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11章 元自衛官、内乱に加担する

178話

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 今でも夢を見る。
 俺が死ぬ夢とは別に、酷い悪夢というやつを。

「授業中に居眠りすんな」

 あぁ、これは耽美にも程がある夢だ。
 毒のように、じわりじわりと心を締め付ける。
 そうなって欲しかった、そうであれば良かったと思える夢。

 ミラノに頭を叩かれて起き、それが授業中だったという夢。

「いや、聞いてたよ。ただ、内容を噛み締めててさ」

 酷い嘘だ。
 夢を見ていると意識する以前の事なんてまるっきり分からないのだから、授業の内容なんて分かるわけが無い。
 けれども、なんとなく……これは続きが用意に想像出来る。

「へえ?」
「本当だよ。ミラノが学年主席で、天才なんだって事を見せ付けられてさ。あぁ、負けてられないなって思ったんだ」

 これは本当だ。
 けれども、現実にはついぞ言う事の無かった心の中の声。
 彼女と一緒に過ごした日々の中、劣等感と負けん気を刺激するくらいに彼女は生徒として優秀だった。

『詠唱とはツアル皇国でいう祝詞、奉納の詩と呼ばれるもので。魔法をお与えになった神に、自分が何をしたいのか、どう言った事を魔法で行いたいのかを言葉を尽くして頼み込むものです。ただ、その詠唱は語学力、語彙力によって大きく左右され、言葉の意味を精確に理解し取り扱わなければ冗長な詠唱文や効果的ではない魔法の行使をすることになります』
『魔力とは血と同じ生命の源で、魔法を行使する際に使うものです。その再生や容量は個人差こそありますが、繰り返し魔法を行使することで成長する事は男女や年齢を問わず共通する事です。その魔力を感じ取り、体外へと少しずつ放出する事で魔法への防御を強化する事もでき、その延長線上には詠唱や道具を必要としない魔力陣という物を取り扱う事が可能となります』
『男性が武芸を鍛えるのは、性質的に男性の魔法は攻撃的であることから始まります。高難易度な魔法の取り扱いにも描かれている通り、武芸に魔法を織り交ぜる事が可能である事から男性はその習得が一人前と考えられるからです。大して女性は魔法単独の行使が得意な傾向にあり、魔力の総量や消費量に関しても男性よりも優れている為、魔法そのものを鍛える事を優先されています。女性の魔法傾向は男性よりも平均的ではなく、攻撃型か防御型か、支援系か妨害系か等で細かくなっています』

 教師が生徒に問うことはあったが、教師がそれで満足のいく回答を得る事はそう多くなかった。
 けど、ミラノだけは違った。
 彼女は他の生徒が答えられなかったり、不足があった場合にすぐさま補填してしまう。
 教科書が頭の中に入っているのではないかと陰口を叩く連中もいたが、それでも凄い事だと思えた。

「褒めたって何もでないわよ」
「分かってるよ」
「あ~、寒い……。この学生服、もうちょっとなんとかならなかったのかしら」
「それでも付呪でマシにしてるみたいだけどね。生徒同士の喧嘩で大怪我しないように僅かながら魔法防御も仕込んであるし、気温の変化に左右されにくいようにしてある」
「そ・れ・で・も! 女子は全員足が出てる分男性よりも寒いと思わない?」
「そりゃあ、まあ……思うけどさ」

 こんな下らないやり取りが、何時までも続けば良いと思っていた。
 あの頃を……学生だった頃を思い出すから。

 自分の最後は、空虚だった。
 家族全員の名残で支配された戸建て。
 失った両親を忘れないようにと、家族の写真などが飾られている。
 母親がそうしたように、使う人の居なくなったダブルベッドを洗濯してベランダに乾す。
 母親がそうしなさいといったから、冷蔵庫の中には必ず牛乳が三本以下にならないように買出しに行っている。

 父親が好きだったバイクを、乗れもしないのにバッテリーやオイルの面倒を見て、整備している。
 弟がそうしていたから、月刊雑誌を買っては本棚の中身と交換している。
 自分が停滞していないと誤解したかったから。
 自分が行きていると錯覚して居たかったから。

 けれども、ミラノの下に来てからというものの、そんなものはただの空虚な行いで、現実逃避でしかなかったと理解する。
 ミラノやアリアの為に淹れるお茶は、容赦なく感想を言われる。
 授業に顔を出せば、定期的にその理解度を試されるようにミラノが質問をしてくる。
 闘技場に行って来れば、アリアが必ず最初に声をかけてきて怪我をしてないか訊ねてくる。
 食堂に行けば座る場所は床だけれども、誰かと一緒に居るという実感が持てた。

 だから、少しずつ……期待し始めていた。
 何も分からなくても、何も出来なくても。
 穴が開いて空っぽになったこの心を、何時かまた想い出で満たしてくれるんじゃないかって。
 
「アンタ、凄いわね」
「へ?」
「カティとまたあの武器の訓練をしてたでしょ? 弓よりも遠い場所から短時間で的に全部当てたの、見てたもの」
「まだまだだよ。それに、使い慣れたものよりも早く魔法の方も習熟させていかないと」
「焦れば遠周り、焦らざるは近道なりって言うでしょ。字の練習や授業の内容を噛み締めたり、色々やってるんだから。その内取りこぼしを起こすわよ」
「最初から完璧にやろうとは思ってないから、それで良いとおもうんだ。”概ね”の範疇で先ずは達成してから、徐々に完成度を高めれば良いわけだから」
「それも分かるけど、場合によりけりでしょ。確実に一つずつ覚えて固めた方が良い場合もある」
「分かってるよ」

