八百万町妖奇譚【完結】

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御三家子息の隠し事

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甘みを含んだ出汁の匂いがする。
 蓮はそのことにもう随分前から気がついていた。だから、今こうしてコタツに足を入れ、上半身を天板に預けてまどろんでいる間も、鳩尾のあたりが切なく疼いている。
 少し後、鈴の音が鳴って蓮は顔を上げた。旺仁郎が小さな鍋の持ち手に布巾を添えて、こぼさぬようにと慎重な足取りでキッチンから現れた。
 目が合い蓮が微笑むと、旺仁郎は僅かにその目を細める。
 旺仁郎のことが八百万町でバレてから宗鷹が病院にいる間、蓮と大成は交互に学校を休み、旺仁郎を一人にしないようにしていた。わざわざ御三家の館を改めにくるようなものはいないだろうが、それでも念のためである。
 とはいえ蓮は、こたつの中で微睡みながら旺仁郎と二人で過ごすこの時間に、心地よさを感じていた。
 昼食の時となり、旺仁郎が蓮の前に小さな鍋を置く。こたつの上には既に呑水と、箸がそれぞれ二つ並べられていた。
 鍋を置いた旺仁郎の腕を引き、蓮は隣に座らせた。同じ辺に足を入れ込み、背中に巨大なクッションを当てがって、体の片側をくっつける。
 旺仁郎が鍋の蓋を開けると、白い湯気が溢れ出した。甘い出汁の匂いが広がる。

「すごい、旺仁郎が作るとおでんまで可愛い」

 大根、卵、ちくわぶの断面がまんまるで、はんぺんがやたらと分厚くふくよかである。定番のこんにゃくやがんもどき、あとはウィンナーまで入り、それらが鍋にみっちり詰められていて、絵に描いて残したいほどに可愛らしい。
 蓮が可愛いと言うのがピンと来なかったのか、旺仁郎はやや首を傾げている。

「特にこのハンペンがすごく可愛いよ、俺が今までみたどのハンペンよりも分厚くてふわふわだ!」

 少々大袈裟に言いながら蓮は箸でそれを掴み上げた。呑水においてから半分に割り、一片を旺仁郎の前に置かれた呑水に置いてやった。
 旺仁郎は右手にからし、左手に柚子胡椒のチューブを掲げ、どっちにするかと蓮に問うている。
 蓮がからしを指すと、器の隅に旺仁郎がそれを絞り出す。少し塗って齧ると、ほとんど歯ごたえのないふわふわとした感触と、出汁とほのかに魚の風味が広がりその後程よく辛味があった。
 
「美味しい」

と言って隣をみると、小さな口で齧りながら旺仁郎が頷いている。
 食べたものが美味しくて、隣の旺仁郎を可愛く愛おしいと思えば思うほど蓮の胸は切なくなった。
 一つの鍋を一緒に食べ、食器を片付け終えた旺仁郎が、お茶を出した。
 蓮はまた旺仁郎の手を引き、今度は少々強引に引き寄せる。そのせいで膝をついた旺仁郎の体が揺れて、鈴の音が鳴った。
 両手で包み込むように抱きしめて、そのままごろんと体を倒す。背もたれにしていた巨大なクッションに二人して埋もれていく。このまま眠ったら、きっと心地よいだろう。
 旺仁郎は蓮に応えるかのように、その胸元に顔を埋めて、腕のあたりの衣服を掴んで体を預けている。

「旺仁郎、可愛い。大好き」

 胸に抱いた旺仁郎を押し潰さないように、それでも可能な限り蓮は強く抱きしめた。

「大好きだよ。旺仁郎」

 蓮がなん度もそう言うと、旺仁郎がもそもそと胸元で動いている。
 何か言いたげに顔を上げるのだが、蓮がその体をかかえているせいでメモに手を伸ばすことができないのだ。
 蓮は旺仁郎の言葉が怖かった。例え何が返ってきても、その文字は蓮の胸を締め付けるに違いないのだ。
 蓮は病室での宗鷹と旺仁郎の話を聞いていた。
 自分よりも先に宗鷹がきっぱり気持ちを伝えたとしても、やっぱりあいつは流石だなと思うだけで、蓮は負ける気などしなかった。
 しかし、宗鷹があの言葉を言った瞬間、蓮の心は打ち砕かれたのだ。

