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第一部 第二章 夢の灯火─少年、青年期篇─
墓標 1
しおりを挟む「なっ! 貴様! は、離せっ! 離さんかっ! 手が千切れるぞ!!」
ノヒンが落下するジェシカの剣を素手で握り、力の限り踏ん張る。剣を握った手からは血が溢れ出し、ぬるぬると滑る。だがさらに力を込めて刃を肉に食い込ませ……
「ちっ、暴れんなよヒス女ぁ……ぐ……つぅぅぅ……うあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
……なんとかジェシカを引き上げた。手の傷は骨まで達し、ズキズキと痛む。
「ば、ばかか貴様は!」
「あぁん? ありがとうだろうがよ。ちっ、骨ぇ見えてんじゃねぇか」
「み、見せてみろ!」
ジェシカがノヒンの腕を掴み、傷口を覗き込む。顔が近く、『やっぱりヨーコだなぁ』と改めて感じた。
「ちっ、いつまでも触ってんじゃねぇよ気持ち悪ぃ。俺ぁ魔人だ。しかも特別治りの早ぇな。こんくれぇ放っときゃ治る」
「そういう話をしているんじゃない! それにそれを言ったら私も魔女だ! 私だって崖から落ちたくらいでは死なない!!」
「魔女っても怪我が一瞬で治る訳じゃねぇだろうが。普通の人間が治らねぇ怪我が治るってだけだ。動けねぇほどの怪我して魔獣でも来たらどうする? 山賊共がいたらどうする? 落ち方によっちゃあ頭が潰れるかもしんねぇだろ? 半魔や魔女はなぁ……頭が無事じゃねぇとよぉ……ぐぅ……くふ……」
「泣いて……いるのか?」
困惑した顔で、ジェシカがノヒンの顔を覗き込む。ノヒンは今にも力いっぱいジェシカを抱きしめてしまいそうになるが……
「ちっ、てめぇにゃ関係ねぇだろうが! それによぉ……その綺麗な顔に傷が付くのが嫌なんだよ!」
口から出る言葉と態度がめちゃくちゃだ。ヒステリーなのは自分じゃないかと嫌になる。
「き、綺麗……だと……? な、何を貴様! また私を侮辱するつもりかっ!!」
「綺麗だよ……綺麗だ……。目だって無事だしよぉ……舌だって無事で話してやがる……。何より生きてるじゃねぇか……。ハッピーエンド目指せるじゃねぇかよ……」
「なんの話だ……? 貴様……なんの話をしている……?」
「……ああっ!! うるっせぇな! 手のこと悪ぃと思ってんなら馬ぁ貸せよ! ちっ! 魔素がまだ足んねぇのか治りが遅せぇっ! いらいらするったらねぇぜ!!」
「す、すまない……この手では手綱を持てないだろう? 途中まで私が送っていく」
ジェシカが申し訳なさそうにノヒンの手に触れる。
「触ってんじゃねぇよ! なんだぁ? ヒスの次はヘラってやがんのかぁ? めんどくせぇこと言ってねぇで馬ぁ出せ!」
「わ、分かった……手のことは本当にすまない……。だが貴様を認めた訳では無いからな。出来れば戻って来ないで欲しいと思っている。正直……貴様のことが嫌いだ」
「ちっ! 一言余計なんだよっ! 俺もだから安心しろ!」
余計なのは自分の方だとノヒンは思うが、悪態が止まらない。本当はヨーコの……ジェシカの笑顔が見たい。敵意の視線ではなく、優しい愛のこもった視線を……
「……馬は団の誰かに『副団長から許可をもらった』と言って借りろ」
「……ちっ、じゃあな」
こんなつもりではなかった。
感謝の言葉を伝え、普通に話してみたかった。
どうしようもなくいらいらする。
一刻も早くジェシカから離れたい。離れたいが……離れたいと思う気持ちとは逆の、もっと顔を見ていたいという思いも込み上げてくる。
ヨーコの顔で、おそらくラグナスを愛しているのだろうことも気に食わない。
後ろを振り向いて、もう一度顔を見たい。
ヨーコの顔で、ラグナスを慕うジェシカと関わりたくない。
「ちっ……なんなんだよ……なんなんだっつうんだよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!! くそっ! ヒンス! おいヒンス!!」
ノヒンが叫びながらヒンスのいたテントへと向かう。
「なんだようるせぇなぁ……ってうわうわうわっ!! お、落ち着け! 落ち着けって! な?」
テントから出てきたヒンスの胸ぐらを、力任せにノヒンが掴む。
「くそ……結局胸ぐら掴まれるんじゃねぇかよ……んで? 早く離してくれねぇか?」
「ちっ、悪ぃ。本当……こんなつもりじゃねぇんだ。すまねぇ……」
「おいおい気持ち悪ぃな。ジェシカとやり合ったのか?」
「……ああ、普通に話すつもりだったんだけどな。あいつの顔見てるとダメだ」
「なんだぁ? もしかして一目惚れってやつか? やめとけやめとけ。あいつぁラグナスしか見てねぇよ。夜もラグナスの相棒だって噂だぜ? 顔は抜群に綺麗だからなぁ」
「そういうんじゃ……ねぇんだ」
そんな話は聞きたくない。
あの顔で……
ラグナスを求め……
「……悪ぃ、ちょっと取り乱したな。馬ぁ借りていいか? 許可は貰ってきた」
「ちっ、しおらしくしてんじゃねぇよ。馬なら外に繋いであるやつ適当に持ってけ。ザザン一家の厩舎から奪ったやつだけどよ。食いてぇなら何頭か持ってってもいいぞ」
「一頭で十分だ」
厩舎から馬を借り、跨る。
手綱を握った手がズキズキと痛む。
そのまま逃げるように馬を走らせると、視界の端に先程の崖が見える。だが……
ジェシカがこっちを見ているような気がして、ノヒンは振り返らないようにするのに必死だった──
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