騎士団長の象さん事情

鈴木かなえ

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 ゆっくりと意識が浮上し、目を開けた。

(ここはどこ?なにがあったんだっけ?)

 頭がぼんやりとしているのに、ズキズキと痛む。
 硬い床に横向きに寝かされていて、体の下になっている左腕が痺れている。

(ええと、私は……騎士団を出て……辻馬車の乗り場に向かってて……)

 その途中で、小さな子供に呼び止められて……

 表通りから一歩脇にそれたところで、後から誰かに拘束されて、薬を嗅がされて意識を失った……のだと思う。

 この頭痛は、薬の影響なのだろう。

 起き上がろうとしたが、腕が背中側で縛られていてうまくいかない。

 首だけ動かして、室内を見まわしてみた。

 なんの調度品もなく、粗末で埃まみれの部屋だ。
 おそらく、王都の中でもあまり治安がよくない地域にある廃屋の中ではないだろうか。

(身代金目的の誘拐?)

 いや、それはない。
 私はどこからどう見ても、粗末な身形の平民女なのだから。
 
(一番単純でわかりやすいのは、違法な娼館に売られるっていうところでしょうけど……
 それならなんで、こんなところに閉じ込められてるのかしら。
 売るのならさっさと売ってしまった方が手間がかからないでしょうに)

 身代金目的でも、人身売買でもないとしたら……

 ニナを恨んでいる誰かによるもの、という可能性が考えられるわけだが。

 残念なことに、ニナにはその心当たりがあった。

(いけない……早く、逃げなくちゃ)

 腕の縄から抜け出そうとしていると、こちらに近づいてくる複数の足音が聞こえた。

 どうやら間に合わなかったようだ。

 建付けが悪そうな薄い扉が開かれ、入ってきたのはこの部屋にそぐわない身形のご令嬢。

 イリーナ・ディオン侯爵令嬢だ。

 執務室に現れた時と同じように、きれいなドレスで着飾って、花の香りを漂わせている。
 
「間違いないわ。この女よ」

 可愛らしい顔を毒々しく歪め、イリーナはとても嬉しそうに笑った。

「どういうつもりです!?私は、ちゃんと約束を守ったではありませんか!」

 ニナはフレデリックに会うこともなく、騎士団を去った。
 このまま王都からもいなくなる予定だったのに。

「そんなの知らないわ。平民のくせに、貴族の男に手を出そうとするからこんなことになるのよ。 
 ふふふ、いい気味だわ」

 イリーナの後から、いかにも柄の悪そうな男が三人現れた。
 きっと、この男たちがニナを攫ってきたのだ。
 
「ほら、あなたたち。この女を好きにしていいわよ」

「本当にいいんですかい?」

「いいのよ。そのかわり、ちゃんと言った通りに後始末しなさいね。
 そうでないと、お金は払ってあげいわよ」

「わかってまさぁ。そういうのは慣れてますんで、お任せくだせぇ」

 男たちの下卑た笑いに、ニナはぞっとした。

 だが、そんな男たちよりも、ニナのことを虫けらくらいにしか思っていない様子のイリーナ嬢の方がよほど恐ろしかった。

「まぁまぁいい女じゃねぇか」

「いや!放して!」

 足をバタバタと動かしてみたが、あっさりと床に押さえつけられ動きを封じられてしまった。

「暴れるな。痛い目みたくなかったら、大人しくしてろ」

 そんなことを言われて、大人しくするわけがない。
 ニナは必死で抵抗した。

「やめて!放して!誰か助けて!」

「うるせぇな、静かにしろ」

 男の一人がハンカチのようなものをニナの口に押し込んで、声を封じた。
 別の男がニナを押さえつけながらスカートを捲り上げ、もう一人はブラウスの襟を掴んで、ボタンを引きちぎりながら前を開いた。
 
 男たちの手の感触に、全身に鳥肌が立った。

(いや!助けて!団長!)

 こんなことになるくらいなら、せめて最後に遠くからでもフレデリックの姿を一目見ればよかった。
 騎士団長の軍服を着た凛々しい姿が、大好きだったのに。

 男の手が下着にかかった。

 もうだめだ、とニナが諦めかけたその時。

 外からなにやら叫び声がした。

 悲鳴のように聞こえたその声に、男たちもはっと動きを止めた。

「なんだ?」

「今の、マルコの声じゃなかったか?」

 マルコというのは、この男たちの仲間だろうか。
 外で見張りでもしていたのかもしれない。

 それからも怒号や悲鳴、物を壊すような音が続いた。

「なに?あなた、外を見てきなさいよ」

 イリーナ嬢が私の足を押さえつけていた男に命じ、その男が立ち上がったところで、ドタタタタと凄まじい速さで足音が近づいてきた。

 そして、

「ニナ!ここか!」

 ドカンと扉を蹴り破り、ニナが心から会いたいと思っていたひとが飛び込んできた。

(団長!)

