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8 中庭での密会
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【エーヴェルトside】
国王との会食が終わって執務室に戻ってからのヘンリックは、落ち着かない様子でそわそわとしている。
指定された夕刻が近づくにつれて、ヘンリックの仕事の効率もどんどん落ちていく。いっそのこと仕事が終わらない事を理由に夜までヘンリックを執務室に留めておき、自分だけが中庭に行こうかともエーヴェルトは思ったのだが、あちらからの接触を今回はたまたま見つける事が出来たが次はわからない。それに、あのメモを読んだヘンリックがどう動くのかも知りたかった。
「殿下、本日はここまでにいたしましょう。急ぎの案件は片付きましたし、本日の殿下はお疲れのようですから王太子宮でゆっくりお休み下さい」
「そ、そうか助かる。では今日はここまでにしよう。今日は図書室で本を借りたいからそれから王太子宮へ戻る事にする」
そう言ってヘンリックは立ち上がり、浮足立った様子で執務室から出て行った。
エーヴェルトと文官たちは無言で視線を交わす。
そして、まだ残って仕事をしている側近二人に怪しまれないように、用事があるので帰らないといけいない、書類に記載されている事で別部署に用がある等、それぞれに理由を作り、時間も少しずらして執務室を出て行った。もちろん全員の行き先は中庭であった。
中庭はちょうどバラの美しい時期だった。結婚したばかりの王太子夫妻に仲睦まじく散策をしてもらえるようにと庭師がたくさんのバラの花を植えたのだろうが、まさか王太子の密会の場所にされるとは庭師も思わなかっただろう。
一番最初に執務室を出て中庭にたどり着いていたエーヴェルトは、ここで何かが起こるのかもしれないと思うと、色とりどりのバラの花々に罪はないが、たとえ美しくてもそれらが禍々しいものに見えてしまう。
王宮に中庭はいくつかあるが、一番大きく誰でも入る事が出来るのがこの中庭だった。四角い造りのこの庭は四面を回廊に囲まれていたが、広さがあるので植えられている植物が多いので死角も多かった。
エーヴェルトは音を立てないように注意深く歩いていく。ちょうど黄色いバラが植えられている辺りが自分にとって隠れやすい場所だと思い、しゃがんで息を潜めていたら、ヘンリックの声が聞こえたのだった。
(あの馬鹿はローゼリアを娶っておいて不義を犯そうとするとは……)
エーヴェルトは義弟の浮気の気配を察知し、耳をそばだてながらも強く拳を握り締めるのだった。
「公爵、私を呼び出したのはお前だったのか? 手紙の送り主はマリーナではないのか?」
「いえ、マリーナも殿下に会いたがっていたのですが、近頃の王宮は貴族令嬢の身分では許可証が無いと入れなくなってしまったようなのです。殿下のお口添えがあれば違うのですが……」
そう言ってヴィルタ公爵は含みをもたせながらヘンリックを見るのだった。実はマリーナに夜会でヘンリックを避けるように指示をしたのはこのヴィルタだった。
ヴィルタがいい頃あいだろうと思った時に、マリーナにヘンリックと接触するように再び指示を出したのだが、マリーナからはヘンリックに会えなくなってしまったと泣きつかれてしまった。
結婚前に一度でも会わせた方がいいと、ヴィルタも画策をしたのだが、結婚を前にした人事の異動があった際に侍従や侍女といったヘンリックの周りの者たちが、少しずつフォレスター派の者たちで固められてしまい、結局マリーナをヘンリックの元へ送り込む事が出来ずにいたのだった。
