「おまえを泣かせてまで、ほしいものなんかない。」~勇者の友情、魔王の涙~

火威

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第二幕

「おまえを泣かせてまで、ほしいものなんかない。」~勇者の友情、魔王の涙~

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第二幕
 長い銀髪を風になびかせ、美貌の青年は艶やかに微笑んだ。
「壮観な眺めだな。」
 落ち着き払った口調で言う場面ではなかった。
 魔族に取り囲まれて、言う台詞ではない。
 おぞましい、気の弱い者なら卒倒しそうな遠吠えが響く。
 魔族は、二つの頭、尾は蛇の頭部という魔犬、オルトロス。二十頭ほどの群れ。
「余裕かましてる場合かよ。」
 銀髪の美青年と背中を合わせて身構えた青年が、呆れたように言う。鎧をつけ、剣を手にした黒髪の青年は、ふっと声を低めた。
「来るぞ。」
 銀髪の青年が頷く。優美な繊手が翻った。
「切り刻め、銀光刃!」
 ドスドスドスドスッ!
 無数に生まれた光の刃が、オルトロスたちに突き刺さる。
 どす黒い血が噴き出す。
 のたうち回って苦しむ魔犬の、二つの頭を、黒髪の青年の刃が落としていく。銀の刃が、次々とオルトロスの胴を串刺しにし、金の剣が、首を切断する。
 片方の首を落とされたオルトロスが、あぎとを大きく開けた。
 紫色の霧が噴き出す。
 黒髪の青年の前に、銀髪の青年が飛び出す。
「凍てつけ、蒼氷壁!」
 紫の霧が凍りつく。
 無念そうにカッと両目を見開いた最後の魔犬の首を、金に煌めく剣が跳ね上げた。
 すぐに、魔族の亡骸は砂と化す。
 後に残るのは、核という小さな、石に似た塊だけだ。
「ラント。」
 呼ばれて、ラントは銀髪を揺らして振り向く。
「なんだよ。」
「おまえ、毒の前に飛び出すなよ。」
「フェアが間抜けだから助けてやったんだろ。言っとくけど、オルトロスの毒、吸い込んだら一瞬であの世行きだぜ。油断しすぎだ。」
「あのくらい、よけられたぜ。」
「ふうん。まあ、そういうことにしておいてやるよ。」
 ラントが、綺麗な顔に、実に意地の悪そうな笑みを浮かべる。
「うわ、嫌な言い方。」
 フェアは、眉をよせる。だが、助けられたのは事実なので、お礼を言う。
「…助かったけどさ、無茶して助けるの、やめてくれ。」
「へえ。悪いと思ってるんだ。」
「当たり前だろ。」
「じゃ、核拾い集めるの、おまえがやれ。」
 ピシッと、細い指先が、一番遠くに転がった核を指し示す。
 核は、結構あちこちに散らばっている。
「オレ、一人で?」
 ちょっと情けない顔になったフェアに、ラントは
「当然だろ。」
 と肩をそびやかした。

「では、金貨十枚で、交渉成立ということで、よろしいでしょうか?魔法使い様。」
「ええ。ありがとうございます。」
 ラントは、にこ、と花弁のような唇に笑みを飾る。フェアが見たら、すげえ嘘くさい、と評しそうな、完璧に作られた笑顔。だが、たいていの人間は、男女問わず、見事に騙される。
 カウンターの中の男は、真っ赤になって、あたふたしながら、書類を差し出す。
「で、では、ここに勇者様のお名前と、貴方様のお名前を…。」
 書類を受け取ったラントが、羽ペンでさらさらと、フェアと自分の名前をつづる。
 金貨の入った袋と交換に、書類を受け取った相手は、目を丸くした。
「フェア・トラオエン様に、ラント・トイフェル様⁉あの、有名な…。」
「ご存じとは光栄です。」
 ラントの銀髪が、窓から差し込む日差しに輝く。
 ただそれだけのことなのだが、まるで後光が差しているように神々しく見えた。
「お、お噂はかねがね…。あ、あなた様が、あの…。」
 感激に震えている男に、引き止められる前に。
「では、先を急ぎますので。」
 ラントは、腰まである長い銀髪を優雅に翻して、換金所を後にした。