 夕食後の消灯までの時間を、そうやって語らうのは好きだった。
 勿論、学業の時間中も悪くは無かったけれども。
 それでも、誰かと話をすると言うのは、ここまで響くとは思って居なかったんだ。
 
 だからこそ、この夢は悪夢なんだ。
 失ってから、その価値に気づかされたみたいに思えるから。
 けれども違う、違うんだ。
 その価値を、自分はほんのりと気づいていた。
 だから守りたかったんだ。
 ミラノを、アリアを、カティアを、アルバートを、グリムを──。
 日常を。
 今となっては、最早喪失したものでしかないわけだが。

「おはよう御座います、ソラ様。具合は宜しいですか?」

 薄っすらと目を開けて、夢から覚めた事を噛み締めているとマーガレットが覗き込んできた。
 侵入成功を受けて、魔法で姿などを変えて手伝ってくれている。
 今は病人の相手をしてくれていて、専ら朝食や容態の変化などに対応してくれている。

 傍にあった仮面を手にし、ゆっくりと起き上がる。
 今回の一件で貸し与えられた、個人部屋の中に朝食の匂いが漂う。
 運びこんできてくれたのだろう、健気な事だ。

「おはよう”リディア”。体調は問題なし、今日も元気にやっていけそうだ」
「お元気そうなら何よりです。あ、朝早くからテレジア様が此方を来訪する事になっています。組合の職員を連れての視察ということになってます」
「分かった。最低限歓待出来るように準備はしておいて欲しい。それと、分からない事がや質問には全て”ソラ様にお尋ねください”で通すように」
「はい、分かりました」

 さあ、今日も悪夢から地獄が始まる。
 他人に依存して、他人を利用した男が、他人を操る日々が──。




 ~ ☆ ~

「後続はいつ来る!」

 王がそう吼えると、周囲に居た兵士たちはそれだけで毛を逆立てて停止してしまう。
 逆らえばどんな目に合うか分からない。
 最悪、不機嫌だからというだけで殺される可能性すらあった。

「それが、都で様々な事案が発生してまして。今はその対処中です……」
「なんだ!」
「病が広まった事と、王宮が半ば焼け落ちた事。それと……」
「それと?」
「王への不満や怒りを隠せぬ連中を抑えるのに、追ってやってくるはずだった連中が来られなく……」

 事実だった。
 急遽編成して動ける連中とそれに見合った物資しか用意していない。
 急ぎながらも、後続部隊に色々な準備をさせていた王は僅かずつではあるが、かつて将軍であった能力を取り戻しつつあった。
 急ぎであろうとも部隊が動けば相手は無視できない。
 悠長に構えれば準備を整えられてしまう、落ち着かせる事が無いようにと拙速を選んだのが裏目に出た。
 皆、個人が携行出来る分の糧食しか持って居ない。
 勿論、嵩張る野営設備だのは置いてきている。
 足の速い連中を残し、輸送能力に頼ったのが、アダとなる。

「衛兵連中は何をしていた!」
「それが、出火原因は不明でして……。それに、病の方は蔓延こそしましたがゾルザル様の差し向けた──ご友人が今沈静化に当たっていると」
「ぞ、ゾルザルが?」
「……はい」

 報告をしている兵士の口から、人間が来ているなどとはとてもじゃないが言えなかった。
 それと、ゾルザルが何故そんなことをしたのかという口上も伏せて。
 王が神聖な場を穢したから等と、そんなことを言えば真っ二つにされかねないからだ。
 兵士は保身という意味では正しかったが、組織に属する者としては判断を誤った。
 後に、この報告一つで全てが変わっていたかもしれないといわれるほどまでに。

「──ゾルザルをそそのかした人間がなにかしているに違いない。前までであれば、北部へと差し向けた偵察が一人も帰らなかったが、それも今では何事も無く戻ってくるようになった。──後続部隊の一部を割き、調査に当たらせろ」
「は? いえ、既に当たっておりますが」
「いや、小ざかしい人間の事だ。偵察が戻らなかった事と、都の火災や疫病にも何らかの繋がりがあるに違いない。──或いは、奴隷として認めていた人間と渡りをつけていたか」

 王は色々と考える。
 人間だから、人間の事だからと汚い事へ、汚い手段へと考えを寄せて。
 伊達でも将軍になれたわけではない。
 その才能を買われ、功績と実績を積み重ねてこその地位なのだから。

「……都を一度洗い直せ」
「え? ですが、そう言った事をしたのであれば、既に遠くに逃げているのでは?」
「逆だ。そう言った事をしたからこそ、安全なのだ。人間連中の中にも一部、そういった”出来る奴”が居るのを知っている。逃げただろう、脱出するだろうと外へ意識をやれば……内部の警戒は薄くなるのだからな」

 ヤクモは、少しばかり失敗した。
 獣人族だから、こういった小難しい事は考えられないだろうと侮ってしまった。
 だが、彼の予想を上回って王は可能性を引き当てた。
 ただ焼き、ただ病を振りまいて逃げるだけでは弱いという確信があったのだから。