ヴィルタ公爵家は三代前に公爵家へ陞爵した新興貴族を代表する貴族家で、フォレスター家と比べると歴史は浅いが、ランゲル王国の貴族家の中にあっては、フォレスター派の次に大きな派閥を持っていた。そして両派閥は議会でぶつかる事も多く、長年反目しあってきた家同士でもあった。
「正当な理由があれば許可証も出そう。王宮へ入れないマリーナは公爵に口添えを頼んだという事なのだな?」
ヘンリックの返事にヴィルタは内心で舌打ちをしたが、この程度で引くつもりは無い。
「マリーナのアンダーソン伯爵家は我が派閥の貴族家ですので私がマリーナと殿下の橋渡しをして差し上げたいのです」
「私とマリーナとの事は個人的な事で政治的な意味は無い。それはマリーナも分かっているはずだ」
「殿下、だからなのです。マリーナは殿下にお会いする事が出来ないと毎日家で泣き暮らしていると聞いています。私も離れ離れになってしまった若い二人の真摯な想いに胸を打たれまして、殿下をお助けしたいと思い、こうして参った次第でございます」
ヴィルタは大げさな口ぶりでヘンリックに自らの思いを伝える。彼を落とすのは容易かったとマリーナは言っていた。本来ならもっと早くヴィルタもマリーナによってヘンリックと引き合わせてもらえる予定だった。そうなればヘンリックを懐柔する事は簡単だと思っていたのだが、どうしてかマリーナの誘いにヘンリックが断りの返事をよこしてきたのだった。
そしてその時以降、ケチがついてしまったようにヴィルタが思うようには計画が進められなくなってしまい、色々な事が後手後手に回ってしまったのだった。
「そうか、ならばマリーナに伝えてくれ。側妃にする事は出来ないと公爵の方から謝って欲しい」
隠れて二人の話を聞いていたエーヴェルトは目を見開いた。
「なっ、何と……。殿下はマリーナを傷物にして捨てるとおっしゃるのかっ!!」
思いもよらない言葉に、ヴィルタの口調が荒いものとなる。エーヴェルトは音を立てないように気を付けながら彼らが見える場所へと移動した。
「私との噂が立ってしまい、彼女には申し訳なく思っている。だが私は彼女を傷物にはしてはいない。どうしてもと言うのならマリーナの嫁ぎ先を王家が探してもいい」
ヘンリックはヴィルタの目を見ながらそう答える。しばらく会っていなかったマリーナの為に白い結婚を宣言しようとした素直で馬鹿な王子は、嘘を吐く事も下手だからこそ、その言葉は真実なのだとエーヴェルトには分かってしまった。
「何をおっしゃるのですっ! マリーナは殿下に全てを捧げたと申しておりましたのにっ!」
ヴィルタ公爵の顔は真っ赤で、気の短い彼はすっかり頭に血が昇っているのが少し離れた場所からもよく分かった。
(まずい、少し距離が近いな)
周りに人を置いてはいるのだが、皆はそれぞれ距離を取っているし、そもそもこの場にいるのはエーヴェルトも含めて文官ばかりだ。文官たちは剣術や体術を得意とはしていない。ヴィルタの体格は大柄だが、ヘンリックは男性としては小柄だし、剣術が上手いという評判は一度も聞いた事もない。
王宮内では騎士以外は帯剣が許されていないので、いざとなったらエーヴェルトが出て行けば最悪の事態にはならないだろうが、ナイフのような物を隠し持っている可能性も考えると出て行くタイミングが難しい。しかし、さすがのヴィルタも簡単に王太子を害するような事はしないだろうと、エーヴェルトはもう少しだけ見守る事にした。
「マリーナがどう言おうと私の中での事実は変わらない。もしマリーナが私に全てを捧げたと言うのが真実ならば、彼女は既に側妃になる資格を失っている」
このような状況にあっても、肝心のヘンリックはヴィルタと距離を置こうとはせずに、意思の固い子どものように、彼をまっすぐに見つめてヴィルタと話そうとする。
