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朝まで共に
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夢を、見ていた。10年前の夢。
時折、あの神官様が夢に出てきて、自分はたまに泣き言を言ったりしていたけれど、こんなに鮮明に過去のことを時系列でそのまま夢に見ることなんてなかったのに。まるで、ようやく思い出したすべてを復習するかのように、あの、封じられていた神官様との一晩を。
はっきりと思い出したせいで、自分があの晩どれだけ、初めて会ったあの神官様を拠り所にしていたのかが今はわかる。お父様が先に行くと言って。心は急くけれど幼い自分は馬車に乗るしか出来なくて。そして、護衛の騎士達がいても心細くて。
出会ったばかりの見ず知らずの困っている他人。ミランダ様から教えていただいていた天啓の人。自分は「彼を助けてあげたい」と素直に思ったものの「この人が自分に生涯の助けとやらをくれるのだろうか?」と疑心暗鬼だった。とはいえ、年齢のせいか「知らない護衛騎士」より目の前にいる彼を近しく感じたのは事実だ。天啓をうけるほどの相手なのだと思えば、本当は一緒に屋敷に戻ってもっと色々話を聞いて、いつか再会出来るように約束もしたかった。
けれど、お母様の訃報やら馬車の乗り継ぎやらあれこれと目まぐるしすぎて、自分の感情をも持て余し、どうしてよいかわからなくなって。わたしは、ただただ彼に「いて欲しい」としか言えなくなっていった気がする。気がする、というのは、あの夜について、そこまで明確な感情すべてを覚えてはいないからだ。
ここで別れますと言った彼に行かないでと縋って。知らない人なのに馬車で2人きりになって。それらは、天啓を前もって聞いていなければ、絶対ありえないことだ。
自分は子供ゆえにうまく出来なくて、結局彼に何を言い出すことも出来ずに屋敷に近づいて。
「お屋敷まで行ってしまえば、奥方様がなくなったところに不躾にやってきたことになってしまいますので、自分はここで」
と、彼は手前で降りたいと申し出た。確かにそうかもしれない。彼を連れて行ってしまえば、もしかしたら天啓のことを気にしてお父様は客人として扱うかもしれないし、神官として何か出来ないかと無理を言い出すかもしれないし、自分もきっと彼をかまっていられなくなるだろう。子供心にも、そこで我儘を言うことは出来ず、仕方なく領地に入ってからほどなくして馬車を止めた。
「何もお返しを出来ませんが、あなたに祝福を」
「祝福?」
「はい。あなたがこの先、ありとあらゆる病魔から身を守られますように。本当は、あなたのご家族にも祝福を与えられれば良いのですが、今のわたしにはそう多くの人に与えることが許されていません」
「そうなんですか……」
「おっしゃったでしょう。お嬢様が風邪をひいた時に……嫌な子になるから、元気すぎるって笑われている方がいいと」
「あ……」
確かにその話はした。してしまっていた。ぽろりと漏れてしまった話を、きちんと彼が覚えていてくれたことが恥ずかしくて仕方がない。
――体が弱いお母様とお姉様のことをみんなが心配するのは当然のことなのに、わたし、自分がたまに具合が悪い時にそれをいいなぁって思っちゃうんです……具合が悪い時ってこんな風にみんなに心配してもらえて、こんなに優しくしてもらえるんだ……って……でも、そんなことを思うのは恥ずかしいことだから……そんな風に思いたくないから、わたし、元気でいたいの……たまに、自分が嫌な子になるから……元気すぎるって笑われてる方がいい……――
その時は特にそう思わなかったが、大人になった今なら思う。あれは、アルフレド様だった、と。子供の言葉を素直に受け取って、少し頓珍漢なことをしてしまうあたりがとてもとても彼らしい。
もともと、風邪をほとんど引かない健康な子供に更に病魔を遠ざける祝福をするなんて。それでは、その後の健康が祝福のせいなのかどうなのか判断しかねてありがたさも薄い。それに、確かに自分は体調不良の時に母や姉を羨むような良くない気持ちに苛まれることが嫌だと伝えていたけれど、それを短絡的に「では常に元気でいられるようにしよう」なんて、本当に。
