溺愛魔王は優しく抱けない

今泉 香耶

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庭園の結界の先

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 魔王城の庭園は広く、居住エリアに住む者――具体的に今はアルフレドとリーエンだけ――とその者達に仕えている魔族以外も足を運ぶ。魔界の中でもそこでしか咲いていない貴重な花もあるらしく、それがある温室は許可証がなければ足を運べないとのことだ。また、当然リーエンは居住エリアにいない不特定多数の魔族とあまり遭遇しないように、一部しか利用出来ない。

 だが、その一部だけでも相当広く「どうしてそんなに広いんですか」と尋ねれば、昔はどの高位魔族の城や屋敷にも広い庭園があって、そこで薬草やら毒草やら、魔力を増強する薬の元になるものを育てたりやらで庭園というよりは薬草園のような役割が高かったのだと聞いた。

 少しずつ魔族の魔力の質も上がり、一定以上の魔力を持つ者が増えたたため、昔は重宝された植物も少しずつ必要がなくなり、薬草園を潰した魔族もいれば畑にした魔族もいる。魔王城に関しては古くからの珍しい薬草等をそのままの姿で栽培を続ける昔ながらの薬草園の場所を一角に保持しつつ、他は庭園に改良したのだと言う。誰がしたとはリーエンも聞いていないが、アルフレドではない、もっと前の代の魔王だ。

 庭園に出る時にはアイボールと共に、だが、庭園入口に護衛騎士を待機させること、と言われ、リーエンにしては珍しく護衛騎士2人にアイボールという完全体勢で移動をする。

「それでは、我々はここで待機しております」

「ありがとう。少し散歩して来ますね」

「はい。ごゆっくり」

 リーエンはアイボールと共に庭園をぐるりと回る。魔王城から出ることが許されていない彼女が唯一「外」を感じられるのは庭園だ。魔界も人間界のように昼間は太陽が昇り夜は月が昇る。その太陽と月が人間界と同じものなのかもわからないけれど、昼間の空は青くて雲は白い。ようやくそんなことをゆっくりと考えられるぐらいには、自分はこの世界に順応して来たのだろうか……そんなことを思いながら、美しい花々を堪能しながら歩く。

「まあ。見たことがないお花だわ。なんていうお花なのかしら。綺麗」

 人間界にあってリーエンが知らない花なのか、魔界にしかない花なのか。それもよくわからない。リーエンのふくらはぎ程度の高さの花が咲き乱れる花壇の前でしゃがみこむと、浮かんでいたアイボールがゆっくりと降下してくる。

「アイボールさん……?」

 しゃがんでいるリーエンの肩の高さに降りたアイボールは、花壇を見る。何を見ているのか、とアイボールの視線の先をリーエンが追えば、何もなかったはずの空間にぼんやりと魔界の文字が浮かび上がる。

「パル、テキ、ナ……ああ……もしかして……魔力というものに反応して説明が浮かび上がるのですか?」

 アイボールは肯定の動きを見せた。どうやら庭園にある植物全て、魔力に反応して情報が表示される機能があるらしい。なるほど、折角の美しい花壇に名前が書かれた札が置いてあるよりも、そちらの方が余程景観を損なわないのだろう。

(こうして見ると、本当に魔族の方々の美意識というものは、人間界とそう変わらないようね……)

 改めて自分のドレス、自分の部屋、ティータイムの部屋、ティータイムのセッティングやこの庭園の美しさ。行きかう使用人達の衣服を見てもわかる。似ていてよかった。だからこそ、こうやって植物の美しさで癒される。

「アイボールさんは、花を綺麗だとお思いになります?」

 そう尋ねると、アイボールは回答不能の動きを見せる。そうか、その辺りはまた魔族によって違うのか。勉強になる……等々、思いながらリーエンは少しだけ気分が良くなって浮かれつつ庭園を散策していた。

「あっ」

 蔦があしらわれた金属製の、腰ぐらいの高さのスウィングドア――何かの区画ごとに設置されているようで既にリーエンは他にもそのドアを越えている――に触れた時に抵抗を感じて声をあげる。

「……あっ、これがもしかして……」

 結界というものか。ドアに触れようとすると、ギリギリのところで触れられない。障害物にぶつかっている感じではないものの、何故かその先に行けない。そんな不思議な感覚に見舞われる。手を伸ばしてスウィングドアの上の空間を突き抜けようとしても出来ない。

