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~領地改革~
元貴族の見解
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トールは目の前に立つ黒髪黒目の少年を呆然と見上げる。
ついさっき、トールはこの少年に決闘のようなものを申し込んだ。勝てると思ったからだ。でも勝負は一瞬だった。
それは勝負ですらなかった。自分が少年に正面から殴り込んだことしかわからない。何が起こったのかよくわからないうちにトールは少年に足元をすくわれ、決着がついてしまった。
トールが物心ついた時から、この地方はこの荒れようだった。小さい頃から、トールは畑を耕し、郊外まで食物を探しに行き、あちこちを走り回っていた。
そのおかげなのかは知らないが、トールの体は他の人よりちょっと頑丈だった。喧嘩で負けたことはないし、父から簡単な護身術も教えられていた。
トールは信じられない気持ちで目の前の少年を見る。
どこからどう見ても貴族のボンボンにしか見えなかった。短い黒髪も、黒い瞳も、長年栄養失調にさらされてきたヴァルハラの人たちとは違ってツヤがある。体の肉付きも良くて、飢餓のきの字も知らなさそうに思える。苦労なんて絶対したことなさそうなのに。
自分よりも恵まれた環境でぬくぬく育ったやつに負けたことが、衝撃だった。
これで勝負が接戦だったら、嫉妬の情ぐらい湧いたかもしれない。でもこうもあっさり、赤子の手をひねるように負かされ、嫉妬するよりも先に、ただ驚愕した。
人もいつの間に集まっていた。その中には自分が面倒を見ていた裏町の子供達もいる。思わず唇を噛む。
トールの家は、このペンドラゴンの人々の心の拠り所のような存在を担っていた。数百年か前は貴族だったと聞いている。学者の一族で、一族の秘蔵の知識は今でも口伝で語り継がれている。トールそれを覚えている。
だからトールも、知識として貴族の存在を知っている。親から教えられた貴族像は、民から税金を巻き上げて私腹を肥やし、使えないと判断した瞬間に切り捨てる悪い奴ら、だった。
この地方が放置される前の領主はよかったらしいが、今の領主は自分たちをあっさり切り捨てていたから、トールも別段その印象が間違いだとは思っていない。
処罰されると思った。見せしめにされると。住人たちも似たようなことを考えているのか、トールに心配の視線を投げたり、黒髪の少年を睨んだりしている。
そう思っていたから、目の前の手を見た時には思いっきりフリーズした。
「さっきのあれ、構えはすごいよかったですよ」
黒髪の彼が、自分に手を差し伸べていた。その顔にはにこやかな笑み。
意味がわからないと思った。
「な、なんで」
「?」
「処罰、しねえの?」
「処罰?何それ美味しいのですか?」
「いや、美味しくねえだろ。食い物じゃないし」
「なら必要ないでしょう。生産性がないのって、俺好きじゃないんで」
「せ、せいさんせい……?」
「とりあえず、立ってくださいよ」
己の中の常識と戦っているトールの手を、少年はつかんで引っ張り起こす。
「重くねえの?」
「いいえ、重いですよ」
「さらっとひでえこと言ったな」
「すみませんね」
なんだこいつ。調子狂うぞ。気さくすぎる。貴族って……こんなんだっけ?
「ユール様、どうします?」
トールの怪訝な表情に気づいているのかないのか、少年は彼の主人である銀色の少女に向かって言う。あの少女はユールと言うのか。
「磨けば光そうだわ」
少年の問いに、ユールが答える。磨く?光る?何が?何を?
「何ぼーっとしてるんですか。あなたの話をしてるんですけど」
は?俺?
