そして、アドレーヌは眠る。

緋島礼桜

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第一篇 ~銀弾でも貫かれない父娘の狼~

57話

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「イヤ…だ……」
  
 ナスカが言った。
 彼女の声は震えていた。
 アーサガはおもむろにナスカの方へ振り返る。
 そこにあった光景に、彼は息を呑んだ。

「イヤだ…パパ……置いてか、ないで…………」

 ナスカは顔をくしゃくしゃにしながら、ぼろぼろと大粒の涙を流していた。
 ずっと堪えて、我慢していたらしく、一度こぼれ落ちた涙はもう止まらず。
 また一つ、二つと流れ落ちていく。
 次第に、ナスカは大きな声を張り上げて泣き始めた。

「ちゃん、と…ナスカ、いい子にッ…なるから…きらいに、ッならないで…ごめんな、さいッ…ごめん、なさいッ…!」

 それから、わんわんと声を上げて、ナスカは泣いた。
 それは、初めて見る娘の号泣であり、彼女の切実な願いの声だった。





 初めて、と言っても無論幼少期まではよく泣く子だった。
 赤ん坊特有の泣き声を上げて、自分がいることを訴えるかのように泣いていた。
 だが物心が付いた頃には、ナスカは滅多に泣かない子になっていた。
 最後に泣いたのはいつだったのか――情けない事にアーサガは思い出せなかった。
 



「パパ…!!」

 ナスカはベッドから立ち上がり、足を滑らせようとも構わずにアーサガの胸へと飛び込んだ。
 父の胸に飛びつき、彼女は感情を爆発させ、泣き続けた。
 まるで、ようやく親に見つけて貰った迷子の子供のように、娘の涙は止まることなく、流れ続けていた。

「ごめんな…ナスカ……」

 父の胸板にしがみ付いたまま、ナスカは頭を振る。
 暖かいナスカの掌。
 涙の痕。
 先ほどまで考えていたことが―――決意が、全て愚かなことだったと、吹き飛んでしまった。
 むしろ、自分の考えの馬鹿馬鹿しさにアーサガは思わず震えてしまうほどだった。




「ナスカちゃんは…貴方を嫌いになったんじゃありません。ただ、お母さんの話を聞いて自分も置いていかれるんじゃないかと思って、怯えていただけなんです」

 号泣するナスカに代わって、ハイリが代弁をする。
 彼女はナスカから話を聞いていたのか事情を知っていたようだった。
 アーサガの後ろに立っているであろう彼女は微かに声を震わしながら、話を続ける。
 
「でも…貴方に付いて行こうとすればまた怒られて叩かれるかもしれない―――と、思ったそうです」

 アーサガは黙ってナスカの頭を撫でる。
 ゆっくりとすり抜ける彼女の髪は、とても柔らかく懐かしい匂いを帯びている。
 彼女の母と祖母、そして初恋だった女性と同じ柔らかな金色の髪。

「だから『置いて行かないで』とも言えず、どうすれば良いのか解らなくなっちゃっただけなんですよ」

 隣で言う事を聞く良い娘でもなく。
 後ろで何も言わずともついてくる分身などでもない。
 この子は真正面から向き合うべき大切な淑女だったんだと、アーサガは今になってようやく気付いた。

(クソ…俺は本当に馬鹿だ…何で今まで気付かなかったんだ……!)

 要は言葉などいらないとカッコつけず、もっと早くに言ってあげれば良かったのだ。
 しっかりと娘を抱きしめ、愛しい想いを込めて、アーサガは言った。




「―――愛してるよ、ナスカ」
 
 






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