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ホームズ関連エッセイ
正典における日本
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正典には日本に関わる事項が数個ほど登場しています。その中でもっとも有名なのが短編『空き家の冒険』で言及された日本武術バリツであり、そのバリツが何なのかは『ホームズの概要』の章の『番外編 バリツの正体』で書いているのでここでは省きます。
正典にある日本の事項の他五件は、短編『グロリア・スコット号』の日本のタンス、短編『ギリシャ語通訳』の日本の甲冑、短編『高名な依頼者』の聖武天皇と正倉院、短編『三人ガリデブ』の日本製の花瓶です。
私は日本史が好きでして(くわしいと言うほどではありませんが)、ある程度の知識はあります。ホームズも日本史も好きなので、日本史を生かしながらホームズと日本の関係についてエッセイとして語らせていただきます!
【タンスと日本旅行】
一つ一つ見ていきましょう。まず、『グロリア・スコット号』に登場していた日本のタンスについてです。日本のタンスに重要な書類が入れられていたわけですが、『名探偵シャーロック・ホームズ事典』によるとトレバー老人が日本へ行った際に手に入れた日本のタンスなのではないかということのようです。
このトレバー老人が日本に行った理由について『ホームズの論文』の章の『耳に関する論文』の頁でも書きましたが、外海靖規さんは幕閣官僚の国際金融の無知につけ込んで金銀の交換比率と洋銀と日本銀貨の含有率の差を利用して、蓄財に励んだのではないか、と言っています。
どういうことかと言うと、当時の日本では金銀が大量に流通して銀の生産が増えました。そのため、金銀の交換比率が海外と変わり、銀が海外に流出して金が日本に輸入されます。
日本で洋銀(当時、アジアで国際的に流通していた一ドル銀貨)四枚の相場は小判三枚ですが、この小判三枚を外国に持っていって洋銀に変えると大儲けになります。当時、外国では金の価値が日本の三倍でした。
江戸の武士達は金銭を軽蔑していて、手を触れようとしていなかったようです。トレバー老人が日本で洋銀と小判を交換して儲けていたとして、もし日本人が布などで触っていたのなら、トレバー老人は首を傾げたのではないでしょうか。
【聖武天皇と正倉院】
当時、日本製の陶磁器が海外で人気を呼んでいて、『京薩摩』と言われる外国人好みのデザインの輸出品が作られていました。
犯罪貴族グルーナー男爵は『高名な依頼者』に登場します。グルーナー男爵は貴重な陶磁器を収集するコレクターで、日本や中国について豊富な知識を持っていました。
ワトスンはホームズに頼まれ、陶磁器の知識を一夜漬けしてヒル・バートン博士という実在しない人物に化けてグルーナー男爵に接近します。
しかしグルーナー男爵はワトスン扮するバートン博士を怪しみ、聖武天皇と正倉院の関係性を質問されます。その質問にどう答えて良いかわらず、結局ワトスンは怒ったフリをしてその場をしのごうとしますが失敗に終わりました。ちなみに、正典に登場した唯一の日本人が聖武天皇です。
正倉院には聖武天皇の遺品など六百数十点や薬物六十種の他、東大寺の寺宝、美術工芸品、古文書などが保管されています。
正倉院宝物の内、陶磁器などが何点あるのか。私は正倉院のホームページから正倉院宝物検索をし、陶磁器の数を調べてみました。その結果、陶器は北倉に5点、中倉に0点、南倉に13点の計18点ありました。一方で磁器は北倉に0点、中倉に0点、南倉に1点の計1点でした。つまり、正倉院には陶磁器が計19点あるということです。
あんなに膨大な数の歴史的遺物が保管されているにも関わらず、陶磁器が19点しかないのは少ないにもほどがあります。
令和元年の東京博物館の平成館で行われた天皇様の御即位記念特別展『正倉院の世界─皇室がまもり伝えた美─』で手に入れた特別展の正倉院宝物の出品目録に目を通してみましたが、陶磁器が出品目録には書いていませんでした。私が見落としていただけかもしれませんが、見落とすくらい陶磁器の数が少ないのだとわかります。
また、『国立国会図書館デジタルコレクション』にて調べてみましたが、『高名な依頼者』事件の発生以前に正倉院の陶磁器について一言でも触れている本などは確認出来ませんでした。
