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後編

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 ケヴィンを見た瞬間、私の世界から音が消えた。

 会いたかった、ずっと会いたかった私の大好きな婚約者。二年前よりも身長も伸びて体にも筋肉がついている。表情も男らしくて少年の面影はどこにもない。

(でも、どうして?)

 彼は今、女性を抱きかかえて歩いている。それもお姫様だっこで。あれは恋人にするものではないの?
 女性は頬をほんのりと染め彼の胸に頭を預けている。とびきりの美人ではないけど可愛らしくて守ってあげたくなるような女性だった。そう、私と真逆の……。

「二人はお似合いでしょう?」

 案内の騎士の私を馬鹿にするような声で我に返る。
 ケヴィンが私に気付いたようで目を細め笑みを浮かべる。一瞬、私に会えて喜んでいるのかと錯覚してしまうような嬉しそうな顔だった。でも彼の腕には私ではない女性がその身を寄せている。

 残酷すぎる! そんな姿見たくなかった。泣きそう。淑女らしく冷静に「あら? まさか浮気かしら? ふふふ」くらいの余裕を見せるはずだったのに完全に取り乱した。

「ディアンヌ!」

 ケヴィンが女性を抱いたまま早歩きでこちらに向かって来た。まさか婚約解消する前に新しく婚約者にしたい女性を紹介するつもりなのか。絶望した。耐えられない。もう無理。もう彼の顔を見たくなかった。このとき私の頭の中には当初の予定の冷静に話をするという考えは吹き飛んでいた。話を聞く前に先入観から浮気と断定してしまった。

「ケヴィンの馬鹿――!!」
 
 私は思いっ切り叫んだ。そして踵を返し走り出す。
 こんなにお洒落をして馬鹿みたい。朝から張り切って髪を巻いて、昨日から侍女にマッサージをしてむくみを取ってもらったのも無駄になってしまった。お化粧だって可愛く見えるように頑張った。二年振りに会って「綺麗になった」って思って欲しかった。彼に褒めて欲しかったのに! 全部意味がないことだった。きっと彼には私なんかより腕の中の女性の方が可愛く見えるのだ。
 普段からヒールで動いていたので小走りくらい問題なく出来る。ここから一刻も早く消えてしまいたい。

「ディアンヌ。待ってくれ! どうしたんだ? ディアンヌ?!」

 ケヴィンの私を呼ぶ声が聞こえる。彼は残酷だ。そんなにその女性を私に紹介したいのか。とてもじゃないが冷静でいられない。こんなに好きなのに、こんなに好きにさせておいて酷い! 追いつかれないように足を動かす。距離があったから大丈夫なはず。彼の顔を見たくないし自分の顔も見られたくなかった。

「ディアンヌ!」

 腕を掴まれ引き寄せられる。強いのに痛くない。あっという間に追いつかれた。悔しい……。せめてと咄嗟に俯き彼に顔を見られないようにする。

「ああ、ディアンヌだ。せっかく来てくれたのになぜ逃げるんだ? 来週には会えるのにわざわざ来てくれたのか?」

 上ずった声に腹が立つ。目の前で堂々と浮気をしていてよく言える。案内の騎士の様子だとあの女性との仲は公認なのだ。悔しいから言い返したい。それなのに唇が震えて声が出ない。みっともなく瞳からは涙がぽろぽろと落ちていく。自分の弱さが悔しくて唇を噛んだ。

「ディアンヌ? 泣いているのか? 顔を見せてくれ」

 困惑した声が落ちて来たと同時に彼が両手で私の頬を挟み顔を上げさせた。私は咄嗟に睨みつけその手を振り払う。

「ケ、ケヴィンの、っ……う、浮気者! 嫌い、嫌い、大っ嫌い!!」

 彼は目を丸くすると眉を下げ再び私の頬に触れようとしたので顔を背けた。

「ディアンヌ、何を言っているんだ? 俺は浮気なんかしていない。君を愛している」

 目の前で見たのにとぼけるつもりなの?

