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銀の花
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声につられ、誘いにつられ。結局自分の意志とは反対のことを、僕はいつもしてしまっている。君が望むならそれでいいとか言って、判断や決断をその人に押し付けて、ただ僕はそれでいいとか言って聞き分けがいいふりをして。実は負担を負いたくないだけ。
そんな人生を送り続けてきた。
今ここにいることだって、言ってしまえばその場のノリ。
愛夜さんは望むだろうか。
そんなことを考えながら病室の前まできた。すると中から何やら会話声がした。
盗み聞きは悪い事だと思うが、ここで入っていく勇気もなかった。
「だいたい、なんで私があんたのとこ来なきゃなんないわけ?」
「来たくないなら来なければいいのに…」
「はぁ!?何その言い方!頼んでませんとでもいうわけ!?」
中からした声は明らかに聞き覚えがあって、少し怖くなった。
「あんたんとこのクソババアがしつこいから来てやってんじゃん!」
「ちょっと」
中の様子はイマイチ掴めない。でも、やばいのは分かっていた。
でも、止めに入る勇気なんて持ち合わせてなかった。
「そもそも永遠に死ねない病気って何?妖怪じゃん」
笑いながら言ってるのが少しだけどわかった。
「そんなやつと同じ空気吸いたくねぇし、早く死ねよ」
「え?」
「早く死ねっての!面倒なんだよてめぇ!点滴なんかとってさっさと投げ出せば?私がどれだけ苦労してると思ってんの!?家と真反対の方向にわざわざ週一で来て、死んでほしい相手と何分も同じ空気すんのは嫌!!」
そんな言葉を聞いてる最中に嫌気がさした。
胸の奥がムカムカとした。今まで誰かに怒るというような感情は湧いたことがなかった。でも、今回だけは何故か、許し難いと心の中で思っていた。
考えるよりも先に、勇気を振り絞るよりも先に、体は行動を起こした。
「あ、あの!」
ドアを勢いよくあけて、中で行われた会話を止めた。
やっぱり未来ちゃんだ。
未来ちゃんは驚いた顔をしたあとで、僕を睨み返した。
「聞いてたの?」
でも、未来ちゃんは声を荒げずに静かに言った。本気で怒ってる時の未来ちゃんは、声がすごく低くなって、静かになる。
「盗み聞き?サイッテー」
「未来ちゃんは同じこと言えるの?」
「はぁ?」
臆している暇はない。
「あんなこと言って傷つけて、その、未来ちゃんがしてることは、僕よりも最低で酷いことだと思うよ」
「何カッコつけてんの?あのね、あんたにわかんないでしょうけど、私は少しでも多く勉強して、成績5位以内じゃないと親から認めてもらえないの!」
未来ちゃんはとうとう声を荒らげた。
「親のいないアンタには何もわかんないわよ!!少しでも点を下げた日にはご飯は抜き、赤点なんてとってみろよ!殺されるに決まってんだよ!!あんたと違って、私は、忙しいのよ!!」
「それが、人を傷つけていい理由なるの?未来ちゃん、本当は」
「なによ!!疎遠になって落ちこぼれた癖に偉そうに!!」
「それは……」
「あんたみたいな存在価値のないゴミクズと私は別世界なの!」
「そんなこと言う必要ないでしょ?」
その一喝で、僕はハッとなった。横を見ると愛夜さんがいたんだ。
「口挟んでくんなクソ女!」
未来ちゃんは愛夜さんにそう怒鳴ると、僕の胸ぐらを掴んできた。
「あんたのこと一生許さないから。わかった気になって偉そうなこと言うな」
低い声でそう言うと、勢いよく手を離して病室を去っていった。未来ちゃんが去ると、一気に大量の溜め込んでいた息が溢れ出た。
「すみません愛夜さん、幼馴染が」
その瞬間、言葉が詰まった。
なんて言えばいいのかわからないとかじゃない。ただ、目の前の光景におどろいていた。
「………ごめんね…」
愛夜さんは、僕にそう言いながら泣いていた。
「永命なんて……はやく、死ねたらいいのにね」
静かに愛夜さんはそう言った。
それは、ぼくが死にたいと思う感情とは違った。というより、同じにしてはいけないと思った。愛夜さんの望む死は、きっと誰かの元へ行くということ。でも、僕が望む死は、ただ死ぬということ。
何年生きてるかもわからない愛夜さんは、きっと不安と不満と恐怖でいっぱいなんだと思う。初めてあった時は20年だと言っていたけど、本音のところはよく分からないらしい。
僕はそんな人が望む死を、理解できるのだろうか。
僕はそんな人と同じ死を、迎えてもいいのだろうか。