グルーナー男爵は陶磁器のコレクターであり、正倉院にある陶磁器の知識もあったのかもしれませんが、ここまで保管されている数が少ないと引っ掛け問題だった可能性も否めません。
正倉院の陶磁器について触れている本も当時の日本では少ない(または無い)ことがわかりますし、グルーナー男爵が正倉院の陶磁器について知り得た可能性は限りなく低いでしょう。
しかも当時は日本でも正倉院は有名ではなく、陶磁器との関係性もあまりないので引っ掛け問題だった可能性はより高いでしょう。
まあ、明治時代に正倉院などの日本の美術工芸品が海外に流出していたようなので、グルーナー男爵の陶磁器のコレクションの中に正倉院の陶磁器があったかもしれませんが。
当時は日本ですら有名ではなかった正倉院をなぜドイルが正典で登場させることが出来たのかと言うと、ドイルの幼馴染みで親友のウィリアム・K・バートンが日本政府のお雇い外国人として1887年に来日していたからです。バートンはドイルと頻繁に手紙でやりとりをしていたようで、ドイルと直接会った安藤寛一さんによりますとドイルはバートンの手紙によって日本のことを断片的ですが知ることが出来たと語っていたとのことです。
このWilliam Burtonという名前ですが、ワトスンが『高名な依頼者』で使っていた偽名であるHill Burtonと似ています。ウィリアムという名前の愛称が『BilL』なので、これはドイルが意識してワトスンの偽名に使った可能性があります。しかもバートンは1899年は42歳に東京で病に伏して没しています。バートンの没後、ドイルは『高名な依頼者』でバートンから教わった日本の知識を使用したため、バートンを悔やんでワトスンの偽名にしたのかもしれませんね。
【花瓶】
前述した通り、『京薩摩』と言われる外国人好みのデザインの輸出品が作られていました。『三人ガリデブ』のネイサン・ガリデブが日本製の花瓶を持っており、その花瓶もそういった輸出品の一つだったかもしれないそうです。
【甲冑】
今でもアメリカのボストン美術館などには、日本に残されていれば国宝や重要文化財になっていたであろう美術品がたくさん並んでいます。その当時に日本から流出してしまった日本の美術品の甲冑の一つが、『ギリシャ語通訳』に登場したのかもしれないようです。
正典にある日本の事項の他五件は、短編『グロリア・スコット号』の日本のタンス、短編『ギリシャ語通訳』の日本の甲冑、短編『高名な依頼者』の聖武天皇と正倉院、短編『三人ガリデブ』の日本製の花瓶です。
私は日本史が好きでして(くわしいと言うほどではありませんが)、ある程度の知識はあります。ホームズも日本史も好きなので、日本史を生かしながらホームズと日本の関係についてエッセイとして語らせていただきます!
【タンスと日本旅行】
一つ一つ見ていきましょう。まず、『グロリア・スコット号』に登場していた日本のタンスについてです。日本のタンスに重要な書類が入れられていたわけですが、『名探偵シャーロック・ホームズ事典』によるとトレバー老人が日本へ行った際に手に入れた日本のタンスなのではないかということのようです。
このトレバー老人が日本に行った理由について『ホームズの論文』の章の『耳に関する論文』の頁でも書きましたが、外海靖規さんは幕閣官僚の国際金融の無知につけ込んで金銀の交換比率と洋銀と日本銀貨の含有率の差を利用して、蓄財に励んだのではないか、と言っています。
どういうことかと言うと、当時の日本では金銀が大量に流通して銀の生産が増えました。そのため、金銀の交換比率が海外と変わり、銀が海外に流出して金が日本に輸入されます。
日本で洋銀(当時、アジアで国際的に流通していた一ドル銀貨)四枚の相場は小判三枚ですが、この小判三枚を外国に持っていって洋銀に変えると大儲けになります。当時、外国では金の価値が日本の三倍でした。
江戸の武士達は金銭を軽蔑していて、手を触れようとしていなかったようです。トレバー老人が日本で洋銀と小判を交換して儲けていたとして、もし日本人が布などで触っていたのなら、トレバー老人は首を傾げたのではないでしょうか。
【聖武天皇と正倉院】
当時、日本製の陶磁器が海外で人気を呼んでいて、『京薩摩』と言われる外国人好みのデザインの輸出品が作られていました。