本当に、アルフレド様らしい。大体間違っていないのに時々ちょっと間違って。理解しようといつも努めてくれるけれど、時々ちょっとだけズレている。いつも優しくて、誠実で、もう、わたしがどんな人間なのかもご存知なのに、だけどやっぱり時々信じられないところを間違える。
ああ、本当だ。今のアルフレド様も、あの頃のアルフレド様とあまりお変わりないんだわ。
リーエンは、そう思って「ふふ」と小さく笑い声をあげた。
「何か、楽しい夢を見ていたのか」
「……え……あっ……」
リーエンが目覚めると、アルフレドはベッドの上に座って、彼女を見下ろしていた。
「わたし……気絶していましたか……?」
「半刻ほどだ。そのまま朝まで寝ると思っていたが。起こしてしまったか」
「ここ……アルフレド様の寝室ですか……?」
「そうだ。ぐちゃぐちゃになっているあそこでお前を眠らせるのが忍びなかったのでな。片づけるための術を先にかけておけばよかったのだが……」
片づけるための術? 一体どんな便利な術があるのだろうかとリーエンは驚いたが、彼が言うことを理解することは難しいので、それについてはそれ以上触れない。
「アルフレド様は、ずっと起きていらしたんですか……?」
「ああ、ヴィンス達に話をして戻って来たところだ」
リーエンは体を起こそうとしたが力が入らず、諦めて横になったまま彼を見上げるだけだ。アルフレドはまだ全裸だったが翼と尻尾を消した状態だ。そこは整えるのに全裸のままヴィンスのところに行ったのか……とリーエンはまた驚いたけれど、それもまた「今更だ」と逆に驚く自分がおかしくなって来る。
「魔力暴走とやらは? 今はどういう状態なのでしょうか?」
「お前のおかげでインキュバス側が完全に落ち着いたのでな。魔力暴走の制御に集中出来たので、今は少し落ち着いている」
「それは」
良かったです、と言おうとしたが咳き込んでしまうリーエン。声がかすかに枯れているし、喉も乾いている。アルフレドはサイドテーブルに置いてあった水差しからグラスに水を注ぎ、リーエンに渡そうとした。が、彼女がまだ動けないことに気付いて、自分の口に水を含む。
「え、え……」
察したリーエンは恥ずかしがって拒もうとしたが、当然アルフレドはそれを許さない。口移しで水を与えられたリーエンは、うまく飲めず口端から半分は零れてしまう。
何も言わずにアルフレドは2度、3度とそれを繰り返し、最後に「うまく飲めたな」と言って彼女の口端を親指で拭ってやる。リーエンは何故か彼にそんな変な褒め方をされたことが恥ずかしくて返事が出来ない。
「このまま横になっているといい」
アルフレドはそう言ってリーエンの頭を撫でた。そういえば、図書館で褒めてくれた時に、慣れないのにこうやって頭を撫でてくれたな……と思い出すリーエン。体が重たい。腰が痛い。いや、体のあちこちがきしむような気がする。素直に「はい」と答えてベッドに体を預けるしかなかった。
「すまなかった。また、お前に無体を強いてしまった」
「……本当ですね」
リーエンは少しだけ意地悪くそう言ったが、勿論言うほどは怒っていない。予定よりは早かったし強引な形ではあったが、どうせインキュバス側の抑制を解いたアルフレドと体を重ねることは決まっていたのだし。
「申し訳ありません……動けなくて……あの、わたしの寝室の方の片づけ、というのは……」
「そのうち誰かがするだろう。お前が起きる頃には片付いているんじゃないか」
「あ……では、わたしは今晩は……ここで眠ることになるのでしょうか?」
まだ、彼らは朝まで共に過ごしたことがない。しかも、自分はまだ婚礼を終えていない、魔王妃候補の立場だ。妻になればともかく、今の時点で彼と一晩を過ごすことは問題ないのだろうかとリーエンは困惑の表情を浮かべた。が、アルフレドの答えは簡潔だ。
「何もおかしくないだろう。心が通じ合ったもの同士で体を重ねたなら、朝まで共にいたいと思うのはおかしいことなのか?」