 魔族は、滅ぼされると、核を残して消滅する。核は、町にある換金所で、通貨に換えることができる。魔族の核は、人の手では作り出せない成分を含んでおり、高価な薬となる。希少価値も高い。
 高位の魔族ほど、純度の高い成分を含んだ核になるので、強い勇者ほど、懐は潤うのだ。
 フェアとラントの旅では、換金するのはいつもラントだ。基本お人よしのフェアでは、いいように値切られてしまう。
 ラントの笑顔に逆らえる人間は、そうそういないので、彼が交渉すれば、常に相場よりも相当多い金額が手に入るのだ。
 外面のよさは、子どもの頃より磨きがかかっている。神秘的な美少年は、どきりとするほどの色香をたたえた、超絶美形の青年に成長した。誰もが一目で魅了され、逆らえない。
(オレたちも、有名になったものだな。)
 勇者と魔法使いになりたての頃は、まともに魔族を倒すこともできず、路頭に迷いかけたこともあるというのに。
 それも、当然だ。十年前は、フェアも、ラントも、たった十歳の子どもだったのだから。
 フェアたちを保護してくれた町の人々は、親切で善良だった。村も両親も失った子どもたちの面倒をみようと言ってくれた。その手を拒んで、二人で生きることを選んだ。
 庇護されることよりも、戦うことを。立ち止まることよりも、先に進むことを。
 ろくな食事もとれなくて、ひもじい思いをした日もある。寒さに凍えた夜も。
 だけど、不幸だと思ったことはない。
 二人でいたから。
 憎まれ口をたたき合うことで空腹を紛らわして。真冬の夜は寄り添って、温めあって。十年間、ずっと一緒に生きてきた。
 絶対に口に出しては言わないけれど、お互いに思っている。
 おまえがいたから、生きてこられたのだと。

 一階が酒場兼食堂になっている、よくある作りの宿屋に戻ると、フェアが、娘たちに囲まれていた。
 どこの町に行っても、フェアはもてる。ラントのような、完璧に整った美貌ではないが、均整のとれた長身に、爽やかさのにじむ顔立ちの、好青年なのだ。
 艶やかな黒髪を、無造作に一つでくくっているのも、気取りが無くて好印象。精悍な顔立ちだが、笑うと愛嬌があって、母性本能をくすぐる。
 くすり、とラントは片頬で笑った。さあ、嫌がらせをしてやるぞ、という顔。赤い瞳が凶悪に煌めく。
「勇者さま、しばらくこの町に滞在なさるんですかぁ。」
「うれしい!最近、この町、物騒なんですよ。」
「そうそう、行方不明者が多くって。若い子ばっかり。」
「ただの家出っていう人もいるけど。」
「もっと大きい町に出て行ったんだって。でも、こんなに続くと、人さらいじゃないかって。」
「でも、勇者さまがいらしてくれたなら、安心ですよねっ。」
「最近話題のスポットがあるんですぅ。」
「すっごく人気のお店なんですっ!」
「よかったら今から行きましょうよ!」
 甲高い声でキャアキャア騒ぐ少女たちに、
「いや、オレは仲間を待ってるから…。」
 フェアは、やや引き気味だ。どうやって切り抜けようか、と考えていると、目の端に銀の光がよぎり。
「悪いけど。」
 甘く響く美声。
 フェアのものより細い両腕が、絡まってきた。
 少女たちが、大きく息を呑む。その顔が、真っ赤に染まっている。
「こいつは、オレのものだから。」
 燦然と煌めく銀の髪。腰までという長さなのに、毛先まで綺麗だ。処女雪のごとき、白皙の肌。優美な弧を描く、薔薇色の唇。最高級のルビー、ピジョン・ブラッドの瞳。
 女と、否、女神と見まごうような、美貌の青年が、嫣然と笑っていた。
「す、すみませんっ!」
「失礼します!」
 蜘蛛の子を散らすように少女たちが逃げ去っていくと。
 フン、と鼻を鳴らし、ラントは乱暴にフェアの腕を放り出す。
 フェアは、うんざりした顔で言う。
「ラーンートーおまえ、そうやって人追っ払うの、いい加減、やめろ。」
「これが一番てっとり早いし、恨み買わないんだよ。」
 しれっと言ってのけるラントに、フェアは、はーっと、魂まで吐き出しそうなため息をついた。
 べつに、ラントにそういう趣味はない。人が嫌いで、関わりを避けたいだけだ。
 だから、この十年、フェアとラントは、一つの場所に長く滞在したことはない。魔族の噂を追って、旅をしている。
 魔族の襲撃は、天災と似ていて、どんな法則で起こるのか、予測も検討もつかない。今まで一度も魔族が出なかった土地に、いきなり現れることもあれば、決まった場所を定期的に襲う魔族もいる。
 定期的に襲われるようになった町や村は、常駐の勇者の一行パーティーを抱えるか、その土地を捨てるしかなかった。
 代わりの一行パーティーが見つかるまで、襲撃を受けるようになった町や村を警護したことはあるが、それもせいぜい一、二か月だった。
「あ、そうそう。換金してきた。」
 ラントが、金貨の入った皮袋をフェアに渡す。
「金貨十枚。羽振りのよさそうな町だ。」
「…ぼったくりやすそうって聞こえるぞ…。オルトロスの核で金貨十枚は、もらいすぎだろ。」
 引きつった顔で、フェアが言う。基本的に、魔族は、人に近い容姿をしている方が、位も強さも上なのだ。例外は竜くらい。上級の魔族ほど、外見が美しいとされている。幸いなことに、数が少なく、十年旅をしても、あまり遭遇したことがないが。
「文句があるならおまえにはやらないぜ。」
「…そうは言ってねえって。」
「ふん。素直に、ラント様の交渉にはいつも助けられていますって言ってみろよ。」
「誰が言うかっ!あんまり調子に乗んな!」
 口喧嘩していると、血の気の多い酒場の客が、
「おお、喧嘩か!」
「やれやれ、兄ちゃんたち!」
「オレは、黒髪の方に賭けるぜー!」
「じゃ、オレは銀髪だ!」
 勝手に酒の肴にして盛り上がっている。昼間から酒など飲んでいる輩だけに、どうでもいいことでも騒ぎ立てる。実に平和だった。
 そこへ、
「あの、すみません。」
 喧噪を縫って、細い声が割って入る。
 消え入りそうに儚く、けれど芯の強さを秘めた、どこか思いつめた表情。質素な、飾り気のないワンピースを着た、十五、六の少女。
「勇者さま。お金を払えば、魔族を探してくれますか…?」
 暗い瞳が、フェアを見ていた。

