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10 孤立無援ではなくなった
しおりを挟むアネート伯爵家は元々あまり豊かではない領地を治める地方領主だった。けれど、先代の頃、あるときから羽振りが良くなった。戦争によって家や土地を追われた人々を受け入れ、人口が増えることで、税収が上がったらしいと周りは見ていた。
同じ頃に国王から名指しで王都に招かれることが増えた。
伯爵家では受け入れた移民の中で見目のいい者を奴隷として売り払い、そしてその一部は王の側仕えとして献上していた。王はその見返りに伯爵を重用した。
そして、国王が美しいペンシエーロ侯爵家の令息に目をつけたところから、悲劇が始まった。
グイドに僕の前世の話を打ち明けた数日後、突然アンジェロ王子からの面会申し込みが来たので、寮のサロンで会うことにした。
あいかわらずキラキラキラキラした色男は、僕を見てにこやかに微笑んだ。そして、どっかと椅子に腰掛けると、いきなり本題に入った。
「なんか、面白い事してるって小耳に挟んだので混ぜてもらえないかなと思って。悪い話じゃないと思うんだけど」
そう言いながら従者たちを隣の部屋に追いやった。僕の後に立っているグイドにちらりと目を向けたけれど、意味ありげににやりとしただけだった。
そして、軽薄な笑みを消すと、普段表に出さない腹黒な顔になる。
「アネート伯爵家を叩くなら、僕も一枚噛ませてほしい」
「……どういうことですか?」
何故それを。正直驚いたけれど、この人はまだアルトが無表情で感情に乏しいと思っているはずだ。動揺を気取られないよう口数少なめに答えた。
「元々君にはサムエーレやグイド以外に王家の隠密部隊の監視がついていた。……ここまでは知っていると思うけど」
僕は頷いた。ゲームではアルトにずっと監視がついていたのに、彼らはルーベン殿下の支配下にあって、アルトの冤罪を晴らしてくれなかった。ちゃんと仕事しろや、ってツッコミ入れた記憶がある。
「で、その隠密部隊の指揮権、少し前に兄上から譲り受けたのが僕。困っちゃうよ。兄上が全然仕事しないからほとんどの仕事が僕に回ってくる」
「それは……大変ですね」
ご自分も割と最近まで仕事せずに遊び回ってたけど、それはすっかり棚に上げたらしい。
「まあね。……それで、最近グイドが時々君の側を離れて、アネート伯爵家について調べてるよね。誰に頼まれたのかな? グイド?」
確かにグイドが監視下にあって自由に出歩けない僕の代わりに動いてくれているけど、こんなに早くバレるなんて思わなかった。そもそも僕につけられている監視の目がグイドまで及んでいるなんて思わなかった。
カマをかけられている可能性もあるけど、誤魔化しても仕方ない。だから僕が答えた。
「……僕が頼みました。アネート伯爵家領での移民受け入れ政策が成功してかなり繁栄しているとか。その話を詳しくお聞きしたかったんです。問題がなければ面談を申し込むつもりでした」
もし何か言われたときのために考えていた口実だ。
「ふうん。で、問題があったでしょ?」
アンジェロ王子は兄を追い落とすために手柄が欲しい。
アネート伯爵家はルーベン殿下の派閥の筆頭だ。しかも後ろ暗い噂が満載の。アンジェロ王子からすれば叩くに丁度いい存在だろう。
けど信用していいのかな。この男、腹黒で人間不信だし。変態だし。好色って点では亡くなった先代国王と似ているし。変態だし。
「もー。疑い深いなあ。じゃあとっておきを教えてあげるよ。兄上は学院の卒業パーティに父上の名代として出席するんだけど、その時に君に婚約破棄を告げるつもりだよ」
得意げに言われてグイドが軽く眉をひそめた。僕が言っていたゲーム内容が現実になってきたと思ったのだろう。
……そんなの言われなくても知ってる。ゲーム周回したから何度も見た。台詞だって暗唱できる。途中から面倒くさくて既読スキップで飛ばしたけど。
「……予想はしています」
