転生しました、脳筋聖女です

香月航

文字の大きさ
上 下
43 / 111
連載

STAGE12-09

しおりを挟む
 黒い泥まみれの女性が、ゆらりと立ち上がる。
 サリィと呼ばれていたその人は、とても人間とは呼べないような見てくれに変わってしまった。
 体格は私と大差のない、ごくごく普通の女性だったはずだ。なのに、どうしてこんなことになってしまったのだろう。

(これまでの【混沌の下僕】と、何が違うの?)

 私はあの特殊な泥に関わった人間を三人見ている。使っていなかった元脂身さんはともかくとしても、泥を使ってしまった二人も、本人たちには何の変化もなかったはずだ。
 人間は人間、魔物は魔物。そういう風にしか見えなかったからこそ、敵ネームが読み取れない人々はその罪を見逃していたのだから。

 なら、サリィはあの二人と何が違うの? 使っていた量が多かったとか? 泥に関わった時間が長かったとか?
 ……わからない。そもそもこの魔物は謎が多すぎる。
 カールが確認したものと私の前に現れるものと、強さにも差がありすぎるし。それとも、やっぱり私を狙っている誰かが……

「アンジェラ下がって。屋内でそのメイスは危ないよ」

「ジュード……」

 考えるほどに混乱していく私を、彼のたくましい腕が引き下げて、代わりに前に出てくれた。
 と言っても、彼の曲剣も屋内では不利な武器だ。今も丸腰のままで前に立ってくれている。
 他の皆も屋内では自由に動けないし、魔術を撃つなんてもってのほかだ。特に破壊師弟はね。

(頼みの綱は、コントロールが的確なノア一人なんだけど……まずは状況を見極めないと)

 ゆらゆらと泥まみれの体を揺らしながら、サリィがクロヴィスたちに一歩近付く。その度にこぼれ落ちるのは、奇妙な光沢をもったコールタールのような液体だ。
 自然物とは思えないそれが、可愛らしいデザインの家を汚していく。

「クろ、ヴィス……」

 吐息の多い、かすれた声が泥の中から響く。
 実の妹のあまりの変わりように、シエンナさんはもう放心状態だ。
 その体が倒れないようクロヴィスが抱きしめているけど、あれではクロヴィスは戦えないだろう。

「――サリィ、聞いてくれ」

 動きあぐねている私たちを横目に、クロヴィスは泥まみれの女性に声をかけ始めた。
 怯えたり恐れたりしていない、騎士らしいハッキリとした声だ。
 ……私たちはサリィについて詳しく知らない。当事者の彼が動いてくれるのなら、まずはそれを見てからのほうが良さそうね。

「……検討違いな話だったら悪い。けど、もし本当なら、俺がハッキリしておくべき問題だと思うから」

 シエンナさんと手をしっかりと繋ぎながら、クロヴィスはサリィへまっすぐ視線を向ける。
 それまでの色々を打ち消すような、ヒーローらしい凛々しい表情だ。

「サリィ、俺はシエンナを愛しているんだ。お前のことは嫌いではないけど、特別でもない。俺は彼女と、新しい家族を心から大事に想っている。これからも気持ちは変わらない」

 えうえうと鼻をすすった赤ちゃんに、クロヴィスは少しだけ視線を向けて、穏やかに微笑む。
 一途で強い『父親』としての決意を込めて。

「もしお前が俺を好いてくれているとしても、その気持ちには応えられない。俺にはもう、かけがえのない家族がいるんだ」

 恋の終わりが告げられる。……というか、結婚しているのだから、結果はとっくに出ていたのだけど。
 改めての拒絶は、今のサリィにどう響くだろうか。

「…………」

 彼女の表面の泥が、ゆらゆらと揺れながら輝いている。
 真っ黒な涙が床に染みを作りながら、止まることなく細い頬を伝っていく。

「く、ロ……ヴィ……」

 サリィの声はどんどんかすれてきているようだ。
 まるで、電波状態の悪いラジオのような途切れ途切れの声に、ウィリアムがそっと顔を背ける。

「…………アンジェラ」

 そんな中、屋内でも戦えると期待していたノアは、私たちの望む通りに魔術の準備を終えてくれたらしい。
 レンズの向こうの白銀が『いつでも行ける』と合図を送りながら、じっと機会を窺っている。
 さすがに人間に攻撃魔術を撃つのは怖いけど、その辺りの加減はノアを信じよう。

「サリィ……」

 また一歩だけ、サリィの体がクロヴィスに近付いた。
 足取りはずいぶんと弱々しく、せまっているというよりは彼に“すがっている”ようにも見える。
 はたして、サリィの人としての良識はどれぐらいあるのだろう。

「ちが、……の。クロ……ス……ち、が……」

(『違うの』?)