心が通じ合った者同士。散々な目に遭わせたくせに、とリーエンは少しだけ思ったが、彼がリーエンの告白をきちんと覚えていてくれたのだと思うと恥ずかしくてそれ以上何も言えなくなってしまう。
「それに、俺はお前にきちんと謝らなければいけなかったしな。まったく、無理だった。その……お前に、呼ばれている気がして。そんなことは今までなかったのに。そう思った途端、自分の意識ですら無理矢理引っ張られるように転移をしていて……迷惑をかけてしまった。どうせ、巡礼を終えたら落ち着かせるために体を重ねるとはわかっていたが、きっと比較にならないほど酷いことをしてしまった」
「それはわかりませんよ。巡礼が終わった後に、アルフレド様がもっと安定していた保証もきっとないんでしょう? 予定外だったので驚きはしましたが……」
アルフレドは「すまなかった」ともう一度リーエンに謝罪をした。
「その……お前は、本当に、俺の、ことを……その、俺の気のせいでなければ今までそんなことは聞いてなかったし……認識阻害を解いたからだろうか? それとも、何か、こう、突然好きになってくれたのか? いや、それはないな。突然嫌われるならあるような気がするが……差し支えなければ、もう一度、その……好き、だと……言って欲しいのだが……」
あまりに歯切れの悪い彼の言葉を聞いて、リーエンは力なく、けれど心から面白く思えて笑い声をあげてしまう。
「……ふふ、ふ、ははっ……もう……アルフレド様は……素でもめちゃくちゃですね……」
「なに?」
心が通じ合った者同士、なんて自信満々で言っておきながら、リーエンが彼を好きだという言葉を直後では疑ってねだっているなんてわけがわからない。リーエンはくすくすと笑う。
いや、きっとこんな風に少しだけ間が抜けていて、少しだけ分かり合えないから好きになったのだろうと思う。だって、それがなかったらこの人は完璧すぎる。顔が良くて、声が良くて、多分体も良い、と言われるのだろうと思うし、権力があって、能力があって。今はわけあって魔力バランスとやらをとるのが難しくて時折暴走するが、本当はあるべき状態になればそんなことはほとんどないのだと聞いている。
自分の魔力制御のためとはいえ、魔界でもうほとんどの魔族が使っていない古い魔族語も習得して、毎日朝から晩まで執務をこなして、何かあれば自分が苦しむことがわかっていながら自分の魔力でなんとかして。それに苦痛が伴っていてもそうではない顔で過ごして。自分が生きる場所が魔界しかないからだと言いながらも、自分のすべきことにいつだって彼のように誠実でいられる者はそんなにはいないだろう。
時々会えば優しくて。ティータイムにはすぐ自分に果実のタルトを勧めてくれる。ああ、そうか。もしかしたらこの人は、自分がそれを好きだと知っていて、最初のティータイムから用意していてくれたのかもしれない。調べていたのか。だから。だから、あんなにドレスも自分好みのものばかりで。自分が知らない間に自分を迎えようと準備をしてくれて、でも、何も言わなかったのか……こんな状況になって、やっとこれまで見えなかったことが少しずつ見えて来る。リーエンは、ずっと悩んでいた自分が馬鹿みたいだと思ったが、そこには彼への糾弾はなかった。
「リーエン……? なんだ、そんなにその、俺の顔を見てどうした」
「いえ。本当に、あなたがわたしを好きだなんて、やっぱり信じられないなと思って……」
「何? どうしたら信じてもらえるんだ? 俺は、もう一度お前が俺を好きだと言ってくれたら、それだけでその言葉を信じるというのに」
溜息をつくアルフレド。
「俺は、その、お前が俺を好きになるほどは、もしかしたら男として足りていないのかもしれないが……だが、俺自身の俺への評価はおいて、俺はお前の言葉を信じるだけだ。お前は同じように……俺の言葉を……いや、それは信じられないだろうな……ずっと隠し事をしていて……お前の脳まで弄っていた男を信じろなんて……あまつさえ予定外にお前を乱暴に抱いて……」
