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3章 元自衛官、公爵の息子を演ず

五十話

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 最初から死ぬ気でやれ、全力を出せ。逃げたり余力を残したかどうかなんて自分にしか分からないだろうが、それを自分で理解してると自信が無くなるし、いざと言うときに踏ん張れないぞ。
 そんな怒声を浴びた、陸曹候補生として陸教で訓練を受けていた頃。どれだけハイポートをさせられるのかも分からず、毎日肉体的にしごかれ、鍛えぬかれ、苛め抜かれた。当然、その理由は分かっている。どれだけ追い詰められても思考をクリアな状態を維持し、それでいて苦境や逆境に追い込まれて心身共にクソになっても投げ出さずに前を向いていられるかと言う事を身につけるためのものだ。

 日本は幸いな事に、戦後一度も戦争が発生する事も無く、主戦場に自衛隊が戦力として派遣されることは無かった。それでも海と空に関してはスクランブルや領海侵犯に対して常に活動し続けており、陸上自衛隊に入隊した俺には遠すぎる話だ。
 それでも、抑止力と言う意味では「そうさせないために」訓練をし、防衛力と言う意味では「それがされないように」訓練をする。自衛隊弱しと見られれば中国や北朝鮮、韓国や露西亜はより強行的な言動をし、最悪の場合戦争が始まり、日本という国が無くなる事でさえも想像しなければならない。

 そうならないように、そうさせないように──どれだけ辛くとも、どれだけ苦しくとも諦めずに命令を遂行する能力を備える。曹になると言うことは、使われる立場ではなく、使う立場になると言う意味だ。陸士を率いて行動する、適切な指示や命令が出せなければ彼らを殺す事になるのだから追い込みは正当だった。
 余裕無く、余す所無く力を出し切った上で認めてもらうだの駄目だったのと烙印を押されれば、納得の出来る話だ。だからそうしなさいと、諭すんじゃなくて悟れと──そういう話だったのかもしれない。


 六時が起きる時間だとして、四時には目が覚めてしまう。それは夢を見るにしろ見ないにしろ、悪夢にしろそうでないにしろ同じだ。一時間ほど走り、三十分ほど腕立てや腹筋などで身体能力維持・向上に努める。あまり目立った筋肉のつき方はしていないけれども、こう見えてしっかりと他人様よりも能力自体は優れている。
 兵士に聞いて走りこみに使っている経路等を理解し、先日までの間に見聞きし地図で把握したものとすり合わせて走りこむ。持久力、瞬発力は全ての行動及び活動で重要な要素だ。それらを総括して動力源とする体力も高めてやら無いと、余裕の無い状況になった時に思考もままならなくなる。
 体力があれば多少鈍重でも良い、その分思考を巡らせたり他人を助ければ良い。瞬発力に優れているのなら通りを突っ切って敵の射線を分散させてやったり、かき乱してやれば良い。幾つもの要素があるが、どれも総じて高い方が良いに決まっている、だから俺は鍛える事にしがみついている。
 そして朝一に身体を起しておき、十五分ほど前くらいに着替えなどを済ませておき幕舎でノンビリしておく。
 六時を少し過ぎてから、クラインの呼気が変わり目覚めを知った。俺はその時には既に自分とクラインの分も簡易セットでお茶を準備し始めており、彼が起きた頃には概ね適温と呼べるくらいの温度のお湯が出来た。

 クラインがお早うといって、それから有難うと言う。一日の始まりと、自分のお茶まで用意してもらった事に対してだろう。それから身なりを整え、寝床を簡単に片付けると朝食にしようかと言われ、食事の準備を始める。幕舎を出た際に、ハッコたち四人と出会い、既に調達自体は終えているようであった。
 昼までに今回の演習が終わると言う事を聞き、それから今までとは違う催し物が有ると言う情報をリヒターとエリックがクラインに伝えた。どうやら、今回初めての試みだそうで、その分前倒しされて演習が終わるとの事だ。

