溺愛魔王は優しく抱けない

今泉 香耶

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巡礼1日目

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 翌日からリーエンの巡礼は始まった。巡礼出発の儀は魔王城の一角で、そう多くない立ち会いの元で行われた。数人の高位魔族や護衛騎士が見守る中、リーエンは指輪を受け取り初回の禊に向かう。

 必ず出掛ける前に「禊」とやらを受けるらしいが、何をされているのかリーエンにはわからないし、それを行っている魔族――学術院エリアに良くいるかなり高齢の魔族でヴィンスの親友らしいのだが――いわく「やってる方もわかっていない」のだそうだ。

 半刻ほど何人かの魔族が決まった文言を順番に読み上げ、リーエンがそれを聞く。たったそれだけのことではあったが、半刻「わけがわからないことを聞いている」リーエンは退屈で仕方なかったし、読み上げている方も「すぐ喉が渇く」「読んでいて飽きる」等と終わってから言い出していたから、これはもしかしたらやめようと言ってやめた方が良い儀式なのでは? と思わざるを得ない。が、既に始まってしまった以上は5日間毎日出掛ける前にこれを行わなければいけないようだ。

 とはいえ、彼らに聞けば「魔王様の結婚に立ち会うことなぞ回数は多くないのだから、この役になることはそれなりに名誉だ」と言うし、そういう意味で「憧れている魔族」や「それをしたことを自慢する魔族」もいるらしい。何より、魔王妃候補と接する機会は後にも先にもこれだけ、という者が多いのだとも聞く。リーエンは「ならば、そういう機会は残しておいた方が良いものだ」と考え直した。これは、儀式そのものに意味はないけれど携わる者にとっては意味がある、そういうタイプの儀式なのだろう。

 禊を終えてもう一度最初の儀を行った部屋に戻ると、その半刻をだらだらと話しながら待っていた魔族達が再度彼女を出迎えた。

「明日からは禊の後に食事をして出掛けていただきます」

と言われ、儀式中に翌日の食事の予定を言われることがなんだか面白い、とリーエンは心の中で小さく笑った。

「それでは、初回のみゲートまで見送りを。アルフレド様、魔王妃候補をお導き下さいませ」

「ああ」

 遠隔地へ移動をするゲートは魔王城の外にあり、そこへも魔王城から魔法陣を使っていく。儀式に参加した者はアルフレドを先頭にぞろぞろと歩く。それまで参加者をリーエンはあまり見ることが出来なかったが、そこで初めてジョアンとコーバスの姿を確認出来た。

「リーエン」

「はい」

 ゲートへ移動する魔法陣の上にアルフレドが立ち、リーエンに手を差し出す。自然にその手に自分の手を重ねながらリーエンは魔法陣に足を踏み入れた。あんな酷いことになってしまったが、先日婚姻の儀を行う部屋に魔法陣で転移をする経験をしておいてよかった、と思う。きっとアルフレドはそれも見越してあの部屋に誘ってくれていたのだろう……と今ならば理解を出来た。

 ブンッ、と鈍い微かな音と共に、アルフレドに手を握られたままリーエンは転移をする。目の前がぱっと開けて、リーエンは初めて「魔王城の外」に出た。

「お待ちしておりました」

「うむ。魔王妃候補巡礼の第一ゲート使用を申請してあるはずだが」

「はい。心得ております。こちらです」

 そこは、草原だったが、草原ではなかった。人間界のように普通に空は青く、目の前には草原が広がりその先には森のようなものが見える。そして、その草原には、先程使用した魔法陣の何倍も大きいものが「縦にドアのように浮かんで」いる。それも、大量に。広々とした草原に、まるでそんな形の生き物が浮いているかのようにあちらこちらに散らばっているのは奇妙な光景だった。

 どれほどだろう、その付近一帯は、ぐるりと「見えない何かで囲まれている」とリーエンはなんとなく思う。普段、自分が抜けられない結界は直面するまでリーエンには感じ取れないが、その場はそうではない。明らかに「ある」と思える。

「ここは、もともとゲート使用を申請している者や許可された者が転移でしかやってこれない場所だ。空も普通に見えるが、鳥は降りてこれても翼をもつ魔族の侵入は許されない」