言えば言うほど、どれだけ自分がリーエンに勝手なことをしていたのかが明らかになって自分に思い知らせてしまう。魔族であればそれらはどれも「まあ仕方ないだろ」ぐらいで片づけることなのだが、残念ながらアルフレドは魔王でありながら魔族らしさが薄い。彼は自分で自分がここまでやらかしていたことを反芻して声がどんどん小さくなってしまう。
「それはそうか……信頼に足ることを俺はしていなかったのだろうしな……」
「アルフレド様、好きです」
「……!?」
不意打ちにアルフレドは目を見開き、リーエンを見る。
「も、う一度」
「好きです」
「……不意打ちはずるいだろう……俺も、お前が好きだ」
「嬉しいです……ふふ、信じます」
「ああ……そうだな、嬉しいものだ、これは……」
そういうと、アルフレドは横たわるリーエンに覆い被さって、啄むようなキスをした。リーエンは彼との口づけに慣れたわけではなかったが、素直にそれを受け入れる。
ちゅ、ちゅ、と下唇を、上唇と食べられるような、慈しむようなキスは、それ以上のことはないのに不思議とリーエンの心を満たした。あんな無体を強いられたが、本当はこれほどに大切にされているのだ。それを実感すれば、じんわりと胸の奥に熱が広がっていく。
「まだ、朝まで時間がある。眠れそうなら眠った方がいい。もし、眠れないなら、俺が眠らせるが」
アルフレドはそう言いながら自分もベッドに横になって、リーエンの体を引き寄せる。まだお互い全裸のため、リーエンは恥ずかしいと思ったものの、彼の腕の中に収まれば、その温かさが心地よくて自然と自分から身を寄せてしまう。
「あ……眠れそうです……」
体が重たい。やたらベッドに自分の体が沈むように感じる。枕のように回されたアルフレドの腕は痛くないのだろうかと思うが、それを言葉にする前にずるりと暗い世界に意識が沈んでいく。
「好きだ……大切にする……大切にするから……」
アルフレドが何かを呟く声がぼんやりと聞こえるが、リーエンは意味を考えられない場所に意識がある。髪を撫でられ、気持ちが良い、もっとして欲しい、と思いながら、一瞬で眠りについてしまう。
彼女が深く眠ったことを知りながら、アルフレドはしばらくの間、彼女の髪を撫で、額に口付けて、頬に口付ける。そして、最後に慈しむような瞳で彼女を見てから、彼も眠りについたのだった。
時折、あの神官様が夢に出てきて、自分はたまに泣き言を言ったりしていたけれど、こんなに鮮明に過去のことを時系列でそのまま夢に見ることなんてなかったのに。まるで、ようやく思い出したすべてを復習するかのように、あの、封じられていた神官様との一晩を。
はっきりと思い出したせいで、自分があの晩どれだけ、初めて会ったあの神官様を拠り所にしていたのかが今はわかる。お父様が先に行くと言って。心は急くけれど幼い自分は馬車に乗るしか出来なくて。そして、護衛の騎士達がいても心細くて。
出会ったばかりの見ず知らずの困っている他人。ミランダ様から教えていただいていた天啓の人。自分は「彼を助けてあげたい」と素直に思ったものの「この人が自分に生涯の助けとやらをくれるのだろうか?」と疑心暗鬼だった。とはいえ、年齢のせいか「知らない護衛騎士」より目の前にいる彼を近しく感じたのは事実だ。天啓をうけるほどの相手なのだと思えば、本当は一緒に屋敷に戻ってもっと色々話を聞いて、いつか再会出来るように約束もしたかった。
けれど、お母様の訃報やら馬車の乗り継ぎやらあれこれと目まぐるしすぎて、自分の感情をも持て余し、どうしてよいかわからなくなって。わたしは、ただただ彼に「いて欲しい」としか言えなくなっていった気がする。気がする、というのは、あの夜について、そこまで明確な感情すべてを覚えてはいないからだ。
ここで別れますと言った彼に行かないでと縋って。知らない人なのに馬車で2人きりになって。それらは、天啓を前もって聞いていなければ、絶対ありえないことだ。
自分は子供ゆえにうまく出来なくて、結局彼に何を言い出すことも出来ずに屋敷に近づいて。
「お屋敷まで行ってしまえば、奥方様がなくなったところに不躾にやってきたことになってしまいますので、自分はここで」