 わたしの友達は、魔族にさらわれたんです。
 間違いありません。あれは、魔族でした。あんなに美しい男の人が、人間なわけありません。
 恋人ができたって、喜んでいたんです。
 最近、何だかすごく綺麗になったなって、びっくりしていたんです。お化粧とか服とかも、急に華やかになって。どうしたの?って聞いてみたら、教えてくれました。まだ、誰にも言ってないけど、親友だから、特別に教えてあげるって。
 一緒にいるところ、何度か見たことがあります。本当に、家族にも内緒で、こっそり会ってたみたいです。
 …恐ろしいほど、美しい人でした。魔性の美っていうんでしょうか。何だかこの世の者ではないような気がして…。髪と目の色ですか?髪は黒で、目は紫でした。あのは夢中になっていたけれど、わたしは、正直、怖いって思いました。
 それに…それに、あのの様子も、だんだんおかしくなっていって。魅入られているっていうか、もうその人のこと以外、何も考えられなくなっているっていう感じで。おじさんとおばさんも、最近様子が変だってすごく心配して、私に相談するくらいで。
 それが恋をするってことなのかもしれないけど、上手く言えないけれど、そういうことじゃない気がしたんです。
常軌を逸している?ええ、そう。そんな感じです。
 贈り物をくれるって、言っていました。服とか靴とか指輪とか、首飾りとか。でも、一番多かったのは、「トラオム」っていうお店の商品でした。香水のお店です。香水だけじゃなくて、香り袋とか、フレーバーティーとか、香りの商品をたくさん取り扱っています。
 あのがもらったのは、全部同じ香りだったと思います。いつも、同じ香水をつけるようになっていたから。部屋も、同じ香りの匂い袋が置いてありました。
 一か月前、急にいなくなったんです。
 行きそうな場所は、全部探しました。わたしたち、幼馴染なんです。あののことなら、何だって知ってます。見落としてる場所なんてありません。
 家出?駆け落ち?まさか。だって、荷物とか、何一つ持って行かなかったんですよ。部屋からなくなっていたのは、あのが、その日着ていった服だけでした。
 それに、出ていくなら、わたしにだけは、一言お別れを言ってくれるはずです!わたしたちは、親友なんです。ずっと一緒にいた、一番の友達なんです!
 あのの恋人ですか?見つかりません。町中探したけど、どこにも。絶対に、あの男が、私の親友をさらったんです。
 自警団は相手にしてくれませんでした。どうせ、家出か駆け落ちだって。
 お願いです。あのを探してください。お金は払います。これで足りないなら、わたし、一生働いてでも払います。
 友達なんです。お願いです。あのを助けて!

「どう思う?ラント。」
 宿の一室。自分のベッドの上にあぐらをかき、足の上にひじをついて、頬杖をつき、フェアはラントを見た。既に、少女は返してある。
「…どうかな。あの話だけじゃ、判断できない。全部あの娘の思い込みで、友人は男と駆け落ちしただけかもしれない。」
 椅子に足を組んで腰かけたラントは、主観だけでは正しい判断など下せないと言った。
「でもさ、あの子、一生懸命だったぜ。」
 フェアは、真剣な顔をしている。ラントは、ちらりと友の顔に視線を投げた。冷たく言い捨てる。
「だから、女なんて感情で生きてて、しかも十代なんて自分に酔ってる年だろ。話を全部鵜呑みにできるか。」
 ついこの間まで十代だったくせに、二十歳の青年は、辛辣だ。
 フェアは、親友の冷ややかな台詞にめげることなく―この程度を気にしていたら、ラントと十年旅はできない―赤い瞳を見返した。
「おまえの言うことも分かるけど、全部本当だったら、何とかしてやりたいだろ。」
「おまえって、少女趣味?」
「違ーう。おまえ、分かっててそういう冗談言うのやめろ。」
 フェアは、頬杖を外し、背筋を伸ばした。
「友達を助けたいって気持ち、わかるだろ。」
「…。」
 ラントは、何も言えなくなる。
 ずっと一緒にいた、一番の友達。
 その言葉に、フェアが誰を重ねたのか、わかってしまうから。
「オレだって、おまえがいなくなったら、必死で探す。」
「…おまえこそ、真顔でそういう恥ずかしいこと言うのやめろ。」
 ラントは、顔をしかめた。フェアから目をそらして、窓の外を見た。
「しばらくこの町に滞在するつもりだったから、調べるくらいはしてやってもいい。」
「ラント!」
 ぱっと黒い瞳が輝く。明るい表情になると、急に幼く見える。
「だが、油断するなよ。もし、あの娘の言うことが本当なら、その男は、高位の魔族のはずだ。」
「ああ、わかってる。」
 フェアは、唇を引き結んだ。
 男は、恐ろしいほど美しかったという。魔族なら、高位の者ほど美しく、強い。