「でっ、殿下は責任というものを感じないのですかっ!」
ヴィルタは怖い顔をして大きな声を上げるのだが、ヘンリックは怯まなかった。
公爵とはいえ、王太子を恫喝するというのは不敬だとして注意くらいなら出来そうではあったが、エーヴェルトはヘンリックの考えを聞いてみたいと思った。
「以前夜会で皆の前でマリーナが私に遊ばれたと大きな声で言われた時から少しずつ疑問には思っていたんだ。彼女は男女は平等だといつも言っていた。私は彼女の考えは素晴らしいと思っていたし、だから私は彼女との関係は対等だと思っていた。しかしあの時彼女は自分が女である事を武器にして、皆の前で私を貶めたんだ。男女が平等だと言うのならば、どうして彼女との関係に私ばかりが責任を負わないといけないのだろう?」
「そっ、それは殿下は男であり、男には常に責任というものがっ……」
「ならば、私の負う責任とはどういったものなのだ?」
「くっ……!ボンクラのくせにごちゃごちゃとっ!」
顔を真っ赤にしたヴィルタのこめかみには血管が浮かんでおり、強く握った拳をわなわなと震えさせながら、すごい形相でヘンリックを睨みつけていた。
そろそろこの辺りが限界だろう、そう思った時だった。少し離れた場所から何人かの足音と衣擦れの音がエーヴェルトの耳に聞こえたのだった。
誰でも入れる中庭なので、仕事を終えた者が花を見にやってきたのかもしれない。
「ほらご覧になって下さい、本当にこちらのバラは綺麗ですのよ」
「まあ、本当。王宮の庭師は良い仕事をしてますのね」
「妃殿下、あちらの黄色いバラは妃殿下の御髪のお色と似てましてよ」
こちらへやって来ようとしている明るい女性たちの声の中に、聞き慣れた妹の声を認めたエーヴェルトは、己の血の気が引いていくのを感じながら声のした方を見た。
ちょうどローゼリアと数人の侍女たちが中庭に足を踏み入れたところだった。
ここは多少無理があってでも自分が妹たちを違う場所へ誘導すべきだとエーヴェルトが一歩踏み出そうとしたところで、どさりという鈍い音と共にヘンリックの鋭い声が聞こえたのだった。
「うわっ!……どうしたっ!公爵!」
「まあ、どうかされまして?……きゃあぁぁぁ!!」
エーヴェルトがいる場所はバラで作られた壁の影に隠れていたから近い距離にいても見つかりにくいのだが、ヘンリックとヴィルタ公爵、ローゼリアと侍女たちはそれぞれが開けた場所にいたので、距離はあっても少し移動するだけでお互いの姿がよく見える立ち位置にいたのだった。
エーヴェルトが二人を見た時には、ヴィルタ公爵がヘンリックをクッションにするように地面に倒れ込んでいるところだった。
あまり身長が高くないヘンリックは大柄なヴィルタ公爵の下から出られずに手足をバタつかせている。
話をほとんど盗み聞きしていたエーヴェルトは、頭に血が上り過ぎたヴィルタがついに倒れたのだろうと予測ができたのだが、ヴィルタ公爵は30代半ばの男盛りで、これまで王宮では何人もの侍女たちを袖にしてきた経歴を持っている自他共に認める遊び人だった。
そしてヘンリックは男性としては小柄だが、サラサラの黒髪に切れ長の黒い瞳を持つ端正な顔立ちの青年で、新婚の妻とは白い結婚を継続中だった。
彼らが話していた会話を知らずに今見せられている場面を見ただけでは、ヴィルタ公爵がヘンリックを押し倒しているように見えなくもない構図だった。
エーヴェルトは急いでヘンリックを助けようと彼らの前に現れたが、侍女の甲高い叫び声を聞いた近くにいる者たちが続々と集まってきてしまった。
「まあ! 王太子様がっ、公爵様とっ!」
侍女のひとりが更に大声を上げる。
(これはまずい事になった……)