 その何かが終われば両家の陣営が交流と交友を深めるために、幾らか金を叩いて大きな食事会──パーティーのような物が行われ、その後片付けが終われば軍勢は引き上げるのだとか。今日の予定も殆ど分かっていた。
 クラインは、今日は遠巻きに見るのを止めて、脱落判定を受けた兵士等から話を聞いてみたいのだという。つまり遠出は無し、行動範囲もとりあえずは大きくならないだろうとの見通しだった。俺も、すこし四人と一緒に居るのは居心地が悪いと思っていたので、別行動を申し出た。

 ──近くに森林がある、その幾らか奥深くに川が流れている事を地図上で見たので、息抜きがしたかったのだ。アーニャと会って……というよりも、誰かと少し親しくなる度に俺はちょっとしたすれ違いで傷ついている。だから、少し誰にも会いたくなかったのだ。

 冷静に考えると、ミラノと同室だった時からミラノは俺を良い具合に放置してくれた。こうしなさい、こうありなさいと語りはしたものの、余計な踏み込みや交流をしようとはしなかったものだ。だからこそ、俺たちは上手くやれていたのかも知れないし、俺がストレス過剰で嫌気が差す事も無かったのかも知れない。

 だが、自分が最悪のコンディションになった時にどう対処すべきかを知っているのは良い話だ。酒をどれくらい飲んだら限界を迎えるのか、限界を迎えた場合どうしたら少しでも早く自力で回復して行動できるようになるのかと言うのと同じだ。因みに胃袋空っぽにして、さっさと水を大量に飲んで寝ると”俺は”回復すると理解している。

 だからこそ同じように、一人の時間を得るためにやって来た訳だが。その判断は間違っていなかった。日本に来てからはずっと東京だったので、意図して行動しない限りは基本的に電線で出来た雲の巣が空に逃れようとする意識を捉え、コンクリートのブロックジャングルは無機質で季節に応じた色しか見せない同一の空間を演出している。

 けれども、自然とは不都合なものだ。コンクリートジャングルは、建物に入らず舗装された道を行けば脳内の方位磁石で今自分がどの方角を向いて歩いているかは分かるし、電線も視界を阻害し空を綺麗に見せてくれない邪魔なものだが、電気と言う大事なエネルギーを供給してくれているし、今となっては無くなればそれはそれで寂寥感を覚えるだろう。

 自然の中では星や月日を見なければ今何処を向いているのか分からないし、どのあたりに佇んでいるのかも分からない。自分が大海の中に放り出されたかのような恐怖さえも感じるが、俺にとっては人と関わり合って磨耗する方が受け入れがたい事だった。

 野営地からそう離れていない場所だが、奥に行くと人の手が介入していない地域が広がっている。当然、その分自然だけじゃない脅威とやらが待っていた。動物だけじゃない、魔物と呼ばれるものがほんの僅かに存在しているようで。オークだのウルフだのと見かけては、それぞれに攻撃や退却をしていった。

 気持ちが荒んで来ているとは言え、だからとそれを”他者の命”で晴らそうとするほど腐れはしなかった。ウルフは飛びついてきたけれども、かつて高校時代の友人に教えてもらった”犬への対処法”というもので、前足二つを防ぎ、顎下に膝を叩き付けた。その後オスであれメスであれ”局部”を蹴れば良いと教わったのでそうしたが、犬のように喚きながらヨタヨタと去っていった。
 オークにいたっては錆付き朽ちた斧を持っていたが、その大きな金属部に拳銃を一発叩き込んだら手が痺れたのか武器を取り落とした。そして俺が”強者のように”歩を進めると、ガサゴソと枝葉を掻き分けて去っていった。

 相手に敵意が無いのであれば──”必殺”の意志が無いのであれば、態々手を下すのは野暮だ。これから気持ちの良い場所へと向かっていくのに、何故血肉や泥に塗れなければならないのかと、嫌気が差していたから。
 そして一時間近く右だ左だと捜索に近い歩き方をして川へとたどり着く。木漏れ日の差す、気持ちの良い場所だ。何が起きても対処できるようにと先日と同じように負い紐をつけた八九小銃を提げ、腿には拳銃を提げていたがあまり出番は無かった。
 傍らには旅のお供は居ないし、相棒となる動物が居て川を前に少しはしゃぐような事もないが、俺はそれでも大丈夫だった。

