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6 忠犬ではなくなった

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 卒業式が近づくにつれて、最高学年の生徒は学院内から姿を見かけなくなる。引き継ぎの必要な役職とか単位が足りなくて補習とかいう事情が無い限り、次に会うのは卒業式になる。
 そしてアルトの友人、サムもまた実家に帰ることになった。
 新しい婚約者の家で行儀見習いというか、領地経営などを学ぶのだそうだ。お相手は二十歳年上の騎士団長だとか。年齢のこともあって結婚式は略式で卒業直後に行うそうだ。
 式には招待してくれるって言ってくれた。破滅エンドでなかったらサムの晴れ姿を見られるんだけど……失敗したらサムにこの先もう二度と会えないのかもしれない。

 二人部屋からサムの荷物が消えてしまうと、部屋が広々として見えた。
 午後のお茶の時間に並べる茶器もグイドと僕のものだけになった。
 何だか寂しくなってぼんやりしていたら、グイドが気を遣ってかそっと教えてくれた。
「大丈夫です。サムエーレ殿のお相手は私の上司です。人柄も家柄も申し分ない方です」
「え? ってことは王宮騎士団の団長? すごい人じゃないですか」
 王宮騎士団の団長は代々王家に連なる家系の中でも武門に優れた優秀な人が選ばれる。伯爵家次男のサムは相当な玉の輿を見つけたってことだろうか。
「はい。昔婚約者を病気で亡くされてからずっとお一人だったので、周りが心配していました。部下からも慕われている面倒見のいい方です」
「いい人なんですね。よかった……」
 それならサムのことも大事にしてくれそうだ。元婚約者のセヴェーロは浮気性らしく、エミリオに夢中になっていた。おまけに実家はこれから過去の悪事が暴かれて破滅する。たとえどんなに歳が離れていても誠実な人の方がいい。
「あなたはサムエーレ殿のことよりも、そろそろご自分のことを考えたほうがよろしいのではありませんか?」
 確かに、ゲーム通りなら卒業式の場で婚約破棄されるはずだ。さらにルーベン王子の寵愛を受けているエミリオを害そうとした罪に問われる。
 もっともエミリオには会ったこともないし、今のアルトはルーベン王子の婚約者として淡々と勉強に励んでいる。
  皮肉にもルーベン王子が寄越したグイドが護衛として僕にずっとついて回っているから、嫌がらせをでっち上げても証拠がないはずだ。
 イーヴォも動いているならエミリオが魅了の魔法に対策し始めているだろう。自分が魔法にかけられたことは彼にとって屈辱のはずだから。
 ゲームのストーリーから少しずつ外れていく。
 そうなると婚約破棄イベントはどうなるんだろう。
「あなたはルーベン殿下がいずれ自分を見放すとおっしゃった。その先はどうなさるのですか?」
「おそらく僕が次に殿下に会うとしたら、学院の卒業式でしょう。本来なら国王陛下に祝辞を賜るでしょうけれど、今、陛下は南部の視察の最中ですから、ルーベン殿下が名代でお見えになるかと」
 そうして卒業式後の謝恩パーティの席で婚約破棄を告げてくる。アルトは「人質らしい扱いをしてやる」と言われ、貴人用の牢に幽閉される。
 そしてこの後エミリオはルーベンにプロポーズされる。ここでプロポーズにどう答えるかで五人のキャラクターそれぞれのルートに分岐する……のがゲームの流れ。
 ただ、この先がさっぱり読めない。困った。
 ましてや「アルトたんルート」だとしたらもうお手上げだ。
 けど、よく考えてみたら、エミリオの選択を待つ必要ないんじゃないか?