エーヴェルトがローゼリアをちらりと見たら、最愛の妹は青い顔をして立ちつくしていた。
国王との会食が終わって執務室に戻ってからのヘンリックは、落ち着かない様子でそわそわとしている。
指定された夕刻が近づくにつれて、ヘンリックの仕事の効率もどんどん落ちていく。いっそのこと仕事が終わらない事を理由に夜までヘンリックを執務室に留めておき、自分だけが中庭に行こうかともエーヴェルトは思ったのだが、あちらからの接触を今回はたまたま見つける事が出来たが次はわからない。それに、あのメモを読んだヘンリックがどう動くのかも知りたかった。
「殿下、本日はここまでにいたしましょう。急ぎの案件は片付きましたし、本日の殿下はお疲れのようですから王太子宮でゆっくりお休み下さい」
「そ、そうか助かる。では今日はここまでにしよう。今日は図書室で本を借りたいからそれから王太子宮へ戻る事にする」
そう言ってヘンリックは立ち上がり、浮足立った様子で執務室から出て行った。
エーヴェルトと文官たちは無言で視線を交わす。
そして、まだ残って仕事をしている側近二人に怪しまれないように、用事があるので帰らないといけいない、書類に記載されている事で別部署に用がある等、それぞれに理由を作り、時間も少しずらして執務室を出て行った。もちろん全員の行き先は中庭であった。
中庭はちょうどバラの美しい時期だった。結婚したばかりの王太子夫妻に仲睦まじく散策をしてもらえるようにと庭師がたくさんのバラの花を植えたのだろうが、まさか王太子の密会の場所にされるとは庭師も思わなかっただろう。
一番最初に執務室を出て中庭にたどり着いていたエーヴェルトは、ここで何かが起こるのかもしれないと思うと、色とりどりのバラの花々に罪はないが、たとえ美しくてもそれらが禍々しいものに見えてしまう。
王宮に中庭はいくつかあるが、一番大きく誰でも入る事が出来るのがこの中庭だった。四角い造りのこの庭は四面を回廊に囲まれていたが、広さがあるので植えられている植物が多いので死角も多かった。
エーヴェルトは音を立てないように注意深く歩いていく。ちょうど黄色いバラが植えられている辺りが自分にとって隠れやすい場所だと思い、しゃがんで息を潜めていたら、ヘンリックの声が聞こえたのだった。
(あの馬鹿はローゼリアを娶っておいて不義を犯そうとするとは……)
エーヴェルトは義弟の浮気の気配を察知し、耳をそばだてながらも強く拳を握り締めるのだった。
「公爵、私を呼び出したのはお前だったのか? 手紙の送り主はマリーナではないのか?」
「いえ、マリーナも殿下に会いたがっていたのですが、近頃の王宮は貴族令嬢の身分では許可証が無いと入れなくなってしまったようなのです。殿下のお口添えがあれば違うのですが……」
そう言ってヴィルタ公爵は含みをもたせながらヘンリックを見るのだった。実はマリーナに夜会でヘンリックを避けるように指示をしたのはこのヴィルタだった。
ヴィルタがいい頃あいだろうと思った時に、マリーナにヘンリックと接触するように再び指示を出したのだが、マリーナからはヘンリックに会えなくなってしまったと泣きつかれてしまった。
結婚前に一度でも会わせた方がいいと、ヴィルタも画策をしたのだが、結婚を前にした人事の異動があった際に侍従や侍女といったヘンリックの周りの者たちが、少しずつフォレスター派の者たちで固められてしまい、結局マリーナをヘンリックの元へ送り込む事が出来ずにいたのだった。
ヴィルタ公爵家は三代前に公爵家へ陞爵した新興貴族を代表する貴族家で、フォレスター家と比べると歴史は浅いが、ランゲル王国の貴族家の中にあっては、フォレスター派の次に大きな派閥を持っていた。そして両派閥は議会でぶつかる事も多く、長年反目しあってきた家同士でもあった。