 黒い涙が、量を増した気がする。
 ただクロヴィスを呼んでいた声に、違う言葉が混じった。……普通に考えれば、加害者の言い訳にすぎないのだけど。

「……そろそろか?」

「待って、まだ撃たないで。様子がおかしいわ」

 れたノアが呪文を唱えようとするのを、腕を伸ばして止める。
 ……サリィのこの姿。もし魔物と融合したのなら、すぐにでもこちらを襲えるはずなのに。
 だけど彼女は、クロヴィスに話しかけているだけだ。『敵』と呼ぶには違和感を覚える。

「……ロヴィ……わ……し、じゃ……ない」

 息の音がまた増えて、私では言葉を聞き取れなくなってきた。
 サリィはもう歩もうとはせず、今度はゆっくりと首を横にふっている。
 聞き取れたらしきジュードが「多分、『私じゃない』って言ってる」と教えてくれたけど、どういうことだろう?

(ただの言い訳じゃないの?)

 どう見ても魔物に変じた彼女が、『私じゃない』? それはもしかして、別の誰かが【混沌の下僕】を撒いていたってこと――――、



「逃げて」



 妙にはっきりと落ちたサリィの声に、私も皆もクロヴィスも動きを止めた。

「……逃げて、ですって?」

 問いかけても、サリィは顔を伏せたまま動かなくなってしまっている。
 黒い涙の最後の一滴が、汚れた床に飲まれて消えた。

 ……逃げてって言われても、今襲ってきている脅威はそう言ったサリィ張本人だ。
 それとも、別の魔物が現れようとしているの? 今のところ、敵ネームが出る気配はないけど。

「クロヴィス、今のうちにこっちへ!!」

 あっけにとられていた彼に、私たちの背後から慌ててダレンが呼びかける。ハッとしたクロヴィスは、家族をかばいながらすぐに応接間の中へ走ってきた。
 ……その際、サリィの真横をすり抜けたのに、彼女は全く反応しなかった。

「よし!」

 夫妻は難なく合流でき、彼らをかばうように皆は立ち位置を変える。
 一番サリィに近い私とジュードは、警戒しつつも彼女の反応を待つ。

 十秒。二十秒。……正確には、もっと少ない時間だっただろうか。


『…………あーあ』

 俯いたままのサリィから、また声が聞こえた。
 先ほどまでのかすれた声ではなく、ずいぶんとハッキリしたものだ。

『なんでこんな姿になってまで庇うのかしら? 貴女だって、ねたましいと思っていたはずなのに』

 ――ハッキリした……まるで別人のような声だ。いや、本当に別人なのだろう。
 サリィの声を正確に覚えてはいないけど、今のはどこか幼さの残る『少女』の声だったもの。

 苛立ちを声ににじませながら、サリィの体がゆっくりと動きを確かめ始める。
 私の前に立つジュードが、わずかに強張こわばった気がした。

「お前は誰だ? サリィをどこへやったッ!?」

 警戒する私たちを無視して、背後からクロヴィスが強く問いかける。付き合いの長い彼は、今のがサリィの声ではないとすぐにわかったようだ。
 糾弾するような声に、しかし泥まみれのサリィは小さく笑った。

『さあ? 少しは自分で考えなさいよ。その空っぽの頭を使ってね』

「なんだとっ!?」

 いきどおる彼を煽るように、泥の中から嘲笑が続く。
 やがて、くるりと体を反転させた彼女は、再び私たちと向かい合った。
 先ほどまでのおぼつかない様子はない。泥にまみれながらも、その立ち方はしっかりとしている。

『だって私は、クロヴィスのことが大嫌いなんだもの』

 ニタリと、裂けるように唇が歪む。
 黒い泥で全身を覆っているにもかかわらず、サリィの瞳は“不気味な青色”で爛々と輝いていた。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

規格外で転生した私の誤魔化しライフ 〜旅行マニアの異世界無双旅〜

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:668pt お気に入り:138

俺を裏切り大切な人を奪った勇者達に復讐するため、俺は魔王の力を取り戻す

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:5,248pt お気に入り:91

婚約破棄されたけど前世が伝説の魔法使いだったので楽勝です

sai
ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:901pt お気に入り:4,184

仲良しな天然双子は、王族に転生しても仲良しで最強です♪

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:14pt お気に入り:302

えほんのおへや

絵本 / 連載中 24h.ポイント:71pt お気に入り:5

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。