 怒気と殺気が具現化して背後に真っ黒な炎の幻が見えそうなフレデリックに、男たちは怯んで逃げ出そうとしたようだが、一瞬で叩きのめされ床に転がった。

「すまない、遅くなった」

 フレデリックはニナを抱え起こして、腕の縄を解いた。

「だ……団長……本物……?」

「本物だよ。フレディと呼べと言っただろう」

 手の痛みも忘れて、そっと頬に触れてみた。
 温かい感触に、これは夢ではないとやっと実感できた。

「もう大丈夫だ。なにも怖いことはないからな」

 恋しくて恋しくてしかたがなかった藍色の瞳が、たっぷりの愛情を湛えてニナの目の前にある。
 ニナの頬を安堵の涙が流れて落ちた。

「フレディ……会いたかった……」

「俺もだよ。ニナに会いたくて、早く帰れるように頑張ったんだ。
 おかげで、間一髪で間に合った」

 フレデリックはニナをマントで包み、そっと横抱きに抱え上げた。
 それから、部屋の隅で腰を抜かしているイリーナ嬢をぎろりと睨んだ。

「おまえが、なんとか令嬢だな」

「な……なんとか令嬢ですって!?」

「おまえはもう終わりだ。俺のニナを害した罪を償ってもらう」

「フレデリック様!私は」

 イリーナはなにか言い募ろうとしたが、室内に第一騎士団の制服を着た騎士たちがなだれ込んできてそれは叶わなかった。

 三人の男と外にいた見張りの男と、イリーナは縄をかけられ連行されていった。

 ニナはフレデリックの馬に乗せられ騎士団本部に戻り、医師の診察を受けている時にニナの母とクリスが訪ねてきた。
 ニナの置手紙を見つけてパニックになっていた母を、クリスが連れてきたのだそうだ。

 母はニナを見ると泣き出し、クリスには

「なんで相談してくれないんだよ!姉ちゃんを犠牲にして、俺たちだけ幸せに暮らせるわけないだろ!」

 と、すごい勢いで怒られた。

 途中からエルネストとハワードもそれに加わり、とにかくニナは怒られまくった。

「いくら脅されたからって、短慮すぎるだろ!なんでそんな妙なところで思い切りがいいんだよ!」

「団長の婚約者であっても、騎士団の人事に口を出す権利などない。
 リンドールが第一騎士団の騎士に依頼するべきだったのは、娼館の紹介ではなく、ディオン侯爵家への警告だ」
 
 ニナはしっかりと反省させられて、しばらく休養を兼ねた自宅謹慎を言い渡された。 
 

 
 一方、イリーナはというと、強面で屈強な騎士に尋問されて震えあがり、すぐになにもかも白状した。
 
 外見に自信があったイリーナは、外堀を埋めて豊満な体をつかって迫ればフレデリックを陥落できると確信していた。
 だが、フレデリックの近くに平民女がいるのが気に入らなかった。
 家族をダシに脅して追い出すことにしたが、侯爵令嬢に反論してきた生意気な平民女にはお仕置きをしないと気が済まない。
 ということで、破落戸を金で雇ってニナを襲わせることにした。
 事務官ではなくなった平民女がどうなろうと、だれも気にしないはず……と思っていて、まさか侯爵令嬢である自分が罪に問われるとは夢にも思っていなかったそうだ。

 平民ならどういう扱いをしてもいいというような考え方は、貴族社会の中でももう古い。
 イリーナの場合、ディオン侯爵家が悪い意味で古式ゆかしい家柄で、狭い世界で蝶よ花よと育てられた結果、なんとも傲慢な娘に育ってしまったのだそうだ。
 
 逮捕された破落戸たちは、イリーナを庇う理由もないと全てを自白し、これによりイリーナたちの罪は確定した。

 イリーナは過酷な環境の修道院に送られ、破落戸たちは鉱山で死ぬまで労役に就くことになった。

 イリーナの両親であるディオン侯爵夫妻は、侯爵の弟に爵位を譲って領地に引っ越し、二度と王都に戻ってくることはなかった。
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