あなたを許さない

四折 柊

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2.平民から公爵令嬢へ

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 お義姉様はそんな人じゃない。優しくて暖かい人。私の命の恩人。彼女がいなければ私はとっくに死んでいた。

 私は父親を知らない。母の妊娠が分かるとどこかに逃げ出したようなクズだ。物心ついた時からスラム街で母と暮らしていた。暮らしとは呼べない状態だった。廃墟の片隅に母と二人身を置き雨風を凌いだ。病気を患っていた母は働けない。幼い私は食料を恵んでもらうために度々教会に足を運んだ。わずかな食べ物を持ち帰り母と分け合う。私たちはいつ餓死してもおかしくない状態だった。

 この国は荒れすさんでいた。一部の特権階級と呼ばれる貴族たちが贅沢に暮らしているのに対し、恩恵を受ける商人以外の平民はほぼ貧しい暮らしを強いられる。原因は不正の横行、それを見ぬふりをする王族のせいだ。そもそも諸悪の根源が贅沢三昧で民を顧みない王家だと言える。

 ある時、裕福な商人の娘が慈善活動のために多くの護衛を従えてスラムに来た。
 それを見てみんな笑った。護衛などいなくてもそのお嬢さまに危害を加えることの出来る健康で元気な人間などここにはいないのだから。それでも気まぐれな施しは一時腹を満たす。今日食べるパンだけが大事な私たちにはお嬢さまの気まぐれであっても有難かった。

 一時の気まぐれだと思っていたがその令嬢は何年も欠かさず毎週やってくる。
 いつの間にかゴミが溢れかえっていたスラムは清潔になった。空き地の一角に建物が立ち始める。孤児でいっぱいの不潔だった教会は綺麗になった。

 令嬢の連れて来た騎士や従者が清掃をし、貧しく住むところのいない者のためにアパートを建ててくれた。私と母はそこに移り住むことが出来た。老人や病人、子供を優先して住まわせてくれた。食事は朝晩と支給される。若く動けるものはアパートの建設などのために雇用をされていた。炊き出しの人員も雇用して給金を与える。スラムに経済をもたらしてくれた。そうなれば見張りの騎士がいなくても格段に治安が良くなった。誰かの悪意に怯えずに暖かい場所で安心して母と眠れる幸せに涙があふれた。恵んでもらえた食事を誰かに搾取されずに済むことがこんなに安心すると初めて知った。

 教会では子供たちに文字を教えるようになった。望む者にはそれ以上の教育も与えてくれる。子供たちが生きていける力をつけるための自立支援だ。五年も経つとそこはもうスラムではなく。穏やかな平民街となっていた。

 その令嬢こそ、オフィーリア・ヒューズ公爵令嬢だった。ヒューズ公爵様は現状を憂い各地で同じような活動をしていた。令嬢自身もまたその手伝いをしていたのだ。本来なら王家が成すべきことをしてくれていた。
 
 ある日彼女が私と母の住む部屋を訪ねて来た。

「ご病気のご夫人がいると聞き医師を連れてきました。診てもらってもいいかしら?」

「えっ? ありがとうございます。お願いします!」

 母は長患いで一進一退を繰り返していた。診察を終えた医師は難しい顔をして言った。

「お腹にある腫瘍を取ることは難しいでしょう。出来ることは痛み止めを出すくらいです……」

「まあ……」

 痛ましそうに私を見るオフィーリア様にそっと目を伏せた。そうだと思っていた。薄々分かっていたことだ。たとえ治すことが出来なくても医者に診てもらえることに感謝した。彼女の優しさに触れることが出来て私は人を信じられるようになった。人間らしく扱い自分たちを心配してくれる人がいると実感できた。心は穏やかになった。
 それ以降も毎週医者が訪れた。もう助からない人間を見捨てないでいてくれた。お陰で母は穏やかに過ごすことが出来ている。

「病状ですが良くはなっていないが進行もしていない。これはすごいことです」

 医者は驚きを露わにした。それで私は心当たりを話すことにした。今までは私と母だけの秘密にしていたが私には不思議な力があった。それを得意げにオフィーリア様と医者に話した。