「……もしかすると、扇動までしている可能性すらある」
「まさか、そんな」
「では聞こう。まさかと思うからこそ不意が打てる、そんなと思うからこそ実現した場合に致命的になる。戦いとはそういうものではなかったか?」
「ですが、人間ですよ?」
「魔法があろうが。姿形を変えられるのだ、匂いを誤魔化せば誰が当人だと気づける?」
「それが出来るのなら、今頃我が国は人間の間者だらけですよ」
「だが、出来ないと誰が言った? 前例が無いからと、これからも無いと誰が言える? それとも、全責任を負ってみるか? ん?」
「はっ! では、戻ります!」

 責任など一介の兵士に負えるものではない。
 下手すれば、疫病や作戦失敗の責任を死を持って都合よく捻じ曲げられるかも知れない。
 そう判断し、聡い兵士はすぐに都へと戻っていく。
 その背中を見送ってから、王は深く溜息を吐いた。
 長年の淫蕩生活や怠惰な生活が、見かけこそ戻せても中身は戻せていない。
 酒に沈んだ頭が、体が、中身がまだ戻らずにいたからだ。

「水を持て!」

 そう言い放ってから、水で少しでも脳を酒から戻そうとする。
 しかし、酒で散々ふやけた頭が元に戻るには数日などでは到底足りなかった。
 
「人間、人間、人間んんんんん!!!!!」

 そう唸りながら、少しでも”相手が何をしようとしているのか”を考えようとする。
 妄執のみでは足りはしないが、それでも価値をもぎ取る執念は十分にあった。

「都での火災と疫病、息子が寄越したツテとほぼほぼ同時期に偵察がちゃんと戻ってくるようになった。引き返すのを狙ってるのか? そもそも、息子が寄越したという事実は何処で確認が取れている……?」

 考えに考える。
 まさか、傭兵としてのタグの片割れを渡しており、信任する相手という証明の片棒を担いでいるとは思わない。
 だからこそ、思惑がすれ違う。
 正解に近づきながらも、僅かな情報不足から。

「……息子のツテというのがそもそも虚偽。目的は後方を脅かす事で後続部隊と物資の両方を押さえる事と、長期的な戦いそのものを封じる事。となると、前進すべきか、取って返すべきか」

 熟考する。
 幸いな事に、接敵までにはまだ数日ほど余裕がある。
 だからこそ──悩んでしまった。
 これがエカシたちとの距離が遠ければ引き返した。
 これがエカシたちと近ければ前進した。
 だが、その判断が難しい状況に陥っているのだ。
 
 これがまだ偵察兵が始末されていて、部隊の横っ腹に何か居ると思えるのならまた違った。
 あるいは、ヤクモが檄を飛ばすことなくただ淡々と作戦だと割り切ってヘイトを集めていなければまた違った。
 だが、久しぶりに真面目に戻った所で”宙ぶらりん”になった事から、判断がつかなくなってしまった。
 前進できる余裕がある、後退する余裕もある。
 目の前の敵を食い散らかす自信がある、後退してゾルザルを唆した男を八つ裂きにする事も出来てしまう。
 自由に、溺れだしていた。

「……今日は近場で野営とする」

 王は、裏を読み取ろうとして、熟考する為に時間を費やす事を選んだ。
 だが、それこそがヤクモの望みであった。
 正解には近づいたが、正解ではない以上は間違いでしかない。
 部隊の横に、脅威が無いと思い込まされてしまったのだから。




 ~ ☆ ~

 カレの事は、正直どう扱えば良いのか分からない。
 情報だけで見た場合、無秩序な人間にしか思えなかった。
 けれども、実際にカレを”思い込み”で追いかけてみれば、全く違った姿を見せた。
 人当たりもよくて、他人想いで、いざとなれば他人のために自分を差し出せる人。
 ……ちょっとだけ、アーニャちゃんが倒れた原因だからって、キツめに見ていたのは否めない。
 思い上がらず、増長せず、何処までも淡々としている。
 上昇志向や、理想のある子なのかも知れない。
 そう思っていた。

 けれども、ガラリと姿を変えれば天使から悪魔に早代わりする。
 私は、それについていけなかった。
 
 ── よし、上流から井戸水に毒を混ぜよう ──

 あっさりと、民間人も巻き添えにする事を口にする。
 私には今までの彼が、まるで他人のように思えてしまった。
 ついカッとなっちゃったけど、カレはすぐに言葉を変える。

 ── お腹を下したり、倦怠感や吐き気で汚染されてくれれば良いんだ ──
 ── 闘技場であんだけの事をしたんだ、不満や怒りは王に向かいやすい状態だ ──
 ── ゾルザルの名義で救助しに来たという体で、マッチポンプ作戦を行う ──

 つまり、兵士だけじゃなくて民間人にまで危害を加えた上で、ある程度危険性や不満が高まるまで”放置”する。
 ……声をあげておいて良かったかもしれない。
 下手したらカレ、本当に”毒物”を使って死体を積み重ねていたかもしれない。

 いや、やっぱちがうか。
 最初から私が反対するのを見越して、嘘を言っていたのかも。
 そうじゃなければ、ゾルくんが身分証の一部を渡すわけが無いもんね。
 まあ、嘘を言って貰って来ると言うことすら出来そうなんだけど。

「病人の収容環境、その処置や処遇に関しては見ての通りです。組合からそれなりに人員をお借りしては居ますが、対処できる人数は都の人口に対して極めて少ないとも言えます。なので、重傷者を最優先として、子供や年配者を優先しつつ診ております」
「ふんふん……」
「薬に関しては当初こそ持ち合わせで回していましたが、今は外部で材料を入手してきてくれている方から貰って、調合して間に合わせている状態です。……処置が出来ない場合でも、口にする水に関しては配給してますので、そちらで悪化だけでも食い止めて継承である場合は若い人の生命力便りにしているのが現実です」