「ダムだ、ダム。それを作ってから──少し、休んでみよう」

 恩人だからと酬いなければいけないなんて言っているクラインは居ない、理由があったからとはいえ騙していた事を不愉快に思っている四人組も居ない、今となっては少し懐かしく思える気もするがミラノやアリア、カティアも傍には居ないし、ヤゴの容赦ない手合わせも少し忘れそうだ。

 ミリタリーブーツと靴下を脱ぎ、ズボンの裾を捲くった。小銃を前面ではなく背後に提げて、流れる水へと足をつけた。冷たく、流れていく流れが心地よい。半長靴を履き続けると、水虫の世界が待ち構えていると聞いたが、その恐れもこの川で浄化出来そうな気がした。汚染の心配の少ない川の水を両手で掬って飲んでみた、それはとても美味しいものだ。口に入らなかった分が顎から喉へと伝って、途中で川へと雫となって消えた。

 気持ちがリフレッシュするような気がして、そのまま俺は川底の石を掴んでは流れを塞き止めるダムを作り出す。当然、全ての流れを塞き止めるなんて出来ないから、隅っこの方に、小ぢんまりと作っていく。途中で何度か石が川の流れや塞き止めた水の圧力に負けて崩れたりもしたけれども、飽きずに何度も何度も繰り返した。

 大きな野望も、小さな一歩から。難しい事も、出来る様な簡単な事を積み重ねていけばいつかは届くんだよと言う事を、俺は一時間くらいかけてずっとやっていた。
 石を積み重ねて作ったダムは、その規模じゃ満足できなくなって増築される。当然、当初の予定には無かった形状などになるから、崩れたりもするけれども、失敗を何度かすればその対策も出来てくる。
 崩れて全て無くなってしまうのなら、崩れる規模を小さくするように支えを大きくしてやればいい。そうやって川の流れを塞き止めるダムのサイズを少しずつ、少しずつ拡張していった。

 そうやってダムを作っていて、欲張ると全てが台無しになる事も気が付いた。ダムはそもそも貯水だが、川は雨が降ろうが降るまいが常に流動し続けているものだ。だからと、ある程度の規模で我慢して、それ以上は何もしないことに決めた。

 川の縁に腰掛けて、両足は水に突っ込んだままに空を見上げた。蜘蛛の巣のように張り巡らされた電線は無いが、変わりに木々が太陽の光を沢山受け止めようとその枝を両手のように大きく広げ、幾らか空を見えなくしている。
 けれども、それを変には思わなかった。風が吹いて、木々が揺らぐ。さざめきにような音が聞こえて、子供の頃に帰ったような気がした。

 自然と川、そしてダム──これに関わる想い出は三つある。一つは小学生の頃で、家族旅行で別荘を一つ借りてラ・パンパの大草原を満喫した時。
 二つ目は中学生の時で、アメリカンスクールの合宿で登山の途中の休憩で「Fuck the Ecosystem!」という叫びと共に作り上げたダムを破壊したのを楽しく眺めていた。
 三つ目は日本の千葉、父親の故郷で田んぼと墓場の近くに流れる川に墓参りのついでで遊んでいった時だ。思えば、あの時海上自衛隊の基地を海越しに眺める事ができたのも思い出す。自衛隊との繋がりは、幼少期から毎年日本に居る間は毎年墓参りの度にあったのだなと思える。向う側にはアメリカの兵士も居るんだよと教えてくれた父親が、釣竿を魚に引っ張られて数万円の損をしたと項垂れていたのも思い出す。本当に、良い父だった。

 しかし、なんだ。思い通りにならない事だらけで、他人が絡むと余計に磨耗してしまうというのに、作業に対してはさほどストレスを感じないからどこか頭のネジが飛んでいるのかも知れない。自衛隊でも弱音を上げたことは無かったし、自衛官候補生の頃から”国の為に戦い、死ぬのだからこれくらい当然”と思って全て受け入れてきたからかも知れない。そもそも自衛隊には女性と言えるような女性とは無縁なのでほぼ男だけの世界、そこで男女と言う枠組みの思考をする事が無かったから今そのあおりを受けているのだろう。