と、彼は手前で降りたいと申し出た。確かにそうかもしれない。彼を連れて行ってしまえば、もしかしたら天啓のことを気にしてお父様は客人として扱うかもしれないし、神官として何か出来ないかと無理を言い出すかもしれないし、自分もきっと彼をかまっていられなくなるだろう。子供心にも、そこで我儘を言うことは出来ず、仕方なく領地に入ってからほどなくして馬車を止めた。
「何もお返しを出来ませんが、あなたに祝福を」
「祝福?」
「はい。あなたがこの先、ありとあらゆる病魔から身を守られますように。本当は、あなたのご家族にも祝福を与えられれば良いのですが、今のわたしにはそう多くの人に与えることが許されていません」
「そうなんですか……」
「おっしゃったでしょう。お嬢様が風邪をひいた時に……嫌な子になるから、元気すぎるって笑われている方がいいと」
「あ……」
確かにその話はした。してしまっていた。ぽろりと漏れてしまった話を、きちんと彼が覚えていてくれたことが恥ずかしくて仕方がない。
――体が弱いお母様とお姉様のことをみんなが心配するのは当然のことなのに、わたし、自分がたまに具合が悪い時にそれをいいなぁって思っちゃうんです……具合が悪い時ってこんな風にみんなに心配してもらえて、こんなに優しくしてもらえるんだ……って……でも、そんなことを思うのは恥ずかしいことだから……そんな風に思いたくないから、わたし、元気でいたいの……たまに、自分が嫌な子になるから……元気すぎるって笑われてる方がいい……――
その時は特にそう思わなかったが、大人になった今なら思う。あれは、アルフレド様だった、と。子供の言葉を素直に受け取って、少し頓珍漢なことをしてしまうあたりがとてもとても彼らしい。
もともと、風邪をほとんど引かない健康な子供に更に病魔を遠ざける祝福をするなんて。それでは、その後の健康が祝福のせいなのかどうなのか判断しかねてありがたさも薄い。それに、確かに自分は体調不良の時に母や姉を羨むような良くない気持ちに苛まれることが嫌だと伝えていたけれど、それを短絡的に「では常に元気でいられるようにしよう」なんて、本当に。
本当に、アルフレド様らしい。大体間違っていないのに時々ちょっと間違って。理解しようといつも努めてくれるけれど、時々ちょっとだけズレている。いつも優しくて、誠実で、もう、わたしがどんな人間なのかもご存知なのに、だけどやっぱり時々信じられないところを間違える。
ああ、本当だ。今のアルフレド様も、あの頃のアルフレド様とあまりお変わりないんだわ。
リーエンは、そう思って「ふふ」と小さく笑い声をあげた。
「何か、楽しい夢を見ていたのか」
「……え……あっ……」
リーエンが目覚めると、アルフレドはベッドの上に座って、彼女を見下ろしていた。
「わたし……気絶していましたか……?」
「半刻ほどだ。そのまま朝まで寝ると思っていたが。起こしてしまったか」
「ここ……アルフレド様の寝室ですか……?」
「そうだ。ぐちゃぐちゃになっているあそこでお前を眠らせるのが忍びなかったのでな。片づけるための術を先にかけておけばよかったのだが……」
片づけるための術? 一体どんな便利な術があるのだろうかとリーエンは驚いたが、彼が言うことを理解することは難しいので、それについてはそれ以上触れない。
「アルフレド様は、ずっと起きていらしたんですか……?」
「ああ、ヴィンス達に話をして戻って来たところだ」
リーエンは体を起こそうとしたが力が入らず、諦めて横になったまま彼を見上げるだけだ。アルフレドはまだ全裸だったが翼と尻尾を消した状態だ。そこは整えるのに全裸のままヴィンスのところに行ったのか……とリーエンはまた驚いたけれど、それもまた「今更だ」と逆に驚く自分がおかしくなって来る。
「魔力暴走とやらは? 今はどういう状態なのでしょうか?」
「お前のおかげでインキュバス側が完全に落ち着いたのでな。魔力暴走の制御に集中出来たので、今は少し落ち着いている」
「それは」
良かったです、と言おうとしたが咳き込んでしまうリーエン。声がかすかに枯れているし、喉も乾いている。アルフレドはサイドテーブルに置いてあった水差しからグラスに水を注ぎ、リーエンに渡そうとした。が、彼女がまだ動けないことに気付いて、自分の口に水を含む。