 この町に最近、行方不明になる若者が多い。
 フェアにまとわりつき、ラントの追い払われた少女たちは、そう言っていた。
 事実なら、依頼をしてきた少女の親友の失踪も、そのうちの一つだろう。まずはそこから調べてみると、ラントは言った。役場で記録を調べるような、文字と格闘する仕事はフェア向きではない。いても邪魔になるだけだ。
 フェアは、「トラオム」という店に行ってみることにした。そんなに頻繁にプレゼントを買ったなら、店員が、その男のことを覚えているだろう。少女の話では、相当の美形のようだから、目につくはずだ。
「手がかりがあってもなくても、日暮れまでには戻れよ。」
 ラントは、釘をさすのを忘れない。お人よしの友人は、他人に肩入れして、一生懸命になってしまう。
 魔族は、昼間より夜の方が力を強める者が多い。それに、相手の正体は何もわからないのだ。慎重さを欠いては命とりだ。
「わかってるって。おまえも気をつけろよ。」
 魔法使いが単独で魔族を殺すのは難しい。心配して言っているのだが
「誰に向かって言っている。」
 ラントはやたらと偉そうである。フェアは苦笑する。
「まあ、おまえなら大丈夫だと思うけどさ。」
 ラントは明晰で、状況を見極める目が鋭い。常に冷静沈着で、取り乱すこともない。
 それに、魔法使いとして十年魔族と対峙してきた腕は確かだ。魔族にとどめはさせなくても、深手を負わせ、撃退することはできる。身を守ることくらいは造作もないのだ。
「じゃあ、また後でな。」
「ああ。」
と、彼らは分かれて、調査を開始した。

 大分傾きかけた、午後の日差しを浴びて、目当ての店の看板が光っていた。
 町の中心から離れた一画だ。商売になるのか心配になる立地だが、ずいぶん流行っているらしい。
「最近できたばっかなんですけど、すごい人気なんです。人気商品はすぐ売り切れちゃうし。」
「お店のご主人が、すっごくすてきな方なんですよ!」
「今、この町でトラオムの香り袋持ってないなんていませんよ!」
「香水はちょっと高くて手が出ないけど、アロマオイルとか、香りつきの石けんとかもあるし。」
 勇者を目ざとく見つけて声をかけてきた少女たちに道を聞いたら、いろいろな情報を教えてくれた。勇者の剣を腰に差しているので、目立ってしまうのだ。
 扉を押して入ると、上部に取り付けられた鐘が、カランと涼しげな音をたてた。
「いらっしゃいませ。」
 まろやかな女性の声に迎え入れられる。
(あ、よかった。匂い、きつくねえや。)
 様々な匂いが混在して、悪臭になっているのかと覚悟していたが、それほどでもない。匂いがもれないように、商品の包装を工夫しているのかもしれない。
 かすかに鼻孔に届く程度に、奥ゆかしく香るのは、薔薇の香りだ。どこから香るのかは、すぐに分かった。
「贈り物ですか?」
 ドレスをまとった美女が近づいたとたん、香りがはっきりした。彼女のつけている香水だと。
 襟ぐりの深い、体にぴったりとした紫のドレスをまとった、肉感的な美女だった。豊かな胸に、細い腰。二十代後半くらいだろうか。全身から色香があふれている。黒髪はアップにまとめ、このまま夜会にでも出られそうな格好だ。
 化粧が濃いめだが、十人中十人が美女と断じるだろう。赤い唇の横の黒子が妙に色っぽい。ドレスは、瞳の色に合わせたのだろう。暗紫色の切れ長の目をしている。
 これが、少女たちの「すっごくすてきな方」なのだろうか。娘たちこういう風になりたいと憧れるものなのか。
 美人だなとは思うが、フェアは、ラントの美貌を見慣れているので、並みの美人にぼーっと見惚れることはなかった。
「あ、えーと、ちょっと聞きたいことがあって。」
 と切り出すが、店にいた少女たちや、カップルに視線を送られるのが、ちょっと気おくれした。男一人で入るような店ではないのだろう。珍しがられているのが、居心地が悪い。
 それに気づいたのか、女主人は、
「では、奥へどうぞ。勇者さま。」
 にっこりと笑って、奥の扉を開けた。

