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第一部 第二章 夢の灯火─少年、青年期篇─
ジェシカ 2
しおりを挟む「ああそうだ。馬は必要か?」
テントから出ようとしたラグナスが振り返り、ノヒンに問いかける。
「あの銀色の立派な馬を貸してくれんのか?」
「スレイプニルの事か? 残念だがスレイプニルは私しか乗せてはくれないよ。馬が必要ならジェシカに頼んでくれ」
「ジェシカか……気まじぃな。おめぇが団長なら団長権限で貸してくれりゃあいいんじゃねぇのか?」
「団の管理は実質ジェシカなのでな。つまり馬の管理もジェシカだ。君はジェシカに逆らう勇気はあるか?」
そう言ってラグナスがにやりと笑い、ノヒンが怒ったジェシカの顔を思い出す。
「……ねぇな。まあ……とりあえずジェシカ探して確認してみるさ。おめぇはどうすんだ?」
「私はザザン一家の死体の処理だな。死体をそのままにしたら疫病が発生するかもしれないだろう?」
「おいおい、死体ったって万はあるぞ? ヨーコにやったみてぇに導術使うのか?」
「そんなことはしない。ザザン一家は君が言う『糞ども』だからな。ヨーコと一緒の扱いは私には出来ない。私の導術は魔獣を誘い込むことも出来るのでな。まあ餌にでもするさ」
「……もう一回言わせてくれラグナス。おめぇ……いい奴だな」
「私ももう一度言うぞ? 私は単に弱き者の味方なだけだ」
「やっぱ変わってんなおめぇは」
「いやいや。君にだけは言われたくないな」
そう言って二人で笑い合い、一緒にテントを出た。ラグナスはテントの外へ出ると「待っているからな」と言い残し、砦の奥へと去って行く。
「さてと……」
ラグナスを見送り、ノヒンが辺りを見回す。周囲にはぽつぽつとテントが張られ、楽しげに談笑する声が聞こえていた。
「(ジェシカに会うのは気まじぃな。まあだが……馬がねぇとさすがにニャールまでは遠い……)……ちっ、探すか」
とりあえず馬がなければどうにもならない。テントのどれかにジェシカはいるだろうと、ノヒンが歩き出した。
「『さっきはすまない』……いや、『悪ぃな』か? ……『変なとこ吸わせたみてぇだな』……いやだめだ……『さっきはすまない』が無難か……」
謝罪の予行練習を呟きながら歩いていると、ノヒンの視界の端に動くものが映る。
それは崖の上、剣を振るジェシカの姿。
その姿は荒々しく、怒りを剣に込めているように思えた。
「だいぶ荒れてんなぁー、ジェシカのやつ」
唐突にノヒンの背後から声がし、振り返って睨みつける。
「誰だ?」
「あぁ? 睨んでんじゃねぇよ。俺はヒンスだ」
「……ちょっと待てお前……確か俺を弩で狙ってやがった……」
ノヒンはヒンスに弩で撃たれている。だがあの時は背後からだったので、『狙っていた』という認識だ。
「(撃ったのが俺だって気付いてねぇのか……?) ああそうだよ。危ねぇ獣がいると思ったんでな」
「悪ぃな。あの時はちょっとどうかしてた」
「俺が撃ったって思わねぇのか? 胸ぐらでも掴まれる覚悟だったんだけどな」
「お前が先頭だったが、他にも弩を構えてる奴はいただろ? 確証がねぇのに責めるつもりはねぇよ」
「ちっ、なんだよそりゃ。もっと危ねぇやつだと思ったが……調子が狂ったな。んで? 何かジェシカに用か? 今あいつぁ気が立ってるからよ、近付かねぇ方がいいぞ?」
「馬が必要なんでな。管理はジェシカなんだろ? まあ刺激しないようにするさ」
そう言ってジェシカが剣を振る崖の上に向け、ノヒンが歩き出す。背後で「おめぇが行くことが刺激になんだよ」とヒンスが呟いたような気がした。
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「よぉジェシカ。さっきはすまなかったな」
崖の上まで登り、予行演習していた謝罪の言葉をノヒンが口にする。
「………………」
ノヒンの謝罪には応えず、一心不乱に剣を振るジェシカ。ノヒンにはその横顔がヨーコに見え……
胸がつまる。
「聞いてんのか? おーいジェシカァ? ……っつぅ……」
ノヒンの首筋に冷たい感触。ジェシカの握っていた剣が、ぴたりと首筋に宛てがわれていた。
「貴様に名前を呼んでいいと言った覚えはない。失せろ」
「ちっ、取り付く島もねぇ。とりあえず馬を貸してくれねぇか?」
「失せろ……と言ったのだが? 殺すぞ」
「あぁん? 何をそんなカリカリしてやがんだぁ? 言い方かぁ? んじゃあ『お願いしますジェシカ様! 馬をお貸し下さい!』これでいいかぁ?」
「口も態度も悪く、頭も悪いようだな。私は貴様を認めたわけじゃない。汚い手でラグナスを殴ったこと……危ない目に合わせたこと……断じて認められない」
「あぁ? なんだおめぇ。もしかしてラグナスにホの字かぁ? めんどくせぇ奴だな。おめぇに認められなくてもラグナスは俺のこと認めてんだよ」
「黙れ! 黙れ黙れ黙れ!! 貴様がラグナスの名を口にするな!」
「うおぉっとっと……ちっ! 危ねぇじゃねぇか! ちょっと切れちまったぞ! っつーかおめぇ……今マジで殺そうとしたよな?」
ジェシカがノヒンの首筋に宛てがった剣にギリギリと力を込め、その剣をノヒンが素手で掴む。
「ああそうだ! 今ここで死ね! 団の管理は私がしている! 私の権限で貴様は殺す!!」
ジェシカがノヒンを蹴りつけて距離をとる。そのまま激しい剣での連撃。ラグナスが言っていたがジェシカは魔女。身体能力が高く、目にも止まらぬとはこういうことか──という激しい剣閃。
だが敵意を向けられたノヒンもまた、身体能力が上がる。ノヒンも魔女の系譜なのだが、少し特殊だ。元から常軌を逸した身体能力なのだが……その上で敵意を向けられる度、傷を負う度に身体能力が天井知らずで上がっていく。
「ちっ、危ねぇ女だなぁ? なんだぁ? あの日かぁ?」
「貴っ様ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
まずいなと思いつつも、ノヒンがジェシカを煽ってしまう。ヨーコの顔で敵意を向けられ、平静ではいられない。
「初めから殺していればよかったんだ! そうすればあんな屈辱!! ラグナスだってそうだ! あの時ラグナスが言ったんだ! 貴様が欲しいと! 力尽くでも欲しいと! そんなこと……そんなこと私は言われたことはない!!」
「ちっ! 嫉妬でヒスってんじゃぁねぇぞ! ああそうだよ! ラグナスは俺が欲しいんだ! てめぇみてぇなヒス女じゃなくてなぁ! 残念だったなぁ? あれかぁ? ラグナスに抱かれてぇのに抱いて貰えなくて悶々としてやがんのかぁ?」
「貴っ様ぁ! 侮辱するなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
「なんだぁ? 図星かぁ? よく見りゃ処女っぽいもんなぁ? 屈辱ってよぉ! 俺こそてめぇみてぇなヒス女にイチモツ触られて屈辱だってんだよ!!」
「死ねっ! 死ね死ね死ねぇっ! 死んで詫びろっ!!!」
ダンッ、とジェシカが踏み込む。
だがそれをノヒンが躱し、体勢を崩したジェシカが足を踏み外して──
崖下へと転落する。
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