「ひっく……うそ、そんなのうそ。だってさっき可愛らしい女性を……」

 公爵家の娘なのに取り乱すなんて淑女教育って一体……役に立たなかった。公爵家の娘なら浮気くらい寛容に認めなくては駄目だ。微笑を添えて「愛人くらい大目に見るわ」って余裕を見せてやれ! そう思うのに私は彼を独り占めしたい。私だけを愛して欲しい。私以外の女性に触れないで欲しい。

 涙が止まらない。堪えたいのに嗚咽が漏れる。ケヴィンは左頬に手を添え親指で涙を優しく拭う。節くれだった大きな手は少しカサついている。そういえば昔から彼は私の頬がお気に入りでよく触れていた。頬に触れる手とは反対の腕で私の腰を抱き引き寄せる。優しいのに離れることを許さない強さがあった。もう抵抗する気力はなかった。

「側にいなかったせいで不安にさせたんだな。すまない。でも誓って俺にはディアンヌだけだ。愛しているのはディア、君だけだ」

 ケヴィンの目は真剣で嘘を言っているようには見えない。でも……。不安に揺れる私の瞳を彼は覗き込み安心させるように微笑んだ。寡黙だったケヴィンが何故か……積極的に愛を告げてくれている? 別人かな? でも嬉しい。

「ケヴィン様! 酷いです。私を置いていかないで下さい。しかも放り出したりして、痛かったです!」

 ケヴィンは溜息をつくと私を守るように腕に閉じ込めた。彼の汗と埃の匂いがする。熱い体温が伝わってくる。恥ずかしくて身を捩ると拘束が強くなった。

「放ったのは悪かったが。だがイリス……君は随分と元気そうじゃないか。さっきまで具合が悪くて歩けないと言っていたのに。一人で歩けるなら私が支える必要はないだろう」

「そ、それは……。そんなことよりその人がディアンヌ様ですか? 噂通り気の強そうな女性ですね。ケヴィン様には似合わないと思います。それにベルナール公爵家は家格は高いですけどきっと婿に入れば苦労します。だから私を選んで下さい。子爵家の婿なら面倒な社交もないですし、なにより我が家は辺境領と隣接していてあなたにとっても身近な土地です。私にはケヴィン様が必要なんです!」

 ケヴィンの腕の中にいるので彼女の顔は見ることが出来ないが想像はつく。きっと可憐な顔で瞳を潤ませ健気に訴えている。弱さを武器に守って欲しいと訴えているのだ。そして男性はきっと庇護欲をそそられ手を差し伸べたくなるに違いない。私のようなキツイ女は男性の自尊心を満たせない。それでも思わず縋るように彼の胸に手を当てた。

「君との話はとっくに断っている。いい加減にしてくれ! 社交が大変でもディアンヌのためなら何でもする。そもそもイリスのことは何とも思っていない。俺は公爵家が欲しいのではない。ディアンヌが欲しいんだ。俺には彼女が必要なんだ」

 なんか熱烈なことを言われている。ケヴィンが饒舌? びっくりして涙が引っ込んだ。

「私の方が可愛くてお似合いなのにどうして分かってくれないの? ケヴィン様はその人に惑わされているのです。目を覚まして下さい」

 私が惑わす? どうやって? 言いがかりも甚だしい……。しかも自分で可愛いって言っちゃうのね。

「別に惑わされていないが惑わされても問題ないし、目を覚ます必要もない。どっちにしてもディアンヌを愛していることには変わらないからな」

 私を挟んでの応酬にだんだん居た堪れなくなった。子爵令嬢は私を非難するがケヴィンは擁護というか惚気?てる。学生時代の彼は「好きだ」とか愛を囁かない硬派というかクールだった。さっきから「愛している」という言葉まで出て来て嬉しいけど戸惑ってもいる。