 店の奥は住居スペースになっているらしい。女主人の趣味なのか、テーブルクロスやクッションが、薔薇の柄で統一されている。
 アロマオイルでもたいているのか、薔薇の香りがやや濃い。うっとうしいほどではないが、男のフェアには甘く感じられる。
「どうぞ、勇者さま。当店自慢のフレーバーティーですわ。」
 カチャリと、湯気の立つカップが置かれる。
 ほのかに甘く、上品なお茶だ。香りはやはり薔薇。心がふっと溶けていくような。
「おいしいですね。」
 話を聞くだけで買い物をしないのは失礼だろうから、後でこれを買っていこうと思う。ラントも紅茶は好きだから、喜ぶだろう。後でいくつか包んでもらえるかと聞くと、
「勇者さまに気に入っていただけて、嬉しいですわ。このお茶、安眠の効果がありますの。眠る前に呑まれることをお勧めします。お客様の中には、望んだ夢が見られると言ってくださる方もいて。」
と微笑まれた。
「夢?」
 フェアは、つぶやく。こんな話をしに来たわけではないのに、なんだか頭に霞がかかってしまったようだ。薔薇の香りが濃すぎて、くらくらする。
(あれ、こんなに薔薇の匂い、したか…?)
 どんどん濃くなる。ぼんやりする。甘い香り。
「ええ。優しい夢は、心の傷を癒してくれるといいますわ。勇者さまにも、何か、おつらいことがございまして?」
 小首をかしげる美女から、むせかえるように甘い香りが漂う。
 紫の瞳が、妖しく光る。
(黒髪に、紫の瞳!)
 ハッとする。だが、少女が言ったのは、男だったはず。
(なんで。)
「お眠りなさい、勇者さま。」
 歌うように言う。
「現実は、つらいことばかりでしょう。優しい夢の中にいらしてくださいな。」
 遠い日に聞いた子守唄に似ている。
「夢の中なら、ずっと幸せでいられます。」
 フェアは、とっさに勇者の剣をつかむ。だが、急速に意識が遠のく。
 脳裏に、親友の声が響く。日暮れまでには戻れよと言った、ラントの声。素直じゃないけれど、本当はいつだって、フェアのことを思ってくれて、心配してくれて。
(ごめん、ラント―。)
 意識を失う寸前、真紅の瞳が浮かんだ。
 テーブルに突っ伏す勇者を見下ろし、女主人は、赤い唇をつり上げる。
「ゆっくりお休みなさいませ、勇者さま。」
 たわいもない、と嘲って、くすくすと笑み崩れた。

(あの馬鹿。)
 ラントは、ぎりっと唇をかみしめた。強くかみすぎて、珊瑚色の唇が、赤くなる。
 宿の部屋に一人。
 とっぷりと日は暮れ、夕風が吹き出したのに、フェアはまだ戻らない。
 勇者を歓迎する町の人間につかまっているのならいい。後で延々嫌味を言ってやるだけで済む。だが、嫌な予感がする。
 胸の奥がざわめく。
 一人で行かせたことを後悔しながら、ラントは宿を飛び出す。
 限りなく黒に近い、藍色の空。そこに瞬きだした星に、ラントの銀の髪が光る。ラントはすうっと大きく息を吸い込んだ。
(落ち着け。)
 一度、真紅の目を閉じる。慌てふためいて焦っても、事態は悪くなるだけだ。冷静にならなければいけない。
 大切な者を失いたくないなら。フェアを、親友を取り戻したいなら、思考を止めてはならない。考えて、考えて、最善の策を。
 何より、精神を集中させなくては、魔法は発動しない。
 ラントが、ゆっくりと息を吐き、目を開けた。輝く真紅の目。強く烈しく、前を見据える。スッと白い手を掲げた。
「導け、白光糸!」
 シュルッと、大地から、光でできた白い糸が生える。シュルシュルと、地面を伸びていく糸を追って、ラントは走り出す。
 糸の先に、必ずフェアはいる。
 ラントの長い銀の髪がなびいた。