 そもそも攻略キャラのうち三人はすでにストーリーとは乖離してる。
 毎晩ステータス確認しているからこれは断言できる。
 一人目のグイド。エミリオの忠実な騎士のはずの彼は、ゲームでは目の敵にしていた僕と毎日午後のお茶を一緒にする関係になっている。現在エミリオに対しては好感度マイナス。むしろ嫌っている。
 そして次がアンジェロ王子。兄への対抗心からエミリオとアルトの二股を狙っていた腹黒キャラだが、イーヴォの話どおり、遊びに出歩くことなく王子として真面目に執務に励んでいる。どうやら、あまりにルーベン王子がエミリオに溺れすぎているので、むしろここは正攻法で評判を上げたほうが兄を蹴落とせると踏んだのかもしれない。エミリオへの好感度も日々目減りしている。
 三人目の魔法使いイーヴォはエミリオを自分が作った魔法薬で弄ぶ変態だったが、自分がやられるのは嫌な性格だったらしく、魅了の魔法を無効化するべく頑張っていると毎日僕に手紙をくれるようになった。今や文通友達だ。そしてエミリオへの好感度は急降下中。
 だったら残るはサムの元婚約者のセヴェーロとルーベン王子。
 ……サムと繋がりがあるなら手加減したけど、今ならやっちゃっていいよね?
 セヴェーロのルートを潰すならセヴェーロの実家の罪を早めに明らかにしてしまえばいい。そうすればセヴェーロは王宮に出入りできなくなる。
「……グイドはエミリオの親を知ってますか?」
「いえ。すでに亡くなっています。ある貴族の使用人だったそうですが、主家が取り潰されてから商業ギルドに身を置いていたようです」
 なるほど。王子の側に置くからには身上調査はしていたということか。

 エミリオは平民ということになっているが、その素性はとある侯爵家の生き残りだ。
 十年前、好色家だった先代の国王が侯爵家の令息、つまりエミリオの実の父親を愛人にしようとした。けれどすでに結婚していて配偶者を深く愛していた彼はそれを断った。
 それでも諦めきれない国王のために、アネート伯爵は賊を雇って領地に向かう侯爵を襲わせた。さらにはその家族が次々と不慮の死を遂げる。最後に残ったのは令息とその息子エミリオ。我が子を守るためにエミリオの父は先代国王の愛人になったが、その直後病死。
 家族を失ったエミリオは財産狙いの親族に命を狙われたため、事故死を装って身を隠していた。その後財産争いを繰り広げたあげく、内乱状態になった侯爵家は爵位も領地も取り上げられてしまった。
 表向きは侯爵家は王家に逆らったから神の怒りを買ったのだとか、呪われたのだとか。
 っていうのが、ゲームのストーリーで明かされるエミリオの過去だ。エミリオにとって家族の仇はアネート伯爵家と王家。もっとも実行犯の当時のアネート伯爵と国王はすでに亡くなっている。