「私には秘密の力があるのです。もしかしたらこれは治癒能力でしょうか?」

 私は自分の力に気付いてから誰かに相談したかった。でも母はその力が知られることで私を利用する人間が現れることを恐れた。そして誰にも言ってはいけないと約束をさせられた。でも、オフィーリア様にだけはどうしても打ち明けたかった。ところが彼女は眉を寄せる。沈黙し思案している。

「治癒能力? 分からない。違う気もするわ。ルーシー。あなた、もしかして体のどこかに花の形の痣がない?」

「はい。あります。二の腕の内側に。でもどうしてそれを?」

 首を傾げた。私には生まれつき痣がある。大輪の花のような形。色は真っ赤だった。袖を捲って痣を見せる。

「ああ、魔女の紋章だわ。これは誰にも見せては駄目よ」

「魔女の紋章?」

 古の伝説。この国に魔女がいたと言う。
 でも魔女は人を呪い誑かすと噂され大規模な魔女狩りが行われ存在しなくなったとされている。私はそんなに恐ろしい存在なのかと震えあがった。魔女だと知られれば殺されてしまうのかもしれない。私の怯える様子にオフィーリア様は安心させるように微笑んだ。

「ルーシー。魔女は悪い人ではないのよ。誰かが真実を捻じ曲げてしまったの。本当の魔女は人を呪ったりするわけではなく医術や薬学に長けていた。それだけでなく不思議な力を持っていたわ」

 この痣を持つ者は魔女の末裔だと言い伝えられている。たとえ力がなくても痣を持つだけで利用されたり狙われたりすることがある。身を守る為にも口外しないことを約束させられた。

 ただこの力のおかげで母が今まで生きられたことが分かった。

「この力で人を治せるなら公表したほうがいいのではないのでしょうか? そうしたら人を助けることが出来ます」

「確かに治癒の力なら人助けにはなるでしょう。でも詳しいことが分からない以上、公にしない方がいいわ。特に王家には」

 なぜ王家に言ってはいけないのか理解できなかったが、私はオフィーリア様の言葉が絶対だと思っていたので頷いた。母に力を注ぎ続けたがそれでもとうとう母は亡くなった。私が十三歳になったときだ。

 悲しみに暮れこれからどうすればいいのかと途方に暮れる私にオフィーリア様が言った。

「ルーシーさえよかったら王都の学園に入学してみない? 寮があって衣食住の心配もないわ」

 この頃には私たちは身分を超え友人となっていた。オフィーリア様はその行いの通りに優しく慈悲深い。穏やかな性格で恩人ということを抜きにしても私は大好きだった。彼女はいつだって私を助けてくれる。

「私が通ってもいいのでしょうか?」

「もちろんよ。ルーシーは優秀だわ。学園で学べば将来の職を探しやすくなるわ」

「将来……」

 未来なんか考えたこともなかった。考えていいのだろうか。夢を見ても許してくれる? 幸せを探してもいい? オフィーリア様は柔らかい表情で頷いてくれた。

 夢を見ていいのなら私は学びいつかオフィーリア様の侍女になりたいと思った。それが高望みならばメイドでも下女でも構わない。この人に仕えたい、お役に立ちたいと思った。

「私の侍女? まあ、欲がないのね。知識を身につければ選択肢が広がるわ。もっと自由に考えなきゃ。ね? ルーシー」

「でも私は生涯オフィーリア様の側でお役に立ちたいのです」

 いざ学園に入学すると想像以上に身分の差を思い知らされた。平民から貴族に話しかけることは許されない。オフィーリア様はその悪しき慣習を失くしたいと考えていたが貴族の反発は強く変わることはなかった。

 学園内でオフィーリア様と過ごしたかったが、そうすることで私を特別扱いしているとオフィーリア様が非難される。私自身の嫌がらせはスラムでの生活を思えばくだらなく感じてどうでもいい。所詮子供の嫌がらせに過ぎない。でもオフィーリア様の立場を悪くしたくなくて距離を取った。

 私は入学から二年間続けて首席を取った。その努力を認められ最終学年に上がる頃、今後の活躍に期待するその援助の一環としてヒューズ公爵家と養子縁組をすることになった。やっかみはあったがオフィーリア様の「よろしくね。これからは家族よ」の言葉が全ての辛いことを払拭してくれた。