 夏の風が吹いている。肌をあぶる熱風。空はどこまでも青く、もくもくと湧き上がる雲は白い。眩しい陽射しが照り付け、その分、地面に刻まれた影は黒い。強烈なコントラスト。
「フェア!」
 呼ばれて振り返る。
「あ、ラント。」
「あ。じゃない。こんな日差しの中、つっ立ってたら、倒れるぞ。」
 腕をつかまれ。木陰につれていかれる。日差しが遮られただけで、汗が少しひく。
 吹きすぎる風も、ぐっと涼しい。ラントの肩までの銀髪を揺らしていく。真夏の光を受けて、きらきら光る髪がきれいだなあと思う。
(あれ?)
 違和感がある。何だろう。しっくりこない感じがある。
「ラント、おまえ、髪切った?」
「は?切ってないぜ。おまえ、何言ってんの?」
「え、そうかな。もっと長かっただろ。それに、何か、小さくなってないか?」
「はあ?」
 ラントは、銀の眉をひそめる。美少年だから、そういう顔も十分綺麗だ。
「小さくなるなんてありえないだろうが!」
「だよなあ。ごめんごめん。」
「暑さでボケたか?」
 ラントが、ちょっと心配そうな顔をして、フェアをのぞきこんでくる。
(こいつって、実は結構優しいよな。)
 フェアはちょっとくすぐったくなる。ラントが、外面がよくて、誰にでも愛想よく、そつなく振る舞うくせに、本当は自分に騙されているみんなを嫌っているのを知っている。
 本心を見抜いたフェアにだけは、素顔を見せてくれて、言いたい放題やりたい放題だけれど、本当の優しさを見せてくれるのも、フェアにだけだ。
 村の子どもは、みんな幼馴染で、友達だけど、ラントは特別だ。
ラントが、自分にだけ素顔を見せてくれるから。魔法の使い手で、自分と対等に戦えるから。本が好きで、物知りで、頭がよくて、とても偉そうにだけど、いろんなことを教えてくれるから。理由を探せばいくらでも出てくる。
(オレとは全然違うけど、だから、オレはこいつが好きだな。一番大事な友達だ)
 照れるから、絶対言わないけれど。ラントもそんな風に思ってくれていたらいいなと思う。ラントこそ、絶対言ってくれないだろうけど。
「おまえ、本当に大丈夫かよ。家に入って、水でも飲んだ方がいいぞ。」
「うん。」
 頷いて、家に入る。
 誰もいない。ガランとしている。
 誰もいないのは当たり前だ。だって…。
(あれ?)
 何だか妙だ。どうして家があるんだろう。
「ほら。」
 勝手知ったる他人の家。しょっちゅう、互いに家に行くし、泊まり込みで遊んだりもするから、互いの家のどこに何があるか、自分の家と同じくらいわかっている。
 ラントがフェアの前に、水の入ったコップを置く。
「ありがとう。」
と言って、ごくごくと喉に流しこむ。
「もう大丈夫か?気分とかは?」
「平気平気。ラントって実は優しいよなあ。」
 ラントの白い頬が、少し朱く染まる。不機嫌そうに目をそらされる。
 この前遊びに来た時に忘れていった本に気づいて、広げて読みだす。
 しん、と沈黙が落ちる。でも、べつに気まずくはない。こんな風に穏やかに過ぎていく時間も好きだ。もちろん、戦う相手になってくれたら、もっと嬉しいけど、ラントが本を読みだしてしまったら、それは期待できない。
(まあ、いいか。今、暑いし。夕方には、ラントも、読み終わっているだろうし、その時に相手してもらおう。)
 フェアは、文字を追うラントを眺めた。

