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3 無愛想ではなくなった

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 ……いや、だから冷静になれ。アルトたんルートって何なんだよ。

 その翌日は珍しく平和な一日だった。朝からずっと不機嫌なオーラを漂わせたグイドが側にいたせいかもしれない。周囲が向けてくる目は同じだけど、グイドを恐れてか直接の被害はなかった。
「アルト、今日はこのまま家に帰ってくるよ。例の件で。週明けには戻るけど、一人で大丈夫?」
 授業が終わってからサムが心配そうな目を向けてきた。例のというのはきっと彼の婚約のことだろう。自分の事で大変なのに僕のことまで気にかけてくれるなんて本当にいい奴だ。
 ゲームには名前も出てこなかったけど、こんないい友達がアルトにいたなんて。
 僕は教室の外で今もどす黒い空気を振りまいている男に目を向けた。
「一応護衛がいるから大丈夫だよ」
 グイドがいたらさすがにちょっかいを出してくる生徒はいないだろう。
 それにグイドは嫌々でも仕事はする人だろうから、その辺は大丈夫だ。
 一応サムが不在なことは彼にも報告したほうがいいだろうし、と僕は荷物をまとめてからグイドに歩み寄った。
 僕の話を聞いて、グイドは鋭い目でこちらをじっと睨んできた。
「サムエーレ殿が不在の間、何をなさるおつもりかお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「宿題をします」
「宿題? ……外に出かけたり、人と会ったりは? 黙って動かれたりはなさいませんね?」
 言い方に棘があって詰問されているみたいに思える。あまり気持ちが良くない。
 どうせ僕に向ける愛想なんて持ち合わせてないんだろうけど。
 アルトはこの国に人質として連れてこられた。行動の自由があるはずもない。サム以外にも監視はつけられているはずだし、この男も護衛という名の監視だろう。
 アルトの記憶を探っても学園と王宮の一部を除くとまったく土地勘がない。それ以外知らないのだ。有翔もゲームイベントの場所しか知らないので似たり寄ったりだ。一人で出歩けるはずがない。
 まあ、この人の質問の意図はわかる。わかるからこそちょっとイラッとした。
「ザーニ卿は公正な方だと思っていましたが、僕の勘違いだったようです。僕が誰彼構わず閨に誘っている浮気者の淫乱だから、そろそろ相手を求めて出歩くだろうと疑っていらっしゃるのですね。僕の立場をふまえての発言だと考えてよろしいですか?」
 そう言い返すと、初めてグイドの表情が崩れた。はっと目を瞠ると困惑したように目線を逸らした。やっとこちらが苛立っているのに気づいたのだろう。
「……出過ぎたことを申しました」
 それから寮に戻るまでの間、彼は一言も口を開かなかった。
 ただでさえ話相手がいないのに側で重苦しい空気を側で醸しださないで欲しいんだけど。おかげで自分の足取りまで重くなってしまう。
「ザーニ卿。一つよろしいでしょうか」
 部屋の前で足を止めて、僕はグイドに向き直った。
「そんなに僕の護衛が嫌なら、殿下の所に戻って構いませんよ?」
 真面目で正直な男なんだ。だから気持ちが顔に出るのは仕方ない。何を王子殿下から命じられたのかは知らないけれど、腹芸のできる人じゃない。
 殿下の命令遂行に失敗したわけじゃなく、僕の機嫌を損ねたとでも言えば戻らせてもらえるんじゃないだろうか。
「そのような訳には……」
「僕が殿下に『護衛をつけるならもっと好みの男を寄越せ』って一筆添えましょうか? それならザーニ卿の責任にはならないでしょう? 王宮に戻ればあなたも楽しく仕事できるでしょうし、僕もとやかく行動を詮索されることがなくなるんですから、WinWinじゃないですか」
 それを聞いてグイドが怪訝な顔をする。
「ウインウイン……とは?」
「あ、いや。どちらにとってもお得、ということです」
 WinWinは通じないのか。もしかしたら有翔の言葉には翻訳しきれないものもあるのかもしれない。気をつけなくては。
「お得……ですか。どうやら勘違いをしていたのは私のようだ」
 僕の言葉にグイドはふっと口元を緩めた。纏っていた不機嫌オーラが消え失せている。
「ザーニ卿?」
「グイドと……」
「はい?」
「グイドで結構です。今までの無礼はお詫びいたします。どうかお許しください。そしてできることなら、私を今まで通り側に置いていただきたいのです」
 そう言って僕の前で膝をついた。え? どういうこと? はい喜んでー、って殿下の所に戻るんじゃないの?
