伯爵閣下の褒賞品(あ)

夏菜しの

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08:初めての

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 妻持ちの部下の愚痴の一つに、食事の際に『なんでもいい』と言うと妻の機嫌が滅法悪くなると言うのを聞いたことがあった。なんでもいいのだからむしろ楽なのに、何を苛立つのだと部下と不思議がったのはいつの事だっただろう。
 先ほどベリーから『どこでも良いです』と言われて俺は途方に暮れていた。
 なるほど、遠慮と信頼しての言葉のつもりだが、丸投げされたような気分になって、少々の憤りを覚えるのだな。

 さて困った。
 普段の食事はもっぱら兵舎の食堂で、それ以外だと質より量の、部下を連れて利用する酒場だ。前者は利用できず、後者は貴族令嬢のベリーには合わないだろう。
 考えた末に思い出したのは、上官に昇進祝いだと言われて入ったちょっと良い店だ。

「ようこそいらっしゃいました」
「入れるか?」
「失礼ですが、ご予約は頂いておりますでしょうか?」
「いやしていないな」
「少々お待ちください」
 ボーイが店内に消えると、ベリーがこちらを見上げてきた。
 予約が必要と知らずに見栄を張ってこんな店を選び、失望されただろうか。

「私の事は気になさらずに、いつもご利用されているお店で構いませんのに」
「馬鹿な。無作法な兵士らが行くような酒場だぞ。そんな場所にベリーを連れていくのは流石になぁ」
「そういうお店の経験は無いのでむしろ逆に興味ありますわ」
「いーや駄目だ。ベリーに何かあっては困る」
「あら護って頂けないのですか?」
「もちろん護るが、それでも駄目だぞ」
「ふふっ残念です」

 話しているうちにボーイが帰ってきた。
「申し訳ございません。やはりご予約無しでは少々厳しいようです」
「そうか済まなかったな」
「いえこちらこそ申し訳ございませんでした。
 次回ご予約を頂いた際は改めてご案内させて頂きます」
「あの~実は私たち今日結婚したばかりなんです」
「おや、それはおめでとうございます」
「記念にと思って立ち寄ってみたのですが、どうしても無理でしょうか」
「申し訳ございません」
「ベリー無理を言うものじゃない」
「済みませんフィリベルト。出過ぎた真似をいたしました」
「フィリベルト……
 失礼ですが英雄のシュリンゲンジーフ伯爵でいらっしゃいますか」
「英雄と言われるのはこそばゆいが、シュリンゲンジーフは俺の名だ」
「もう少々だけお待ちください。何とか席をご用意いたします」
 ボーイが再び走り去って行った。

 俺が視線を下げると、アーモンド形の瞳と目が合った。彼女はしてやったりとほくそ笑んでいる。
「いったいどういうからくりだ?」
「からくりも何も、この程度のお店だと予約と飛び込みはきっと半々です。
 でも身分不明な二人組では席は取れませんから、こちらの身分が判るように教えて差し上げただけです」
 俺の見た目は言うまでも無くマイナスだ。そしてベリーは防寒具の下は仕立ては良いワンピースではあるが、ドレスなどに比べればやはり落ちる。
 つまり俺の大きなマイナスを消すには足りなかったということかな。
「なるほどそれで俺の名を出したのか」
「ええ。私の旦那様はご自分で思っているよりもずっと有名人ですもの」
 ベリーの機転のお陰で、今回はそれほど待たされることも無く席を準備してくれた。


 食事を待っている間、
「ところでベアトリクス、一つ確認して良いだろうか?」
「なんでしょう」
 アーモンド形の瞳がくるりとこちらに向いた。その中心に色付くのは深く静かな碧緑の輝き。
 何度見ても見惚れる綺麗な瞳だ。
「伯爵と呼ばれておきながら恥ずかしいのだが、俺は貴族の生活についてよく知らない。しかし彼らの生活において執事や侍女、それに使用人が必要なことくらいは知っているつもりだ。
 そういうのを雇うにはどうしたら良いだろう」
「フィリベルトは執事や侍女が必要なのですか?」
「いや俺はいらん。だがベアトリクスには必要ではないのか」
「くすくす、執事は女の私には必要ありませんよ。使用人もあの家の大きさでしたら私だけで何とかなりますから不要ですね。
 最後に侍女ですが普段ドレスで過ごすなら居ないと困ります。もしフィリベルトがドレスが良いと言うのならその様にいたしますわ」
「ドレス以外だといまの様な恰好なのだな」
「はい。
 ……ダメですか?」
 防寒着を脱いだその下は、仕立ての良さそうな青と黒のロングワンピースで、彼女はそれを見せるかのように両手で肩の生地をつまんでみせた。
 背筋を伸ばしてそんなポーズをするものだから、想像以上にある胸がより強調されて目のやり場に困るあい、おまけに最後のダメですかの時、小首を傾げてこちらを見つめてくる仕草が可愛すぎて、思わずうっと声を漏らしてしまった。
「ダメじゃないぞ」
「良かったです」
 そしてトドメはにっこりと蕾が綻ぶかの様な笑顔。
 赤面を隠せず、俺は慌てて顔を背けた。


 数十分待たされてやっと出てきた料理はとても手の込んでいた。ついでに言うと皿の中心にこじんまりと、色取り取りのソースや野菜などを使って綺麗に飾られていた。
 味は美味いが、とにかく量が少ない。
 ぶっちゃけフォークで刺して一口で終わるほど。しかし以前上官に、相手の食べるペースに合わせるんだと注意されたことを思いだして、フォークとナイフを使って小さく切って食べた。
 この手の料理を食べ慣れていない俺はどこか動きがぎこちないが、ベリーは流石は貴族令嬢と言わんばかりに、その所作は細部に至るまで美しく洗練されていた。
 名を名乗れなくとも、躾がちゃんと行き届いているのは流石貴族だな。

 食べた気のしないコース料理を食べ終えて、食べた量に見合わない代金を払って出る。だが仕方がない。きっとこの手のお店は場所代とか、皿代、そして見た目の美しさに値段の大半が掛かっているのだろう。
「とても美味しかったです。
 でもフィリベルトはあれでお腹が脹れますの?」
 こちらを見上げて向けられた視線は、興味半分心配半分といったところか。
「いーやまったく足らんな」
「じゃあ朝食と一緒に夜食も買いましょうね」
「気を使わせてすまん」
 俺はくすりと笑うベリーの手を取り歩き出す。
「ひゃっ」
「どうした」
「い、いえなんでもないです」
 そんなに顔を真っ赤にしておきながらなんでもないわけがない。
 いったいどうしたと、特徴あるアーモンド形の瞳の先を追ってみると、先ほど繋いだ手に行きついた。
 急に繋いで驚かせたか、だが謝罪は……違うな。

「あー。
 夜も遅いし、はぐれると困るからな」
「そ、そうですよね。
 迷子になってはいけません」
 そっけない言葉とは裏腹に相変わらず顔は真っ赤で、口元には笑みが浮かんでいた。
 俺の外見を気にしない初めて
 まだ出会って半日も経っていないのに、不味いな、どんどんと惹かれていくじゃないか。
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