 ラントは、ガン、と扉を蹴破った。
 白光糸は、そこで途絶えていた。
 勇者の剣を握りしめたまま、寝台に眠るフェア。腰かけてフェアを見下ろしている、紫のドレスの美女。
 むせかえるほどの甘い薔薇の香り。
 ラントが美女を睨み据えた。ゾッとするほど冷たい声になる。背筋が凍るほどの。
「フェアに何をした。」
「夢の中にお招きしただけですわ。」
 にこり、と微笑んで、美女は立ち上がる。
「辛いことのない、幸福な夢の中に。この方の望んだ世界に。」
「そしてきさまは、眠らせた者の生気を吸い取って殺すか、夢魔ナイトメア。」
 正体を言い当てられた美女は、笑みを深くした。
 夢魔。
 女性の前には、美しい男性、インキュバスとして、男性の前には美女、サキュバスとして現れる。
 だから、少女の目には、美青年に、フェアの目には美女に映った。
 ラントが目をすがめる。
 正体を看破された夢魔は、インキュバスの姿に変わった。両方の姿を持つと言っても、こちらが本性なのだろう。
 黒い髪、紫の瞳、豪華な燕尾服の美青年。どんな慎み深い淑女でも、年端のいかぬ少女でも、囚われて身も心も奪われるだろう、魔性の美。
「フェアを返せ。」
 ラントは鋭く言う。
「なぜです?あなたは、この方の幸せを願わないのですか?」
 先ほどまでとは違う、低い男の、けれど魂を撫でるような美声で、インキュバスは語る。
「この方は変わっている。たいてい、男が望む夢は淫夢なのに、この方は、過去の情景を見ている。辛いことが起こる前の、なつかしい思い出を。だったら、つらいことなど、このまま忘れさせて差し上げたらいい。」
「ふざけるな。命を代償に夢を見ることのどこが幸せだ!」
 ラントが吠える。珍しく、感情が先走る。
「起きろ!フェア!おまえは、過去に逃げ込むほど弱くないだろう!」
 ラントが叫ぶ。喉が裂けるほどの大声で、親友の名を呼ぶ。夢魔の向こうで眠る、フェアをまっすぐに見つめて。
「フェア!オレの声を聞け!フェア!!」
「無駄です。私の夢は破れません。」
 夢魔が冷たく微笑む。
「さあ、どうします?あなたは勇者ではない。私を殺せないはず。」
 紫水晶の瞳が、細められる。
「逃げてもいいんですよ。勇者を置いて逃げるなら、あなたは見逃して。」
「切り刻め、銀光刃!」
 ラントの放った銀の刃を、夢魔はあっさりかわす。床に、壁に、銀の刃が突き刺さる。
「あなたがそのつもりでしたら、容赦はしません。いいことを教えましょう。夢は、鏡。現を反射する鏡です。」
 夢魔の声が、スッと冷える。
 夢魔の手が翻る。
 ドスドスドスドス!
 銀光刃の刃が、ラントに向かう。
「!」
 かわしきれず、ラントの肩を、腕を貫く。飛び散る鮮血。ラントはギリッと奥歯をかむ。
「燃え上がれ、紅烈火!」
 ゴウッと、うずまく炎が夢魔に向かう。
 夢魔の全身から、暗紫色の霧が放たれる。熟れきった果実の、腐臭に近いほどに甘い香りを放つ霧。
 霧は、朱金に燃える炎を一瞬で飲み込む。
 そのままラントを襲う。
 とっさに口と鼻を押さえたが、間に合わない。吸い込んだ量はわすかだが、ラントは、膝を折って激しく急き込んだ。
 そこに再び放たれる、銀の刃。
 舞い散る血飛沫で、自分の視界が染まる。
「がっ…。」
 全身を切り刻まれた。
 どくどくとあふれ出る鮮血。
 真白の肌が、真っ赤に濡れていく。
 寒い、と思った。意識が、遠のきかける。
「フェア。」
 唇だけで、名前を呼ぶ。
 偽りの夢に囚われた親友の顔を見る。
「健気ですねえ。私を殺す力などないのに、向かってくる。そんなに、勇者が大切ですか?」
 からかうように、夢魔が言う。紫の瞳が妖しく細められる。
 夢魔が、眠るフェアの首筋に、手を伸ばす。
「貴方の目の前で、この方の息の根を止めたら、貴方はどんな顔を、するのでしょうね。」
 ぷつんっ。
 体のどこかが、音を立てて切れる音がした。
 目も眩むほどの怒り。
 灼熱に荒れ狂う感情。
「フェアに触るなっ!」
 ラントが絶叫した。
 全身から放たれた、その憤怒に、夢魔が、一瞬、動きを止める。
 燃え上がる真紅の瞳。
 風もないのなびく銀髪。
 ぞくり、と背筋に走ったのは。
(ただの、人間に、魔族の私が、怖じている…だと。)
 有り得ない。なぜ。信じられなかった。
 魔族を滅することができないはずの、人間の魔法使いに、夢魔が臆する理由などない。
 混乱して硬直した夢魔に、ラントは飛びかかる。流れ続ける血が、空に軌跡を描く。魔法も使わず、捨て身でぶつかって、突き飛ばす。フェアから遠ざける。
 床に膝をついた夢魔が、呆けたようにラントを見る。
「勇者でなければ、きさまを殺せないだと?そんなこと誰が決めた!」
 許さない。
 許さない。
 許さない。
 オレから、フェアを奪うことを、オレは絶対に許さない。
「開け、禁断の扉。異界の呪われた力よ、深き、昏き、暗黒の闇よ、我が命を食らって顕現せよ。」
 ラントが呪文を詠唱する。命を代償に放つ禁呪魔法。威力は絶大だが、魔法を放った魔法使いは、生命力を大幅に削られる。
 最悪の場合は。
 それでもいいと、ラントは思う。相討ちでいい。夢魔にダメージを与えれば、夢は弱まる。そうすればきっと、フェアは目覚める。
(フェア。絶対におまえを助ける!)
「森羅万象滅せよ、漆黒剣斬!」

 呼ばれている気がした。
「フェア。」
 と。痛みを覚えるほどまっすぐに、自分を求める声。
 聞きなれた、大切な声が、全身全霊をこめて、必死で自分を呼んでいる。
「どうした?」
 いつの間にか、本から顔を上げていたラントが、フェアを見ていた。
「ラント。オレ…オレ、行かなきゃ。呼ばれてるんだ。」
「だめだ。」
 ラントが首をふる。肩までの銀髪が、さらさらと揺れた。
「ここから出ていけば、おまえは辛い思いをすることになるんだ。」
 優しい、心に沁みるような、高く澄んだ声。
「ここにいろ。ここにいれば、辛いことなんて、何も起こらないから。」
 ラントの白い、小さな両手が、フェアの手を包む。
 ああ、とフェアは気づいてしまう。
 その手の小ささに。
「ラント。オレは、辛いことがあっても大丈夫だ。」
 安心させるように、ポンとその頭に、空いている方の手を乗せた。くしゃくしゃとかき回す。さらさらとした手触りの銀色の髪を、慈しむように撫でてやる。
「フェア。」
 すがるように見上げてくる赤い瞳に目線を合わせて、微笑んだ。
「だって、オレのそばには、いつもおまえがいるから。」
 どこか遠くで、呼ぶ声がする。
「ラント!」
 窓の外、笑顔で駆けてくる、幼い日の自分が見える。
 過去のラントのそばには、過去の自分がいる。
 だから、今の自分は、今のラントの隣にもどらなければいけないと、当たり前のように思った。
「帰るよ、ラント。今のおまえのもとに。そこがオレの居場所だから。」
 思い出の中のラントは、透き通るような笑みを浮かべた。

