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12 悪役ではなくなった

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 アルトの祖国クレドの民は多くが金髪か銀髪の持ち主だった。
 アルトが黒い髪を持って生まれてきたのは、母が南方の出身だったから。国王はアルトが珍しい髪色で苦労するのではないかと心配して、クレドでは珍しいブルネットの髪の持ち主であるハーラー公爵家の令息と婚約させたらしい。
 そんな噂を耳にしたことがあった。

「グイド兄さまは、昔から僕の髪が好きだったね」
 グイドは僕を裸の胸に抱き込むようにして指で梳くように髪を撫でている。
 身体を重ねた後の身体の火照りがおさまるのを待つ間、黙っているのも気恥ずかしくてクレドにいた頃に聞いた噂話の真偽を問いかけてみた。
「あれは、ただの噂ですよ。婚約が決まったときはあなたはまだ生まれたての赤子で、髪も淡い産毛でしたから色なんてわかりませんでした」
 グイドは僕の髪を一房手に掬い取る。
「もちろん、あなたの髪は好きです。夜の闇を集めたような色なのに、絹のような光沢がある。ずっと触っていたいくらいです」
「ルーベン殿下には初対面で、髪の色が気持ち悪いと言われたけど」
 この国でも真っ黒の髪色は珍しい。だからこの国に来た時、奇異の目で見られたのを覚えている。
「やれやれ。あの方はほんとうに見る目がない。もっともその方がいいのですが」
「それもそうか……」
 あの人に好かれたって何のメリットもない。どうせ向こうは気に入らない理由をあげつらっていただけだろうし。
「有翔も黒髪だったから僕は黒の方が落ち着くよ」
 グイドの顔が近づいてきて、額に唇が触れた。
「あなたは前世でも黒髪だったのですか……」
「そこ気になるんだ……」
 グイドって黒髪フェチなんだろうかと一瞬思ってしまった。
「有翔の国だと黒髪は珍しくなかったんだ。むしろエミリオの髪色の方があり得ない。人工的に染めてピンクや青にする人がいるけど、生まれつきああいう髪の人はいない」
 グイドは驚いたように目を瞠った。
「そうなのですね。先ほどの言葉もそうですが、有翔のこともあなたのことも沢山知りたいです。今は目の前のことしか考えられませんが、いつか聞かせて下さい」
 語れるほどドラマチックならいいんだけど、有翔は平凡な学生だったから。それにこの国に来てからのアルトはほとんどまともに人と接していなかった。そっちも期待されてもちょっと困る……。
「……じゃあ、僕はグイドの話がもっと知りたいから聞かせてくれる?」
 クレドを出てからグイドはどんな風に過ごしていたのか、ちゃんと知りたかった。
 お互いにたわいもないことを話し合えるような、そんな日が来るように。
 見つめ合って、どちらからともなくキスを交わして、また小さな秘密を一つ積み重ねようと僕はグイドに身を寄せた。

 卒業式をあと十日に控えた頃、王宮で大きな動きがあった。
 アネート伯爵家を始めとするいくつかの貴族たちが人身売買や公金横領、貴族への殺害未遂などの罪で告発されたのだ。捜査の指揮を執ったアンジェロ王子はこれを機に王宮内の人事一掃を国王に奏上した。
 明らかにルーベン王子派の追放を狙ったものだった。