「俺は宝石じゃないんだけど」
「いや、知ってますよ。誰もそんなこと言ってないですよ」
「今、磨くって言っただろう」
「あなたに伸び代があるってこと」
トールが状況をよくわからないまま少年と話していると、ユールが口を挟んだ。
「さっきのあれ、護身の技の応用でしょ?」
「知ってたのか」
「知識としては知ってる。でもあれは、民間には出回ってない護身術。あなたは貴族だったの?」
「っ!」
「どうなの?」
ユールはそれ以外は何も言わず、ただ静かにこっちを見つめてきた。その視線にたじろいだ。
初めて彼女と路地で会ったときには、彼女の言葉が同情や哀れみのように聞こえて、惨めな気持ちになった。だからカッとなって怒鳴った。
でも今はどうだろう?ユールの目には同情や哀れみ、蔑みといった感情が一切なかった。それどころか、あるのは何も読めない光だけ。何を考えているかわからなくて危険、とは思わなかった。
トールは話した。自分の家がかつて貴族だったこと、学者の一族だったこと、街の人を今まで引っ張ってきたこと、裏町で子供達を保護していること、その子供達に家で教わった知識をお消えていること。全部簡潔に説明した。
「なるほど………」
聞き終わったユールは、顎に手を当てて何やら思案している。
「すばらしいわ。なんて幸先のいいスタートでしょう」
「は?」
と思っていたらそんなことをつぶやいた。急にどうした?
「そういえば自己紹介してないわね。私はユグドラシル。みんなにユールって呼ばれてる」
「俺はテオ。名乗るのが遅くなってすみません。決闘の時に名乗るべきでしたね」
「それをいうなら俺だって名乗ってなかっただろう。俺はトール。さっきは悪く言って、ごめん」
「気にしてないよ。それが普通の態度だから」
根に持っていたらどうしようと思っていたが、どうやらそれは杞憂だったようだ。
「なあ、あんたが新しい領主って本当なのか?」
「そう言った記憶があるけど……信じられない?」
「普通信じられねえだろ。だってどう見てもガキじゃねえか。あんたいくつだよ」
「7」
「7!?」
自分で聞いておいて信じらんねえ!!こんな大人びた7歳児がいるのか!?
「あなたの家がこの街の実質的な支配者なら、協力して欲しいんだけど」
「協力?何に対して」
「復興に関する諸々。多すぎて語りきれない」
指折り数えているところを見ると、いろいろと考えているようだ。
「やろうとしてることはみんな人手や知恵が必要なのよね。だから知恵の提供者がいるとすごく楽なの。まだ厳しいけど、遠くない未来には学校を作りたいと思ってるからね」
彼女がどういう未来を思い描いているのかはわからない。なんだか読めない子だが、ヴァルハラを思ってくれていることは十二分に伝わってくる。
ちょっとこの領主様に協力してみるのもいいかもしれない。
ついさっき、トールはこの少年に決闘のようなものを申し込んだ。勝てると思ったからだ。でも勝負は一瞬だった。
それは勝負ですらなかった。自分が少年に正面から殴り込んだことしかわからない。何が起こったのかよくわからないうちにトールは少年に足元をすくわれ、決着がついてしまった。
トールが物心ついた時から、この地方はこの荒れようだった。小さい頃から、トールは畑を耕し、郊外まで食物を探しに行き、あちこちを走り回っていた。
そのおかげなのかは知らないが、トールの体は他の人よりちょっと頑丈だった。喧嘩で負けたことはないし、父から簡単な護身術も教えられていた。
トールは信じられない気持ちで目の前の少年を見る。
どこからどう見ても貴族のボンボンにしか見えなかった。短い黒髪も、黒い瞳も、長年栄養失調にさらされてきたヴァルハラの人たちとは違ってツヤがある。体の肉付きも良くて、飢餓のきの字も知らなさそうに思える。苦労なんて絶対したことなさそうなのに。
自分よりも恵まれた環境でぬくぬく育ったやつに負けたことが、衝撃だった。
これで勝負が接戦だったら、嫉妬の情ぐらい湧いたかもしれない。でもこうもあっさり、赤子の手をひねるように負かされ、嫉妬するよりも先に、ただ驚愕した。
人もいつの間に集まっていた。その中には自分が面倒を見ていた裏町の子供達もいる。思わず唇を噛む。
トールの家は、このペンドラゴンの人々の心の拠り所のような存在を担っていた。数百年か前は貴族だったと聞いている。学者の一族で、一族の秘蔵の知識は今でも口伝で語り継がれている。トールそれを覚えている。
だからトールも、知識として貴族の存在を知っている。親から教えられた貴族像は、民から税金を巻き上げて私腹を肥やし、使えないと判断した瞬間に切り捨てる悪い奴ら、だった。
この地方が放置される前の領主はよかったらしいが、今の領主は自分たちをあっさり切り捨てていたから、トールも別段その印象が間違いだとは思っていない。
処罰されると思った。見せしめにされると。住人たちも似たようなことを考えているのか、トールに心配の視線を投げたり、黒髪の少年を睨んだりしている。
そう思っていたから、目の前の手を見た時には思いっきりフリーズした。
「さっきのあれ、構えはすごいよかったですよ」
黒髪の彼が、自分に手を差し伸べていた。その顔にはにこやかな笑み。
意味がわからないと思った。
「な、なんで」
「?」
「処罰、しねえの?」
「処罰?何それ美味しいのですか?」
「いや、美味しくねえだろ。食い物じゃないし」
「なら必要ないでしょう。生産性がないのって、俺好きじゃないんで」
「せ、せいさんせい……?」
「とりあえず、立ってくださいよ」
己の中の常識と戦っているトールの手を、少年はつかんで引っ張り起こす。
「重くねえの?」
「いいえ、重いですよ」
「さらっとひでえこと言ったな」
「すみませんね」
なんだこいつ。調子狂うぞ。気さくすぎる。貴族って……こんなんだっけ?