 今は”ソラ”って名乗ってるみたいだけど。
 よくもまあそんなにポンポン偽名が出せるよね。
 その”ソラ”って、笑顔の物語の主人公か、それともゲームで全てが回る世界の主人公かで色々代わるんだろうけど。

「分かったわ。病人への対処や処置。飲食や衛生環境についても特に問題は無いみたい。組合の方でも、復帰したり難を逃れた人員に仕事が割り振れて助かってる事もあるから、必要な事があれば申請して頂戴。可能な範囲で融通するって支部長から通達されてるわ」
「ええ、分かりました。ですが、人員に限りがある以上これより手を伸ばすつもりはありませんとお伝えください。それと……組合には感謝を」
「んぅ?」
「トリア……じゃなくて、治療の必要な人物の優先順位をつけてこちらに回していただいてますから。それだけじゃなく、単身乗り込んだところでゾルザル様の信認者であることを除いても、多分の配慮をして頂きましたから」

 とまあ、事前にある程度打ち合わせをした『マッチポンプ作戦』の通りに話を進める。
 私とカレは初対面という事で、私は執行者の身分を利用してカレの仕事に何ら落ち度は無く、信じて任せる事が出来るという事で裏打ちをする。
 ゾルくんの名声や信用、信頼を利用する。
 それだけじゃなく、組合を利用して多くの人を傍に置いて作業の透明化を図ることで個人的な信用も作る。
 組合が信用しているという姿勢を見せる、回復した人が居るという実績で信頼を生む、それらを使ってさらに治療や組合への要請をして仕事を生む事で傭兵も助かるという循環。
 
 ── 『需要』が無いなら、作れば良い ──
 ── 『需要』があれば『供給』が出来る ──
 ── それが”一日だけ虚乳に慣れる偽薬”でも”最悪死に到るかも知れない病の治癒”だろうと ──
 ── 『商売』は『商売』だ ──
 ── だからこれは『マッチポンプ商法』っていうんだ ──

 あぁ、頭が痛くなりそう。
 こんなの、現代だったら色々な罪状でしょっ引かれるのに。
 それがされないのは、罪状も証拠も無いからでしかない。
 例え始まりが『王の暴挙』であったとしても、それを増長させるかのように放火や水源汚染をするのは立派な犯罪になる。
 勿論、内乱に近い状態になったとしても、それはそれとして戦争犯罪。
 軍事裁判とかで処分される対象だし、勝てば官軍という言葉があったとしても”汚れ仕事”が過ぎる。

「あぁ、そうだ。採取で活躍されている傭兵の皆さんに、此方をお渡しください」
「なにこれ?」
「こんな寒い中、身内や仲間の為に働いてくれている方もいますし。そういった方の”善意”を無碍にするわけにはいきませんから。私の名が入ってますので、傭兵の方には美味しい食事と美味しいお酒を振舞ってあげてください。もし、負傷者が居れば薬草などの在庫もありますから、その旨もお伝えいただければ」

 ……ホント、良く分からなくなる。
 確かにやり方は汚かったわね。
 身内や仲間が倒れて、治すためであればと『好意』を利用した。
 そういった人の身内を僅かに優先させて、回復すれば他の傭兵たちも気がついてくる。
 治してくれるのだと。
 ゾルくんの名前だけじゃない、確かな医療者だと認識される。
 そうすれば、及び腰だった人たちも流されだす。
 諦めていた人は、諦めたくないから。
 俯いていた人は、可能性に縋りだす。
 足を止めていた人は、そうやって前を進む人に置いて行かれたくないからついていくようになる。
 心理を利用した、姑息で汚いやり方。

 だというのに、カレはそんな傭兵たちを大事に思っている。
 最初は無事な人たちが感染されないようにと、綺麗な水を率先して与えた。
 衣類などを洗濯して、感染のリスクも下げた。
 それだけじゃなくて、毎日組合の規定に則って自然体系を崩さないように採取してくる彼らを労おうとしている。
 その理由が、良く分からない。
 悪いと思っているのなら、それらしい態度を見せれば良いのに。
 そんなことすら思って無さそう。

 言われたとおりに、カレが貸してくれた人と一緒に組合へと戻る。
 そして、これから仕事をしに行く人や、戻ってきた人たちに話をする。

「みんな~、ちょっと聞いて~! ソラくんが、毎日昼夜関係無しに遠出までしてくれて薬の材料を取ってきてくれてるみんなに、有難うだって~。それで~、今日の飲食でかかった費用を申告すれば全部カレが持ってくれるって」
「「「おぉ……」」」
「マジかよ」
「うん、マジよ。それで、美味しいものを食べて~、お酒も飲んで~、ちゃんと休んでくれ~って。それと、探索中に魔物との戦いとかで怪我した人が居たら遠慮なく来て良いって。在庫あるから対応してくれるって言ってた。……はい、来てない人の為に今の話ドンドン広めちゃって。自分たちだけ美味しい思いをしたって聞いたら、後で怒られるわよ」