 公爵様もご家族もそしてオフィーリア様も常に私を案じてくれていた。この縁組は『魔女の紋章』を持つ私を守るためのものだった。幸せ過ぎて言葉では感謝を言い表せない。私にとって貴族になることも生活が今よりも豊かになることもドレスや宝石を与えられることよりも、オフィーリア様の妹になれたことが一番嬉しかった。

 私は増々勉強に励んだ。公爵邸では公爵一家のみなさんも使用人も本当の家族のように迎えてくれた。私は幸せで満たされていた。でも一つだけ残念なことがある。

「姉妹になれたのは嬉しいのですが、このままではオフィーリア様の侍女にはなれないのですよね?」

「ルーシーったらまだ私の侍女を目指していたの? あなたはもう貴族になったのよ。貴女を愛し守ってくれる男性と結婚して幸せになることだってできるのよ。それと私のことはお義姉様と呼んで、ね?」

「はい! お義姉様」

 貴族と結婚など想像もできない。やはりオフィーリア様のお側で働きたい。ヒューズ公爵家の役に立ちたい。その考えは変わらなかった。
 この国は相変わらず貧富の差が激しく不幸な人も未だに多くいる。公爵様や心ある一部の貴族は改善を望んでくれているが現国王はそれを望んでいない。そのせいで根本的にこの国は変わらないのだ。

 そんなある日、マイロ王太子殿下がヒューズ公爵邸を突然訪れた。お義姉様の婚約者であると聞いていたが二人が交流している所を見たことがなかったし、公爵家の人たちは殿下の話を全くしなかった。聞ける空気ではなかったが二人の仲はあまり良くないのかもしれないと感じていた。

 初めて見たマイロ殿下は美しく優雅な貴公子だった。お義姉様に挨拶をした後、私にも声をかけて下さった。それ以降マイロ殿下は公爵邸を頻繁に訪れるようになる。

「殿下。申し訳ございません。義姉は生憎外出しております」

 タイミングが悪くお義姉様は不在だった。先触れを頂ければ対応できたのに。

「そうか。それならばルーシーに相手をしてもらおう」

「えっ? あっ。はい」

 てっきりお帰りになると思っていたが話し相手にと言われた。緊張したが殿下は優しく話しかけてくれた。

「お姉様はとても優しくて素晴らしいのです」

「そう。ルーシーはどんな花が好きなんだい?」

 私は王太子殿下にお義姉様の話をしたが彼はそれを聞き流し私のことを聞いてくる。もしかして養女になった私が公爵家に相応しいか確かめているのかもしれない。緊張しながらも問いに答えていった。もし駄目だとここを追い出されたらお義姉様に会えなくなってしまう。それは想像するだけで身を切られるように辛かった。

 数日後、再び王太子殿下が訪れた。その日もお義姉様は不在だった。彼はマーガレットの花束を差し出した。

「お義姉様に、ですね? 渡しておきます。きっと喜ぶ――」

「それはルーシーのものだ。マーガレットが好きだと言っていただろう?」

「……はい。ありがとうございます」

 その頃にはこれはおかしいと気付いた。最初殿下が私に話しかけるのは私を警戒し調べていると思っていた。でもその様子はない。それならばお義姉様と打ち解けるきっかけ作りのためだと解釈していた。結婚式が近づき歩み寄ろうとしていると思っていた。でもそうじゃない。婚約者がいる男性が他の女性にむやみに花を贈ることはないはずだ。

「ですがお義姉様を差し置いて頂く訳には……」

「君はオフィーリアの妹でいずれ私とも家族になる。問題はない」

 これをお義姉様が聞いたら傷つくに違いない。殿下はそれからも必ずお姉様が不在の日に来る。もちろんお義姉様には報告をしている。それを聞くといつも眉を寄せきゅっと唇を引き結ぶ。自分の存在がお義姉様の邪魔になっている。心が押し潰されそうになる。でも王太子殿下を相手に私から断ることは出来ない。