「だから、閉鎖されているように感じたのですね」

「そうだな。これだけ仰々しい術になれば、お前にも何かしら感じられるだろう。ここにゲートがあることは皆が知っていることなので、わざわざその術を隠匿することなく、あからさまにしている」

 そして、その草原の一角には、従事している係員のための休憩所や何やらがあった。ゲート利用者が一時利用する場所でもあるらしい。

「明日からは、禊が終わると案内人がお前と護衛騎士をここまで連れて来る。後は、担当の者達に任せればよいだけだ」

「わかりました」

 先程転移してきた魔法陣には一度の定員が5人程度なのか、数回にわけて転移した人々が集まって来る。

「全員揃いました」

 ジョアンが人数を確認して報告をし、アルフレドはゲートの担当者に手を軽くあげる。

「それでは、魔王妃候補巡礼の第一ゲートを開きます。使用者は魔王妃候補と護衛騎士4人、記録係のアイボール1人、付き人1人、計7人になります」

(あっ、アイボールさんも、1人、と数えるんですね……?)

 とリーエンは言いたくなったが、懸命に唇を引き結ぶ。

 付き人は、リーエンの担当女中であるバーニャとケイトが日替わりで同行をする。何もなければ特に役目はなく、ただ「リーエン様まだですかね」と護衛騎士達とのんびり待つだけの仕事になるし、記録係のアイボールも、魔王妃候補だけしか入れない場所には行けないので、実は特に何を記録出来るわけでもない。だが、すべては「何かがあった時」のためのものだ。

「では、これより魔王妃候補巡礼を開始いたします。リーエン様と同行者はこちらへ」

 禊の間でリーダーシップをとっていた魔族に誘導され、リーエン達は縦に浮かんでいる1つの魔法陣、いわゆる「ゲート」に向かう。

「いってらっしゃいませ」

 その魔族がそう言って頭を下げれば、見送り側の他の魔族も一礼をする。唯一、頭を下げないのは当然魔王であるアルフレドだけだ。リーエンはアルフレドと目線を合わせて微笑むと

「いってまいります」

 と告げて、護衛騎士の先導に従って、その「ゲート」に進んだ。



 ゲートを通過すると、そこもまた見知らぬ草原だった。そこには担当者らしき姿はない。今通過したゲートを使用しなければ決して来られない場所なので、こちらからはいつでも自由に使って帰れるらしい。

 護衛騎士が「もう誰もいない場所ですから、安心していいですよ」とリーエンに告げると、リーエンはその場にへなへなと座り込んで

「あああああ、あ、あ、あ、緊張しましたぁぁぁぁ……」

と、率直な感想を述べた。すると、次々に

「わ、わたしもで、す……」

「俺も、俺もです」

 バーニャも、護衛騎士の面々も、なんだったらアイボールはそれまで見せたことがない、よくわからない軌道で飛行をしている。それを見て慌ててリーエンは

「あっ、あっ、もしや、もうアイボールさんに記録されていますか、これは!」

と叫んで立ち上がったが、どうやら違うようだ。

「カルベンタ(アイボール)も緊張したらしいですよ。大丈夫です。巡礼の洞窟に入ってからの記録になりますし、なんでもかんでも記録をするわけではないから安心してください」

 何故か一番冷静なのは獣人の護衛騎士なのだから面白いものだ。リーエンは「はぁ~」と溜息なのか何なのかわからない息を吐き、もう一度草原に座り込んだ。

「そもそも、まったく魔族のみなさんにお会いしていないのに、突然知らない方々に立ち会いされた上に、禊の間で囲まれて、もう、ああ、もう少し、もう少し教えていただいていても良かったと思うのですが……あまり儀式関係の書物等が残っていなかったので、予習も出来ませんでした……!」

 説明不足が過ぎるとリーエンは思うし、それは護衛騎士達も同じ感想だ。

「俺達も、ついていって儀式に立ち会って、ゲートが開いたらリーエン様を連れて行って欲しい、程度にしか儀式のことは聞いてなくて……」

 とはいえ、どうやらこういった大雑把なところは魔界らしいのだともいう。よくわからないが当日説明してくれるだろう、でやって来て、みっちり説明される時もあれば、まったく説明されない時もあり、それらは担当者のさじ加減なので誰も文句はつけられないのだという。「説明なしでもどうにかなったでしょう?」と言われたらそれで終わり。