「そんな……怪我の看病をしたときは感謝してくれたじゃないですか!」

「必要ないと言っても君が勝手に押しかけて来た。それに一応礼を言うのは礼儀だ。たとえ迷惑であってもな」

「……怪我?」

 つい低い声が出てしまった。私は彼の腕の中でもぞもぞと動く。子爵令嬢の口から聞き捨てならない言葉が聞こえた。

「ディアンヌ。大した怪我じゃなかった。もう治った」

 私はなんとか彼の腕から顔を出した。

「そういう問題じゃないわ。あなたの怪我を私が知らないなんて酷い。何度も大丈夫か手紙で尋ねたのに隠すなんて……。こんなことならもっと早く会いに来ればよかった。私が看病したかったのに!」

 悔しくて彼の胸をポコポコと叩く。筋肉で分厚い胸板には効果がないのは分かり切っているがそれでも叩く。

「くすぐったい。ディア」

 手を止めて顔を上げれば愛おしそうに私を見つめるケヴィンと目が合う。私は頬を膨らませそっぽを向くと彼は膨らんだ頬をふにふにと摘まむ。

「もうっ!」

「ディア。可愛い」

「ケヴィン様!!」

 気付いたら二人の世界に浸っていた。子爵令嬢は顔を真っ赤にして怒っている。それはそうだろう。自分の告白を無視して目の前でイチャイチャされればそうなる。ハッと気づけばたくさんの騎士が囲んでニヤニヤと見ている。私は急に恥ずかしくなり顔を真っ赤にして俯いた。

「イリス。まだいたのか。もう俺に話しかけないでくれ。目障りだ」

「目障り? そ、そんな、ひどい…………」

 ケヴィンは周囲の様子などお構いなしで、私の腰を抱くと自室へと連れて行った。
 侍女を呼びお茶の支度を頼む。すぐに私の好きなレモンティーが出て来た。ケヴィンは私が好きなものを覚えてくれていた。嬉しい。
 泣いたせいで喉が渇いたのでカップに手を伸ばし口を付ける。香りも良く美味しい。ケヴィンはこれ以上にないほどご機嫌で私を見ているが、なんだか居心地が悪いのでプイッと横を向いた。

「ディア。こっちを見て。やっと会えたんだ。顔を見せて欲しい」

「嫌よ」

「どうして?」

「それは……私を差し置いて他の女性を抱き上げた罰よ!」

 彼女の具合が悪くなって仕方なく抱き上げたとしても嫌なものは嫌だ。しかも仮病だったみたいだし。そこは私にとって大事なことなので抗議する!
 
 ケヴィンはふむと頷くと立ち上がり私を抱き上げてソファーに座り直した。彼の硬い太腿に座らせられた。突然の行動に逃げようとしたが腰をがっちり抑えられた。婚約者だから許されるとはいえ距離が近すぎる~。しかも私は緊張しているのにケヴィンは余裕がありそうだ。ちょっと悔しい。

「さっきはイリスが貧血で歩けないというから仕方なく運んだだけだ。その辺の荷物と変わらない。でも今は愛しい人を抱き締めている。イリスとディアンヌでは存在の尊さが全然違う。ああ、前から綺麗だったのに一段と美しくなったな。一緒にいられなかった時間が惜しいよ」