「ここから向こうは行けないのね。アイボールさん、これが結界でしょうか?」

 わかりやすくするために、その日リーエン付きになるアイボールにも、リーエンと同じ範囲しか行けなくなる術がかけられていると聞いた。アイボールは何度かスウィングドアを越えようとしたがやはり出来ず、肯定を表すアクションを見せる。

 ドアの両側はぐるりと同じように蔦が絡まっている金属製のポールがずらりと並んで、確かに明らかなパーテーションの役割をしているようだ。ポールの隙間から覗こうと顔を近づければ案外様子がうかがえる。そちら側の庭園はまた違う花が咲いていて、リーエンは「いつかアルフレド様にお願いしたり、アルフレド様と無事に結婚が出来たらあちらの花も見られるかしら……」と珍しく彼女にしては欲のあることを思う。見えなければいいものの、見えてしまうのだからしょうがない。

「……あっ……」

 そう。見えてしまったのだから仕方がないのだ。
 あちら側の庭園の少し遠くを歩くアルフレドと女性の姿を発見してしまったのも、リーエンのせいではない。不可抗力だ。

(アルフレド様、マントをつけていらっしゃるわ……正式な場か公的な場で招いたお相手なのかしら。それとも……)

 今までリーエンが居住エリアで会ったアルフレドはマントをつけていない。リーエンはそのことに少し驚いたが、それよりも何よりも。彼の隣にいる女性が仰天するほどの美しさにリーエンは息を飲む。

(凄い……なんて……お綺麗な……艶のある美女なのかしら……!)

 はっきりとした顔立ちの美女は、明るい庭園を歩いていてもどこか艶めかしい。アルフレドと同じ黒髪は胸下まで大きく豊かにうねり、紫のドレスは薄い布を十分に使って体に幾重にも張り付くような優雅なマーメイドデザインで、布が薄いためか歩くたびに足の形がよくわかる。胸元は大きく開いているが下品なほどではなく、美しい肌の白さが強調されるようだ。ネックレスは品が良い、小さな宝石が一粒だけ埋め込まれたものだったが、それはリーエンからは見えない。

 同性であっても美しい人物を見れば、人は「素敵」と感嘆の息をつくものだ。リーエンは遠目で、2人が何かを話しながら笑って歩いていく姿を見送った。そう長い時間ではなかったが、美しいものを美しいと思うのに時間はそう必要がない。

「なんて……」

 なんて、お似合いなんでしょう。

 そんなことを言いそうになって、リーエンは唇を引き結ぶ。まるで他人事のようにそう思ってしまう自分と、劣等感に苛まされる自分がいる。とんとん、と自分の胸を何度か軽く叩いてから、リーエンはその場を離れた。魔界も美的感覚が似ていると思った直後にあんなものを見せられては、心が揺れても仕方がない。

「そろそろ戻って、勉強をしなければいけないわ」

 誰が聞いているわけでも――アイボールはいるが――ないのに、リーエンはそう言って足早に、護衛騎士たちが待つ庭園の入口へと向かう。

 先程見た2人の姿が強烈に脳裏に焼きついている。彼女の「映像に強い」才能が完全に裏目に出ているが、当然本人はそんなことは気付きもしない。

(わたしには何もない……わたしが他に望まれていることは……)

 決まっている。夜伽だ。それぐらい最初からわかっているのに、どうしてもそういう気持ちになれない。いや、アルフレドを嫌っているわけではない。むしろ、彼が自分によくしてくれていることは十分わかっているし、リーエンもまた徐々に彼に対して好意的になっている自覚はあった。

 けれども、どうしてもマーキングをされたあの時のことを思い出すと恥ずかしくていてもたってもいられないし、待ってもらえることが出来るならもう少し心が落ち着いてからにして欲しいし、今はとにかく勉強をしなければいけないし……。

(本当に、どうしてわたしだったんだろう。誰が見たって、わたしなんかよりも、もっと……あんな綺麗な人と並んでいてお似合いに見えるんですもの。ますます自信がなくなって来たわ……)

 だが、自信があろうがなかろうが、自分の立場は変わらない。リーエンは気丈にも護衛騎士たちに「部屋に戻ります」となんとか微笑むことが出来たが、心中はまったくもって穏やかではなかった。
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