愛夜さんのその言葉を聞いたあと、僕は何も言えないまま立ち尽くしていた。2人のあいだに沈黙が落ちて、気まずくなる。いや、気まずく思っているのは僕だけかもしれない。すると、ドアが開いて看護師が入ってきた。
「時雨さん、時間です」
看護師がそう言うと、愛夜さんは何も言わずにベッドから起き上がって看護師のほうへいこうした。と、その前に、僕の耳元で囁いた。
「ありがと、嬉しかったよ。また明日ね、楽しみにしてる」
愛夜さんはそう言って、顔を伏せたまま去ってしまった。
僕は何も言えなかった。
言葉を選びすぎて、気づけば愛夜さんはもう行ってしまった。
僕だけが残った白い空間に、風の音が軋んでいるように聞こえた。
ミシミシと、キシキシと音を立てて、開かずの間の古い扉が壊れるように、扉の奥から何かが溢れて押し出されるように、心の扉は壊れてしまった。目からはぬるいものが流れた。
溢れて、溢れて止まらなかった。
それは悲しみだろうか。哀れみだろうか。憎しみだろうか。痛みだろうか。罪悪感だろうか。背を向けた虚無な背中が、とても小さく見えた。
その日の帰り、僕は未だに悩んでいた。
それは、明日の誕生日にプレゼントするもの。
結局アヤメはどこにもなくて、プレゼントをアヤメにすることはできなそうだ。
考えて考えて考えていたら、頭の中に愛夜さんが浮かんだ。
初めて会った時ハッとなった。
銀色の髪、美しいその容姿、輝く笑顔は、何者にも変えられない何かがあった。
そして僕はハッとなった。
「銀色……」
考えるよりも先に体は動いた。家から反対の方向へ、走って何分か。何メートルか。
花屋の前に来ると、急に雨が降り出した。
僕はそんなことには構わないで、花屋の中に入って、思い立つままに花を探した。
「何をお探しですか?」
白いエプロンつけた、キレイめで優しそうな女性が声をかけてきた。
「あの、今から僕がいうイメージで花束を作れますか?」
「はい。お任せ下さい」
「えっと、銀色の髪の毛で、笑顔が可愛くて、優しくて、明るくて面白い。でも、自分より他人のことを優先して、どこか脆そうな人に、プレゼントで花を渡したいんです」
「……わかりました。しばらくお待ちください」
女性はそう言うと、軽く礼をして店の奥へ入っていった。
その間、僕は店の中の整った花を見て回った。
季節折々。赤青黄色、春の終わり夏のはじまりを感じさせる爽やかな空間に、甘い花の匂い。けれど花ばかりではなく、観賞用のサボテンやら装飾物が売っていた。
初めて、こんなに目の前でしっかりと花を見た気がした。
いつも街中は花なんてなくて、生えているのは見覚えのない雑草ばかり。花を見かけても見かけるだけ。下手をすると花の存在にも気がつかない。
うるさくなった街の中で、ここが唯一花を間近でしっかりと見られる場所。
そういえばいつか、愛夜さんもここが好きだと言っていた。
花が沢山あることも理由の一つ。だけど、それだけじゃないよ。
愛夜さんの言葉が、頭の中で反芻する。特に深い意味は無いような気がしていたが、こうして来てみると、「それだけじゃない」の言葉の先が知りたくなった。明日愛夜さんに花を渡した時に言えるだろうか。
そんなことを考えながら、コツコツと音を鳴らす時計を見つめていた。アンティークな時計だけど、そんなに使い古した感じはしなくて、つい最近買い換えたわけでもなさうだった。
少し考えていると、奥から花束を丁寧に両手で持った女性が出てきた。その花束を見た瞬間、それがすぐに素敵なものだとわかった。
「こちらでどうでしょう」
女性がそう言って、僕はその花束をよく見つめた。
白く輝くカーネーションが、間に挟まれてた緑色の草に映えていた。それはとても美しかった。でも、あの陽気な愛夜さんを思い出した瞬間、少し逸れた気がしたけど、いい意味ならいいと思った。
「素敵です。ありがとうございます」
「彼女さん、喜びますよ」
そう言われ、僕は否定しようと思ったが、言葉は出なかった。あんな人とそんな関係なら、どれだけ毎日楽しいのだろう。そう思うと、やっぱり会いたくなった。
僕はそれをそのまま手で大切に持って、家に帰った。
枯らさないように、ネットで調べた方法で自分の部屋で保管した。
その花を見て、少しと思ったことがあった。でも僕はそれを、心に起こすことも、口にして起こすことも何も出来なかった。
翌日の朝、僕はまたいつも通りに学校へ行った。
でも、生徒玄関の下駄箱にあったはずの僕の上履きは、どこにもなかった。不意に気になってすぐ横のゴミ箱を見ると、僕の上履きが散々な状態で捨てられていた。主犯が誰なのかはなんとなく察しがついた。けれど、問い詰める勇気なんか少しもなかった。
