伯爵閣下の褒賞品(あ)

夏菜しの

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22:穏やかな日

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 年末年始と結婚が合わさった長い休みも終わり、ついに日常が戻ってきた。以前と違うのは、帰る場所と俺をの帰りを待つ女性ひとが居ることだ。
 玄関を開けると今日もまたパンの香りが鼻を擽る。
 俺はそれに幸せを感じつつ「ただいま」と声を掛けた。
 するとすぐにパタパタと足音が聞こえてきてベリーが現れる。
 今朝に送ってくれた時と同じ髪型と服装、違っているのは瞳と同じ色の深い緑のエプロンを身に着けていることだろうか。
「おかえりなさい、フィリベルト」
「ただいまベリー、何か変わったことはあったか?」
 すると彼女は顎に手を添えて視線をやや右上へ。これはここ数日ですっかり見慣れた、何かを考えるときのベリー仕草。
 しばし経つと「市場でお野菜をおまけして貰いました」と言ってほほ笑んだ。
 つまり異常なし。
 それは良かったと返しつつ彼女の頭を撫でる。
 口元の笑みはそのままに、彼女は気持ちよさそうに目を閉じた。


 部屋着に着替えて食卓へ向かう。
 俺の仕事終わりの時間に合わせてあるのだろう、テーブルにはいくつかの料理が並んでいた。いつも通り見るからに美味しそうな料理たち。
 並んでいる品数はすでに十分だと言うのに、ベリーはまだ何かやっているようで、キッチンの方からかすかな音が聞こえてくる。
「何か手伝うか?」
「いえ。もう終わりますから大丈夫です。座っていてください」
 これもいつもと同じ、皿を置いたりフォークやスプーンを配ったりといった、子供の手伝いでさえベリーは嫌がり、俺にやらせてはくれない。

 ほどなくして食事が始まった。
 楽しむよりも食べることを主な目的としてきた俺と違って、ベリーの所作は細やかかつ丁寧でとても美しい。さすがは元令嬢だ。
「何かついてますか?」
 じっと見すぎたのだろう、ベリーが恥ずかしそうに少しだけ頬を染めて口元を隠す。
「今日も美味しいなあと思って感謝していた」
「ありがとうございます」
 いつも通り澄ました様子で何でもないような風を装っているが、頬は朱に染まり、浮かべる笑顔はいつもよりも柔らかい。
 この笑みを見られるのが俺だけだと思うと特権を得たような気分になる。

「これほど美味いと店が開けそうだな」
「お店なんてとんでもない。
 私の料理なんて普通ですよ」
「そうかな。兵舎の食堂よりもよっぽど美味いぞ」
 褒めてはみたが質より量のあそこと比較するのはなんだか申し訳ない気がし始める。
「食堂だけじゃないぞ、酒場の飯よりも好みだ。
 ……すまん。俺の知る店はどうにも微妙だなぁ」
「ふっ、ふふっ。あはは。
 ありがとうございます。そう言って頂けると次に料理を教えてくれた先生に出会った時には胸を張れそうですわ」
「ほほお。その先生には俺からもぜひ礼を言わせて貰おう」
「じゃあ今度手紙に書いておきますね」
「誰と聞いても?」
「クラハト領のお屋敷で世話になった侍女頭です」
「クラハト領では侍女頭が料理を作っていたのか?」
「いいえ料理長は別にいました。
 これは私が将来苦労しないようにと親身になって教えてくれたんです」
「なるほどなあ。そのお陰で俺はいま美味い飯が食えているのか。侍女頭殿には足を向けて寝られないなあ」
「私も同じです」
 ベリーが柔らかい笑みを漏らす。
 クリューガ侯爵家の話になると決まって強張った顔を見せていたが、侍女頭の話ではそのような表情は一度も見せていない。彼女がその侍女頭に随分と良くして貰ったのは容易に理解できた。
 飯のこともそうだが、ベリーを大切に思ってくれて感謝しかないな。
「いつかクラハト領に行ってみるのも良いかもしれんな」
「その際は案内いたしますね!」
「ああ頼む」


 食事の片づけの間に俺は風呂へ。俺が出たころにベリーが片づけを終えていて入れ違いに風呂に入っていく。
 それが終わると寝るまでの少しの時間二人で過ごす。
 出会った当初はお互いを知るために好きなものやら趣味の話などをしたものだが、最近ではすっかりそれもなくなり、会話は少なく互いに思うことをするようになった。
 ッ、スゥーと細やかな音がベリーの方から聞こえてくる。つい先日は読書をしていたが、読み終わったのだろうか、今は刺繍をやっているようだ。
 口下手な俺は論外。そしてベリーは集中し始めるとほとんど喋らないので、部屋の中はすっかり沈黙に包まれていた。
 出会った頃、沈黙がとても気まずかった覚えがあるが、今のこの沈黙は悪くない。

 じっと見ているとベリーの顔が上がった。
 すると、アーモンド形の瞳がくるりと瞬いた。それはまるで『何か?』と問いかけているかのようだった。
「いや何でもないぞ」
「そうですか」
 そう言ったのに、ベリーの視線はこちらに向いたまま。今度は俺が「どうかしたか」と聞いた。
「じっと見られると緊張しますわ」
「それは悪かったな。
 器用に模様を作るもんだと思わず見惚れてしまった」
「器用だなんて、たしなみ程度で恥ずかしいです」
「もっと器用な人がいるという事か、ふうむそれは凄いなあ」
「刺繍は貴族令嬢の習い事の一つですからね。私以上なんていくらでもいますよ」
 ベリーが令嬢の話になると極端に自分を貶めることを知っていたというのに、なんでこんな話題を選んだのだろう。まったく自分の口下手さが嫌になる。

「でもなベリー。普通の令嬢は料理なんてできないだろう。
 だったら俺はベリーで良かったと思うよ」
「気を使って頂かなくても大丈夫です」
「気を使ったつもりは無いのだがな……
 ふむ、ではこういうのでどうだろう」
 俺は徐に立ち上がりベリーの側に寄り添うと、彼女の頬に軽く口づけをした。

「わっ! わわっ!?」
 ベリーは頬に手を当てて瞳を何度もパチパチとさせて変な声を上げた。
 顔は真っ赤っか。
 これは放っておいて良いやつだと自分の席に戻る。それから随分と時間が経ったころ、ベリーはじっとこちらを睨むように見つめてきて指を一つ立てた。
「も、もう一回お願いします」
 その表情と物言いがあまりにも真剣で俺は思わず笑った。
 すると立てていた指が力なく折れ、彼女は顔を伏せた。表情は見えないが耳が真っ赤なので恥ずかしさに耐えかねたのだろう。

 お望みとあらば。
 俺は彼女の隣に移動した。
 するとベリーは視線だけを上げてこちらに向けてきた。普段勝気に見えるアーモンド形の瞳がいまはふにゃっとしていて可愛らしさが倍増。
 そのまま惹かる様に彼女の頬にキスをした。
 まさか〝もう一回〟が来るとは思っていなかったのかベリーは目を見開いて驚いている。
 言うなら今か……

「俺はベリーと一緒になれて幸せだ。ありがとう」
「えっ!? それって」
「無様にも引き延ばしてきた答えだがこれで良かっただろうか」
「ふふっちゃんと態度に示してくださったのでギリギリ合格にしておいてあげます」
 やれやれ俺の妻・・・は厳しいな。


─ 第一部 完 ─
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