絵をありがたがって買う貴族は、その絵の価値を本当には理解してないんだ。かといって、芸術家達はプライドが高すぎて派閥争いに忙しくて、話していると気がめいる」
 ユリアーノがパトリシアを見る。
「その点、君は違う。君は、一人孤独の中でこの庭を作り上げた。僕は君の作り上げた純粋で独創的な芸術を評価するよ」
 彼がパトリシアの頬を撫でる。
「僕が先に君に出会っていたなら良かったのに」
 そのささやくようなつぶやきにパトリシアは目を見開く。
「……すまない、ただの一人言さ。他の本を贈るよ、読んだらまた感想を聞かせてくれ」
 彼はパトリシアの顔から手を離した。その後も、庭や小説の話をしたがパトリシアの意識はなかなか彼の言葉に集中できなかった。彼の言った、告白とも取れる言葉が何度も頭の中で響いていたからだ。
 彼が帰って、夜になってもその言葉はパトリシアの頭の中に響いていた。
「それでパトリシア。今度、新しいドレスを注文しようと思うんだが……パトリシア?」
 寝室でアレクサンダーに抱かれて、彼の言葉を聞きながらパトリシアは上の空になっていた。アレクサンダーの訝しげな声を聞いて、我に返る。
「ご、ごめんなさい。少し、ぼおっとしていたわ」
「……疲れているんだね。ごめんよ、気づかなくて」
 アレクサンダーがパトリシアの頬にキスをする。
「今日はもう眠ろう」
 彼が明かりを吹き消すと、部屋が暗くなる。手を引かれて、パトリシアはアレクサンダーの腕の中で横になる。
「おやすみパトリシア」
「えぇ、おやすみなさいアレクサンダー……」
 目を閉じる。
 純粋な瞳で、パトリシアの庭とパトリシアの知らぬ内の光を見つめてくれるユリアーノ。その事を思い出すとパトリシアの胸の内に、なんとも言えない幸福と同時に重い罪の意識が芽生えた。

 昼間、部屋で本を読んでいると使用人が来てユリアーノの来訪を告げる。
「お客様は、庭でお待ちになるそうです」
「まぁ、わかったわ」
 パトリシアは、すぐにドレスを着替えて庭に下りる。歩いていると、庭の向こうで、男達の話し声が聞こえる。
「ふーん、それで君はパトリシアの事をどう思っているのかな?」 
「どうって……」
「パトリシアはかわいいからね、子供の頃からの幼馴染となれば、自然と恋心を抱いても仕方のない話しだ」
 パトリシアは立ち止まって、緊張しつつその話しに聞き耳をたてた。
「……そりゃ、ガキの頃ならそういう気持ちもありましたよ。でも大人になりゃあ、それが途方もない夢だって事を理解する。ただの庭師の男が、貴族の娘と結婚するなんて、象が逆立ちしたって無理な事だ」
「ふーん、だから、諦めたのか。じゃあ、パトリシアの事はなんとも思ってないのかな?」
「……なんとも思ってないわけじゃないですよ。お嬢様は、なんつうか俺の妹みたいなモノなんですよ。だから、幸せになって欲しいとは思ってます」
 パトリシアは目を見開く。オルガの言葉に心が震える。
―ありがとう……オルガ。
「そんじゃ、俺は行きますよ。そろそろ、球根が届く時間なんでね」
「うん、楽しい話をありがとう!」
 オルガが立ち去って行く足音が聞こえた。パトリシアはしばらく、息を整えた後に、ユリアーノの元に出た。
「お待たせ、ユリアーノ!」
「やぁ、パトリシア」
 彼がにっこり笑う。胸には、赤い薔薇の花をつけている。
「あら」
「庭師がくれたんだ、似合うだろう」
「えぇ、そうね。とっても似合うわ」
 金髪で長髪の彼は、美しい薔薇を飾るとまるで物語の王子様のようだった。ただし、一度口を開けば胡散臭い詐欺師にも見えた。そういうアンバランスさが彼にはある。
「今日は、どうしたの? お庭を見にいらしたのかしら?」
「うーん、実はね。しばらくこの庭に来れそうにないんだ」
「あら、そうなの?」
 なんだかんだ、彼は週に一回は庭を訪ねてくれていた。
「新刊の原稿の追い込み作業にかからなくてはいけなくてね、しばらく遠い避暑地の屋敷にこもるわけさ」
「作家さんって大変なのね」
「都会は誘惑が多いからね、時に距離を置く事も必要なんだ」
 パトリシアはうなずく。
「寂しくなるわ。お手紙は書いても良いのかしら?」
「本当は、お断りしてるんだけど、君の手紙は特別に届けさせるよ」
 ユリアーノがにっこり笑う。
「まぁ、うれしいわ。本の感想、たくさん送りますね」
「楽しみにしているよ」
 そして、彼が腕を差し出す。
「最後に、もう一度一緒に庭を歩いてもらえませんか。しばらくこの庭と貴方ともお別れかと思うと、残念でなりません。だから、しっかりと記憶に焼き付けておく事にします」
 パトリシアは笑みを向ける。
「えぇ、喜んで」
 二人はゆっくりと、庭園の散策を楽しんだ。