「許さないから」
そういうことだったんだと思った。嫌な予感はしてたし、なにか良くないことが起こることもなんとなく予感はしてた。でも、まさかそれが形をなすとは思っていなかった。
そんなテンションで教室へ行くと、机の上にはマーカーペンで書かれたような字で、「死ね」と雑にあった。
僕は悲しむより先に驚いた。
クスクスと笑い声が聞こえてきて、少し切なくなった。でも、犯人がわかっている分、少し余裕もあった。
僕はたまたま持っていたウェットティッシュでそれを落とそうとした。なかなか落ちなかったが、擦り続けたらようやくマシにはなった。
その後も嫌がらせは続いた。
物理の教科書はいきなり消えるし、ノートはビリビリに裂かれてゴミ箱へ。筆箱の中身は水浸し。ロッカーに入れておいたはずの財布とお金もどこかへ消えてしまった。
1日に色々なことが起こりすぎて、少し疲れてしまっていた。
僕は少し嫌になって、未来ちゃんを見つけて腕を掴んだ。
「何でこんなことするんだよ」
未来ちゃんは僕の手を振りほどいてめんどくさそうに答えた。
「あんたが悪いんでしょ。ウザイんだよ、失せろ」
きつく睨まれてそう言われ、僕は何も言い返せずにその場に立ち尽くした。そんなことで泣くほど弱い男じゃない。けれど、悲しくはなった。たったあれだけのことで、こんなにも他人が怖くなるなんて、考えてもいなかった。
放課後になり、校門の外。僕は心を落ち着かせて前を見た。
そうだ。きょうは、愛夜さんの誕生日だ。
僕は家に飛び帰って、さっさと病院へ向かった。
中に着いて病室へ行くと、いつも通り愛夜さんはベッドに座って本を読んでいた。あの、タイトルのわからない不思議な本だ。
「また来てくれたんだね」
愛夜さんは微笑んでそう言った。
「手に持ってるの、何?」
愛夜さんは不思議そうに言った。
「これ、誕生日プレゼントです」
「すごーい!誕生日に花もらったの初めて!」
愛夜さんはとても嬉しそうに言った。目をキラキラと輝かせて。
僕は両手で抱えた白いカーネーションの花束を、愛夜さんの手へ渡した。
「白のカーネーション、素敵だね!」
「気に入ってくれて、よかったです」
「何かあった?」
僕はそんなに重そうな顔をしていたのか、愛夜さんが顔を覗かせてそう言った。心配げに見つめてくるその目に、なぜか緊張して目を逸らしてしまった。
「私が何年長生きしてると思ってるの。嘘くらい見抜けるよ」
愛夜さんが自慢げに胸を張って言った。
「……そうですね」
「話を聞かせて?いつもそばにいてくれる君に恩返し」
愛夜さんは最後にそういうと、その後は何も言わなかった。僕も何も言えなかった。何も言えない僕を、責めもせず急かすこともなく黙って待ち続けてくれた。
二人の間に沈黙が落ちて、風が青々とした木々に当たる音がした。
「………死ねって言われたら、愛夜さんはどうしますか?」
「私?」
僕はそんなことを聞いていた。愛夜さんは困った様子で固まった。
「うーん……死ねって言われても死ねないからなぁ」
「もし、病気じゃなかったら?」
「んー、でも私、病気になってない自分を想像出来ないし…」
しまった。僕は愛夜さんをとことん悩ませていた。
「あ、いや、すみません。なんか、無神経なこと聞いてしまって」
不意に我に返って、なぜか愛夜さんに謝った。
「いいよ。ね、私の話も聞いてくれる?」
愛夜さんは「その代わり」と言わん顔をして言った。
「いいですよ」
少しだけ口角が緩んできた。微笑むことも出来た。
愛夜さんは静かに口を開いて、風のように静かに語った。
その話を聞いた時、僕は今までの自分を後悔するとともに、「死ね」と罵った未来ちゃんに悲しみと僅かな憎悪を抱いた。
そんな人生を送り続けてきた。
今ここにいることだって、言ってしまえばその場のノリ。
愛夜さんは望むだろうか。
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盗み聞きは悪い事だと思うが、ここで入っていく勇気もなかった。
「だいたい、なんで私があんたのとこ来なきゃなんないわけ?」
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「はぁ!?何その言い方!頼んでませんとでもいうわけ!?」
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「あんたんとこのクソババアがしつこいから来てやってんじゃん!」
「ちょっと」
中の様子はイマイチ掴めない。でも、やばいのは分かっていた。
