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第八幕~青年は絶望を味わった10
しおりを挟む「だけどな……エスタは違った。確かに稚拙だったけど…人間の感情を知って、自分が弱いことを学んでた…だから弱くなんかない。強かったんだ。それを―――惰弱とか愚かだとか決めつけて見下すな。お前の方がエスタより遥かに弱くて愚かだ!」
剥き出しとなったルイスの感情にエスタもまた感情をぶつける。
苦痛に歪めた表情をそのままに、強引に立ち上がり、ルイスの頭を鷲掴みにする。
「もう一度言ってみろ餓鬼が! その頭を捻り潰してやる…!」
彼の怒声は青天にまで届くかの如く、響いた。
その背中には光のように輝く翼が広がる。
先刻目の当たりにした御業―――狂気と恐怖がルイスの脳裏に過る。
だが、それでもルイスに動じる様子はない。
物怖じする様子もなく、自棄になったわけでもない。
「やれるものならやってみろ!」
ルイスの雄叫びに尚更むきになるエスタ。
怒りの形相で、彼は空いている掌でルイスの首に手を掛けた。
―――が、しかし。
「がっ…はッ…・!!」
その首筋に力を込めるどころか、爪を立てることさえもエスタには出来なかった。
それどころか彼は再度胸を押さえながら、苦しむ。
まるでそれは『呪い』を受けた者のように。
「……やっぱり…まだ戦ってくれてるんだな、エスタ」
彼の不自然な苦しむ様は、『エスタの人格』である『天使の呪い』がまだ消滅しきっていないという証拠になった。
「弱い」と自分を卑下し、別の人格に主導権を奪われても、それでも戦おうとしている。
ルイスたちを守ろうとしてくれている。
「やっぱ弱くなんかないよ、お前は…」
思わず零れる笑み。
そんなルイスの表情に、逆にエスタ―――の身体を奪った人格はここにきて初めて恐怖を抱く。
人間であるはずの彼と、体内に残っている思念体の、あり得ない友情に困惑する。
そして同時に、その思念体にとっても、自身にとっても、ルイスが重要で忌むべき存在であることをようやく理解した。
「―――そうか、そういうことか……要は貴様が居なくなれば良いだけのこと…」
思い至ったその結論に、エスタは歪な笑みを浮かべる。
「本来は天使だからこそ扱える御業…この身体ならば可能だろうが……」
彼は人知れずそう呟き、掌を自分へ向けて翳した。
次の瞬間、エスタの周囲に黒く輝く羽根が舞う。
黒曜石のように煌めく無数の羽根。
何処からともなく噴き出すそれはエスタを覆っていく。
「これだけは使いたくなかったがな…」
そう言ったエスタの声がルイスの耳に届く。
即座にルイスはその言葉の意味を問おうとした。
だが、直後。
エスタの姿が消え始めていくことにルイスは気付いた。
「なっ…!?」
「貴様の命尽き、朽ちるその時が来るまで…それまで今は大人しく身を引いてやろう」
エスタの身体は黒い羽根に紛れ、消えていく。
指先も、腕も、身体も。
まさに風に散る灰塵のように、消失する。
「ま、待て…!」
それは伝承にある天使が自らを焼失させた描写と酷似していた。
違う点があるとすれば、炎ではないということくらいだ。
とはいえ、エスタは元々正真正銘の天使ではない―――身体は間違いなく人間であったはず。
そのため、想定外の事態にルイスは驚愕することしか出来ない。
咄嗟に掴もうと伸ばした手はただ空を掴むだけとなり、エスタの姿は完全に消えてしまった。
「貴様をこの手で屠れなかったことだけが悔やまれるが……代わりに、私が次に目覚めた暁には人間どもを蹂躙し尽くし、今度こそ世界に終焉を与えてやる」
黒い羽根の消失と共に消え去ったエスタ。
彼の声だけが、不穏な言葉だけが、その場に響く。
それからエスタの声は、姿は、現れることはなかった。
こうして残されたのは、灰の空も工場群も街並みも喧騒も消えたただの荒野と。
ルイスとトラスト。ミラ―スの抜け殻だけだった。
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