 ”当たり前”の世界に馴れすぎて、感謝される事も、お礼をしなくちゃと言う相手の気持ちにも不慣れで、戸惑い、疲弊する。人を助けても当たり前で、時々胸に付けられるリボンの略章がもらえるだけ。運がよければ制服の袖に金色の線が入り、それが他の人よりも少し多めなのが自慢だったが。

 一期上の先輩と精勤賞の数が並んだ時は、一種の満足感があった。同期達が喜んでくれたのが嬉しかった。副班長には「お前もっと面白みのある人間になれや!」と散々言われたけれども、職務に関しては特に指摘や駄目出しをされずに済んだだけ有り難い話だったのかも知れない。
 あの時の上官の多くは異動で同じ駐屯地には居ないと聞く、つまり狼中隊と言われながらも中身の人間はもう中隊長含めて大半が居ない訳で、別物だろう。

 俺が家で停滞した時間の中で五年を経過した中でも、世界は動き続けていた。昨日あの空間で見たニュースでは、アメリカではトランプと言う人が大統領になり、駐韓日本国大使が引き上げ、自衛隊が派遣されたとか色々な事も起きていたぐらいだ。これからも時間の変動で世界が動き続けるに違いない。
 願うなら日本が健常な平和をこれからも享受できるように、日米間の同盟を正常で強固なものとし、防衛費や自衛隊の装備に繋がる研究がもう少し活発化して欲しい。少なくとも日本とアメリカ、南米の国々がメチャクチャにならないでくれればそれで。日本には弟が居る、南米には母国があり妹が居る、少なくともそんなものだ。

『ヤクモ。どうやら今日やろうとしてるのは、父さんの英霊とヴァレリオ家の英霊を手合わせさせてみるって事らしいよ』

 川の音を聞きながら、首にぶら下げたヘッドホンから漏れる音に耳を傾け、物足りなかった朝食分を補うようにストレージから食べ物を取り出した。加熱袋の中にヒートパックを入れ、白飯二パックのセットとインスタントカレーをいれ、水を入れると即座に袋の口を捻り閉ざした。

 最初から空いている穴から蒸気が出る。化学反応で高温を発し、水さえあれば温かいご飯が食えると言うミリメシと言う奴だ。缶詰めは悪名高いが、こちらは美味しいものが多い上に処分が簡単で好評だ。陸士は営内にゴミと化した空き缶を持ち帰り、全て洗って両面開きにした上で踏んで潰すと言う作業があった。それが検閲などだと百名近くの空き缶が一食毎に出てくる訳だから、一番若手の陸士の溜め息は絶えなかっただろう。

 事実、俺の時なんかは同じ中隊に配属された同期が少なすぎて手数が足りなさ過ぎた。それが当時の最先任陸士長の目に留まり、あまりにも人数が少なすぎて労働量と釣り合わないからと一期上の先輩も手伝ってくれるようになった。
 ──伝令業務で毎日二人分、中隊長伝令が入るとさらに中隊長室の掃除と半長靴が追加等と酷い事になっていたのも改善されたのはありがたかたった。伝令業務だけで一時間以上部屋を空ける事があり、「お前何処に居んの?」という連絡が少なくは無かった。伝令業務じゃ、ボケ。

 しかし、なんだ。クラインを演じたり、ミラノ達を救うために戦ったり、訓練や鍛錬などに打ち込んでいたせいでか思考が前より幾らか明瞭になった気がする。ハッキリとどう違うのかは言えないけれども、感覚的なものだ。他人に興味が出て来たと言う訳じゃないけれども、あまり他人の外見とかを気にかけてなかったようなものだ。
 そういやカティアの髪の色はなんだったっけとか思ってしまい、思い出そうとすればするほどにぼやけていってしまう。最終的に輪郭しか思い出せなくなり、口元がヤケにハッキリ思い出せるくらいだ。