 喜ぶ人、走って今の話を伝えに行く人、嬉しそうに仲間内で拳を重ねる人。
 色々な人が居る。
 けれども、カレは良く分かってる。
 たとえ目的があっても、それが仲間や身内の為だとしても限度はある。
 最初は隣人の為だった行為が、お金と仕事に摩り替えられたら少しずつ磨耗する。
 定住型のギルド員ならまだいいけど、流れにはそれは重いものになる。
 自分の行いが感謝や、救えたという実感で帰ってきても、それだけじゃ足りない。
 だから、定期的に”充足”させなければいけない。
 自衛隊にいたからだと思うけど、人が良く理解できてる。
 
 ギルドでも、やはり少しずつ活気が落ちてきているのを察知はしていた。
 声をかけたりはしていても、序盤でこそ近場で済んでいた採取が遠出にまでなってきている。
 取り尽くしてしまうと翌年以降に響くからだ。
 生態系の破壊は重罪になるし、取り締まってる。
 こんな事で経歴に傷を付けても仕方が無い。

 まあ、結局の所分かりやすい見返りが無ければ、善意も枯渇する。
 それを良いところで、適度に満たす事。
 美味しい食事、美味しいお酒。
 あとは……性的欲求を発散させるとか。
 
 ── ギルド組員で活動している連中のリスト、全部教えてくれ ──
 ── 単純に、活動時間から逆算して休みを与える指針を作っておきたいんだ ──
 ── 良い宿、良い床、良い休暇を与えさせてやってほしい ──

 ……傭兵を利用するって言った時、何をするのかと思ったけど。
 やっぱり、毒をまいた本人とは繋がりづらい。
 溜息をそっと吐いてから、カレがくれた物資の運搬を支持する。
 傭兵連中の洗濯が終わった綺麗な衣類。
 綺麗な飲料水と、冒険で使うような医療品。
 その他、必要だろう道具なども幾らか納入される。
 今のこの状態じゃ、都の経済は停滞に近いから安く安易に手に入るのは助かるだろうし。

「ぶぁはぁ~……」
「お疲れ様でしタ、執行者様。視察の方はいかがでしたカ?」
「処遇も処置も問題なし。衛生環境にも気をおいてるどころか、最近じゃおじいちゃん達に引っ張りだこよ」
「エェ……」
「話し相手になったり、暇だから遊んでる所に付き合わされたりね。まあ、病で落ち込んだ気分を持ち直すという意味では有り難いんだろうけど」

 やってる事が、まんま”老人ホーム”なのよねえ……。
 雑談に付き合うとかならまだ分かるけど、なんで将棋なんかやってるのよ。
 しかもトーナメント表なんか作成して、本格的に運営でもしてるつもりなのかしら?

「あとは付き添いの子に聞いて~。ちょっと休んだら資料に纏めとくから~」
「分かりましタ」

 人を追い返すと、貸し与えられた上級組合員の部屋でベッドに寝転がる。
 ……昨日、カレが洗濯をしてくれたからシーツも良い匂いがする。
 洗剤とか使ったんだろうなぁ……。
 それに、お日様の匂いだ。

「とと、アーニャちゃんはどうしてるかな?」

 少しだけ、空間を弄ってアーニャちゃんの様子を見る。
 流石にずっと監視できるわけじゃないし、”毒”を抜くには寝かせる事しかできないけど。
 カレが死なないようにしてるから、負担にはなって無い筈なのになぁ……。
 アーニャちゃん、よくカレの為に魂を取り返しに行けるなあ。
 負担、大分あるはずなのに。

「えへへ……」

 意識が無いということは無いんだけど、目を覚まさないのよねえ。
 寝言を言ったり夢を見てるらしい反応は見せるのに。
 これ、もしかしたらくすぐったら起きたりしないかしら?
 ……やめとこう。

「あ~、ふかふかなベッド気持ちよすぎるぅ~。ダメになっちゃう~……」

 もう寝ちゃおうかな……。
 
「し、執行者様。すみません、お休みのとこロ」
「あ~、はいはい。挨拶省略。どうしたの?」
「その、事務作業が大量で。裏が滞ってしまッテ……」

 あぁ、また?
 獣人族は人間と違って教育なんて行ってないから、基本家族や身内から学ぶ以外の手段が無いのよね。
 だからギルドの職員でも計算が苦手所か出来なかったりもするし、書類の形式でもすったもんだするくらい。
 つまり、私が行かなければトリアージも出来ないし、傭兵とカレの間の連携もグズグズになるし。
 ……あれ、おかしいわね。
 私、何でこんな重要なポジションに居るのかしら?

「数分ちょうだい、すぐいくから。それで、滞ってるのは?」
「今日ソラ様のところから退院者が出たという事で、誰を次に搬入するかと。名義付きで代理決済の場合の処理と、搬入された物の手続きと……」
「カレ関連全部ね! 分かった!!!」

 も~、ヤになる~!!!!




