愛? 不要です。私が欲しいのは『慰謝料』と『商機』だけ!

桃瀬ももな

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「……ただいま戻りました、我が戦場(執務室)よ」

数週間の新婚旅行(商談ツアー)を終え、辺境の屋敷に帰還したルアーノ。
彼女を待ち受けていたのは、執務机の上に積み上げられた、エベレストのような書類の山だった。

「セバス。これは何ですか?」

「お帰りなさいませ、奥様。留守中に届いた、各方面からの新規取引依頼書、および隣国からの技術提携オファー、そして王都のミーナ様からの『ドーナツ新作試食レポート(計50枚)』でございます」

「……ミーナ様、レポートの文字数が多すぎます。後で推敲(赤ペン)しておきます」

ルアーノは腕まくりをした。
普通の人間なら絶望して逃げ出す量だが、彼女の目は逆に輝いている。

「素晴らしい。これだけの需要(ニーズ)があるということは、我が商会はまだまだ成長できるということです。さあ、片付けますよ!」

「お供しよう、社長」

隣でギルバートも袖をまくる。
彼は旅の疲れも見せず、ルアーノの隣の席(新設された副社長席)に座った。

「私が仕分けしますので、ギルバート様は決裁印(氷のハンコ)をお願いします」

「了解だ。……『氷結印(アイス・スタンプ)』!」

ドドドドドッ!
ルアーノが書類を放り投げると、空中でギルバートの魔法が炸裂し、瞬時に承認印が押されていく。
人間業ではない処理速度だ。

「速い! さすが私の旦那様、事務処理能力もSランクです!」

「褒めても何も出ないぞ。……いや、夕食のデザートくらいは期待してもいいか?」

「ドーナツでよければ山ほどありますよ」

息の合ったコンビネーションで、書類の山は見る見るうちに平らになっていく。

***

数時間後。
机の上が綺麗に片付いた頃、窓の外はすでに茜色に染まっていた。

「……ふぅ。完了です」

ルアーノは大きく伸びをした。

「お疲れ様。いい汗かいたな」

ギルバートが淹れたてのコーヒーを差し出す。
ルアーノはそれを受け取り、一口飲んでから、少し改まった表情で彼を見た。

「……ギルバート様。少し、お話があります」

「なんだ? まだ隠し書類があったか?」

「いいえ。これからの『長期経営計画』についてです」

ルアーノは引き出しから、一冊の分厚いファイルを取り出した。
表紙には『ヴァレンティ家・人生事業計画書(ライフプラン)』と書かれている。
新婚旅行の移動中、ルアーノが夜なべして書き上げた超大作だ。

「……中身を見ても?」

「もちろんです。貴方は共同経営者(パートナー)ですから」

ギルバートがページをめくる。
そこには、恐ろしいほど緻密な計画が記されていた。

『第1フェーズ:事業拡大期(現在~5年後)』
・隣国シェア30%獲得
・火竜ボイラーの小型化・量産化
・温泉リゾート開発

『第2フェーズ:後継者育成期(5年後~20年後)』
・第一子、第二子の誕生(予定)
・英才教育カリキュラムの策定(帝王学・魔術・簿記3級)

『第3フェーズ:隠居・悠々自適期(20年後~)』
・経営権の委譲
・世界一周クルーズ(豪華客船貸切)
・孫への資産贈与計画

「……気が早いな。孫のことまで考えているのか」

ギルバートは苦笑するが、その目は真剣に文字を追っている。

「リスク管理です。未来を可視化することで、今やるべきことが明確になります」

ルアーノは立ち上がり、窓際に立った。

「この計画を実現するためには、莫大なリソースと、長い時間が必要です。一人では不可能です」

彼女は振り返り、ギルバートを真っ直ぐに見つめた。

「ですから、改めて契約をお願いしたいのです」

ルアーノが差し出したのは、一枚の羊皮紙だった。
そこには、こう記されていた。

『終身雇用契約書(兼・婚姻誓約書)』

【契約期間】
本契約は、甲(ルアーノ)または乙(ギルバート)の生命活動が停止するまで継続する。なお、死後の魂の契約については別途協議する。

【業務内容】
1.甲の夫として、生涯愛し続けること。
2.甲の事業のパートナーとして、その能力を最大限発揮すること。
3.甲の心身の健康を守り、共に幸福を追求すること。

【報酬】
1.甲からの無償の愛。
2.温かい家庭と食事。
3.甲の隣に立つ権利(独占)。

「……これは?」

「プロポーズの、正式な回答(アンサー)です」

ルアーノは少し照れくさそうに頬を掻いた。

「結婚式も挙げましたし、事実上の夫婦ではありますが……やはり、書面で残しておかないと落ち着かない性分でして」

彼女なりのケジメであり、最大の愛情表現だ。
「貴方を一生離さない」という言葉を、彼女の言語(ビジネス用語)で翻訳するとこうなるのだ。

ギルバートは書類をじっと見つめ、そして――クックッと肩を震わせて笑い出した。

「ハハハ! 最高だ。終身雇用か! 俺を定年まで雇ってくれるのか?」

「定年はありません。死ぬまで現役です。……嫌ですか?」

ルアーノが不安げに問うと、ギルバートは首を横に振った。

「まさか。こんな好条件(ホワイト)な職場、他にはない」

彼はペンを取り、迷うことなくサイン欄に署名した。
流れるような筆跡で『Gilbert Clive』と刻まれる。

「これで契約成立だな。……クーリングオフはなしだぞ?」

「させませんよ。違約金は『貴方の全魔力』ですから」

ルアーノも署名し、二つの名前が並んだ。
それは、どんな法的な婚姻届よりも重く、そして強固な絆の証だった。

「よし。では、契約成立を記念して」

ギルバートが立ち上がり、ルアーノの腰を引き寄せた。

「第一回・株主総会(という名のイチャイチャ)を開催するか」

「……執務室ですよ?」

「鍵は掛けた」

「……まったく。社長の特権乱用ですね」

ルアーノは呆れたように言ったが、拒むことはしなかった。
夕日が差し込む執務室で、二つの影が重なる。

机の上に置かれた『人生事業計画書』の1ページ目には、すでに赤い花丸がつけられていた。
『最愛のパートナー獲得:達成済み』と。

こうして、ルアーノとギルバートの夫婦生活は、盤石な契約のもと、新たなスタートを切ったのである。
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