犯罪貴族グルーナー男爵は『高名な依頼者』に登場します。グルーナー男爵は貴重な陶磁器を収集するコレクターで、日本や中国について豊富な知識を持っていました。
ワトスンはホームズに頼まれ、陶磁器の知識を一夜漬けしてヒル・バートン博士という実在しない人物に化けてグルーナー男爵に接近します。
しかしグルーナー男爵はワトスン扮するバートン博士を怪しみ、聖武天皇と正倉院の関係性を質問されます。その質問にどう答えて良いかわらず、結局ワトスンは怒ったフリをしてその場をしのごうとしますが失敗に終わりました。ちなみに、正典に登場した唯一の日本人が聖武天皇です。
正倉院には聖武天皇の遺品など六百数十点や薬物六十種の他、東大寺の寺宝、美術工芸品、古文書などが保管されています。
正倉院宝物の内、陶磁器などが何点あるのか。私は正倉院のホームページから正倉院宝物検索をし、陶磁器の数を調べてみました。その結果、陶器は北倉に5点、中倉に0点、南倉に13点の計18点ありました。一方で磁器は北倉に0点、中倉に0点、南倉に1点の計1点でした。つまり、正倉院には陶磁器が計19点あるということです。
あんなに膨大な数の歴史的遺物が保管されているにも関わらず、陶磁器が19点しかないのは少ないにもほどがあります。
令和元年の東京博物館の平成館で行われた天皇様の御即位記念特別展『正倉院の世界─皇室がまもり伝えた美─』で手に入れた特別展の正倉院宝物の出品目録に目を通してみましたが、陶磁器が出品目録には書いていませんでした。私が見落としていただけかもしれませんが、見落とすくらい陶磁器の数が少ないのだとわかります。
また、『国立国会図書館デジタルコレクション』にて調べてみましたが、『高名な依頼者』事件の発生以前に正倉院の陶磁器について一言でも触れている本などは確認出来ませんでした。
グルーナー男爵は陶磁器のコレクターであり、正倉院にある陶磁器の知識もあったのかもしれませんが、ここまで保管されている数が少ないと引っ掛け問題だった可能性も否めません。
正倉院の陶磁器について触れている本も当時の日本では少ない(または無い)ことがわかりますし、グルーナー男爵が正倉院の陶磁器について知り得た可能性は限りなく低いでしょう。
しかも当時は日本でも正倉院は有名ではなく、陶磁器との関係性もあまりないので引っ掛け問題だった可能性はより高いでしょう。
まあ、明治時代に正倉院などの日本の美術工芸品が海外に流出していたようなので、グルーナー男爵の陶磁器のコレクションの中に正倉院の陶磁器があったかもしれませんが。
当時は日本ですら有名ではなかった正倉院をなぜドイルが正典で登場させることが出来たのかと言うと、ドイルの幼馴染みで親友のウィリアム・K・バートンが日本政府のお雇い外国人として1887年に来日していたからです。バートンはドイルと頻繁に手紙でやりとりをしていたようで、ドイルと直接会った安藤寛一さんによりますとドイルはバートンの手紙によって日本のことを断片的ですが知ることが出来たと語っていたとのことです。
このWilliam Burtonという名前ですが、ワトスンが『高名な依頼者』で使っていた偽名であるHill Burtonと似ています。ウィリアムという名前の愛称が『BilL』なので、これはドイルが意識してワトスンの偽名に使った可能性があります。しかもバートンは1899年は42歳に東京で病に伏して没しています。バートンの没後、ドイルは『高名な依頼者』でバートンから教わった日本の知識を使用したため、バートンを悔やんでワトスンの偽名にしたのかもしれませんね。
【花瓶】
前述した通り、『京薩摩』と言われる外国人好みのデザインの輸出品が作られていました。『三人ガリデブ』のネイサン・ガリデブが日本製の花瓶を持っており、その花瓶もそういった輸出品の一つだったかもしれないそうです。
【甲冑】
今でもアメリカのボストン美術館などには、日本に残されていれば国宝や重要文化財になっていたであろう美術品がたくさん並んでいます。その当時に日本から流出してしまった日本の美術品の甲冑の一つが、『ギリシャ語通訳』に登場したのかもしれないようです。
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