 ~ ☆ ~

「ソラ様。お洗濯の取り込みと、皆様のお召し物をそれぞれ振り分けるの終わりました」
「有難う。給食作業の方はどうかな?」
「はい。ソラ様のおかげで大分色々とやりやすくさせていただいてます。それに、組合から来ていただいた方も言われたとおりにしてくれてるので、助けられております」
「リディアの人柄と人徳というものだよ。まあ、色々と根回しはしたけど、それでも良くしてくれるというのならリディアがそうなるように接してからに過ぎない」

 ソラ様……いえ、ヤクモ様はそう言ってくださいます。
 学園では色々と言われてきた私ですが、外に出たら色々とお役に立てている事が多いです。
 お薬のことや、お料理のこと。
 お掃除やお洗濯だとか、色々と皆様のお役に立てて居ます。

「病室の方はどんな感じだろうか」
「皆さん、少しずつよくなってます。元気になられた方は、良くお話をさせて頂いてるくらいで。以前よりは、明るく感じられます」
「苦情とかは無いだろうか?」
「いえ、特別には。けど、病が重い人は『早くあっちに行きたい』ってボヤかれてましたね。それと、お料理がもうちょっと肉とかが欲しいとか」
「肉はちょっと……。これ以上傭兵の方々の負担になる真似はできないし、出来たとしても報酬や見返りで組合の方も金が尽きちゃう……」
「はい、でしょうから……。少し、お料理に関して私に任せていただいても宜しいでしょうか?」
「分かった、任せよう」

 ──あまりの即断に、言葉が出ませんでした。
 それでも少しばかり間を置いて、言葉を選びます。

「あの、まだどうするかとか言ってませんが」
「だとしても、リディアなら悪いようにはしないだろうと信じてる。何か、満足のいきそうな食材が無いか調べたいんだろう? それで、許可さえあればそれらを仕入れて、色々と食事の種類を増やしてあげたいのだろう?」
「はい、その通りです。病気だからと、受け付けやすい食事を作るのも良いですが、結局種類が少ないと飽きが来てしまいますから」
「それは良くないと」
「はい」

 ご不満を抱えた方と、そうではない方とでは病の治りが違います。
 やはり、ご不満を抱えた方の病はどうしても長引いてしまいます。
 なら、その為にお食事という些細なものであっても、健やかな気持ちで休んでいただきたいのです。
 
「良い場所で寝て、良いお召し物に着替えて、お薬で辛さや苦しみを緩和できたとしても、お食事が悪ければ良く有りませんから」
「分かった。一任したい。ただ、先ほどはああ言ったけれども必要とあらば組合に依頼として頼むことで、幾らかは入手できるようにするから遠慮なく言うように」
「はい、分かりました」

 ヤクモ様は、仮面を付けられてから幾らか人が代わったように思えます。
 ですが、学園に居た頃のような……何というか、苦しんでいる感じがしなくなったのが嬉しいです。
 ただ、お顔を見せなくなったという意味では寂しくもありますが。

「ソラ様。少しお疲れでは有りませんか?」
「む……。いや、そういったつもりはないんだが」
「いえ、体の動かし方と、お声が疲れてるように聞こえましたから」
「──やはり、知識と経験が有る人の目は誤魔化せない、という訳か」
「連日の処置や処方、人や物を動かして、ご自身が色々とやってますし。それに、夜遅くまで色々とされてるみたいですし」
「実の所、医者だとか医療系の知識は無いに等しいからな。プリドゥエンに聞いたりして、間違いの無いように努めている所だ。それに、他人のフリこそすれども人間としてここに来ている。であれば、不信感は何処よりも強い筈だ。なればこそ、己の身と時間を削ってでも信じて貰う外無い。当初こそゾルザル殿の信認を利用していたとしても、な」

 ヤクモ様の口調や喋り方が、以前のようではなくなったので少しばかり戸惑います。
 一つの口調ではなく、まるで”中身がコロコロと入れ替わっている”ような感じです。
 誰かを従える時、お医者様として患者様の前に居る時、何かを深く考えている時、悪い事を考えた時……。
 別人のような気さえする時があります。
 ですが、こうやって話をしていると……あぁ、根っこは同じなのだなと安心できるのです。
 悪い事を考えていても、それがたとえ多くの人の迷惑になる事だとしても。
 必ず、誰かの心配をしてばかりで。
 今もまた、自分が苦しめている方々の為に、遅くまで色々をしているのですから。

「リディアも疲れているのではないか? 落ち着いている今、休まれてはどうだろうか」
「いえ、まだたぁくさんやることはありますよ」
「ふむ。人手は足りているはずだが……」
「食事の仕込みをしていたら、時間はあっという間ですよ。それに、此方で手を貸してくれている方々の分も色々としないといけませんし、破れたり解れたりしている服を縫って直したりしていると、すぐに時間は無くなってしまいますから」

 ヤクモ様は組合から傭兵の方などをお手伝いとしてお借りしています。
 その方たちも真剣で、お掃除やお料理、物を運んだりお料理のお手伝いもしてくださいます。
 ですが、お掃除もお料理も普段からあまり気にかけない方々なのかも知れません。
 私がちゃんと見てあげないと、患者様が気分良く過ごせない状態になってしまいます。

「……すまない。人手が入用なら、すぐにでも──」
「大丈夫です、ソラ様。確かに大変ですけど、それ以上に……今、嬉しいんです」
「なに?」
「学園では色々言われた私ですが、以前……どこかの誰かさんが仰ったように、私の持つ知識や技術でお役に立てているのですから」

 そういうと、見えている口許だけでも少し困った顔をしているのが分かります。
 そのお言葉を下さったのは、他でもないヤクモ様なのですから。
 
「あ、そうだ。以前此方でお世話になったという患者様から、沢山の果実を頂いたんです」
「本当か? ありがたい……。それを患者に──」
「くす……。そう仰ると思って、もう献立に使う予定でいます。ただ、その中で甘味を作ってみたのですが、筆休めとご一緒に如何でしょうか?」
「あぁ……」