でも、止めに入る勇気なんて持ち合わせてなかった。
「そもそも永遠に死ねない病気って何?妖怪じゃん」
笑いながら言ってるのが少しだけどわかった。
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「え?」
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そんな言葉を聞いてる最中に嫌気がさした。
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考えるよりも先に、勇気を振り絞るよりも先に、体は行動を起こした。
「あ、あの!」
ドアを勢いよくあけて、中で行われた会話を止めた。
やっぱり未来ちゃんだ。
未来ちゃんは驚いた顔をしたあとで、僕を睨み返した。
「聞いてたの?」
でも、未来ちゃんは声を荒げずに静かに言った。本気で怒ってる時の未来ちゃんは、声がすごく低くなって、静かになる。
「盗み聞き?サイッテー」
「未来ちゃんは同じこと言えるの?」
「はぁ?」
臆している暇はない。
「あんなこと言って傷つけて、その、未来ちゃんがしてることは、僕よりも最低で酷いことだと思うよ」
「何カッコつけてんの?あのね、あんたにわかんないでしょうけど、私は少しでも多く勉強して、成績5位以内じゃないと親から認めてもらえないの!」
未来ちゃんはとうとう声を荒らげた。
「親のいないアンタには何もわかんないわよ!!少しでも点を下げた日にはご飯は抜き、赤点なんてとってみろよ!殺されるに決まってんだよ!!あんたと違って、私は、忙しいのよ!!」
「それが、人を傷つけていい理由なるの?未来ちゃん、本当は」
「なによ!!疎遠になって落ちこぼれた癖に偉そうに!!」
「それは……」
「あんたみたいな存在価値のないゴミクズと私は別世界なの!」
「そんなこと言う必要ないでしょ?」
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「口挟んでくんなクソ女!」
未来ちゃんは愛夜さんにそう怒鳴ると、僕の胸ぐらを掴んできた。
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低い声でそう言うと、勢いよく手を離して病室を去っていった。未来ちゃんが去ると、一気に大量の溜め込んでいた息が溢れ出た。
「すみません愛夜さん、幼馴染が」
その瞬間、言葉が詰まった。
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「………ごめんね…」
愛夜さんは、僕にそう言いながら泣いていた。
「永命なんて……はやく、死ねたらいいのにね」
静かに愛夜さんはそう言った。
それは、ぼくが死にたいと思う感情とは違った。というより、同じにしてはいけないと思った。愛夜さんの望む死は、きっと誰かの元へ行くということ。でも、僕が望む死は、ただ死ぬということ。
何年生きてるかもわからない愛夜さんは、きっと不安と不満と恐怖でいっぱいなんだと思う。初めてあった時は20年だと言っていたけど、本音のところはよく分からないらしい。
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僕はそんな人と同じ死を、迎えてもいいのだろうか。
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「時雨さん、時間です」
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「ありがと、嬉しかったよ。また明日ね、楽しみにしてる」
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僕は何も言えなかった。
言葉を選びすぎて、気づけば愛夜さんはもう行ってしまった。
僕だけが残った白い空間に、風の音が軋んでいるように聞こえた。
ミシミシと、キシキシと音を立てて、開かずの間の古い扉が壊れるように、扉の奥から何かが溢れて押し出されるように、心の扉は壊れてしまった。目からはぬるいものが流れた。
溢れて、溢れて止まらなかった。
それは悲しみだろうか。哀れみだろうか。憎しみだろうか。痛みだろうか。罪悪感だろうか。背を向けた虚無な背中が、とても小さく見えた。
その日の帰り、僕は未だに悩んでいた。
それは、明日の誕生日にプレゼントするもの。
結局アヤメはどこにもなくて、プレゼントをアヤメにすることはできなそうだ。