 そんなことを言われたら彼の顔を見たくなってしまう。目が合うと彼は幸せそうに目を細めた。もう、怒り続けるのは無理だった。潔く降参します。

「ケヴィン。私、ずっと会いたかったの。手紙も来なくて寂しかった」

 私は素直に白状した。彼がここまで気持ちを伝えてくれるなら意地を張る意味がない気がしたからだ。

「手紙なら毎週送っていたはずだが?」

「毎週? もう三カ月前から一通も来ていないわ」

「届いていない? 一体……」

 ケヴィンは眉を寄せ思案したが首を横に振ると真剣な顔になった。そして私をまっすぐに見つめる。

「ディアンヌ」

「なあに?」

「俺と結婚して欲しい」

「……どうしようかな? ケヴィンは本当に私が好き?」

 首を傾げ彼の目をじっと覗き込む。本心なのかを見極めるために。

「ああ、言葉に出来ないほど愛している」

「じゃあ、結婚してあげるわ」

 そのプロポーズは幼いいつかを思い出す。私たちは顔を見合わせると声を上げて笑った。




 手紙の行方の調査結果はイリスの父親のボネ子爵が配達人に高額なお金を渡して止めていた。配達人は軍事機密や緊急性がない恋文だと判断して言いなりになった。あと、王都でのケヴィンの浮気の噂も彼女が王都にいる友人を使って流させていたらしい。他の貴族たちは面白がって広めたようだ。
 ジラール辺境伯はこれを重く受け止め配達人を解雇し罰を与えた。ボネ子爵とイリスはジラール辺境領内の立ち入り禁止及び取引停止の命令を受けることになった。イリスは去るとき私を物凄い形相で睨んできたので同じように睨み返した。負けてはいられない。私の後ろでケヴィンが侮蔑を浮かべて彼女を見ていたようで、イリスは絶望の表情になり去っていった。

「ケヴィンは可憐な女性より気の強い女性が好きなの?」

「なぜ?」

「だって私は気が強くて高慢だと、可愛くないと言われているわ」

「俺はディアンヌ以上に可憐で可愛い女性を知らないよ」

「うっ……」

 ケヴィンの真っ直ぐな言葉に撃沈した。
 私は十日間ほどジラール辺境邸に滞在した。ケヴィンは終始私に構い結果的にイチャイチャする姿を周りに見せつけることになった。
 
 そして最初に私を案内をした騎士に青ざめた顔で謝罪をされた。隣でケヴィンが「次はないと思え」と冷ややかに言った。すっかり縮こまる彼が気の毒になるくらいにケヴィンは怖い顔をしていた。ちなみに他の騎士たちには温かく受け入れられた、というかものすごく冷やかされた。恥ずかしい……。これが辺境領騎士団の洗礼ですか、そうですかと遠い目になった。ケヴィンは終始ご満悦だった。こんな人だったかしら? でもどんな彼も好きなので気にしないことにした。

 私はケヴィンと一緒に王都に戻ることにした。彼との旅はまるで新婚旅行の予行練習のようで楽しかった。彼と見る景色は何倍も美しく私を幸せにしてくれた。そのときに思い切って憧れの『恋人繋ぎ』をしたいともじもじとしながら伝えてみた。

「手ぐらいいくらでも繋ぐよ」

 彼は躊躇うことなく私の手を握ると指を絡ませた。念願の『恋人繋ぎ』!! 鼻血出そう……。こんなに呆気なく手を繋げるならはしたないかもなんて迷わずにもっと前から手を繋げばよかったな。

 学生時代の寡黙な彼は何だったんだと思うほどケヴィンは積極的だった。それを聞いてみると「あの頃、ディアンヌが好きだった小説の主人公の男性が無口だったから、好みかと思って……」とぼそりと言っていた。なんと! 私の好みに合わせようとしてくれていたのだ。でも小説だからいいのであって現実はまた違うと伝えると母上に「愛を囁けない男は捨てられるわよ」と忠告されて改めることにしたそうだ。さすがおば様! ありがとうございます。言葉って大切だ。私も意地を張らずに日ごろから素直になるように心がけよう。

 私はケヴィンを見上げて言った。

「ねえ。ケヴィン。私、結婚式が待ち遠しいわ」

「俺もだよ。ディア」

 ケヴィンと王都に戻って以降、散々絡んできたクレモンが一切近寄らなくなった。理由は分からないが平和な生活に乾杯!!






 ちなみにディアンヌ自身は公爵令嬢として毅然と振る舞うせいで自分は可愛げがないと思っているが、周りからは面倒見がいいと評判で実は男女問わず好かれている。(一部の女性からのやっかみは、まあ仕方がないのだろう)
 普段はツンツンしながらも、お礼を言われたときに照れて「たいしたことじゃないわ」と頬を染めながら顔を背けるのが可愛すぎると密かに思いを寄せる男性がいることに本人は気付いていない。実はクレモンもその一人だった。
 その後、ベルナール公爵邸で婿入り勉強中のケヴィンは夜会に出席する度にディアンヌに話しかけようとする男どもを鋭い眼光で威圧するのであった。






(おわり)






 お読みくださりありがとうございました。



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