白い結婚を告げようとした王子は、冷遇していた妻に恋をする

夏生 羽都

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17 涙の理由

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【ローゼリア side】

 ドアが閉まり、ヘンリックが休憩室から出て行く。

 エーヴェルトはハンカチを取り出し、壊れ物でも扱うようにローゼリアの涙をそっと拭う。ここがフォレスター家だったなら、迷わずにローゼリアを抱きしめたところだったが、王宮である以上、兄であっても過度な触れ合いは出来なかった。

「……兄さまっ、あ、ありがとうごっ、ございますっ」

「思い出していたのか?」

 エーヴェルトがそう言うと、ローゼリアは渡されたハンカチで涙をぬぐいながら頷く。

「だって、……今さら、あんな事を言うなんてっ、……卑怯ですわっ」

 ヘンリックと婚約を結んだばかりの七歳の頃、王宮から帰ったローゼリアはいつも泣いていた。

 ヘンリックは意地悪な事は一度も言わないし、乱暴な事もしない。

 彼はローゼリアに何もしなかった。

 七歳の子供が緊張しながら行った王宮で、前日に考えてきた話題を一生懸命に話すのだが、話し相手であるはずの彼は温かい言葉を掛けるどころか、ローゼリアの言葉に一度も返事を返してはくれなかった。

 ローゼリアと同じ七歳だったヘンリックは、義理の母である王妃や侍女長にあの子は悪い子供だからあまり仲良くしてはいけないと言われての行動だったのだが、実際のローゼリアは友達のいない内気な子供だった。

 ヘンリックの事情を知らないから、ローゼリアは最初の頃は将来の夫となるであろう彼と仲良くしたいという期待を持ち、頑張ってヘンリックに近づこうと思い、手紙も書いていたが彼からは一度も返事をもらったことはなかった。

 最初のお茶会はとても短い時間であったのだが、理由も分からず不機嫌な様子の相手を前にして、張り詰めた空気の中で言葉を交わさない時間というものは実際の時間よりもずっと長く感じられた。

 それでも公爵令嬢としてローゼリアは必死に耐えて、家に付くまではと我慢していた涙は兄を見た途端、堰を切ったように流れてしまうのだ。

 自身も幼かったエーヴェルトは、泣いている妹を抱きしめる事しか出来なかった。

 それ以来ローゼリアにとってお茶会は苦痛に感じるものとなった。だが行きたくないと言っても、王族の婚約者という立場から行かないといないものでもあった。

 家族に心配そうに見送られながら出掛けていたローゼリアは、自分のせいで家族に心配をかけているという罪悪感を抱いていて、毎回暗い表情をしながら出掛けていったのだった。

 何度か父親が部屋まで手を引いて付き添ってくれた事もあったが、当時の侍女長が王太子様の婚約者が親離れも出来ない甘えた子供なんてみっともないと、いつも父に嫌味を言うので、ローゼリアの方から父の付き添いを断るようになった。

 この国の王太子と公爵令嬢の婚約は子供の感情だけではどうにもできず、ローゼリアは感情と表情を消す事を覚えていき、婚約して一年が経った頃にはヘンリックの顔を見ただけで意識をしないまでも表情を消せるようになっていた。

 彼に対しての気持ちは好きではないという感情以外は何も無い。彼に話題を振る時は感情ではなく頭の中にある知識で語る、そうやって何年もやり過ごしてきたのだ。そしてそんなローゼリアに対してヘンリックもローゼリアへの関心をさらに失くしていったのだった。

 それでもヘンリックの気持ちがマリーナへと傾いてしまった事を知った時はショックだった。しかし彼に何の期待もしていなかったから立ち直りは早く、まだこんな感情が自分にも残っていたのだと、冷静に自分を分析していた。

 結婚してからはヘンリックの歩み寄りを感じてはいたが、それでもローゼリアの感情は少しも動かなかった。

 彼を前にすると表情を消す事は習慣となっていて、彼の前でだけローゼリアの表情は硬くなり心も動かなくなってしまうのだ。

 しかし、今になって彼からのありがとう、楽しかった、嬉しい、という言葉にこんなにも揺さぶられるなんて思わなかった。

「ロゼ、僕も殿下がもう少し早く変わってくれていればと悔しく思う時はある。彼を知れば知るほど僕たちが思っていたほどの人間ではなかった知る度にね。……でもそれでもどうしてもロゼが嫌ならば……」

 最後の方は囁くような小さな声だった。そして続く言葉をエーヴェルトは唇だけをゆっくり動かしてローゼリアに伝えた。

『ぼくが、なんとかする』

 声には出さずにそう伝えると、エーヴェルトはにっこりと笑った。

 王太子妃として王家に嫁いでしまった以上、逃げる事はもう出来ない。だからエーヴェルトは結婚前にローゼリアの気持ちを聞いてくれたのだ。あの時だって婚約を覆す事は簡単な事ではなかっただろう。

 ローゼリアは自分のために兄が無理をしようとしている事を理解し、泣きながらも苦笑いを浮かべて、その必要はないと伝えるように首を横に振った。

 自分は覚悟を持って王太子妃という椅子に座る事を選んだのだ。ローゼリアはその事を改めて思い返していた。

 エーヴェルトのお陰で涙はようやく引いていき、ローゼリアは少しずつ冷静な自分が戻ってきていることを感じていた。

「取り乱してしまい、申し訳ございません」

「殿下には体調を崩したと伝えるから大丈夫だよ。このまま戻って休んだ方がいい。それとその顔では出ない方がいいから、王太子妃の執務室にいる侍女を呼ぶことにしよう。少しの間ここで待っているんだ」

 そう言ってエーヴェルトは休憩室を出て行った。

 すぐにローゼリア付きの侍女がやってくると、手際良く白粉を使って赤くなってしまった目の周りを隠していく。

 化粧を施されていくと、ローゼリアの気持ちは落ち着いていく。化粧をしている自分は自分であって自分ではない。そう思う事でこれまでたくさんの辛い時を乗り切ってきた。厳しかった教師たち、いつも冷たい視線で見つめる王妃、自分に関心を持ってくれない婚約者、自分に聞こえるように陰口を言う敵対派閥の貴族たち、優しい言葉の中に嫌味や皮肉を混ぜてくる上辺だけ友人関係の令嬢たち。

 あの時に比べれば今日の事なんて大した事ではない。

 化粧が完成する頃にはローゼリアはすっかりいつもの自分を取り戻していた。

 続き部屋という構造上、廊下へ出るにはヘンリックがいる執務室を通らないといけない。

 ローゼリアがドアを開けると、それまで仕事をしていたヘンリックが手を止めて心配そうな表情を浮かべる。

「申し訳ございません、突然気分が悪くなってしまいましたの。本日は先にお暇させていただきますわね」

 そう言って笑顔を作る。彼はこの作り笑顔が好きではないのだが、そんなことはもうどうでも良かった。

 エーヴェルトはローゼリアをひと目見ただけで大丈夫だと判断したようで、すぐに何事も無かったかのように書類仕事を再開した。

 執務室にいる面々は休憩室で起きた事を知らないので、誰もローゼリアの事を気にしている者はいなかった。

 ヘンリックだけが何かを言いたそうに、ずっとローゼリアを見つめていた。

 そしてその夜、ローゼリアはヘンリックに関係の再構築を持ちかけられたのだった。
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