「……何故ですか?」
 頭を下げているので表情は読めない。けれどわずかに見える頬が赤かった。
「恥を忍んで申し上げますが、殿下の不興を買いまして、まだ戻るわけにはいかないのです」
「はあ?」
 思わず間抜けな声を出してしまった。なんで? グイドは出自こそ下位貴族だけれど剣術の強さで王宮騎士団の副団長まで上り詰めた優秀な武人だ。国王陛下にも気に入られているはず。
 一体何をやらかしたんだ。
「殿下に小姓遊びが過ぎるのではないかとつい口にしてしまいました。元々私のことを目障りに思っていらっしゃったのもあって、本気でお怒りになって……」
「……」
 バカなの? いや、この人バカのつく真面目な人だった。あの殿下が目下からそう言われて改めるタイプじゃないだろうって僕でもわかるのに。
 つまりその失言が原因で遠ざけられたってことなのか。
「殿下は、婚約者がふしだらな人間で学院でも多くの相手と遊んでいる噂があるから、その証拠を集めてこいと。『誘われたらお前が相手になってやるといい』とおっしゃいました。今戻されたところで殿下のお怒りが解けるとは思えません」
 ……予想通りだった。っていうか、その婚約者本人に対して正直にぶっちゃけすぎじゃない? そういうとこだぞ。
 いくらか自分で墓穴掘ったとはいえ主君の怒りを買って、エミリオから遠ざけられて、あげくに淫乱と悪名高い問題人物(?)の護衛を命じられて。きっと任務達成するまで戻ってくんなとか言われた……って感じか。
 そんな事情ならある程度落ち着くまでグイドを返すのは止めた方がいいのか。まあ、グイドとエミリオのイベントが消化できるかどうかなんて僕には関係ないし。このままだとグイドルートには行かないことがほぼ確実になる。
「そちらの事情は理解しました。謝罪をお受けします。どうかお立ちください」
 グイドは頭を下げるとゆっくりと立ちあがった。
「寛大なお言葉に感謝します」
 こちらを見る灰色の瞳はあいかわらず鋭いけれど敵意は感じなかった。目つきが悪いのは元々なんだろう。きっとそういうキャラクターなんだな。
 返品できないなら、この人がここで楽しく仕事できればいいんじゃないか。攻略キャラなんだから敵に回すのは避けたいし。ついでに好感度をちょっとでも上げないと。
「じゃあ、グイド様。早速お誘いしてもよろしいですか?」
 僕はにこやかにグイドに問いかけた。戸惑った顔をした彼の表情に内心吹き出しそうになりながら、素早く付け加えた。
「今日はサムが不在でお茶の相手がいないので」
「……かしこまりました。そういうことでしたらお相伴させていただきます」
 グイドが明らかに安心した様子で静かに一礼する。ちょっと顔が赤かったのは、僕がわざと誤解を招く言い方をしたからだ。
 ほんとにゲームの中で見たとおりの真面目でお堅い人だったから、ちょっとだけからかってみたくなっただけなんだ。悪意はない。

 普段、授業の後アルトは寮室でサムとお茶を飲みながら一日の出来事を語り合っていた。
 なので今日はグイドをサムがいつも座っている椅子に案内した。
 僕が茶器を支度している間、グイドは背中に定規がジャストフィットしそうなくらい緊張した様子で座っていた。もしかしたらお茶の作法とか難しく考えているのかもしれない。
 そんなの気にしなくてもいいのに。お茶は楽しむものなんだから。
 境有翔のバイト先は紅茶専門の喫茶店だった。ちょっと変わり者の紅茶オタクな紳士が経営していて、淹れ方の猛特訓を受けた。
 この国の茶葉は紅茶に似たものと烏龍茶に近いものがある。おかげで淹れ方のコツもすぐ掴めた。茶器にお茶を注ぐ僕の手元を黙って観察していたグイドが問いかけてきた。
「失礼ながら、従者は連れていないのですか?」
 貴族学院は貴族子弟の自立を促す目的もあって、全寮制だ。けれど王族や高位貴族は従者を連れてくることが暗黙で認められる。実際この寮室の隣には従者用の部屋がある。今その部屋はグイドが一人で使っている。
「僕には元々従者はいません」
「お国から連れてこなかったのですか?」
「国境で全員追い返しました。どうなるかわからないのに巻き込む訳には行きませんから」
 そう答えるとグイドは顔を顰めた。アルトが敗戦国からの人質として寄越されたことをやっと思い出したのだろう。
「……申し訳ありません。私は少々言葉選びが雑なようで……」
「取り繕ったようなおべっかや、嫌味な陰口よりは遙かにいいと思いますよ」
 僕は素直にそう告げた。
 このゲーム世界の良心。有翔の記憶にあった妹の言葉は確かに真実だ。
 高位貴族たちのうわべだけの腹の底が読めない会話や、えげつない嫌がらせを見慣れていると、グイドの存在は清涼なそよ風のように心地良い。