 そんな愚痴を言い合っていても仕方がない。リーエンが「あの洞窟でしょうか?」と草原の先に見える岩場に「いかにも」設置されていますとばかりにある洞窟めいたところを指さす。

「はい。そうです」

 護衛騎士達はリーエンを案内する役割があるので、前もって昔の「アイボールの記録」を確認して来ている。

「わかりました。では、行きましょうか」

 リーエンはドレスについて草をぱんぱんと払ったが、まったく払いきれていなくて尻に大量に葉っぱをつけたまま歩きだした。バーニャが「リーエン様! いけません、魔王妃候補として最初のお仕事なのに、草まみれですよ!」と立ち止まらせて手で払う。その様子を見て、護衛騎士の1人が「カルベンタ、もう記録してもいいんじゃないか」と言えば、護衛騎士はみなどっと笑うのだった。

 

 ひんやりとした洞窟は、ごつごつとした岩に囲まれている。明らかに人の手で作ったことがわかる内側には丁寧に岩に燭台が埋め込まれており、人々が近づくと灯されるように魔術がかかっているという。

「まあ……」

 洞窟の奥へ進むと、突然石造りの扉があった。その凄まじい存在感にリーエンは笑い出しそうになったが「もう記録なさっていますものね?」とそれを耐える。岩に囲まれた洞窟なのに、突然人工的な石の扉、しかも周囲の岩の質とまったく違う石なので、もう何がなんだか、と言いたいがそれも黙る。

(ああ、記録はどこからどこまでなのか、先に確認して置くべきでした)

「リーエン様。我らが同行出来るのはここまでです。その扉を開ける方法はご存知ですね?」

「はい。では、いってきます」

 リーエンは扉の前で、魔王妃候補だけが口にすることを許されるという文言を発した。とはいえ、それは魔王妃候補である名乗りだけなので、簡単に誰でも言うことが出来る言葉なのだが、昨晩のアルフレドの話を考えれば「そうではないものが言ったらなんらかの罰が与えられる」仕組みなどがあるのかもしれない、と思う。

 石の扉は横にスライドして開いた。暗くて中が見えないが、きっと入ればまた明るくなるのだろうと思う。恐ろしいことは何もない、と聞いていたリーエンはそれを信じて扉を通ると勝手に扉は閉まり、それと同時にぽうっと柔らかい灯りが奥の方で灯された。

(近くは照らしてくださらないのね……帰る時大丈夫かしら?)

 恐る恐る奥へと歩いていくと、案外と奥行きがある。しばらく歩いていくと、ようやく行き止まりになり、そこには大きな石碑が置かれていた。

「まあ、ごつごつとした立派な石。魔力で運ばれたのかしら? 先程の扉と違う石質なのね」

 魔族語が刻まれたその石碑に近付き、リーエンは解読を試みる。思ったよりも文言が長い。成程、魔族の女性ならばいざ知らず、この文章を間違えずに音読をしようとすれば、まず一度書き写したいと思うに違いない。が、ここに書いてあるものを「記録」するような作業は禁じられているので、筆記用具は持ち込めない。

「人によっては時間がかかることもあったでしょうね……これは、一か所の巡礼に1日貰っておかなければ、出来ない方もいらっしゃったのかもしれないわ」

 アルフレドにもコーバスにも散々「そう大したものではない」と言われたが、リーエンからすると「読めても一言一句間違いなく音読をする」には、少しばかり文章量が多いと思う。

 リーエンは「時間はありますものね。みなさんをお待たせして申し訳ないけれど、バーニャにお菓子やお茶を持ってきてもらっているし、ごゆっくりしてもらいましょう」と呑気なことを呟いた。「でもそれだとわたしがみなさんとお菓子を食べられませんね……」と少しばかりしょげながら。




「リーエン様、お帰りなさいませ!」

「戻りました。あの、あの、お時間は大丈夫だったでしょうか? 時間の感覚がちょっとなくて……」

 リーエンが戻って来たのは、石の扉を通ってから1刻を過ぎた頃だった。護衛騎士4人のうち2人はバーニャが用意してくれたスコーンを「アイボールが記録しない位置で」食べている途中だったため、慌てて片づける。

「はい。何も問題はございません。リーエン様の方もつつがなく……?」

「つつがないのでしょうか。よくわかりませんが、終わったようです……石碑の文字の音読に一度失敗してしまって……ああ、わたし、解読は出来るようになったのですが、音読は苦手のようです……」