「正当な理由があれば許可証も出そう。王宮へ入れないマリーナは公爵に口添えを頼んだという事なのだな?」
ヘンリックの返事にヴィルタは内心で舌打ちをしたが、この程度で引くつもりは無い。
「マリーナのアンダーソン伯爵家は我が派閥の貴族家ですので私がマリーナと殿下の橋渡しをして差し上げたいのです」
「私とマリーナとの事は個人的な事で政治的な意味は無い。それはマリーナも分かっているはずだ」
「殿下、だからなのです。マリーナは殿下にお会いする事が出来ないと毎日家で泣き暮らしていると聞いています。私も離れ離れになってしまった若い二人の真摯な想いに胸を打たれまして、殿下をお助けしたいと思い、こうして参った次第でございます」
ヴィルタは大げさな口ぶりでヘンリックに自らの思いを伝える。彼を落とすのは容易かったとマリーナは言っていた。本来ならもっと早くヴィルタもマリーナによってヘンリックと引き合わせてもらえる予定だった。そうなればヘンリックを懐柔する事は簡単だと思っていたのだが、どうしてかマリーナの誘いにヘンリックが断りの返事をよこしてきたのだった。
そしてその時以降、ケチがついてしまったようにヴィルタが思うようには計画が進められなくなってしまい、色々な事が後手後手に回ってしまったのだった。
「そうか、ならばマリーナに伝えてくれ。側妃にする事は出来ないと公爵の方から謝って欲しい」
隠れて二人の話を聞いていたエーヴェルトは目を見開いた。
「なっ、何と……。殿下はマリーナを傷物にして捨てるとおっしゃるのかっ!!」
思いもよらない言葉に、ヴィルタの口調が荒いものとなる。エーヴェルトは音を立てないように気を付けながら彼らが見える場所へと移動した。
「私との噂が立ってしまい、彼女には申し訳なく思っている。だが私は彼女を傷物にはしてはいない。どうしてもと言うのならマリーナの嫁ぎ先を王家が探してもいい」
ヘンリックはヴィルタの目を見ながらそう答える。しばらく会っていなかったマリーナの為に白い結婚を宣言しようとした素直で馬鹿な王子は、嘘を吐く事も下手だからこそ、その言葉は真実なのだとエーヴェルトには分かってしまった。
「何をおっしゃるのですっ! マリーナは殿下に全てを捧げたと申しておりましたのにっ!」
ヴィルタ公爵の顔は真っ赤で、気の短い彼はすっかり頭に血が昇っているのが少し離れた場所からもよく分かった。
(まずい、少し距離が近いな)
周りに人を置いてはいるのだが、皆はそれぞれ距離を取っているし、そもそもこの場にいるのはエーヴェルトも含めて文官ばかりだ。文官たちは剣術や体術を得意とはしていない。ヴィルタの体格は大柄だが、ヘンリックは男性としては小柄だし、剣術が上手いという評判は一度も聞いた事もない。
王宮内では騎士以外は帯剣が許されていないので、いざとなったらエーヴェルトが出て行けば最悪の事態にはならないだろうが、ナイフのような物を隠し持っている可能性も考えると出て行くタイミングが難しい。しかし、さすがのヴィルタも簡単に王太子を害するような事はしないだろうと、エーヴェルトはもう少しだけ見守る事にした。
「マリーナがどう言おうと私の中での事実は変わらない。もしマリーナが私に全てを捧げたと言うのが真実ならば、彼女は既に側妃になる資格を失っている」
このような状況にあっても、肝心のヘンリックはヴィルタと距離を置こうとはせずに、意思の固い子どものように、彼をまっすぐに見つめてヴィルタと話そうとする。
「でっ、殿下は責任というものを感じないのですかっ!」
ヴィルタは怖い顔をして大きな声を上げるのだが、ヘンリックは怯まなかった。