考えて考えて考えていたら、頭の中に愛夜さんが浮かんだ。
初めて会った時ハッとなった。
銀色の髪、美しいその容姿、輝く笑顔は、何者にも変えられない何かがあった。
そして僕はハッとなった。
「銀色……」
考えるよりも先に体は動いた。家から反対の方向へ、走って何分か。何メートルか。
花屋の前に来ると、急に雨が降り出した。
僕はそんなことには構わないで、花屋の中に入って、思い立つままに花を探した。
「何をお探しですか?」
白いエプロンつけた、キレイめで優しそうな女性が声をかけてきた。
「あの、今から僕がいうイメージで花束を作れますか?」
「はい。お任せ下さい」
「えっと、銀色の髪の毛で、笑顔が可愛くて、優しくて、明るくて面白い。でも、自分より他人のことを優先して、どこか脆そうな人に、プレゼントで花を渡したいんです」
「……わかりました。しばらくお待ちください」
女性はそう言うと、軽く礼をして店の奥へ入っていった。
その間、僕は店の中の整った花を見て回った。
季節折々。赤青黄色、春の終わり夏のはじまりを感じさせる爽やかな空間に、甘い花の匂い。けれど花ばかりではなく、観賞用のサボテンやら装飾物が売っていた。
初めて、こんなに目の前でしっかりと花を見た気がした。
いつも街中は花なんてなくて、生えているのは見覚えのない雑草ばかり。花を見かけても見かけるだけ。下手をすると花の存在にも気がつかない。
うるさくなった街の中で、ここが唯一花を間近でしっかりと見られる場所。
そういえばいつか、愛夜さんもここが好きだと言っていた。
花が沢山あることも理由の一つ。だけど、それだけじゃないよ。
愛夜さんの言葉が、頭の中で反芻する。特に深い意味は無いような気がしていたが、こうして来てみると、「それだけじゃない」の言葉の先が知りたくなった。明日愛夜さんに花を渡した時に言えるだろうか。
そんなことを考えながら、コツコツと音を鳴らす時計を見つめていた。アンティークな時計だけど、そんなに使い古した感じはしなくて、つい最近買い換えたわけでもなさうだった。
少し考えていると、奥から花束を丁寧に両手で持った女性が出てきた。その花束を見た瞬間、それがすぐに素敵なものだとわかった。
「こちらでどうでしょう」
女性がそう言って、僕はその花束をよく見つめた。
白く輝くカーネーションが、間に挟まれてた緑色の草に映えていた。それはとても美しかった。でも、あの陽気な愛夜さんを思い出した瞬間、少し逸れた気がしたけど、いい意味ならいいと思った。
「素敵です。ありがとうございます」
「彼女さん、喜びますよ」
そう言われ、僕は否定しようと思ったが、言葉は出なかった。あんな人とそんな関係なら、どれだけ毎日楽しいのだろう。そう思うと、やっぱり会いたくなった。
僕はそれをそのまま手で大切に持って、家に帰った。
枯らさないように、ネットで調べた方法で自分の部屋で保管した。
その花を見て、少しと思ったことがあった。でも僕はそれを、心に起こすことも、口にして起こすことも何も出来なかった。
翌日の朝、僕はまたいつも通りに学校へ行った。
でも、生徒玄関の下駄箱にあったはずの僕の上履きは、どこにもなかった。不意に気になってすぐ横のゴミ箱を見ると、僕の上履きが散々な状態で捨てられていた。主犯が誰なのかはなんとなく察しがついた。けれど、問い詰める勇気なんか少しもなかった。
「許さないから」
そういうことだったんだと思った。嫌な予感はしてたし、なにか良くないことが起こることもなんとなく予感はしてた。でも、まさかそれが形をなすとは思っていなかった。
そんなテンションで教室へ行くと、机の上にはマーカーペンで書かれたような字で、「死ね」と雑にあった。
僕は悲しむより先に驚いた。
クスクスと笑い声が聞こえてきて、少し切なくなった。でも、犯人がわかっている分、少し余裕もあった。
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愛夜さんは微笑んでそう言った。
「手に持ってるの、何?」
愛夜さんは不思議そうに言った。
「これ、誕生日プレゼントです」
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「話を聞かせて?いつもそばにいてくれる君に恩返し」
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不意に我に返って、なぜか愛夜さんに謝った。
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