伯爵閣下の褒賞品(あ)

夏菜しの

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09:最初の夜

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 新居に戻るとベリーは火を起こして湯を沸かし始めた。かなりの量を沸かしているからお茶のためでないのは一目瞭然。
「もしやそれは体を拭くための湯か?」
「はいそうですよ」
 そう言えば……今日必要な物の中に浴槽は入っていなかったからまだ買っていなかったなと思い出す。そして同時に自分の失敗に気付いて臍をかんだ。
 長年前線いたことで毎日風呂に入るという感覚が俺には無かった。だから無意識に風呂は後でもよいと除外してしまっていた。
 だがベリーはそうじゃない。
 日常生活に置いては兵士おれたちこそが異常なんだ。
「すまん、俺の意見よりもベリーを優先すべきだったな」
「いいえ大丈夫ですよ。水回りは急いでも良いことは有りませんから、今日は仕方がないと思っていますわ」
「それでは俺の気がすまん、ちゃんと謝罪させてほしい。
 明日はベリーの意見を優先するからどうか許して欲しい」
「はい判りました。謝罪をお受けしますわ」
 これで終わりだとベリーはにこりと笑みを見せた。


 湯が沸く間、俺は露店で買ってきた夜食を平らげていた。ベリーは何が面白いのか、先ほどから正面に座ってその様子をじっと見ている。
「食べるか?」
「いえ大丈夫です」
「そうか」
 そう言いつつもベリーの瞳はこちらに向きっぱなし。
「やっぱり食べるか?」
「いえ本当にお腹一杯ですから……
 と言うか、よく食べるなーと感心していましたわ」
「そうか? 部下の中には俺よりも食べる奴は結構いるぞ」
「そこまで行くともう想像もつきませんね。聞いたらそれだけで胸焼けしそうです」

 程なくしてお湯が沸くとベリーは湯と水を注ぎ分けて二つの桶を作り出した。むろん自分用と俺用だ。
 彼女はその一つを抱えて彼女用に宛がった寝室に消えて行った。
 俺は食べ終えてからで良いかと食事を続けた。
 すっかり腹がくちた所で桶に向かう。湯はやや冷めているがまだまだ温かい。俺はタオルを絞って体を拭き始めた。

 俺が体を拭いていると後ろから悲鳴が聞こえてきた。
「ひゃあっ!?」
 振り返ると目を両手で覆ったベリーがいた。おろした髪の隙間から見える耳の先端は真っ赤で、どうやら恥ずかしがっているらしい。しかし両手の間に見えている口元はなぜか口角が上がり緩やかなカーブを描いている。
 そこに見えるのは歓喜か?
 なるほど、目元を覆っているはずの手の指にはしっかり隙間が開いていて、ランプの灯りにはその奥に色づく碧緑の瞳が光ってみえた。

 態度は恥ずかしがっているが、顔は喜ぶ。
 ううむ、これはどっち・・・だ?
「謝罪は必要か?」
「当たり前です!」
 叱られた。どうやらダメな方だったらしい。

「背中くらいでこれとは。
 まったく男に慣れていないようだが、これで一緒に寝ようと思っていたのか」
 先ほどからベリーは寝間着の上から羽織ったガウンの前を握りしめて、胸の前できつく手繰り寄せていた。
 どうやらすっかり緊張しているらしい。
「突然のことで心の準備が……
 あと、その、今日は別々がいいなぁと思ってまして、駄目でしょうか?」
「それはもちろん構わないが、理由を聞いても?」
 心の準備とは違う理由に聞こえて思わず訪ねてしまった。
「黙秘します……」
「ふむ」
 俺は立ち上がりベリーに歩み寄った。すると彼女は顔を伏せたまま後ずさって離れた。
 また一歩近づくとまた離れる。
 それを繰り返していくと壁に当たり、最後は身を屈めてしゃがみこんだ。

「お、お風呂に入っていないので、あまり近づかないで頂けると……」
 俺はすんと鼻を鳴らした。
 彼女の体臭かやたらと甘い匂いがする。不快どころかむしろ好きな匂いだ。
「とてもいい匂いがするが」
 ベリーはハッと顔を上げると、耳まで真っ赤に染めながら、「ばかっ! ばかっ!」と俺の腹をポコポコとたたき出した。
 照れ隠しの行動の様なので本気ではなく、当然のように痛みはなかった。


 ベッドに座り胡坐をかいた俺の前には、真剣な表情のベリーがいた。髪を下ろしているのに、化粧を落とした彼女は昼の頃よりも幼く見えて、美人というよりは年相応の美少女に変貌していた。
 なんにしろこの美少女が俺の妻だと言うのだから驚きだ。
 そんな彼女は先ほどから、真剣な表情で俺の腹に触れていた。何のことはない、機嫌を直す対価に彼女の興味を惹いた己の上半身を差し出しただけだ。
 最初は背中側に恐る恐る触れていたベリー。
 しかし徐々に興奮してきたのか、うわぁ~だのはわわ~だのと奇声を上げてすっかり腹側に回り込んで来た。
 割れた腹筋の溝に指をはわせるベリーの顔はすっかり緩んでいる。
 だがそれを指摘するとまた機嫌を損ねるだろうから、いまは気づかないフリをしてやり過ごしていた。

 それからたっぷり三十分も撫でられ、やっと手を放してくれた。
「満足したか」
「はい。とっても!」
 残念なことにこれが今日一の笑顔だった。







 朝。
 なんだか寝苦しくて目が覚めた。
 寝苦しさの原因は胸と腹の間辺りに抱き付いている亜麻色の球体。その色に見覚えがあって一瞬で意識が覚醒した。

 どうして彼女がここに?

 亜麻色の髪を見つめながら昨晩の記憶を掘り起こす。
 ベリーが背中や腹筋を触っていた場所はベッドの上ここだ。彼女が満足した後は、そのままここで明日買う物を話し合った。ここでベリーの几帳面さが現れて紙とペンを持ちだして買い物リストをしたため始めた。
 食堂に移動すれば机と椅子があったのに、ランプを持って移動するのが億劫で、その場で寝ころびベッドを机代わりにしたのが失敗だった。
 初対面の緊張に引っ越し、そして買い物、実は二人ともかなり疲れていたのだろう。そのまま眠ってしまったのも仕方がない気がする。

 腹の上で亜麻色の丸い物がビクリと震えたのを感じた。
 あっこれは起きたな。

 彼女の名誉のために寝たふりをすべきか?
 そんな事を考えているうちに亜麻色の球体がぐりんと動き、アーモンド形の瞳がこちらを見上げてきた。
 慌てて目を瞑る俺、だがその試みは遅かったようだ。
「……あぅぅ済みません。はしたない真似をいたしました」
「いや……こちらこそだ。
 それよりも、おはようベリー」
「はい、おはようございますフィリベルト」
 恥ずかしそうにはにかむ美少女の顔は破壊力抜群で、しばらくの間、森で出会った蛮族の奇怪な仮面を思い出してやり過ごした。
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