 僕がそれをグイドから聞かされたのは、当面の王子配教育が中止になったという知らせと同時だった。
 昨夜、グイドも王宮に呼び出され、戻ってきたのは朝になってからだった。以前ルーベン王子の護衛を務めていた経緯から事情を聞かれたという。
 なにしろ重臣の大半が処分対象だったそうなので、当分王宮は混乱するのだろう。
 有翔の世界だったらいきなり大臣や国会議員が半分以上クビになったような感じだろうか。
 僕は卒業式まで寮で待機することになった。外出禁止だそうだ。とんだとばっちりのような気がするけれど、グイドが身の安全のためだと念押しするので仕方なく了承した。
「……セヴェーロも投獄されたの?」
 僕の前にお茶を置くと、グイドは隣に腰掛けてきた。
「彼自身はどうやら犯罪には関わっていなかったようですが、すでにアネート伯爵家は一族全員収監されました。ルーベン殿下については事件の全容が明らかになってから処遇が決まるそうです」
 これで攻略対象キャラはエミリオの側にはルーベン王子しか残らない。
 僕が魔法で修復した書類には、今までルーベン王子が囲っていた愛人の多くがアネート伯爵家からの「献上」だったと記されている。
 それをアンジェロ王子が利用しないはずがない。つまり次期国王の座を巡ってこれからもう一騒動起きるだろう。
「アンジェロ殿下から『悪いようにはしないから今は動かないように』とのお言葉をいただきました」
 この学院は貴族の子弟が多く通っているから警備兵も配置されている。混乱している王宮よりここにいる方が安全だということなのかな。人質の監視に人を割く余裕がなくなっているのかもしれない。

「……処分未定ってことは、ルーベン殿下は卒業式の来賓として来る?」
 もしルーベン王子が謹慎でも命じられたら、卒業パーティでのイベントは起きなくなってしまう。
 そうだとしても、ゲームの中のように強気な婚約破棄宣言などできないだろう。
「捜査の進み具合によるでしょう。ルーベン殿下の処罰次第ではこのまま婚約が流れる可能性も出てきます」
 ……とりあえず、ルーベン王子との婚約解消は成立させたい。
 すでに僕には神に認められた伴侶がいるのだから。
 その証が刻まれているはずの左手をぎゅっと握りしめたら、グイドがその上から手を添えてくれた。
 その先は多くは望まない。このまま生き延びられるなら人質扱いでいい。今の国王陛下は好戦的な人ではない。祖国が賠償金を支払う限りは静かに暮らせるだろう。
 アンジェロ王子は僕と利害が一致している間は問題ないはずだ。彼が王座を求めているのなら、今の敵はルーベン殿下と彼の取り巻き貴族たちだから。
 ……ゲームとはかなりかけ離れてきたけれど、これが僕の選択によってできた未来なんだ。
 これで少しは良い方向に向かうだろうか。そう思っていたら、グイドが少し表情を硬くする。僕の腰に手を回して引き寄せようとする。
「……ただ、殿下よりも……むしろ気をつけるべきはエミリオではないかと思うのです」
「エミリオ?」
 確かに僕に対してあまり良く思っていない気はする。
 それでも彼の望みだった父の仇アネート伯爵家が告発されたのだから、すでに王宮に残る理由はないだろう。もしルーベン王子に想いがあるなら残るかもしれないけれど、今の好感度ではそれはありえない。
「私はアルトの話にあったエミリオの評価に違和感を覚えました。純粋で万人に好かれる善人で、大勢に身体を許しながらも高潔な精神を失わない……。本当にそうなのかと。ただ、見る人によって人の印象は変わってくるので、そうした違いなのかと思おうとしました。それでも……アルトに対する敵意を見て、やはり……そんな聖人のような性格ではないと確信しました」
 グイドは言葉を選びながら戸惑いを口にした。
 たしかに僕もおかしいとは思った。ゲームの主人公として見ていた時はエミリオはけなげで純粋な少年という印象だった。だけど、僕が会ったエミリオはもっと人間臭いというか、明らかに妬みや恨みの感情が見えた。
 清廉潔白だけの人なんてそうそういない。人間誰しも負の感情を持つことはある。それが多いか少ないかの違いだけで。
 グイドもあのエミリオを見ていたことから、ゲームとの違いを感じていたのだろう。
「エミリオは私に執着しているようでした。彼の誘いに乗らなかったのもあるのかもしれません。エミリオは複数の相手と自ら誘って関係を持っておきながら、その相手を陰で平気で悪し様に言うのです。それがあまり好ましいと思えなかったので、私は距離を置いていました」
 護衛として側にいたからこそ、彼の別の一面を見ることが多かったということなのか。それでも魅了を受けていたらそれすらも疑問を抱かないはずだ。
「……グイドは魅了の影響を受けてなかったの?」
「おそらく。イーヴォやアンジェロ殿下のようにエミリオと離れた時にも何も異変を感じませんでしたから」
 僕がグイドの顔を見上げると、グイドはわずかに目を細めて微笑んだ。
「だけど最初の頃あまり友好的じゃなかったよね?」
 グイドがアルトの護衛になった時は結構眉間の皺が深々としていて、目つきも怖かった。もちろん当初は記憶を思い出してなかったんだけど。
「あれは、良くない噂を散々聞かされていたので、エミリオのような奔放で淫らな人間なのかと思い込んでいたのです。反省しています。記憶が戻って、あなたを目の前にしたらそんな人ではないことがわかってきて……本当に申し訳ありません」
 つまりあの態度は、魅了の影響ではなく、単にグイドが不機嫌だっただけなのか。
 グイドが過去を思い出しても、かつての婚約者は王子の婚約者になっていて、まるで人が変わったように表情が乏しくて、しかも誰彼構わず関係を持つという噂持ちだった。
 それは確かに怒るよな。魅了関係ない。
「……今思えば、あなたが加護をくださったおかげかもしれません」
 そう言って僕の左手の甲にキスをくれた。
 たしかにアルトはグイドが出征していく前日、光魔法の加護をかけた。グイドは知らないだろうけど、必死に魔法を使いすぎて、見送った後にアルトは数日寝込んだのだ。
 けど、いくら気合いが入っていたとはいえ、そんなに永続するものだろうか。他のルートではグイドも魅了の影響を受けていたのだから違う気がする。
 他のルートと違いがあるとしたら。