 ただ、この人は興味の無いことには無知な一面があるような気がした。僕にまつわる噂を鵜呑みににしていたのがその証拠だ。
 もうしばらく僕の側にいるというのなら、その認識は改めてもらう必要がある。
「実は、僕は殿下には一年近くお会いしていません。社交の場にも出る機会がありませんでした。それでも殿下が見目のいい方を側に置いて親しくなさっているのは聞き及んでいます」
 こちらの認識では、浮気してるのはあっちなのだ。そのくらいは理解してもらいたい。
 殿下は公務そっちのけで遊びまくっているし、側近たちもそれを諫めるどころか一緒に楽しんでいたのだ。
 そのあげくが平民上がりの美少年エミリオを王宮に入れて、次代のこの国を担う人たちがそろって骨抜きにされている。サムの話では執務にも影響が出ているらしい。
 ゲームの時は思わなかったけど、これでこの国大丈夫なのか? って、心配になる。
「……殿下はいずれ僕を見限るつもりでしょう」
 伏し目がちにそう告げると、グイドは大きく首を横に振った。
「まさか。国家間の政略結婚です。そのように簡単には……」
 言いたいことはわかる。王族の結婚は政略結婚だ。個人の好き嫌いで勝手に取り消したりできるものではない。
 けど、あのバカ王子は好き嫌いを理由にやらかすのだ。
「国益を第一に考えるなら、殿下は僕と結婚なさるはずです。この政略結婚によってクレドを支配する口実が得られるのですから。けれど、殿下は私情を優先なさるようです。あなたに証拠集めを命じたのも、近い将来婚約破棄をするおつもりだからです」
 卒業に必要な授業が終わったら、僕は王子配教育のために王宮に通うことになっている。アルトはルーベン王子との距離が縮まることを期待していたが、ゲームの展開上、そうならないことを僕は知っている。
 三ヶ月後の卒業式の日。ルーベン王子はアルトとの婚約を破棄する。そしてアルトはその後五人の攻略対象者の誰かの手にかかって死ぬ。
 グイドは眉を寄せて信じがたいと言いたげにこちらを見つめてきた。
「……あなたはそれでいいのですか?」
「いいもなにも。僕はルーベン殿下に逆らうことはできません」
 対等な立場ではないのだから。それでも抗うつもりではあるけれど。流石に破滅エンドで死ぬとかは嫌だし、それにアルトの立場上死ぬ訳にはいかない。
「できることなら、殿下と婚約解消されても生かしておいて欲しいとは思っています。僕が生きている限りは休戦協定は有効です。だからたとえどこかに幽閉されてもいいから、静かに長く生きていきたいんです」
 ゲームであれだけ酷い目に遭っていたアルトを助けたい。それに何より僕自身が長生きしたい。そのためには味方や理解者を増やすこと。
 グイドは僕には関心がないだろう。けれどこうして会話を交わす機会ができたのなら、自分の考えを伝えておきたい。
「あ、でも、あなたを巻き込む訳にいきませんから、騒動の前に殿下に護衛の任を解いていただきます。どうか安心してください」
「あなたは……やはり……」
 グイドは僕の言葉に驚いたようだった。灰色の瞳をこちらに向けて、それから静かに小さく頷いた。
「私のことなどどうぞお構いなく。私はあなたがその平穏な生活を手に入れるまで、この命に替えてもあなたをお守りしたい」
「え?」
 僕はどこかで言葉を間違っただろうか? もうじき婚約破棄されるから、殿下とエミリオの所に戻れるよ、良かったね、ってつもりで言ったはずなのに。
 その言い方だと婚約破棄の後も僕の側に残るって聞こえるんだけど?
「あなたは驚くほど危うい人だ。一人にしておけません。私はここまで誰かを守りたいと思ったのは初めてです。どうか、このままあなたの側にいることをお許しください」
 グイドはそう言って戸惑っていた僕の左手を包むように握る。白い手袋越しに伝わってくるほのかな熱と真剣な眼差しに頭の中が真っ白になった。何が起きてるんだこれは。
 気のせいだろうか、頭の中で好感度アップ時の効果音が鳴り響いたような……。
「……え……と。ひとまずは護衛よろしくお願いします?」
 僕は混乱したままそう答えるしかなかった。

 その夜、こっそりとステータス確認したらグイドのアルト・フレーゲに対する好感度が一気に五十パーセントまで跳ね上がっていた。一方、エミリオに対してはマイナスにめり込んでしまっている。
 おかしい。やはりこれは僕の知るゲーム展開とは全然違う。
 そろそろ本当にアルトたんルートの存在を疑わなくてはならないのかもしれない……。
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