 少しばかり呆けてしまったみたいです。
 僅かに開いた口が、言葉の通り「開いた口が塞がらない」と言った様子でした。

「──では、茶と甘味を」
「はい」

 部屋を出る直前に、座りなおして姿勢を変えるのを聞きました。
 やはり、身体が疲れたり痛むのでしょう。
 時期を見て、按摩等をしてあげると良いかも知れません。

「リディアさん、ソラさんは何をしてるんダイ?」
「はい。皆さんの看護をしながら、当面の作業などがやりくりできるのか計算をされてました。すこしお疲れみたいでしたので、お茶を差し上げようかと」
「カカ、単身乗り込んできたんダ。忙しいだろうに……。おぉ、そうだ。妻が差し入れをくれたでな。ソラさんにわけちゃってクレ」
「わあ、有難う御座います」
「どうせ腹の調子がよかねえかンナ。無駄になるくらいなら一番倒れたら困る人に食わせちゃってクレ」

 そう言って、人当たりのよいおじ様から食べ物を分けていただきました。
 これは……なんなのでしょうか?
 ヴィスコンティでは見たことのないものです。
 匂いだと……果物のような感じはするのですが、お酒のようなにおいもします。
 後でヤクモ様にお渡ししましょう。

「づ~か~れ~だ~」
「テレジア様、お疲れ様です」
「はい、書面。今日の分の決済済みと、明日の未決済の奴。それと、明日こっちに入る人の名前と人数が分かるもの。あと、組合からの立替金の交付と、明日こっちで詰めてる傭兵さんの交代に関する資料」

 ドサリと、テレジア様は精根尽き果てたといった様子でやってきました。
 私の姿を確認すると、抱きつくようにしてもたれかかってきました。

「あ~、良い香り~……。マーちゃんは、ホントに癒しだわ~……」
「て、テレジアさん。抱きつかれると、身動きが取れません」
「癒しが~、欲しいのよ~……。カレのせいでお仕事が沢山出来ちゃって、大変過ぎるの……」

 そう言って、テレジア様もここ数日休んでないような顔を見せます。
 エカシ様のお屋敷を出る前のヤクモ様と同じように、目の下が少しばかり窪んで見えます。

「マーちゃんも、なんでカレについて行ってるのか分からないくらいよ」
「……だって、寂しいじゃないですか。誰かが味方してあげたり、支えてあげないとダメな気がするんです」
「たぶん、それで増長すると思うんだけど……」
「そうでしょうか? 私には、まだ……どうして良いか分からなくて、色々と試行錯誤していた所で大失敗したから、また新しい場で新しいことを試そうとしているだけのように見えます。それに、増長というよりは自信がつくという方が近いんじゃないでしょうか」
「自信、か」

 ヤクモ様は、いつも何かが出来ても胸をなでおろして安堵するばかりで、成功を成功として受け入れる事が出来ていませんから。
 ミラノ様のお傍に居た時も、色々とやってみて──ミラノ様との距離を、測っていたんだと思います。
 アルバート様との決闘の後からは戦いを、魔物の襲撃が終わってからは武器と魔法を。
 お休みから戻られてからは、皆様との交流を。
 そうやって、一歩ずつ子供のように歩いて……少し、転んでしまっただけなんです。

「それに、誰かが居なかったらたぶん……もっと悪い方に転がってしまうと思うんです。だから、私はテレジア様がヤクモ様の案に真っ向から反対してくださったのを、嬉しく思ったんです」
「いやいや、そうするでしょ? 普通」
「……私は、そうは思えません。もし、誰も反対しなかったら、本当にその通りにやって──最終的に、ゾルザル様のお父上とゾルザル様が互いに仲直りして排除しなければならない共通の敵にすらなる事だってありえたと思うんです。どんな被害が出来ても、どんなに名誉や名声が穢れようとも」
「それは……」

 一人でユニオン共和国の皆様と戦いだした時だって、結局は自分が全ての憎しみと敵意を引き受ける形で話を進めていました。
 大きな脅威が、大きな敵が居ると認識されたからこそ出来た事であって、その為にはもっと過激な事だって出来た筈なんです。
 それをしなかったのは──

「今は、誰かの従者や誰かの騎士じゃないですから。主人や仕える相手に汚名や不利益が行かないからこそ、どこまでも”道を外れる”事だって、しちゃうんじゃないかなと」
「それが、マーちゃんがカレについていく理由?」
「それだけじゃ無いですけどね。ただ……私が我侭を言っているだけですから」

 色々なものを与えていただいて、その上で騙していただなんて事は出来ません。
 だから、与えて頂いたものの分をお返しするまではお傍に居たいと考えています。
 私が凄くないという考えを消してくださいました、その上証明する機会まで幾度と無くお与え下さいました。
 お母様を治して下さって、お父様も嬉しそうにしていました。
 私も、話でしか聞いた事のなかったお母様と一緒の時間を過ごせて嬉しかったんです。
 
「私は、この身を捧げる想いで一緒に行こうと思ったんです。それに、ミラノ様とや……ソラ様には少しばかり時間が必要なだけなんです。いつか、お二人の気持ちと心が落ち着いた時、また以前のように皆の場所に戻れたのなら、これ以上とないお返しになると思うんです」
「──ゴメンね、マーちゃん。私、貴女の想いを全く考えていなかったわ。なら、ますます私も頑張らないと。マーちゃん、そのままズルズルとダメな男に引っかかる可哀相な子みたいになっちゃうもの」