 まあ良いか、会えない訳じゃないから今度会ったときに記憶しておけば良いんだ。他人に期待されないと言う自分に期待しすぎている、その結果「どうせ深い付き合いにはならないだろう」と考えて忘れていってしまうようなものだ。重要な事は覚えていられるのに、そうじゃない事は直ぐに脳から零れ落ちていく。欠点だと思う。

 ミラノとアリアはどうだったかなと思い出そうとして、思考速度よりも音楽の一トラックが流れきるほうが早い状態で、概ねヒートパックによる加熱が終了したのでさっさとカレーを食べる事にした。
 因みに二人の特徴として思い出せたのは「ミラノは髪の毛を縛ったり飾ったりしてないが、アリアはリボンで髪を束ねている」という、パッと見程度の情報しか出てこなかった。そういやクラインと髪の色は似ていたっけ? そもそも公爵と公爵夫人の髪の色は似ていたか、別だったか……。

 そんな事を考えながら食事を進めていると、草木をかき分けるような音が聞こえた。飯をゆっくりと置き、八九小銃を掴んで安全装置を外す。銃口管理だとか、安全管理だとか散々叩き込まれたけれども、この世界じゃそもそも軍属じゃない上に怒られる事はマズ無い。だから気兼ねなく安全装置を外せるし、銃口を向けられる。とは言え、銃がなんなのか知らない相手ばかりだから脅威と認識してもらえないのだろうが。

 さて、何が出てくるかなと思ったらゴブリンが出て来た。つまり、モンスターであり、敵である可能性が高い。銃を向けると、相手は怯えてその場で伏せた。頭を庇い、怯えているように見えるが──。
 銃が無い世界で、何故銃口を向けられると怯えるのか俺には少しばかり理解が出来なかった。

 だが、可能性が直ぐに幾つか沸いてくる。一つ目、銃に似たものを生産しているユニオン共和国あたりから逃れてきた。これなら怯える理由として納得の出来るものだが、ユニオン共和国がどのような銃を製作しているのか分からない以上早合点になりかねない。二つ目として、オルバが銃を使った所に居た。これは可能性としては五分五分だ、オルバがモンスターを相手にするシチュエーションがまず想像し辛く、姫さんの教育係をしている事から外出の頻度は高くないだろうと可能性を低く見積もった。

 さあ、三つ目だ。これは可能性として高くは無いが──俺たちが生き延びるために戦ったあの町に居て、なおかつ俺が銃を使った場面に居たという可能性だ。これだとあの街から逃げおおせた事になるので、兵士による封鎖や閉鎖前に脱出が出来たと言う事だろう。……好意的に考えるのであれば、だが。

 どうするべきだろうかと考えていると、腹のなる音が聞こえた。俺はもう朝食を一応食べた上に追加でカレーを食べている最中だ。腹が鳴る可能性はとんと低い。ならばと俺じゃなく、相手を見る。相手と言うのは当然ゴブリンしか居ない。銃を左手に持ち替え、牽制射が出来るようにしながらカレーをかけたご飯をゴブリンの方へと差し出してみた。

 俺がいつまで経っても危害を加えないことで、こちらを見る事無くその場に蹲って震えていたゴブリンだったが、チラと此方を見た時には飯を差し出していれば驚きもするだろう。俺も警戒は解いていないが、それでも害意がないのであれば──あるいは、カレーの匂いに誘われて空腹故に来ただけならば攻撃する必要性を感じなかった。

 こういう時、相手が警戒している時は餌を置いて離れた方が簡単だと何時だったか聞いた気がする。警戒心の強い動物等は差し出した餌が警戒すべき相手が近い場合、食べたくても食べに来ない事があるという。だから俺は使用の済んだヒートパック等々をゴミとしてストレージに放り込み、その場に食べ物だけ置いて幾らか離れる事にした。

 暫くは俺の行動を理解していなかったようだが、俺が離れた事で求めていた物と警戒対象の距離が開け、ゴブリンは先程よりも用意に求めたものを手に入れられるようになった。
 これでゴブリンは食事の場を見られるのが嫌だとかそういった特性があるとなると、もう俺は立ち去るしか選択肢が無くなる。そうじゃなければ、小腹を満たしたとは言え食事を無駄にするのは気が引ける。