 アルト・フレーゲの前世が境有翔だったこと。そして、破滅する悪役への道を辿らなかったことだ。

 このゲームの設定で不思議に思ったことがある。
 陽光のような愛され少年エミリオがどうして人の心を操る闇魔法の持ち主なのか。
 そして彼を憎み破滅する悪役のアルト・フレーゲがどうして光魔法の使い手なのか。
 普通逆じゃないだろうか。主人公に善性を与えるなら、イメージ的には光なのに。
 元々、エミリオとアルトは対比的な存在として配置されているのかもしれない。
 このルートではアルトが悪役ではないから役割が逆転してしまった……とか?
 つまりはエミリオにとってアルトが敵役であったように、このルートではアルトにとってエミリオが敵役になるのでは?
 でもまあ、だから何? って気分だ。
 清らかでお綺麗な主人公だったら、僕が悪役にならなかったことで不利益を被らせるのは申し訳ないと思っただろう。
 けど、向こうがグイドを手に入れるために何か汚い手で攻撃してくるなら、喧嘩上等だ。真っ向勝負するしかない。
 これはこの世界で僕が生き残るための戦いなんだから。

「アルト」
 グイドがいきなり立ちあがると僕の前に跪いた。
「申し訳ありません。あなたを不安にさせてしまいましたか?」
 あ、そうか。うっかり考え込んでしまっていた。
 黙り込んだからグイドは心配してくれたらしい。前世の話をしてからグイドは僕の表情にあれこれと気を回すようになった。
 だからなるべく明るく振る舞おうと思っていたのに。
「違うから。不安なんてないから」
 グイドのことを有翔の妹は忠犬に喩えていた。それを思い出した。
 落ち込んでいる時のグイドにはしゅんと下がった犬耳が見えるような気がする。きっとシェパードかドーベルマンだろう。
 そう想像すると自然に口元に笑みが浮かんだ。
「グイドが魅了されないでくれただけで充分だよ。エミリオのことは出方がわからないから、今は打つ手がない。ちゃんと警戒はする。……それにエミリオがいくら欲しいって言ってもグイドをあげる気はないよ。絶対にあげない。それでいいでしょ?」
 跪いているグイドの前に僕も膝をついた。正面から顔を覗き込むと、グイドがわずかに頬を赤らめた。
「はい……」
 僕が手を伸ばしてグイドの頬に触れると、グイドも僕の背中に手を回してきた。
 どちらからでもなく唇を重ねる。そのまま深く舌を絡めて、吐息が乱れるまで幾度も繰り返す。

 あと、十日。その日までにアルト・フレーゲが破滅するかどうかが決まる。エミリオには選択肢が残されていない。
 そして僕が切れる手札も残り少ない。

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