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10:言葉のすれ違い
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ベリーは恥ずかしそうに顔を伏せると、逃げるように自室に消えた。
さて俺も身嗜みを整えるかな。
ささっと服を着替えてベッドの脇に置いていた剣を手に取り、そのまま靴を履いて庭に出た。井戸から水をくみ顔を冷たい水で勢いよくざぶざぶと顔を洗った。
タオルでごしごしと拭った後は、型を確認しながら剣を振るう。
使っているのは実戦用の刃のある物ではなく、刃を潰した訓練用のもの。それでも当たれば骨なんか軽く折れるから、注意深く周りの気配を感じながら素振りを続けた。
冬でも三十分も体を動かせば体に薄らと汗をかく。このまま汗を冷やせば気持ちいいが、間違いなく風邪を引くだろう。
汗を冷やす前にさっさと家に入ると、すっかり身嗜みを整えたベリーがお湯とタオルを準備してくれていた。
「はいどうぞ。お使いください」
「ありがとう」
お礼を言ってタオルを受け取ると、彼女は機嫌良さそうににこりと微笑んだ。
昨日も綺麗だったが、今日も綺麗だなと思う。
むろん昨日は特別だったのだろう。しかし今日の彼女だって昨日とは違う魅力がありとても綺麗だ。
化粧はやや控えめで美女と言うよりは美少女でより清楚さが増していた。長かった髪は真ん中に大きなお団子が一つ作られて、その周囲を編み込んだ髪がぐるりと巻き付けられていた。
昨日のはきっと他人がやったのだろう、しかし今日のこれは彼女独りでやったと思えば、実に器用だなあと感心するしかない。
「なんです、私の顔に何かついていますか?」
可愛いお目めが……いや違う。
一瞬、女に持てる部下の口説き文句が頭に過ったが、俺が言っても全く様にならないし柄でも無い。
返答に困り、とりあえずいい感じの位置にある頭に手を置いて撫でた。
「ひゃっ」
ベリーの口から短い悲鳴が漏れた。しかしそこに浮かぶのは嫌がる表情ではなく驚きの色が強い。
「すまん。思わず触ってしまった」
「いいですけど、次からは事前に言ってください」
「怒らないのか」
「そうですね、私以外の女性の髪を触ったら怒りますね」
「いやベリーにしかしないぞ」
俺を恐れず近くに居てくれるベリーだから思わず触れてしまったが、普通に考えれば俺の様な風体の男が女性の髪に無断で触れれば、悲鳴を上げられて衛兵にしょっ引かれる案件だろう。
「むう~っ。
それ無意識なんですか?」
判りやすく頬を膨らませるベリー。しかし彼女が何を問うているのかは判らない。
「何がだ」
「フィリベルトはそう言うところがダメです!」
ベリーは少しだけ声を荒げた。しかし頭に乗せた手を振り払うつもりは無いようで、恥ずかしそうに顔を伏せた。
うーむ。どうしてベリーは怒ったのか?
また俺が無意識に何かしてしまったようで、それがダメだったことは判る。だがそれは一体なんなのかはわからない。
「あの……フィリベルト?」
「なんだ?」
「そろそろ手を」
顔を真っ赤に染めるベリー。
どうやら考え事している間ずっと彼女の頭を撫でまわしていたらしい。
「す、すまん」
「いえいいんですけど、あちらで火を使ってるので……」
まるで火が無ければ、もう少し触っていても良い様な言い方だった。
頼むから俺の自制心を試すのはやめて欲しい。
俺が手を放すや、彼女は両手で口元に輪を作ると、一瞬でこちらに身を寄せてくる。
そして、
「また後でお願いします」と、囁くと恥ずかしそうに走り去って行った。
走り去る彼女の耳は真っ赤で……
なんだあれ、可愛すぎるだろう。
すっかり汗は冷えてしまったと言うのに、体の芯は逆に熱くなり、俺はしばらく廊下の壁にもたれてその熱をやり過ごした。
朝食は昨日買ったパン。これにコーヒーが付くくらいだと思っていた。
しかしテーブルに並べられたコーヒーの隣には野菜のスープがあるし、パンだって買ったそのままではなくて間に切り込みが入っていてハムとチーズが挟まれていた。
「簡単で恥ずかしいですがどうぞ召し上がれ」
「いや想像以上で驚いている。
このスープなど、いったいどこに材料があったのだ」
パンと共にハムとチーズを買ったのは知っていたが、野菜を買った覚えはなく、ついでに言えば運んだ覚えも無い。まさか朝いちばんで市場に言ったとも思えないし……
「ああそれはですね。乾燥した野菜をお湯で戻したんです。乾燥野菜でスープを作ると甘みが増して美味しいんですよ」
何やらざらざらと軽い音がする袋があったな~と思いだし、あれが乾燥野菜だったのかと思い当たった。
「ほほおそう言うのがあるのか」
「フィリベルトなら干し肉のスープの方が馴染みがあるのかもしれませんね」
「あぁあのかさ増し用のスープか」
物資不足の時には、湯で腹が膨れるから大層お世話になったなと昔を懐かしむ。
「そう言う目的で食べられていたのはショックです」
笑顔から一転、ベリーは眉をハの字にして困ったような表情をみせた。
「すまん……」
「いえこちらこそ嫌な事を思い出させたようで済みません」
まさか野菜スープからこんな話になるとは思わなかった。
「いいや謝罪はこちらの方だ。暗い話で気分を悪くさせてしまった。
とにかく俺がいま言いたいことは、このスープが美味いということだけだ」
「……はい。お気遣い感謝いたします」
「なあベリー。
俺は自分が食通のつもりはないが、不味い物と美味い物の判断は間違わない。このスープは美味い、また作って欲しい」
「くす。判りました、また作りますね」
「頼む」
「はい頼まれました」
お互いに笑い合って終わった。
出会ってまだ二日目だが、互いに気遣い譲り合えるこの関係は、案外相性が良いのではないだろうか?