『俺であれば絶対にお前を一人にすることはない。それに、お前のことを誰よりも理解できる』

 その通りだと思ってしまった。
 蓮は宗鷹のその言葉を聞いてから、自分の気持ちとその事実の間で葛藤している。
 結論めいたものは出たはずだったが、苦しくて仕方ない。わかっているのに、抱きしめてしまうとどうにも離してやる気になれないのである。
 蓮の腕を掻い潜って、旺仁郎の掌が蓮の頬を包んだ。横向きにクッションに体を預け向かい合っている。
 コタツに入れた旺仁郎の足元は、さっきまでキッチンにいたせいか冷たい。蓮は自分の足先を擦り付けてみた。
 旺仁郎は蓮の瞳を覗き込んでいる。じっと何かを感じ取っているようだ。
 全てを見透かされそうだなと、蓮が眉を下げて困ったように笑うと、急に何かを察したように旺仁郎の瞳が揺れた。
 不安気な色を含んだ表情で、蓮の頭を抱え込むように腕を伸ばした。旺仁郎の胸元に顔を寄せた蓮はその少し早く脈打つ鼓動を聞いた。

「ごめんね。俺じゃ、旺仁郎を一人にさせちゃう」

 八百万町や宇井家、異能者を捨て、薄情者と後ろ指を刺され、一生逃げて隠れて暮らす。それでも、そのうちのいく日かを今日のように穏やかに過ごせるのなら構わないと蓮は思っていた。
 しかしそれは相変わらず自分のことばかりを考えていたのだと気付かされる。
 どうあがいても、人である自分は旺仁郎よりも随分早く死んでしまう。蓮が望むような穏やかで幸せな時間を過ごせば過ごすほど、一人残される旺仁郎はどのような心持ちでその後も続く長い命を生きねばならぬのか。

「どうしよ。ごめん、それでも、やっぱり大好きだよ……最低だ俺。まじで自己中で最悪」

 蓮は鼻で深く息を吸い、目元を濡らすそれを自らの手で拭う。嫌いだなどと嘘をついて突き放すことなど、蓮にはできなかった。
 旺仁郎の腕は蓮の頭を抱え込み、手のひらは後頭部の髪を撫でている。
 言うべきだと思う言葉が、喉までくるが蓮の感情がそれを押し止めていた。しかしついに息を吐き、蓮は頭を撫でていた旺仁郎の手を握り顔を上げ、その目を見据えた。

「旺仁郎、宗鷹といくんだ」

 蓮の言葉に、旺仁郎の表情は動かないままだった。唇は横に結ばれたまま、それ以外は顔のどの場所にも力がこもっていないように見える。

「無事にこの町をでるまで…旺仁郎が八百万町ここにいる間は、俺が旺仁郎のこと守るから」

 旺仁郎は首を横にも振らないが、頷きもしなかった。旺仁郎が頷かないことにどこか安堵する自分を、蓮はまたずるい奴だと心で思った。
 口では別れを示唆しながらも、その手は相変わらず旺仁郎を離そうとしていない。
 結局、蓮は旺仁郎を抱き寄せて口付けた。またもう一度「大好きだ」と言ってしまった。
 前にも思ったが、旺仁郎は不思議な泣き方をする。表情が変わらないのに、目からぽろぽろこぼれ落ちるのだ。横向きになっているせいで、その涙は目尻を伝い、クッションの上にじわりと落ちていく。蓮は自分のために流れるそれを指でなぞるようにぬぐってやった。
 旺仁郎はその手に頬を擦り付けて、その後で額を蓮の胸に沈めた。
 切なく締め付けてられていた胸が、その呼吸の心地よさに微睡んでいく。
 旺仁郎を胸に抱いて、寒い冬の午後にコタツで眠るなど、なんて幸せなんだと蓮は思った。
 そしてまた目元が熱くなったのを気づかれぬように、小さく鼻を啜るのだった。







八百万町妖奇譚
ー御三家子息の隠し事ー
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