「そうかー。残念。もうちょっと驚くかと思ったのに。実はその件の裏にもアネート伯爵が噛んでる。アネート伯爵はセヴェーロの弟を兄上に嫁がせようと根回ししているみたいでね。あんまり図々しいから黙らせたいんだよね。兄上のためにも」
なるほど。王命で決められた婚約者さえ追い払えば、平民上がりのエミリオなど後でどうにでもできる。それで我が子をルーベン王子に……ってことか。確かに図々しい。
アルトはルーベン王子のため、という名目で協力すればいい。現時点では王子の婚約者なのだから、無礼にもそれを押しのけようとしている貴族を排除するのは当然だ。
「……わかりました。ルーベン殿下のお役に立てるということでしたら、協力します」
「ありがとう。それじゃ早速」
アンジェロ王子は嬉しそうにいそいそと書類を取り出した。アネート伯爵家が過去に関わった可能性のある事件を書いたチェックリストのようなものらしい。ペンシエーロ公爵家の名前もある。予想外の量に驚いた。
「噂だけじゃ流石に告発できないから証拠固めをしてたんだけど、最近伯爵家の本邸に泥棒が入ったらしくて。それで警戒して証拠書類を全部燃やしてしまったんだよね。困っちゃうよね」
……泥棒。エミリオが証拠集めに伯爵邸に潜入するイベントがすでに起きてしまったんだ。しかも失敗したらしい。
その証拠を消されてしまったら、こちらも困る。それには人身売買の記録もあるはずだから。
「……全部、ですか」
「読めるところがないかと思って、灰だけでも回収させたんだけど、見事な灰だった」
そう言って気障っぽく肩を竦める。
「魔法で何とかならないか相談したら、イーヴォはアルト様ならなんとかしてくれるかも、って言うんだ。なんとかなる? もちろん報酬は用意するよ」
灰が……残っている?
それなら確かに魔法で何とかできるだろうけど、そんな大事な証拠を僕にあっさり任せる気だろうか。内容によっては先代国王の悪事まで含まれるかもしれないのに。
「外国人の僕をそんなに信用していいんですか?」
この人は人を安易に信じない。ゲームでは両思いになったエミリオすら信じなかった。
なのにさっきから自分の手札を惜しげ無くこちらに見せている。
アンジェロは困ったように力の抜けた笑みを浮かべた。キラキラでも腹黒でもない表情は初めて見た。その表情を見たらアルトと同い年なのだと実感する。
「困ったことに信用してるよ。イーヴォが王宮内で精神感応系の魔法を完全無効化する魔法道具を発明したのも君の助言があったと聞いている。おかげで魅了の影響で兄上を支持していた貴族たちが僕を推してくれるようになった。兄上とセヴェーロはサムエーレを利用して君の悪名を証言させようとしたらしいけれど、サムエーレが王宮騎士団長と婚約したから手出しできなくなった。婚約破棄を薦めたのは君だそうだね。そして今度は、グイドを使ってセヴェーロの実家の悪事を調べている。君はただの可愛らしいお人形ではないね。兄上は見る目がない。僕は最初から真面目に口説かなかったことを後悔してるよ」
僕が破滅エンドを回避しようと足掻いたことが、今になってアンジェロ王子に信用されるきっかけになったんだろうか……。そんなことあるんだろうか。
けど口説くとか言うのはやめてほしい。背後の空気がどんどんおどろおどろしくなって、グイドを振り返るのが怖い。
「……ええと……書類が読めるようにすればいいんですね」
「おねがいできるかな」
アンジェロ王子は隣の部屋にいた従者を呼びつけた。
従者が持ってきた箱の中身は黒焦げになった海苔のようなものだった。
紙の原型はギリギリ残っているけれど、書いていた文字は見えない。触るとパラパラと砕けてしまうほど脆い。
……けど、この証拠書類がないと、エミリオの仇討ちもアネート伯爵家を叩くことも出来なくなる。やらないと。
魔法の使い方はアルトの記憶にある。復元魔法は物質を変化させるのではなく忠実に元の状態に戻す。使い手が少ないのでそんなことが可能だと知っている人も少ないだろう。イメージとしては動画とかの逆再生に近い。時間の加減が難しいだけだ。