 その日もお義姉様は外出していた。やっとマイロ殿下が帰られるのでお見送りをしようとしたらお義姉様が帰宅したところだった。私とマイロ殿下を見るお義姉様の目は厳しく私は竦んでしまった。いつも朗らかでそんな顔を見たことがなかった。

「殿下。いらっしゃっていたのですね。不在にしていて申し訳ございません」

「ああ、ルーシーが相手をしてくれたから退屈せずに済んだよ」

「左様でございましたか」

 私は二人のギスギスした雰囲気に言葉を失くした。殿下は私にはあんなに笑顔で接してくれるのにお義姉様にはニコリともしない。その夜、お義姉様に呼ばれた。

「ルーシー。次に私が不在の時に殿下がお見えになったら仮病を使って欲しいのだけど」

「はい。お義姉様」

 そう告げた声は固く表情は険しかった。きっと怒っているのだ。お義姉様に嫌われたくなくて何度も頷いた。私は深く反省をした。仮病……なぜ思いつかなかったのか。早くそうすればよかった。婚約者でもない男性が女性を見舞うために寝室に顔を出すことはないはずだ。ところが――。

「ルーシー。体調はどうだい。もしかしてオフィーリアに何か言われて具合が悪くなったのでは?」

「いいえ。違います。今日は暑くて……」

「それならばいいが」

 立場を考えれば私からは拒絶が出来ない。でもこのままではお義姉様に誤解をされてしまうと途方にくれた。
 マイロ殿下はお義姉様と距離を取っている。お義姉様も余所余所しい態度を崩さない。私はどうしたらお二人が仲良くなれるか、何か自分に出来ることがないか考えた。お義姉様にマイロ殿下の話をしようとすると話題を逸らされる。そうなると無理やり切り出せない。ならばとマイロ殿下が訪ねてきた時にお義姉様がどれだけ素晴らしい女性かを話す。

「ルーシーは優しいのだな。義理とはいえ冷たい姉を庇うなど」

「違います。お義姉様は本当に優しいのです。庇っている訳では――」

「分かっている。言わなくていい。大丈夫だよ。ルーシー」

 私の言葉はマイロ殿下に届かない。話が通じていないのだ。でも王族に反論すれば不敬になってしまう。そうなればヒューズ公爵様やお義姉様に迷惑をかけてしまうので口をつぐむしかなかった。お義姉様は普通に接してくれているがどこか表情が沈んでいる。殿下と私が一緒にいるときは厳しい表情をしている。自分がそうさせてしまったと思うと居た堪れなかった。どうすればいいのか分からない。私は殿下のことを何とも思っていない。でもわざわざ言うのはわざとらしく感じ、もしくは疚しさを誤魔化していると思われたくなくて言えなかった。

 でも半年後には学園を卒業してお義姉様はマイロ殿下と結婚する。きっとその日が来れば何もかも上手くいく。縋るようにそう信じた。お義姉様とのぎこちないやり取りから目を逸らし私は無理矢理笑顔を作った。






 卒業式の前日お義姉様が私を部屋に呼び出した。憂いのない笑顔で迎えてくれた。私は嬉しくて泣きそうになった。

「ルーシー。卒業おめでとう」

「ありがとうございます。お義姉様もおめでとうございます」

「ありがとう。これは私からあなたへのプレゼントよ。明日のドレスに合わせて私が選んだの。きっと似合うわ」

 目の前には箱がある。開ければ艶々に光る真っ白なパンプスが入っていた。

「綺麗! お義姉様、履いてみてもいいですか?」

 私が子供のようにはしゃぐとお義姉様は楽しそうに声を上げて笑った。

「ふふふ。どうぞ」

 パンプスは誂えたように履き心地がいい。そのまま室内を歩く。まるで自分がとびっきりの淑女になれた気がする。

「ありがとうございます。嬉しいです。お義姉様」

 私がお義姉様を見ると優しい笑みを返してくれた。私たちは仲のいい姉妹のままだと安堵した。

 翌日は学園で卒業式を終え、夜会に出席した。あの場では卒業生を祝うとともに王太子殿下とお義姉様の結婚式の細かい予定が発表されるはずだった。


 
 
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