伯爵閣下の褒賞品(あ)

夏菜しの

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11:想い出の料理

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 食事が終わり食器の片付けを始めるベリー。
 俺も手伝おうと立ち上がると、これは夫の仕事ではございませんと他人行儀な口調で拒絶された。
 だんだん判って来たことの一つに、ベリーには譲れない線があるようだ。そしてそれに抵触する場合、彼女は一歩離れた風の敬語で接してくる。
 俺は鈍いから、意図してやってくれているなら感謝すべきだろう。

 手持無沙汰のまま後片付けが終わるのを待つ。
「済みません、お待たせしました」
「いいや待っていない。それよりもありがとう」
「妻として当然のことをしただけですわ」
「例えそうだとしても、それに慣れてはいけないと俺は思っている。せめてお礼くらいは言わせてほしい」
「じゃあ……、頭を撫でてください」
「ああ構わないが、頭を撫でられるのが好きなのか?」
「フィリベルトの手は大きくて、とても安心しますので……」
 こっちへおいでと手招きすると、ベリーは気恥ずかしそうに頬を朱に染めながら近づいてきた。
 座った俺と立つベリー。
 二人の身長差はすっかり消えて目線はほぼ同じ。手を伸ばして、髪型を崩さない様に気を付けながら頭を撫でた。
 まんまるでなんの歪みの無い頭だなぁと撫でていると、彼女は幸せそうに目を細めて佇んでいた。


 名残惜しそうな表情を見せるベリーを促し、外套を着て外に出る。ベリーを待つ間に裏手に回り、もう一つの褒章品である軍馬のゲオルグの手綱を引いた。
「お待たせしました」
「鍵はかってくれたか」
「はい大丈夫ですけど、ゲオルグも連れて行くのですか?」
「ああ。昨日に続いて荷馬扱いは悪いが、今日はきっと荷物が多いだろうからな」
「確かにそうですねー」
 主食パンになる小麦は大袋で買うしよく使う油は樽一つ。これだけでも多いのに、引っ越ししたてでまだ何もないから、調理器具や食器、それから調味料も買わなければならない。いくら俺の体が大きかろうが、一人で持てる量ではない。

 頑張ってねとゲオルグの鼻面を撫でているベリー。
 馬の触り方を知らない女性は決して少なくないのだが、ベリーのそれは堂に入っていてゲオルグも嬉しそうに眼を細めていた。
「どうだ乗って行くか?」
「一緒にですか」
 ベリーはパァとわかりやすい笑みを漏らした。
「いや俺と一緒では流石のゲオルグも辛いだろうな」
「じゃあいいです。それほど遠くも無いですし一緒に歩きましょう」
「分かった」
 右手はベリーが左手は手綱を、二人と一匹で並んで市場まで歩いた。

 市場に着くとベリーは、やれ油はあっちの方が安いだの、ここは安いが小麦の質が悪いだのと、まるで水を得た魚のように活き活きと動き出した。そう言われても俺が見ると違いは判らず、彼女に着いていくのがやっとだ。
 俺は言われるままに金を払い、買った品をゲオルグに積んだ。
 定番の品を買い終えると、ベリーの視線は今度は肉や野菜へ向かった。
「ところでフィリベルト。苦手な食べ物や嫌いな食べ物は有りますか?」
「いや特にないが……
 昼からも買い物が続くだろう、それなのにいちいち戻って作るのはベリーの負担が大きいのではないか?
 俺は外食で構わないから、どうか無理はしないでくれよ」
「いいえ大丈夫ですよ。それにお昼頃にお祝いの品を搬入して貰うように手配していますから、どうせ一度家には戻らないといけません。
 でもフィリベルトが私の手料理が嫌だと言うのなら従います」
 彼女の特徴的なアーモンド形の瞳はすっかり形を失って歪んでいる。
 どう見ても従いますと言う顔じゃあない。
 あれだけの材料しかなくとも素晴らしい朝食を作ったベリーだから、ちゃんと材料があればもっと美味しい物を作ってくれるに違いない。
 その期待もあって、俺だってベリーのご飯が食べたいと思っていた。
 だが今日もきっと忙しい日となるだろうから、彼女の負担になるよりは良かろうと外食を提案したつもりだ。
 しかし結果は真逆で彼女を悲しませてしまったらしい。
「嫌じゃないぞ。
 ベリーさえよければ是非お願いしたい」
「はい。お願いされました」
 不安げに歪められていた瞳が綺麗なアーモンド形に戻りホッと胸を撫で下ろす。


 ベリーの要望通り、俺たちは昼前には家に戻っていた。
 調理器具や調味料を入れる棚はまだないので、一先ず台所の一角に纏めて置く。それが終わると俺は台所を追い出されてしまった。
 昨日言われた通り、食事を作るのは夫の仕事ではないらしい。

 しばし経ったころ、ベリーが小さなお皿をテーブルに並べ始めた。
 チーズのスライス、肉を焼いた物、葉野菜をちぎった物、トマトの角切りなどなど。最後に小麦粉を伸ばして薄く焼いた物が置かれて合点がいった。
「これはもしやタコスか」
「ご存知でしたか。
 パンを焼く時間は流石に無かったので、手を抜いてしまいました」
「これで手抜きと言われると俺たちが遠征中に食べているのは料理ですらないな」
「それは逆に興味が惹かれます。一体何を食べていらっしゃるんでしょうか」
「あれは食事ではなく、体を損なわないための作業だな」
「作業……、うーん想像できませんわ」
「野菜をぶつ切りにして大鍋に入れる。肉と塩を入れて火を焚いて煮る。以上だな」
「えっ切るだけ? 野菜の皮は剥かなかったのですか」
「そういえば剥いてなかったな」
「作業……なるほどですね」
「まあ俺たちの事はいいだろう。
 それよりもこの料理だ。南部では主食なんだがこちらではとんと見かけない。ベリーはよく知っていたな」
「私は王都ではなく南部の育ちですから」
「そう言えばクリューガ侯爵は南部に飛び地の領地をお持ちだったな」
「クラハト領ですね。
 はい。私はそこで暮らしていました」
「八いやもう九年前か、俺はそこに行ったことがある。
 その時領主の邸宅に居た少女の瞳は綺麗な碧緑色だったが、まさかな?」
 違うよなとベリーに視線を送ると、彼女はこちらを見つめたままアーモンド形の瞳からぽろぽろと涙を零していた。
「ど、どうした」
「覚えていてくださったんですね」
「いや思い出したと言うのが正しいが……
 本当にあの少女がベリーなのか?」
「はいそうです。
 私はあの日領地を護って下さった隊長さんに恋をしたのです」
「それは……俺なんかですまんとしか」
 俺がそう言うとベリーは不満げに頬を膨らませて歩み寄って来た。そして彼女は俺の目の前まで来ると両手を大きく広げた。
 次の瞬間、両頬に痛みが走る。
 ベリーの両手が俺の頬を叩いたのだ。
 剣より遅いのだから見えてはいた。だが避ける気は起きず、されるがままに身を任せただけ。
 続いて力任せに頬を持ちあげられると、互いの視線が混じり合う。
 不満そうな顔はそのままで、頬が紅いのは怒りの所為か?
「そうやって自分を卑下するのがフィリベルトの悪い所です!」
「すまん」
 俺が謝ると、彼女は少しだけ顔を寄せてきて、「ばか」と辛うじて聞こえるほどの声で囁いた。
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