「この光に導かれよ。【復元】」
軽く触れた場所から光が湧き上がる。そして、真っ黒な灰だったものがやがて普通の書類に戻っていく。あんまり戻しすぎたら書類になる前の白紙になってしまうから、そこで手を離した。出来上がったのは紙を束ねた冊子が三つ。
アンジェロ王子とその従者たちはぽかんと口を開けて硬直していた。驚かなかったのはグイドだけだった。
「すごいな。こんな魔法……初めて見た」
復元された書類をめくってアンジェロ王子は大喜びしている。
「感謝する。早速奴らを王宮から叩き出してみせるよ。報酬を楽しみにしててね」
言うが早いかすごい勢いで帰って行った。報酬? いや、そんなことより。
「……これでよかった……のかな?」
戸惑っていると、グイドが眉間に皺を寄せて考え込んでいた。
「あちらもルーベン殿下に隠れて動いているのですから、不利な行動を報告したりはしないでしょう。手柄をあちらに譲るのですから敵に回ることはないはずです。あと、イーヴォには釘を刺しておかないと。あなたの魔法を軽々しく言い触らすなど許しがたい……」
「……まあ、逆にそれでアンジェロ殿下の動向がわかったから……いいと思う」
イーヴォも相手がアンジェロ王子だから教えたのかもしれない。元々二人ともルーベン殿下の王子宮に出入りしていて、変態友達のようだし。
僕がそう言うと、グイドはふっと表情を和らげた。
「では少し早いですが昼食にしましょう。午後から王宮で講義を受けるのでしたね」
「そうだったね……」
アルトの王子配教育はまだ終わっていない。どうせ無駄になるのがわかっているのに、大量の書物を覚え込まされていて、うんざりする。
「この国の初代国王からの系譜とか功績とか延々暗唱させられるし、教授と一対一だと居眠りも出来ないんだよね」
うっかりそうぼやいたら、グイドがぷっと吹き出していた。もしかして、アルトのイメージを壊してしまっただろうかと思っていたら。
「あなたは昔から教授に隠れて他の書物を読んだりして叱られていましたね……」
……アルト、結構色々やらかしてたんだ。昔のアルトは有翔に性格が似ていたのかもしれない。そうでなければグイドならもっと早く違和感を指摘しただろう。
「グイド兄さま、笑いすぎ」
言い返すと、グイドが僕の頭に手を置いた。灰色の瞳を細めて意味ありげに微笑む。
「だめですよ。そう呼んでいいのは?」
「……ごめんなさい」
そう。あれから僕とグイドの関係性が変わったから、決めたことがある。
グイドがクレド王国の出身だということはまだ明らかにできない。今の彼はあくまでこの国出身の王宮騎士団の騎士。そして、僕とグイドが婚姻を結んだことは当面二人だけの秘密だ。だから。
一歩部屋を出たらグイドには護衛役の騎士として接する。どこに人目があるかわからないからだ。
昔のように「グイド兄さま」と呼んでいいのは、ベッドの中だけ。そう約束させられた。
うっかり外でそう呼んでしまうと、きっちり叱られる。しかもその上。
「それは夜のお誘いだと思っていいのですか?」
などと滅茶苦茶いい声で囁かれてしまう。
……外でそう言われると、動揺して平静を保てないのでやめてほしい。
王宮での退屈な講義を終えてグイドと戻ろうとしていたら、何か庭の方で誰かが言い合う気配がした。
「……様子を見に行ってもよろしいでしょうか」
グイドは僕のところに派遣されているとはいえ、元の所属は王宮騎士団だ。王宮内のトラブルは気になるのだろう。
「僕も行く」
そう即答したのは理由があった。声に聞き覚えがあったからだ。
広大な庭園は中央に噴水、その周辺に花壇や綺麗に剪定された植木がシンメトリーに配置されている。
「これはゲームに出てきた出来事ですか?」
「それと似ていると思う……円形に作られた薔薇の花壇……その近くのはず」
グイドは頷いて早足で歩き出した。僕もそれを追いかけた。