「いやー美味かった」
「お粗末様でした」
「大した材料も買っていなかったのにこれほど美味いとは、ベリーはずいぶんと料理が得意なのだなぁ」
「このくらいの料理でこうも褒められると非常にくすぐったいのですが……
そう感じて頂けたのならお世話してくれた方が、根気よくちゃんと教えてくれたお陰ですね」
「ならばその方にも感謝だな」
「ふふっそういう謙虚な態度。フィリベルトはとても伯爵には見えませんね。
あっ、もちろんいい意味ですよ」
「大丈夫だ自覚もある。
だがそれを言うなら、いやすまん」
「とても侯爵令嬢には見えないですか、それこそ大丈夫です。気にしていませんし私も自覚有りです」
言葉にする前に自分の失言に気付いて誤魔化すが、その続きはしっかりベリーに言われてしまった。
「もし辛かったら存分に甘えてくれていいぞ」
「あら辛くないと甘えてはいけないのですか?」
「……好きにしたらいい」
「はい。好きにしますわ」
そして彼女は蕾の綻ぶ様な笑顔を見せてくれた。
さて俺も身嗜みを整えるかな。
ささっと服を着替えてベッドの脇に置いていた剣を手に取り、そのまま靴を履いて庭に出た。井戸から水をくみ顔を冷たい水で勢いよくざぶざぶと顔を洗った。
タオルでごしごしと拭った後は、型を確認しながら剣を振るう。
使っているのは実戦用の刃のある物ではなく、刃を潰した訓練用のもの。それでも当たれば骨なんか軽く折れるから、注意深く周りの気配を感じながら素振りを続けた。
冬でも三十分も体を動かせば体に薄らと汗をかく。このまま汗を冷やせば気持ちいいが、間違いなく風邪を引くだろう。
汗を冷やす前にさっさと家に入ると、すっかり身嗜みを整えたベリーがお湯とタオルを準備してくれていた。
「はいどうぞ。お使いください」
「ありがとう」
お礼を言ってタオルを受け取ると、彼女は機嫌良さそうににこりと微笑んだ。
昨日も綺麗だったが、今日も綺麗だなと思う。
むろん昨日は特別だったのだろう。しかし今日の彼女だって昨日とは違う魅力がありとても綺麗だ。
化粧はやや控えめで美女と言うよりは美少女でより清楚さが増していた。長かった髪は真ん中に大きなお団子が一つ作られて、その周囲を編み込んだ髪がぐるりと巻き付けられていた。
昨日のはきっと他人がやったのだろう、しかし今日のこれは彼女独りでやったと思えば、実に器用だなあと感心するしかない。
「なんです、私の顔に何かついていますか?」
可愛いお目めが……いや違う。
一瞬、女に持てる部下の口説き文句が頭に過ったが、俺が言っても全く様にならないし柄でも無い。
返答に困り、とりあえずいい感じの位置にある頭に手を置いて撫でた。
「ひゃっ」
ベリーの口から短い悲鳴が漏れた。しかしそこに浮かぶのは嫌がる表情ではなく驚きの色が強い。
「すまん。思わず触ってしまった」
「いいですけど、次からは事前に言ってください」
「怒らないのか」
「そうですね、私以外の女性の髪を触ったら怒りますね」
「いやベリーにしかしないぞ」
俺を恐れず近くに居てくれるベリーだから思わず触れてしまったが、普通に考えれば俺の様な風体の男が女性の髪に無断で触れれば、悲鳴を上げられて衛兵にしょっ引かれる案件だろう。
「むう~っ。
それ無意識なんですか?」
判りやすく頬を膨らませるベリー。しかし彼女が何を問うているのかは判らない。
「何がだ」
「フィリベルトはそう言うところがダメです!」
ベリーは少しだけ声を荒げた。しかし頭に乗せた手を振り払うつもりは無いようで、恥ずかしそうに顔を伏せた。
うーむ。どうしてベリーは怒ったのか?