 その後、ユリアーノは庭に姿を見せなくなった。パトリシアは寂しい気持ちになりながら、彼の本を慰めに読み感想を手紙で送った。するとユリアーノから返事が来る。会いに行けないのが残念だと手紙には書かれていた。
『ところでパトリシア、以前も言ったように国の庭園コンテストに出場してみたらどうだろうか? 君の庭ならきっと、上位に入賞するだろう。』
 手紙に書かれていた、ユリアーノの提案にパトリシアは瞬きする。
―国の庭園コンテスト……そんな事、考えてもみなかったわ。
 エレウィット家にいる時は、どんなに美しい庭を作ってもそれはごく一部の貴族達を楽しませるものだった。コンテストに出場するなんて、考えもしなかった。
―でも……。
 ユリアーノに何度も庭を褒められる内に、パトリシアの中に確かな自尊心が芽生え始めていた。彼の、小説家ゆえの表現力のこもった言葉のおかげでもあっただろう。
―コンテストに出たいわ。
 もっと多くの人に庭園を見て欲しい。そう、パトリシアは強く思った。生まれて初めて、こんなにも強い意思で何かを願ったように感じた。
 ユリアーノに庭園コンテストに出場したい事を手紙で書いて送ると、すぐに返事が来た。
『決意を固めてくれてうれしいよ! 煩雑なコンテストの手続きは僕がやるから、君はアレクサンダーから許可を貰っておいて欲しい。同封した、紙にサインをお願いするよ 親愛なる君の友ユリアーノより』
 パトリシアはその手紙に思わずキスをしてしまった。同封された紙は、庭園コンテストに出場する旨の書類だった。この紙を出して、国からOKが貰えれば、晴れてコンテストへの出場が決まる。書類審査で落とされる事もあるらしいが、イズスター家程の家柄なら問題は無いだろう。あとは、アレクサンダーの許可を貰えれば完璧だ。パトリシアはうれしくて、軽く跳ねてしまった。
 その日の夜、晩餐の後の紅茶タイムにパトリシアは思い切って庭園コンテストの事を切り出す。
「庭園コンテスト?」
「えぇ、国で開かれる大きなモノよ。せっかく、綺麗な庭を作ったから出場してみたいの」
「……そうか」
 すぐに許可をくれると思ったアレクサンダーが思いの他、重い表情をしている。
「ダメかしら……」
「……庭園コンテストに出たいと思ったのは君の意思?」
「えぇ、そうよ」
「ユリアーノに勧められたのではなく?」
 全て見透かすようにアレクサンダーがパトリシアをじっと見て来る。
「……確かにユリアーノに勧められたの。でも、出場を決めたのは私の意思よ」
「そうか……」
 彼は何か考えるように目を閉じる。そして目を開けてパトリシアを見た。
「わかった。出場を許可するよ、きっと君の庭園なら素晴らしい評価が得られるだろう」
 彼はパトリシアから紙を受け取る。書斎の机からペンを取り、すぐにサインした。
「ありがとうアレクサンダー!」
「俺だって妻の喜ぶ顔が見たいからね」
 紙を受取り、彼の頬にキスをする。
「明日から忙しくなるわ。コンテストに出場するんなら、もっと庭を素晴らしい物にしないと!」
 パトリシアは二階に行って、書類を封筒に入れた。胸は、ドキドキしていた。