「え、え……」
察したリーエンは恥ずかしがって拒もうとしたが、当然アルフレドはそれを許さない。口移しで水を与えられたリーエンは、うまく飲めず口端から半分は零れてしまう。
何も言わずにアルフレドは2度、3度とそれを繰り返し、最後に「うまく飲めたな」と言って彼女の口端を親指で拭ってやる。リーエンは何故か彼にそんな変な褒め方をされたことが恥ずかしくて返事が出来ない。
「このまま横になっているといい」
アルフレドはそう言ってリーエンの頭を撫でた。そういえば、図書館で褒めてくれた時に、慣れないのにこうやって頭を撫でてくれたな……と思い出すリーエン。体が重たい。腰が痛い。いや、体のあちこちがきしむような気がする。素直に「はい」と答えてベッドに体を預けるしかなかった。
「すまなかった。また、お前に無体を強いてしまった」
「……本当ですね」
リーエンは少しだけ意地悪くそう言ったが、勿論言うほどは怒っていない。予定よりは早かったし強引な形ではあったが、どうせインキュバス側の抑制を解いたアルフレドと体を重ねることは決まっていたのだし。
「申し訳ありません……動けなくて……あの、わたしの寝室の方の片づけ、というのは……」
「そのうち誰かがするだろう。お前が起きる頃には片付いているんじゃないか」
「あ……では、わたしは今晩は……ここで眠ることになるのでしょうか?」
まだ、彼らは朝まで共に過ごしたことがない。しかも、自分はまだ婚礼を終えていない、魔王妃候補の立場だ。妻になればともかく、今の時点で彼と一晩を過ごすことは問題ないのだろうかとリーエンは困惑の表情を浮かべた。が、アルフレドの答えは簡潔だ。
「何もおかしくないだろう。心が通じ合ったもの同士で体を重ねたなら、朝まで共にいたいと思うのはおかしいことなのか?」
心が通じ合った者同士。散々な目に遭わせたくせに、とリーエンは少しだけ思ったが、彼がリーエンの告白をきちんと覚えていてくれたのだと思うと恥ずかしくてそれ以上何も言えなくなってしまう。
「それに、俺はお前にきちんと謝らなければいけなかったしな。まったく、無理だった。その……お前に、呼ばれている気がして。そんなことは今までなかったのに。そう思った途端、自分の意識ですら無理矢理引っ張られるように転移をしていて……迷惑をかけてしまった。どうせ、巡礼を終えたら落ち着かせるために体を重ねるとはわかっていたが、きっと比較にならないほど酷いことをしてしまった」
「それはわかりませんよ。巡礼が終わった後に、アルフレド様がもっと安定していた保証もきっとないんでしょう? 予定外だったので驚きはしましたが……」
アルフレドは「すまなかった」ともう一度リーエンに謝罪をした。
「その……お前は、本当に、俺の、ことを……その、俺の気のせいでなければ今までそんなことは聞いてなかったし……認識阻害を解いたからだろうか? それとも、何か、こう、突然好きになってくれたのか? いや、それはないな。突然嫌われるならあるような気がするが……差し支えなければ、もう一度、その……好き、だと……言って欲しいのだが……」
あまりに歯切れの悪い彼の言葉を聞いて、リーエンは力なく、けれど心から面白く思えて笑い声をあげてしまう。
「……ふふ、ふ、ははっ……もう……アルフレド様は……素でもめちゃくちゃですね……」
「なに?」
心が通じ合った者同士、なんて自信満々で言っておきながら、リーエンが彼を好きだという言葉を直後では疑ってねだっているなんてわけがわからない。リーエンはくすくすと笑う。
いや、きっとこんな風に少しだけ間が抜けていて、少しだけ分かり合えないから好きになったのだろうと思う。だって、それがなかったらこの人は完璧すぎる。顔が良くて、声が良くて、多分体も良い、と言われるのだろうと思うし、権力があって、能力があって。今はわけあって魔力バランスとやらをとるのが難しくて時折暴走するが、本当はあるべき状態になればそんなことはほとんどないのだと聞いている。
