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第6話:なんか出た

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 ボヤ騒動を起こしたものの、幸い大家さんに火災報知器のけたたましいベルは止めてもらい、鍋を一つダメにしただけで済んだ。重宝したホーロー鍋だったけど、まあ何十年も昔のものだし、明日は新しい鍋を買いに行くという外に出る理由ができた。コンビニで流石にホーロー鍋は売っていないから、ちょっとバスに乗って、街に出よう。

「それにしても…」

 お隣の大家さん、神守《カミノモリ》さんはかなりチートな人間だと思う。庭師としてのそつのない仕事力といい、料理も上手く、いざというときの危機管理力も高い(わたし比)。昔住んでた家に火災報知器なんてなかった気がする。アキくんが全部やってくれていたから、全く気が付かなかった。

「考えてもみたら、わたし一般常識がないのかも…。我ながらちょっとヤバい。結婚したらどうなるのか……。やっぱり旦那になる人はアキくんみたいな何でも出来て、わたしをカバーしてくれるような人でないとダメだな」

 生姜焼きは美味しかったし、萬福堂の胡麻団子もとても美味しかったのだけど、どうやらちょっと食べ過ぎたようで、胃がもたれて眠れない。夕飯の後はお腹いっぱいで眠くなってしまって仕事もできなかったし、ちょっとだけでも今から進めておいたほうがいいだろうか。

 普段アキくんがいる時は、真夜中の仕事は絶対ダメ、と言われていた。朝晩がひっくり返ってしまうからだ。朝はちゃんと起きて朝ごはんを一緒に食べて、それから仕事をしろと口すっぱく言われていた。集中すると時間を忘れて、夜中にトイレに行った時、たまたま部屋から出てきたアキくんに悲鳴を上げられたからだ。幽霊に見えたのだとかで。あと夜中の2時頃にシャワーを浴びて出てきた時、寝間着を忘れてパンツ一丁で部屋に戻ろうとした時も、アキくんは悲鳴をあげていた。朝起きたら、廊下に濡れた足跡が点々と付いていて仕事を増やしたと言って、また怒られた。

 まあ、わたしの尻拭いをアキくんが全部していたのだから、すみませんと頭を下げるしかなかったのだけど。アキくんはきっと、ホラーが苦手なんだと思う。幽霊とか、死霊とか、エクソシストとか、全般的にダメなのはわたしのせいじゃないと信じたい。

 だが。

 今はわたし、花の一人暮らしなのである。一晩くらい夜更かししても肌荒れしないよね。言わなきゃバレないし?

 もそもそとベッドから這い出して、わたしはキッチンのテーブルに置きっぱなしだったパソコンの電源を入れた。ぼやっと画面が光り、書きかけの原稿をオープンする。この作品はもうそろそろクライマックスに入り、主人公たちの乗っていた宇宙船が爆破され、空中応戦へと突入する。

 カタカタとタイプして行くうちに、時間を忘れて佳境を過ぎ、ふう、と息をついた。肩がギチギチになったのを揉みほぐしながら、ふと庭を見ると黒い影が庭を横切った。うん?と思い、じっと見つめるとカサカサと音がする。

「まさか、黒いGさん…」

 外にいる分には構わないが、どこか隙をみて入り込まれると困る。あれは一匹見ると十匹?三十匹?百匹?はいるというから、一匹でも入り込まれると途端に大量発生する羽目になる。バ◯サンを引っ越し四日目で焚くのは嫌だ。

 そっとパソコンを閉じ、暗さに慣れるためじっとして外を見る。サッシの隙間や天井の隅に視線をやると、いた。でた。カサカサカサと横滑りをする生き物。

「はぁっ!!」

 わたしはG目掛けてスリッパを投げ、ダッシュで殺虫剤を手に取り、落ちてきたところをすかさずシューーッ!もう一方のスリッパでパンパパパンッと連打。そしてもう一度シューッとして電気をつけた。足がもげ、頭が潰れて既に元の体型を残していない物体に手を合わせる。

「冥福を祈る」

 ささっとティッシュで掴み取り、ゴミ箱へポイ。ふーっと息をついて電気を消えしたところで、ぎくりとして飛び上がった。

 庭に、犬のような大きさのGが。こちらに腹を見せて、ひっくり返っていた。妙に筋肉質の足とか生えてる毛?とか触角の付け根とかが視覚に訴えかけてくる。

「ぎゃーーーーーっ!?」

 腰が抜けてしまった。腰が抜けるってほんとに抜けるんだ、とどこかで冷静な自分が一瞬考えたのだけど、そのまま白目を剥いて意識を飛ばした。



 はっと気がつくと、空は白んできているようで、鳥の鳴き声が朝を告げていた。リビングでどうやらそのまま寝てしまったようで、体が痛い。コキコキと首を動かして……。はっとして庭を見る。

「いない…」

 腹を見せてひっくり返っていた物体はどこにはいない。窓に張り付いて見渡してみたけど、庭には昨日大家さんが植えてくれた苗がちょこんといるだけで、鳥の一羽すら見かけなかった。ゾクゾクと背筋が泡立つ。G さんだったら当然宵闇に紛れて行動するから、朝の光の中で見かけることは少ない。闇属性の生き物なのだ。まさか、殺したGの親とか、そんな恐怖漫画みたいなことはあるはずはないと信じたい。殺された息子の壮絶な死に泡吹いて倒れたとか…っ。

「夢……?それとも呪い…」

 いやいや。物語と現実をごっちゃにするのは危険過ぎる。見間違いだろうか。作品に没頭するあまり、おかしな妄想をしたのかもしれない。

「よくあることだし……」

 妄想はほぼ職業病と言っていい。なんなら白昼夢も入れたら、それこそ四六時中妄想していると言って過言はない。

 時計を見ると、時間はまだ6時ちょっと前。わたし的にはものすごい早起きだ。もう一度庭を見渡して、何もいないことを確認すると、窓をそろりと開けてみた。

 縁側にも何もない。妄想癖のあるわたしは、時々こういうことがある。何か理解できないものを見たような気がすると、脳が勝手に『知っている何か』と変換するのだ。それを逆手にとって、色々空想するのは楽しいし、作品の手がかりにもなるのだけど。

「Gはいただけないわー。やめてほしいわー」

 せめて変換するなら、黒天狗とか、吸血鬼とか、悪魔とか死神とかもっとこう、闇属性を持つ夢のあるものがあるじゃない?いや、悪魔と死神は夢があるとはいえないけど…。

「ホントのとこなんだったのかな…黒っぽい物体で、犬ほどの大きさ。有刺鉄線があるから下手な動物は入ってこれないだろうし、鳥は夜目が効かないから飛ばないと思うんだけど、馬鹿なカラスが冒険して窓ガラスにぶち当たったとか?じゃなかったらコウモリとか?」

 まあ、どうしたってもういないのだし、考えても仕方ないか。まだ朝早いけど、ありがたいコンビニは24時間営業だ。コーヒーと朝ごはんを買ってこよう。

 両手を腰に当て、ヨイショと上下左右に体を伸ばすとポキポキと背骨と首が鳴る。もう少しで今書いている作品が終わるから、今日はちょっと頑張って仕上げよう。そんで、ホーロー鍋は明日にでも買えばいいか。

 わたしはくるりと庭に背を向け、コンビニへ向かうべく部屋に入っていった。まさか、お隣の大家さんがこちらをじっと観察しているとは気が付きもせず。



 
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