 そう言って、テレジア様は離れてくださいました。
 少しばかり納得してくれたみたいで、今までのように哀れんだりするようなお顔や目をしないようになりました。

「そうだ、テレジア様も一息入れませんか? 今ちょうど、ソラ様にも休憩していただこうと、作った甘味と一緒にお茶をお持ちしようとしていたんです」
「ホント!? やった!!!」
「くす……それじゃあ、少々お待ちください。直ぐにお持ちいたしますので」

 ヤクモ様が置いてくださっている”きゅーとうき”というものは、定められた温度で水やお湯を保ってくれる素晴らしい道具です。
 これがあると、お茶を入れるのが格段に早いので、待たせる時間が少なくて済みます。

 お茶を入れて、甘味と一緒にソラ様がいる部屋に行くと──。
 ソラ様は、背もたれに身を預けて眠っているようでした。
 テレジア様が仮面を外されて、なにやら顔を覗きこんでいたみたいですが。

「テレジア様?」
「……あ、ゴメンなさい。ちょっと顔色を見てたの。随分無理をしてるみたいね。それを隠す為にもこれをつけていたのかも。ぐっすり眠ってる」
「──起こすのが申し訳なりますね」
「もうこのまま、魔法で眠らせて寝床に入れとかない?」
「そうですね。でしたら、お手伝いいたします」

 ヤクモ様の床を整えて、テレジア様が眠らせたヤクモ様を肩に担いで寝転がします。
 そのまま、ヤクモ様抜きで部屋の中、二人で休息をとることにしました。

「テレジア様、一つ宜しいでしょうか」
「ん? なにかしら」
「テレジア様は、何故ヤクモ様にそこまで肩入れするのでしょうか? その、執行者様と言うのは、全員がこういったものなのでしょうか」
「あ、ううん。そうじゃないの。私の後輩がカレの友人で、後輩の子が悪い子に騙されてるんじゃないかってのもあって、仕事と一緒に個人的な事情をこなしてるだけよ」
「後輩の方、ですか?」
「ええ、そうよ。教会で迷える人や、困った人の為に働いているの。それで、カレも何度か相手して貰ってたみたいで」
「──その方は、女性……ですよね?」
「そうだけど」
「今はどちらに?」
「学園都市の教会だけど」

 ── ちょっと、死んだ時に神様に世話になったからさ ──
 ── 教会に顔出しとか無きゃいけないかな~と思って ──

 以前、そんなことをヤクモ様が仰ってました。
 なら、そこでお会いしていたのかも知れません。
 今度どういった方なのか──。

「気になる?」
「え? い、いえ! そ、そのような事は……」
「隠さなくても良いのに~。けど、そっか。マーちゃんも大変だね」
「──……、」

 ……私は、ヤクモ様が気になりだしています。
 最初はただ、私の目的の為だったのに。
 けれども、私は出来損ないなんかじゃないと言っていただいて、嬉しかった。
 目を治していただいて、世界がこんなにも綺麗だと教えていただけて、嬉しかった。
 お母様を治していただいて、色々なものを吹っ切れたのは、心地よかった。
 それまでのことをして頂いたのに、肩を落として去っていく姿を見るのは……心苦しかったんです。

 そして、一緒に外の世界を歩いて、色々な事をやらせていただいて……。

 ── マーガレットが居ると、駄目人間になっちゃいそうだなぁ…… ──
 ── ありがとう。いつもいい時にお茶を出してくれて、助かってるよ ──
 ── マーガレットが居たおかげで、今回の作戦何とかなりそうだ ──

 必要とされる事が、認めていただくということが、大事にされるということが私の胸の内を暖めてくださいます。
 夜遅くに、僅かな灯りの中で誰かに見られているからと取り繕っている顔とは、別のお顔を見せているのをこっそり見るのが楽しかったりします。
 ワンちゃんにも懐かれて、楽しそうに遊んでくださっているのも見ていました。
 だからこそ、思うんです。
 




 今、私はとんでもなく幸運なのだと。
 だからこそ、戒めなければいけないんです。
 不幸から傷つき、別たれた所でヤクモ様に取り入るのは良くないと。
 私は、ヤクモ様の為にミラノ様と再び仲直り出来るようにしてあげたいなと思っています。
 それで……それでもし受け入れて頂けるのであれば、ちゃんとヤクモ様に受け入れてもらいたいのです。
 多分、ミラノ様やアリア様が居る状況では大分難しいのでしょうけど。
 それでも、今の状況で”それ”をするのは……お父様の娘としても、人としても”良くない事”だと思います。

「あ、カレの分も食べちゃって良いかしら? 頭を凄い使ったから、甘いものが欲しいのよ」
「はい、どうぞ。まだ作ろうと思えば作れますから。もし必要でしたら、幾らかお包みいたしますよ」
「ホント!? もう、マーちゃん大好き!!!!!」

 ……着いてきて、本当に良かったと思います。
 学園とお屋敷しか知らないよりも、沢山の出会いや沢山の発見がありますから。
 テレジア様との出会いも、その”幸福”の一つなのだろうと思います。
 
 その後、ヤクモ様が起きるまで長々とお話をしてしまいました。
 途中でテレジア様がヤクモ様のお顔に落書きをし始めて、止めようとはしたのですが……止められませんでした。
 その上笑えてしまったのが悔しくて、しかもお伝えできなくて……。

「なんじゃこりゃぁぁああああぁぁ!?」

 寝起きに顔を洗いに行ったヤクモ様が、そんな悲鳴を上げたのを少しだけ楽しく思ったのも内緒です。
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