 コンテストへの出場は無事に許可されて、パトリシアは昼間オルガと顔を突き合わせて計画を練った。
「庭は今のところ、お嬢様の理想通りにでき上がってますよ。俺は、コレで十分だと思いますがね。季節を考えて植えられた花と、貴重な薔薇達、一年を通して楽しめる素晴らしい庭ですよ」
「そうだけど……」
 パトリシアは考える。
「他の庭も見てみたいわ」
「他の庭ですか」
 パトリシアは唇に手を当てて考え込む。
「手紙を出してみたらどうですか」
「そうね! まずはお願いよね」
 パトリシアは笑みを浮かべる。
「……最近のお嬢様は明るいですね」
「えっ」
「いえいえ、俺は良い事だと思いますよ」
「ありがとう、オルガ。早速、手紙を書いて来るわ!」
 パトリシアは部屋に戻って、とある貴族に手紙を書いた。それは、国の庭園コンテストで昨年一位になった貴族の家だった。全く、縁の無い家だったが、庭を見たい一心でパトリシアは手紙を書いた。そして数日後返事が来る。手紙には、来訪の許可が書かれていた。
「やったわ、アレクサンダー」
 手紙を手にパトリシアは跳ねる。
「ふむ。コンテストで有名になった貴族の家には、庭を見にたくさんの貴族が訪れるそうだからね。良かったじゃないかパトリシア」
「えぇ、一緒に行きましょう」
 休日に二人でその貴族の家を訪ねた。
「こんにちはパルマ夫人」
「えぇ、こんにちは。本日は我が屋敷の庭園を見にいらしたとか、ぜひゆっくりとご鑑賞ください。庭師をともにつけますね」
「ありがとうございます」
 庭園には、他にも貴族の姿があった。彼らも庭を見に来ているようだ。パトリシアはアレクサンダーと腕を組んで早速、庭園の中を歩く。
「まぁ」
 パトリシアは口を手で覆う。
「すごいわアレクサンダー、とっても豪華」
「まぁ、確かにそうだな」
 そこはとても荘厳な庭だった。美しく刈られた苗木、均等に立ったライオンの石像。そして左右対称になるように植えられたたくさんの花達。
「やっぱり一位はすごいわね……」
「……確かにすごいけど。俺はパトリシアの作る素朴な庭の方が好きだよ」
 パトリシアはアレクサンダーを見上げる。
「本当?」
「本当さ」
 彼が当然だと言う顔で答える。
「ありがとうアレクサンダー」
 パルマ家の庭を隅から隅までじっくりと見た、パトリシアは礼を言って帰路についた。帰りの馬車の中で彼女はやる気に満ちている。 
「私も負けていられないわ!」
「やる気満々の君と言うのも新鮮で良いものだね」
 彼はそう言って小さくほほ笑んだ。
 その後、庭作りは進み、パトリシアは満足できる形で国の庭園コンテストに出場できた。審査員の来る当日は、しっかりめかしこんでアレクサンダーと客を出迎えた。
「優勝は彼らの評価次第か」
「えぇ、そうよ。コンテストの細かいルールもしっかり読んで、減点の無いように準備したわ」
「では、結果は後は天に任せるとしよう」
 アレクサンダーの腕をぎゅっと握って、パトリシアはドキドキしながら彼らの審査を見ていた。審査を終えた彼らは、ひとまず帰って行った。
「結果は後日、クリプロン侯爵の屋敷で発表されるんだったかな」
「えぇ、全ての庭の総合点数と評価が発表されて表彰があるの」
「結果が楽しみだね」
「そうね!」
 パトリシアはアレクサンダーと笑いながら屋敷に戻った。


つづく

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