また俺が無意識に何かしてしまったようで、それがダメだったことは判る。だがそれは一体なんなのかはわからない。
「あの……フィリベルト?」
「なんだ?」
「そろそろ手を」
顔を真っ赤に染めるベリー。
どうやら考え事している間ずっと彼女の頭を撫でまわしていたらしい。
「す、すまん」
「いえいいんですけど、あちらで火を使ってるので……」
まるで火が無ければ、もう少し触っていても良い様な言い方だった。
頼むから俺の自制心を試すのはやめて欲しい。
俺が手を放すや、彼女は両手で口元に輪を作ると、一瞬でこちらに身を寄せてくる。
そして、
「また後でお願いします」と、囁くと恥ずかしそうに走り去って行った。
走り去る彼女の耳は真っ赤で……
なんだあれ、可愛すぎるだろう。
すっかり汗は冷えてしまったと言うのに、体の芯は逆に熱くなり、俺はしばらく廊下の壁にもたれてその熱をやり過ごした。
朝食は昨日買ったパン。これにコーヒーが付くくらいだと思っていた。
しかしテーブルに並べられたコーヒーの隣には野菜のスープがあるし、パンだって買ったそのままではなくて間に切り込みが入っていてハムとチーズが挟まれていた。
「簡単で恥ずかしいですがどうぞ召し上がれ」
「いや想像以上で驚いている。
このスープなど、いったいどこに材料があったのだ」
パンと共にハムとチーズを買ったのは知っていたが、野菜を買った覚えはなく、ついでに言えば運んだ覚えも無い。まさか朝いちばんで市場に言ったとも思えないし……
「ああそれはですね。乾燥した野菜をお湯で戻したんです。乾燥野菜でスープを作ると甘みが増して美味しいんですよ」
何やらざらざらと軽い音がする袋があったな~と思いだし、あれが乾燥野菜だったのかと思い当たった。
「ほほおそう言うのがあるのか」
「フィリベルトなら干し肉のスープの方が馴染みがあるのかもしれませんね」
「あぁあのかさ増し用のスープか」
物資不足の時には、湯で腹が膨れるから大層お世話になったなと昔を懐かしむ。
「そう言う目的で食べられていたのはショックです」
笑顔から一転、ベリーは眉をハの字にして困ったような表情をみせた。
「すまん……」
「いえこちらこそ嫌な事を思い出させたようで済みません」
まさか野菜スープからこんな話になるとは思わなかった。
「いいや謝罪はこちらの方だ。暗い話で気分を悪くさせてしまった。
とにかく俺がいま言いたいことは、このスープが美味いということだけだ」
「……はい。お気遣い感謝いたします」
「なあベリー。
俺は自分が食通のつもりはないが、不味い物と美味い物の判断は間違わない。このスープは美味い、また作って欲しい」
「くす。判りました、また作りますね」
「頼む」
「はい頼まれました」
お互いに笑い合って終わった。
出会ってまだ二日目だが、互いに気遣い譲り合えるこの関係は、案外相性が良いのではないだろうか?
「いやー美味かった」
「お粗末様でした」
「大した材料も買っていなかったのにこれほど美味いとは、ベリーはずいぶんと料理が得意なのだなぁ」
「このくらいの料理でこうも褒められると非常にくすぐったいのですが……
そう感じて頂けたのならお世話してくれた方が、根気よくちゃんと教えてくれたお陰ですね」
「ならばその方にも感謝だな」
「ふふっそういう謙虚な態度。フィリベルトはとても伯爵には見えませんね。
あっ、もちろんいい意味ですよ」
「大丈夫だ自覚もある。
だがそれを言うなら、いやすまん」
「とても侯爵令嬢には見えないですか、それこそ大丈夫です。気にしていませんし私も自覚有りです」
言葉にする前に自分の失言に気付いて誤魔化すが、その続きはしっかりベリーに言われてしまった。
「もし辛かったら存分に甘えてくれていいぞ」
「あら辛くないと甘えてはいけないのですか?」
「……好きにしたらいい」
「はい。好きにしますわ」
そして彼女は蕾の綻ぶ様な笑顔を見せてくれた。
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