「……ここ十年ほどで取り潰された家と言うことなら、ペンシエーロ侯爵家ですか?」
「よくご存じですね」
 グイドが驚いた顔をした。
「先日図書館で見かけた書物に、呪われた侯爵家だとかおどろおどろしく書かれていました」
 三年前に隣国から来たアルトがそんなことを知っているというのは不自然だろうから、そう言って誤魔化した。
「そうですか。確かにペンシエーロ侯爵家の使用人でした。ただ、すでに家自体が無くなっているのでそれ以上のことはわかりません。ですがただの使用人の子ですから、王家に仇なすようなことはないだろうとルーベン殿下は判断したようです」
「けれど、充分王宮を混乱させているようです。先日の魅了の魔法のこともありますし。僕はそれが不安です。殿下が他に想い人があるというのなら、婚約を見直すことはしかたないでしょう。でも、エミリオは本当に殿下を幸せにしてくれる人でしょうか。そうなると婚約破棄を素直に受け入れていいのかと迷いはあります」
 どうせこっちが何を言ってもルーベン王子は聞き入れないだろう。エミリオの言葉を疑うこともしないのだから。
 それでも他国から来た人間から見ても不安に思える王宮の現状をもっと周りに知らせるべきだと思う。いかにゲーム主人公であっても、全ての人間を魅了することなど不可能だ。
「お優しいのですね。この国を心配しているのですか」
 グイドがすっと真剣な眼差しで僕を見つめる。眉間に深く刻まれた皺と鋭い灰色の瞳。怒ってるんだろうか。何か気に障るようなことを言っただろうか。
「あなたにとってこの国の寄る辺はルーベン殿下の婚約者であることだけなのに。それすら失おうとしているのですよ。怒りや恨み言はないのですか?」
「……グイド」
 そうか。怒ってるんじゃない。心配してくれているんだ。
「あなたのことを危ういと申し上げたのを覚えていますか? 私がルーベン殿下に何を命じられて来たかご存じでしょう? あの方はあなたが心配する価値があるような人ではありません」
 いや、僕が心配してるのは王子や側近がダメダメになってしまったこの国であって、王子個人はどうでもいい。勝手してくれ。他にも王位継承者はいるんだし。
「命令……? 僕が浮気している証拠を集めるとか?」
 浮気相手に事欠いていたら相手になって……みたいなことも言ってたな。大概失礼だが。
 グイドは立ちあがって片手で僕の両手首を一度に掴んでテーブルに押しつけた。戸惑っていたら顎を掴まれて上向かされる。
「もし何の証拠もなければ、無理矢理にでも純潔ではない身体にしろ、とまで言われました。そんな男と部屋で二人きりなんですよ? なのに人のことばかり心配して」
 ……え? 何? あのバカ王子は自分の浮気棚に上げてなにやってくれてんだ。
 アンジェロ王子もそのことを知ってたから、のほほんとグイドを側に置いている僕を馬鹿にしてたのか。
「……どうか隙を見せないで下さい。人の心配よりもご自分の身が第一です。長生きしたいとおっしゃったのはあなたでしょう?」
 グイドの口調は厳しいが、それは彼が無防備過ぎる僕に苛立っているんだとわかった。
  真っ直ぐに僕を見据える瞳は彼の言葉に偽りがないと示しているように思えた。
 なにより、今のように片手で僕を動けなくできるのなら、いつでも襲うことはできたはずだ。そういう意味でもグイドはアルトを守ってくれていたんだ。
「……ごめんなさい」
「いえ。失礼しました。……頭を冷やしてきます」
 グイドは僕から手を離して部屋を出ようとした。
 彼からしたら人のことばかり考えている僕は危うく見えて当然だろう。僕はゲームの展開が気になっていたからだけど、彼はそんなこと知らない。
 そんなに心配してくれているなんて思いもしなかった。
 彼の気持ちを考えてなかった。まだ心のどこかでゲーム世界だからという気持ちが残っていたのかもしれない。
「待って」
 やっぱり彼は真面目で立派な騎士だ。僕に巻き込まれて彼が破滅するのは嫌だ。
 僕はグイドを追いかけて上着の背中を掴んだ。
「……グイド。あなたの言う通り、僕の考えが足りませんでした。今後は自分の事もちゃんと考えます。もしこの先、命令を遂行しないことであなたが責められるのなら、頑張って浮気します。だから……」
 不意に掴んだ背中から振動が伝わってきた。あれ?
「……頑張って浮気するんですか……」
 笑いの混じった声。彼はドアに凭れて笑いを堪えていたらしい。
 ぐるりと彼がこちらに振り向いて、僕を両腕の中に納める。すっぽりと抱きしめられる格好になった。顔は見えないけどまだ笑ってるのが震えが伝わってくるからわかる。
「笑わないで下さい。真面目に言ってるんです。その……浮気ってどうすればいいのかわからないんですが……」
 そもそも有翔には恋愛経験が全くない。アルトの記憶はあちこち欠けているけれど、恋人がいたようには思えない。二人分の記憶があるのに恋愛がわからない。
 それで浮気ってハードル高くないか? 
 グイドは「相手になってやれ」って言われたくらいだから浮気については僕よりわかっているんだろう。何しろ十歳も年上の大人なんだし。
「……浮気などしなくていいんです」
「え?」
 少し腕が緩んだので思わず顔を見上げたら、グイドの顔が近づいてきた。
 驚いて反応するより前に、唇に温かいものが触れた。
 幾度か啄むように触れたそれが離れると、グイドは僕の頬に手のひらを添えた。
「あなたは私のものなんですから。……そうでしょう? アルト」
 ……グイド?
 その優しい声に、僕の中に残るアルトの記憶が蘇ってきた。
 灰色の瞳、柔らかなブルネットの髪。その人にいつも甘えていた。
「……グイド兄さま……?」
 ……そうか。アルト。君は……。
 急に押し寄せてきた記憶。それを受け止めきれなくて僕はそのまま意識を失った。
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