裏切られた令嬢は、30歳も年上の伯爵さまに嫁ぎましたが、白い結婚ですわ。

夏生 羽都

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7 変わる王宮

【ヘンリックside


 その日ヘンリックはかつて婚約者だったローゼリア・フォレスターがオルコット伯爵の元へ嫁いだと聞いた。

 子爵家に降爵されてからわずか三カ月後の出来事だった。この三カ月は父である国王がフォレスター家は窮状に陥っているから、ローゼリアを迎えに行けと幾度となく言われ続けてきたが、ヘンリックはローゼリアに対して助けようなどという情は抱いていなかったので聞き流していた。

 そもそも、フォレスターを切る選択をヘンリックに委ねたのは国王であるのに、新たに筆頭公爵家となったヴィルタ公爵と反りが合わない事でヘンリックに何とかするように言うのはおかしな話だとヘンリック自身は思っている。

 オルコット伯爵は種無し伯爵と影で囁かれていたのは有名な話で、何人も若い妻を娶っても誰ひとり子供を宿す事が出来なかった。子供の欲しい伯爵に嫁いだローゼリアはすでに王家へと嫁ぐ資格は失っているだろう。もう国王からローゼリアの名前を聞かなくなると思うとヘンリックは清々した気分だった。

「これで憂いは消えたな」

 ヘンリックは執務に取りかかるために自分宛の書類を読み始めたが、回された文書をチェックしていて、明らかに王太子の案件でないものが何枚も入っているのに気付いてヘンリックは小さく舌打ちをした。以前ならばこのような事は無かったからだ。

 婚約者であってもローゼリアにはまだ執務を担わせていなかったので、王太子としての執務はローゼリアがいなくても変わらないが、文官として王宮勤めをしていたローゼリアの兄エーヴェルトを手放してしまった事は今思うと失敗だった。

 エーヴェルトの事は爵位で文官職を手に入れたお飾りの文官だと思っていたのだったが、意外にも彼は事務処理能力が高い上に、各部署間での調整役として有能だったらしく、書庫の隅で文官たちが嘆いていたのを聞いてしまった。

 エーヴェルトはヘンリックの専属文官では無かったので知らなかったのだが、彼の仕事のひとつには王太子関連の書類を扱う仕事もあったらしい。

 有能ならば自分の側近として欲しかった。

「これとこれとこれ、私が扱う案件ではないぞ」

「申し訳ありませんっ」

 フォレスターの一件で当時フォレスター派だった貴族たちを閑職へ追いやった為、異動になった文官や退職した文官が多く、今の王宮は新しく登用された者が目立つ。

 そしてヘンリックの元へ新しくやってきた文官は、謝るのは上手いが仕事はそれほど出来ない。

 ヘンリックも特別優秀という訳ではないので、執務面で自分を支えてくれる優秀な者を必要としていた。

 フォレスター家没落の後、穏健派の貴族たちから距離を少しずつとられている事にヘンリックは気付いていた。特に穏健派の中心だったフォレスター家の寄子貴族はこの件で王宮を辞す者が多かった。

 代わりにやってきたのがヴィルタ公爵を中心とした新興貴族たちだった。彼らは伝統にうるさい古参の貴族たちより頭は柔らかかったが、これまでの慣習を変えたがり、王宮に残った少ない古参の貴族たちとぶつかる事が多かった。

 その時コンコンとドアをノックする音がして、ヘンリックが入室の許可を出す前にドアが開き、マリーナがひょっこりと顔を出した。

「ヘンリック様、そろそろお茶のお時間ですよー」

「ああ、そうだったな」

 礼儀のなっていないマリーナを咎める事は無く、ヘンリックは執務用の椅子から立ち上がると、応接スペースに置かれたソファに座り直した。

 マリーナの後から入室した侍女たちがソファの前に置かれたローテーブルに手際よくお茶のセッティングを始める。

「ヘンリック様はあの方の事はお聞きになりましたか?」

「あの方?」

「さっき王宮に来た時にローゼリア様がご結婚なさったって聞きました」

「ああ、その事か。目出度い事だな」

「ふーん。私はてっきりあの方は修道院へ行かれのかと思っていましたわ」

「どうしてだ?」

「だって、お家が罪を犯したのですよ。それなのに結婚して幸せになるなんてズルイじゃないですか。それにあのお方は私を良く思っていないでしょうから、社交界でお会いするのが怖いですわ」

 フォレスター家の犯した事は罪だが、少額の脱税を一度きりだ。それもよくよく調べてみたら地元の代官が勝手な判断でしていた事だった。穀倉地帯が領地の大部分を占めるフォレスター領は金に困っているような様子は無かったし、干ばつで領民が税を払えないと言うのなら、代官は勝手に脱税などせずに公爵に相談して、援助を要請すればいいのではないのだろうか?

 ふとヘンリックは当時不正をした代官が行方知れずだった事を思い出した。

 もしもこの脱税そのものが冤罪だったら?

 そこまで思い至ったヘンリックは急に怖くなってきてしまい、それ以上フォレスター家の事を考える事を止めることにした。

「あの家のやった事はもう終わった事だし、あちらは伯爵夫人だ。いずれ王太子妃になるマリーナの方が身分は上なのだから何も出来ないだろう。……それよりも妃教育は進んでいるのか?」

 ヘンリックがお茶を飲みながらそう言うと、マリーナは幼子のように頬をぷうと膨らませる。

「休憩時間にそのお話はおやめ下さい。ヘンリック様だって私といる時はお仕事のお話はしたくないっておっしゃっていらっしゃるじゃないですか」

「でも妃教育は私の隣に立つには必要な事だぞ。前の婚約者と比べられて気が乗らないだろうが、マリーナはこの国の淑女の頂点に立つことになるんだ。頑張らないと他の貴族たちに足元をすくわれる事になるぞ」

「ヘンリック様の意地悪っ。私だって頑張ってますよー」

 そう言いながらマリーナは目の前に置かれたマドレーヌを手に取って大きく口を開けると、ぱくりとひと口で口に入れてしまう。

 反射的に眉を顰めてしまったヘンリックの心の中に、まるで小さな黒いインクを落とされたように黒い何かが広がっていくような感覚が一瞬浮かんではすぐに消えた。

 ふとヘンリックの中に対面で美しい仕草でお茶を飲む少女の姿が浮かぶ。ローゼリアが茶菓子を上品にゆっくりと少しずつ食べていた事をつい思い出してしまった。

 マリーナのアンダーソン家は元は男爵家で、3代前に武勲を上げて伯爵へと陞爵された新興貴族だった。古いしきたりには重きを置いていないようで、マリーナのマナー教育にあまり力を入れていないようだった。

 ヘンリックは古い慣習を捨て去って新しい風を起こして欲しいと新興貴族たちに言われている。新しい風がどういうものなのか、具体的な事がヘンリックには分からないが、古い慣習の象徴がローゼリアのような女性の事を言うのならば、ローゼリアの対極にあるマリーナこそが新しい風になるのではないかと考えていた。

 だがそう思っていても、王子として礼儀作法を身に付けたヘンリックが、大きく口を開けて菓子頬張るマリーナに眉を顰めた時に感じたように、時々マリーナに対して何かが違うとふと感じる事があるのだった。
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