「そんなことはありませんよ。歴代の魔王妃候補はもっとお時間がかかったと伺っておりますし」

「そうでしょうか。それなら良かったのですが。それから、指輪に魔力を注入というのもの、やっぱりよくわかりませんでした。何かこう……円状の何重もの光が床に浮かび上がってきたので中央に立って……それがこう、下から上へ……」

「ああ、身体走査ですね。リーエン様の登録をしたのだと思います」

 そういえば、アルフレドがそんなことを言っていたと思う。意味はぼんやりとしかわからなかったが、とりあえず石扉の内側のことで伝えられるのはそこまでだった。あとは……と思い出そうとして、ハッとなるリーエン。

「……まあ。先程読んだ石碑の内容を全部忘れているようです。そういう術でもあるのかしら」

「情報秘匿のために何かしら施されているでしょうね」

 だが……と護衛騎士達は顔を見合わせた。

「リーエン様。我々はあなたをこちらにお連れするために、参考にと過去の記録映像をいくつか見せていただいたのですが」

「はい」

「お戻りになった魔王妃候補で、こんなにはっきりとすぐにあれこれお話をする方はいなかったように思います」

「えっ?」

 その言葉にリーエンは驚く。

「どういうことでしょうか」

「みな、終わったということしかお伝えせず……何があったのかも本当にあまりよく覚えていらっしゃらないようで、ただ、つつがなく終えたことだけの報告しか」

「? ……あっ、それは、わたしがおしゃべりということですか!?」

 リーエンのその言葉に、たまらずその場にいる者は全員笑い声をあげてしまうし、映像記録のために目を開けていなければいけないアイボールが珍しく感情的になってぱちりぱちりと大きな瞬きをしてしまう。

「いえ、違います。皆様は『何かがあったようだがなんだかよくわからない』という状況なのだと思います」

 そういえば、中で何が起きているのかはわからないとは聞いたが、具体的に「何故わからないのか」ははっきりと理解出来ていなかった。覚えていないのか、本当によくわからない何かがあって言葉に出来ないのか、何なのか。アルフレドもリーエンには「推測なのだが」としか伝えていなかったのだし。

「し、失敗なのでしょうか?」

「いえ、終わったようだとリーエン様はおっしゃいました。魔王妃候補が『終わった』とお思いならば、終わっているのは間違いありません。その判断だけは明らかですから」

 それはきっと、先程ゲートを見た時に周囲を「囲まれている」と感じたのと似ているのだろう。何が終わりなのかはわからないが、リーエンは何かを感じて「終わった」とはっきり思った。強い魔力は相手の意識にそれを伝えることも出来てしまうのだろう。

「あっ、もしかしたらアイボールさんの念話はこんな感じなのでしょうか!」

「そうですね。ですが、魔力がない人間に伝えるのは相当な魔力量が必要ですし、感じ取る側にも負担を強いられることになると思うので、そういった単純なことしか伝わらないのだと思います」

「そうなのですね……ああ、そう言われれば、少し頭が痛いです……でもこれは、緊張のせいかしら……一度、音読を失敗してしまったので……」

「少し、外の空気を吸って休まれてから戻りましょう」

 心配をしたバーニャがリーエンの隣にそっと寄り添う。護衛騎士に守られながら洞窟の外に出て、再び草原に戻るとリーエンはまた座り込んだ。アイボールは記録を終えた合図を護衛騎士に送る。

「リーエン様、記録を終了しました」

「そうですか……では、戻る前に……」

「水を飲まれますか?」

「いえ、頭は少し痛いのですが……その……わたし、魔界に来てから初めて外に出たのです……折角なので、もう少しだけここでぼんやりしても良いでしょうか」

 護衛騎士たちは顔を見合わせる。何にせよ、この場はあのゲートを使わない限りはなんぴとたりともやってこない場所。彼らが護衛騎士の役目も、リーエンを守るというよりは儀式の場に行く案内や、彼女の心労を減らす役目が強いと知っている。

「どうぞ、ごゆっくり。先程も言いましたが、リーエン様は早い方でしたし大丈夫ですよ」

 その答えにリーエンは痛むこめかみを抑えながらも

「よかった。みなさんも、食べかけだったスコーンを是非召し上がってください」

と笑った。
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