そこへ向こうから走ってくる人がいた。
ピンク色の髪の細身の少年。可憐という言葉が似合う愛らしい顔立ち。けれど酷く慌てた様子だった。よく見れば衣服が着崩れていて、靴も履いていない。
……エミリオ? 間違いない、彼がエミリオだ。
「グイド」
彼は僕たちに気づいて、正確にはグイドを見てぱあっと表情を明るくした。
「お願い。グイド。助けて」
すがりついて来ようとしたのを、グイドは腰の剣を構えながら鋭い目で牽制した。
「何があったのですか?」
エミリオはグイドの態度に戸惑ったように足を止めて、それから来た方向を指さした。
「セヴが強引に僕を実家の伯爵家に連れて行くって言うから逃げてきたんだ。ルーベンの許可がないとダメでしょ。それに、どうして急に伯爵家に行かなきゃいけないのかわかんないし」
エミリオは僕のことはまったく眼中にない様子でグイドにまくしたてる。
……セヴェーロはともかくルーベン王子を呼び捨てとか。主人公すごいな。
この世界の人間ではない有翔の価値観でもありえないし、アルトからしたら未知の生きものレベルの常識知らずだ。
そうしていたら、エミリオを追って来たらしいセヴェーロがこちらに気づいた。気まずい表情になって少し離れた場所で様子を窺っている。
攻略キャラの一人、アネート伯爵の次男セヴェーロ・ダリエンツィオ。二十五歳。くすんだ青い髪をした逞しい大男。アルトの友人サムの元婚約者。たとえるならヒーロー戦隊のレッド。自己肯定感が高くて体育会系の暑苦しいタイプだ。
アルトは彼と会ったことがある。学院に彼の弟が通っているのもあって時々出入りしていたのだ。その時アルトと偶然鉢合わせた。
……何を思ったのかいきなりナンパしてきたんだけどね。
サムが止めに入ってくれて事なきを得たのだけど、どうやらアルトが何者なのか知らずに口説いていたらしい。
いくら何でも自分の仕えている王子の婚約者を口説くというのはどうなのか。まずは相手を確認するべきだと思う。
「セヴェーロ殿。これは一体何事なのか説明を願えますか」
グイドが剣に手をかけたまま低い声で問いかけた。
「誤解だ。僕は何もしていない。騒がしいから見に来ただけだ」
「ルーベン殿下のお許しもなくエミリオ殿を王子宮から連れだそうとなさったそうですが?」
「違う。僕はただ……その……ちょっと散策に誘っただけだ。エミリオ様だって気晴らしが必要だからね。ただ、言い方が悪かったのかエミリオ様を怒らせてしまったかもしれない。だから謝ろうと思って追いかけてきたんだ。エミリオ様、そうですよね?」
グイドはエミリオに目を向けた。
「……どうなさいますか? 殿下に報告が必要ですか?」
エミリオはまだ緊張と警戒を緩めていない。
伯爵家に泥棒が入ったとアンジェロ殿下が言っていた。その泥棒はエミリオ本人だろう。
セヴェーロがどういうつもりなのかいきなり伯爵家につれて行くと言ったから、エミリオは疑われているのではないかと警戒している。
そして、アルトの護衛をしていたグイドはその事情を知らない、とエミリオは思っている。余計な疑惑を増やしたくないだろう。
「……誤解だとセヴが言うのなら、もういいよ。でも、今日はセヴとはもうお話したくない。帰ってくれる?」
セヴェーロはその言葉に酷く落ち込んだように地面に目をやると、そのまま立ち去った。
それを確かめてからエミリオはグイドににこやかに微笑んだ。
「ねえグイド。王子宮に戻りたいから、送ってくれる?」
グイドはもたれかかろうとしてきた彼を片手で押しとどめると、冷淡に答えた。
「申し訳ありません。私は今殿下のご命令でこの方の護衛を務めております。他の者に送らせますのでしばしお待ちいただきたい」
そう言われて初めてエミリオはこの場にもう一人いるのに気づいたようだった。
僕の方を見ると、首を傾けて問いかけてきた。
「君は……誰?」
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