公爵とはいえ、王太子を恫喝するというのは不敬だとして注意くらいなら出来そうではあったが、エーヴェルトはヘンリックの考えを聞いてみたいと思った。
「以前夜会で皆の前でマリーナが私に遊ばれたと大きな声で言われた時から少しずつ疑問には思っていたんだ。彼女は男女は平等だといつも言っていた。私は彼女の考えは素晴らしいと思っていたし、だから私は彼女との関係は対等だと思っていた。しかしあの時彼女は自分が女である事を武器にして、皆の前で私を貶めたんだ。男女が平等だと言うのならば、どうして彼女との関係に私ばかりが責任を負わないといけないのだろう?」
「そっ、それは殿下は男であり、男には常に責任というものがっ……」
「ならば、私の負う責任とはどういったものなのだ?」
「くっ……!ボンクラのくせにごちゃごちゃとっ!」
顔を真っ赤にしたヴィルタのこめかみには血管が浮かんでおり、強く握った拳をわなわなと震えさせながら、すごい形相でヘンリックを睨みつけていた。
そろそろこの辺りが限界だろう、そう思った時だった。少し離れた場所から何人かの足音と衣擦れの音がエーヴェルトの耳に聞こえたのだった。
誰でも入れる中庭なので、仕事を終えた者が花を見にやってきたのかもしれない。
「ほらご覧になって下さい、本当にこちらのバラは綺麗ですのよ」
「まあ、本当。王宮の庭師は良い仕事をしてますのね」
「妃殿下、あちらの黄色いバラは妃殿下の御髪のお色と似てましてよ」
こちらへやって来ようとしている明るい女性たちの声の中に、聞き慣れた妹の声を認めたエーヴェルトは、己の血の気が引いていくのを感じながら声のした方を見た。
ちょうどローゼリアと数人の侍女たちが中庭に足を踏み入れたところだった。
ここは多少無理があってでも自分が妹たちを違う場所へ誘導すべきだとエーヴェルトが一歩踏み出そうとしたところで、どさりという鈍い音と共にヘンリックの鋭い声が聞こえたのだった。
「うわっ!……どうしたっ!公爵!」
「まあ、どうかされまして?……きゃあぁぁぁ!!」
エーヴェルトがいる場所はバラで作られた壁の影に隠れていたから近い距離にいても見つかりにくいのだが、ヘンリックとヴィルタ公爵、ローゼリアと侍女たちはそれぞれが開けた場所にいたので、距離はあっても少し移動するだけでお互いの姿がよく見える立ち位置にいたのだった。
エーヴェルトが二人を見た時には、ヴィルタ公爵がヘンリックをクッションにするように地面に倒れ込んでいるところだった。
あまり身長が高くないヘンリックは大柄なヴィルタ公爵の下から出られずに手足をバタつかせている。
話をほとんど盗み聞きしていたエーヴェルトは、頭に血が上り過ぎたヴィルタがついに倒れたのだろうと予測ができたのだが、ヴィルタ公爵は30代半ばの男盛りで、これまで王宮では何人もの侍女たちを袖にしてきた経歴を持っている自他共に認める遊び人だった。
そしてヘンリックは男性としては小柄だが、サラサラの黒髪に切れ長の黒い瞳を持つ端正な顔立ちの青年で、新婚の妻とは白い結婚を継続中だった。
彼らが話していた会話を知らずに今見せられている場面を見ただけでは、ヴィルタ公爵がヘンリックを押し倒しているように見えなくもない構図だった。
エーヴェルトは急いでヘンリックを助けようと彼らの前に現れたが、侍女の甲高い叫び声を聞いた近くにいる者たちが続々と集まってきてしまった。
「まあ! 王太子様がっ、公爵様とっ!」
侍女のひとりが更に大声を上げる。
(これはまずい事になった……)
エーヴェルトがローゼリアをちらりと見たら、最愛の妹は青い顔をして立ちつくしていた。
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