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客人の正体
しおりを挟むなにもなかったとはいえ、噂が広まれば厄介なことになる。
私は殿下の心遣いに感謝した。
「あの、アデール様……もしかして、お客様がいらしていたのではありませんか?」
「え?あぁ……ええ、そうなのよ」
ずっと、正面に停まっていた馬車のことが気になっていた。
アデール様は優しい方だから、来客のことも、私に遠慮して自分からは言い出さないだろう。
「では、私のせいでその方をお待たせしてしまっているのではありませんか?」
「大丈夫よ。今はそんなこと気になさらないで」
客人を待たせるなんて、アデール様の評判にもかかわる。
そんなわけにはいかないと首を振ると、アデール様は困ったように微笑んだ。
「こんな時にまで私の心配なんて……リリティス様は本当にお優しいのね。でも安心なさって。最近お知り合いになった方なのだけれど、今家人の案内で、庭の薔薇を見ていただいてるから」
「そうですか……」
アデール様がそう言うのならと、私は素直に甘えることにした。
アデール様は改めて私の姿を見ると、ソファから立ち上がった。
「まずはお着替えね。私のもので申し訳ないけれど、いくつか見繕ってくるわ」
アデール様のドレスは最上級の素材を用いたものばかり。
こんな状態の私には勿体ない。
この際使用人に支給している制服でも構わないのだが、それを伝えると横にいた殿下は笑い、アデール様からは『私がリリティス様にそんな服を着せるわけがないでしょう』と叱られた。
再び殿下と二人きりになり、手持ち無沙汰な私は大窓から見える景色を眺めた。
客人は庭で薔薇を見ているとのことだが、それならきっと、待たされていることも気にならないだろう。
なにせポワレ公爵邸の薔薇は時間を忘れるほどに素晴らしく、私も初めて見た時は名残惜しくて、なかなかその場から離れることができなかった。
(……あら……?)
少し先に見える生け垣の側に、ドレスの裾だろうか、柔らかな水色の布地が見え隠れしている。
(もしかして、お客様かしら)
アデール様が最近知り合ったというお友だち。
ただ単純に興味が湧いた私は立ち上がり、まだ少しふらつく足で大窓の側に寄った。
いつもなら詮索するような真似はしないのに、なぜかこの時、相手の顔を見たくなった。
『アデール様の一番のお友だちは私』なんていう、子どもじみた焼きもちも手伝ったのだと思う。
窓枠の柱につかまり、生け垣に目を向けた私の目に映ったのは、予想もしない人物だった。
「……クロエ……デヴォン……?」
見間違いかと思ったが、違う。
案内役の家人の横で、眩しそうに目を細め、薔薇を見ているのは、自分を罠に嵌め死に追いやった女。
殿下とともに、二度とかかわるまいと思ったもう一人の人間。
心臓が痛いほど脈打ち、うまく呼吸ができない。
「おい、大丈夫か」
頭が真っ白になりかけた私を、殿下の声が引き戻した。
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