「ラント、やめろ!」
 禁呪発動の寸前。
 飛び起きたフェアが、血まみれのラントの腕をつかむ。
「フェア!」
 ラントは目を見開き、そのまま崩れ落ちそうになる。腕をつかんだフェアが、支える。
「遅いっ…。」
「ごめん。」
 短くそれだけ言って、フェアが勇者の剣を抜き放つ。
 金色に光り輝く剣。魔族を殺せる唯一の武器を構え、フェアは夢魔に宣告する。
「ラントを傷つけたやつは殺す。」
 フェアのそんな低い声は、ラントでさえ初めて聞いた。
 夢魔が後ずさる。
 高位魔族の夢魔が、完全に気圧されていた。
 その静かな怒りを前にして、身動きができなくなる。
 刃の一閃。
 カタン、と核が床に転がった。
「ラント!」
 そんな物に見向きもせず、フェアが親友に駆け寄った。
 ぐっしょりと血に濡れた凄惨な姿に、息を呑む。どこから止血していいのかさえ分からない。
 呼吸が浅い。もともと白い顔は、今は血の気が全くない。
「よかった。」
 ラントが、かすかに微笑んだ。
「え?」
「フェア、おまえが、無事で、よかっ…。」
「ラント!」
 意識を手放したラントを、フェアが抱き留めた。

「大体、おまえは油断しすぎなんだよ。あんなにあっさり夢魔の罠に落ちる勇者なんてありなのか?信じられないぜ。駆けつけてみれば、間抜けな顔でぐーすか寝てるし、どうせサキュバスの姿に鼻の下伸ばしてたんだろう。」
 言いたい放題のラントに、フェアは、ぐっと拳を握りしめて耐える。
 今回は、全面的に自分のミスだ。ラントに大けがさせてしまった負い目もあり、言い返す言葉すら見つからない。
 相当の出血だったラントだが、傷そのものは急所を外していたので、二、三日ですっかり元気になった。包帯を巻き、ベッドに入って半身を起している姿だが、毒舌をまき散らしているので、痛々しさも半減である。
 ベッドのかたわらの椅子に腰かけたフェアは、針のむしろに座っている気分だ。
「全く、情けないにもほどがある。オレがいなかったら、どうなっていたと思う。」
「わかった。悪かった。反省してる。この通り。」
 ひたすら謝る。
 ラントの機嫌を損ねた時は、もうどうしようもないので、下手に出るしかない。言い訳しようものなら、十倍返しが待っている。口で勝てる相手じゃないのは、長い付き合いで重々承知だ。
 低姿勢のフェアに、ラントはようやく溜飲が下がったらしい。
「で、オレが寝ている間、何があった?」
 と聞いてくる。
「夢魔の店から、大量の死体が見つかったよ。この町の行方不明者の。」
 フェアは、目を伏せた。
 夢魔は、インキュバス、またはサキュバスの姿で人間を夢に堕とし、その生気を搾り取って殺していた。その中には、フェアたちに依頼した少女の親友のものもあった。変わり果てた親友の姿を目にした少女は、気丈にも涙を見せず、ただフェアに頭を下げた。
「ちゃんと弔うことができただけでも、よかたってさ。強いな、あの子。」
 後ろめたい気持ちがあるのは、彼女は失い、自分は失わずにすんだからだ。親友を。
「ごめんな、ラント。」
 フェアが、下を向いたまま、ぽつりとつぶやく。
「ごめん。心配かけてごめん。けがさせてごめん。オレ、強くなったって、うぬぼれていた。だから、油断したんだと…思う。馬鹿だよな。」
 顔が上げられない。ラントの目が見られない。
 大切な存在が、現在進行形でそばにいてくれることは、けっして当たり前ではない。
 日常だと、永遠だと信じていたものが、どれほど脆く、呆気なく崩れ去るかを、自分は十年前に思い知らされたはずなのに。
 もう二度と、失う恐怖を味わいたくない。そして、味わわせたくはない。
「おまえが馬鹿なことくらい、とっくに知っている。」
 ラントが、不機嫌そうに言い放つ。けれど、その声には、隠しきれない優しさが滲んでいて。
 フェアが思わず顔を上げる。
 まっすぐにこっちを見据える、真紅の瞳と目が合った。
「後悔するくらいなら、強くなれ。今よりもっと強くなって、どんな魔族にも勝てるようになればいい。おまえは、最強の勇者になるんだろう。」
 朝の光の中で微笑むラントは、何だか泣きたくなるくらいに綺麗で。
 銀の髪が風に踊る様子が眩しくて、フェアは目を細めた。
「ああ。強くなる。オレは、最強の勇者になってやる。」
 そして、何があっても、おまえを守る。
 フェアは、もう一度誓った。
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