「ユール様、どうします?」
トールの怪訝な表情に気づいているのかないのか、少年は彼の主人である銀色の少女に向かって言う。あの少女はユールと言うのか。
「磨けば光そうだわ」
少年の問いに、ユールが答える。磨く?光る?何が?何を?
「何ぼーっとしてるんですか。あなたの話をしてるんですけど」
は?俺?
「俺は宝石じゃないんだけど」
「いや、知ってますよ。誰もそんなこと言ってないですよ」
「今、磨くって言っただろう」
「あなたに伸び代があるってこと」
トールが状況をよくわからないまま少年と話していると、ユールが口を挟んだ。
「さっきのあれ、護身の技の応用でしょ?」
「知ってたのか」
「知識としては知ってる。でもあれは、民間には出回ってない護身術。あなたは貴族だったの?」
「っ!」
「どうなの?」
ユールはそれ以外は何も言わず、ただ静かにこっちを見つめてきた。その視線にたじろいだ。
初めて彼女と路地で会ったときには、彼女の言葉が同情や哀れみのように聞こえて、惨めな気持ちになった。だからカッとなって怒鳴った。
でも今はどうだろう?ユールの目には同情や哀れみ、蔑みといった感情が一切なかった。それどころか、あるのは何も読めない光だけ。何を考えているかわからなくて危険、とは思わなかった。
トールは話した。自分の家がかつて貴族だったこと、学者の一族だったこと、街の人を今まで引っ張ってきたこと、裏町で子供達を保護していること、その子供達に家で教わった知識をお消えていること。全部簡潔に説明した。
「なるほど………」
聞き終わったユールは、顎に手を当てて何やら思案している。
「すばらしいわ。なんて幸先のいいスタートでしょう」
「は?」
と思っていたらそんなことをつぶやいた。急にどうした?
「そういえば自己紹介してないわね。私はユグドラシル。みんなにユールって呼ばれてる」
「俺はテオ。名乗るのが遅くなってすみません。決闘の時に名乗るべきでしたね」
「それをいうなら俺だって名乗ってなかっただろう。俺はトール。さっきは悪く言って、ごめん」
「気にしてないよ。それが普通の態度だから」
根に持っていたらどうしようと思っていたが、どうやらそれは杞憂だったようだ。
「なあ、あんたが新しい領主って本当なのか?」
「そう言った記憶があるけど……信じられない?」
「普通信じられねえだろ。だってどう見てもガキじゃねえか。あんたいくつだよ」
「7」
「7!?」
自分で聞いておいて信じらんねえ!!こんな大人びた7歳児がいるのか!?
「あなたの家がこの街の実質的な支配者なら、協力して欲しいんだけど」
「協力?何に対して」
「復興に関する諸々。多すぎて語りきれない」
指折り数えているところを見ると、いろいろと考えているようだ。
「やろうとしてることはみんな人手や知恵が必要なのよね。だから知恵の提供者がいるとすごく楽なの。まだ厳しいけど、遠くない未来には学校を作りたいと思ってるからね」
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ちょっとこの領主様に協力してみるのもいいかもしれない。
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