自分の魔力制御のためとはいえ、魔界でもうほとんどの魔族が使っていない古い魔族語も習得して、毎日朝から晩まで執務をこなして、何かあれば自分が苦しむことがわかっていながら自分の魔力でなんとかして。それに苦痛が伴っていてもそうではない顔で過ごして。自分が生きる場所が魔界しかないからだと言いながらも、自分のすべきことにいつだって彼のように誠実でいられる者はそんなにはいないだろう。
時々会えば優しくて。ティータイムにはすぐ自分に果実のタルトを勧めてくれる。ああ、そうか。もしかしたらこの人は、自分がそれを好きだと知っていて、最初のティータイムから用意していてくれたのかもしれない。調べていたのか。だから。だから、あんなにドレスも自分好みのものばかりで。自分が知らない間に自分を迎えようと準備をしてくれて、でも、何も言わなかったのか……こんな状況になって、やっとこれまで見えなかったことが少しずつ見えて来る。リーエンは、ずっと悩んでいた自分が馬鹿みたいだと思ったが、そこには彼への糾弾はなかった。
「リーエン……? なんだ、そんなにその、俺の顔を見てどうした」
「いえ。本当に、あなたがわたしを好きだなんて、やっぱり信じられないなと思って……」
「何? どうしたら信じてもらえるんだ? 俺は、もう一度お前が俺を好きだと言ってくれたら、それだけでその言葉を信じるというのに」
溜息をつくアルフレド。
「俺は、その、お前が俺を好きになるほどは、もしかしたら男として足りていないのかもしれないが……だが、俺自身の俺への評価はおいて、俺はお前の言葉を信じるだけだ。お前は同じように……俺の言葉を……いや、それは信じられないだろうな……ずっと隠し事をしていて……お前の脳まで弄っていた男を信じろなんて……あまつさえ予定外にお前を乱暴に抱いて……」
言えば言うほど、どれだけ自分がリーエンに勝手なことをしていたのかが明らかになって自分に思い知らせてしまう。魔族であればそれらはどれも「まあ仕方ないだろ」ぐらいで片づけることなのだが、残念ながらアルフレドは魔王でありながら魔族らしさが薄い。彼は自分で自分がここまでやらかしていたことを反芻して声がどんどん小さくなってしまう。
「それはそうか……信頼に足ることを俺はしていなかったのだろうしな……」
「アルフレド様、好きです」
「……!?」
不意打ちにアルフレドは目を見開き、リーエンを見る。
「も、う一度」
「好きです」
「……不意打ちはずるいだろう……俺も、お前が好きだ」
「嬉しいです……ふふ、信じます」
「ああ……そうだな、嬉しいものだ、これは……」
そういうと、アルフレドは横たわるリーエンに覆い被さって、啄むようなキスをした。リーエンは彼との口づけに慣れたわけではなかったが、素直にそれを受け入れる。
ちゅ、ちゅ、と下唇を、上唇と食べられるような、慈しむようなキスは、それ以上のことはないのに不思議とリーエンの心を満たした。あんな無体を強いられたが、本当はこれほどに大切にされているのだ。それを実感すれば、じんわりと胸の奥に熱が広がっていく。
「まだ、朝まで時間がある。眠れそうなら眠った方がいい。もし、眠れないなら、俺が眠らせるが」
アルフレドはそう言いながら自分もベッドに横になって、リーエンの体を引き寄せる。まだお互い全裸のため、リーエンは恥ずかしいと思ったものの、彼の腕の中に収まれば、その温かさが心地よくて自然と自分から身を寄せてしまう。
「あ……眠れそうです……」
体が重たい。やたらベッドに自分の体が沈むように感じる。枕のように回されたアルフレドの腕は痛くないのだろうかと思うが、それを言葉にする前にずるりと暗い世界に意識が沈んでいく。
「好きだ……大切にする……大切にするから……」
アルフレドが何かを呟く声がぼんやりと聞こえるが、リーエンは意味を考えられない場所に意識がある。髪を撫でられ、気持ちが良い、もっとして欲しい、と思いながら、一瞬で眠りについてしまう。
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