 なるべく直視しないようにしながら、銃を自分の身体で見えないようにしながら相手の動向を窺う。一分か、更に三十秒くらいか──ゴブリンがようやく動いた。ご飯パックにカレーがかけられている、まだ半ばほどしか食べていないので分量は一食分に近いほどある。
 かつて鰻を売るのに「匂いで客を釣れ」と言われたらしいが、実際匂いと言うのは重要だ。兵糧攻めであれ、精神心理攻めであれ”自分より美味いものを飲み食いしてる”とか”満足な食事を相手は摂っている”と相手に思わせるのは有効な手段だ。
 それは相手が追い詰められ、空腹であれば有るほど良い。時として人海戦術や追い込まれた獅子のように相手が攻め込んでくるリスクもあるが、今の場合彼我の戦闘能力の差から無視していいだろう。

 飛びつき、スプーンではなく手でご飯をすくって口に持って行っている。その光景を見て、孤児院の様子を思い出してしまった。或いは、貧民と言われるような層の子供とも言うべきだろうか。日本じゃ考えられないだろうが、赤信号を待っている間に車の窓を磨くと言う”仕事”を子供がやっている事もある。当然金を払わなければならないのだが、アルバイトではなく”仕事”として行っているのだ。学校にも通えない、或いは親すら居ない──明日も知れない子供達。

 俺なんか恵まれすぎているくらいで、そういった子供たちは飢えている事が少なくない。そして、与えてしまうと纏わりつかれてしまうのだ。そこから、自分のしていることは善意ではなく独善なのじゃないかと言うことを学んだ。
 彼らからしてみれば一瞬とは言え助けられ、期待してしまう。けれども当然一時凌ぎの善意なんてその後は無い。飢えで苦しんでいる相手に食べ物を与えるのと、食べ物をどう得るかの手段を教えるのは違う。
 食べ物を与えればその場では満たされるが、直ぐに飢える。食べ物を得る手段を教えるのは長い時間がかかる上に、絶対に長続きする保証は無い。けれども、それが上手くいっている間は飢え続けている現状からは脱却できるのだ。

 誇りがあれば飢えても大丈夫で、食べ物があれば誇りなんか無くても生きていける。けれども、そのどちらも無い相手にナイフやフォークを使って礼儀作法やテーブルマナーを求めるのは酷なものだ。
 食べ物を頬張り過ぎるとみっともないと言われるが、頬張っている相手からしてみれば口に入れてしまうまでは奪われる可能性がある生き方をしていたとも言える。腹に収めてしまえば、同じように飢えている他人が居たとしても腹を開かない限りは奪えないのだから。

 俺の食べかけとは言え、そんなものを有り難がって食べている。その光景に何も思わずに、感じずに居られるほど立派じゃない。それでも、俺がやった事はやはり独善であり偽善でしかないのだ。これからコイツがどのように生きるかなんて関知も関与もしないのだから、今一時の自分の小さな自尊心を満たし優越感に浸るためにやったと言っても過言ではない。そう考えると、ちっぽけな人間だと思えた。

 食事に飛びついたゴブリンは流し込むように食べている。そしてある程度満たされてくると、無防備な自分と俺の存在に気が付いて再び此方を意識してきた。当然俺はあまり関わらない様にしている。理由も事情も知らない、その上一時期俺はこいつ等の所属する派閥の”人物”を殺しまくったし、こいつらも人類という派閥に属するものを殺め、日常を破壊し、様々なものを踏みにじった。

 ただ、俺個人としては別に恨みも憎しみもないので、ゴブリン側からの畏怖だの敵意だの害意がどうにかならないと難しい話しだ。ただ、それでも一つ気が付いてゴブリンを見た。相手は顔を向けるとビクリと身体を硬直させた。

「あ~、言葉通じる? 通じない? まあいいや。食べ終えたら、それをこっちにくれ」

 そう言いながら、俺はご飯パックを指差し、投げる動作をし、それから俺を指差す。投げて寄越してくれと言う意味なのだが、通じるだろうか? そうじゃなくても立ち去ってくれればゴミを回収できるのだが、どちらにせよ相手が何をしたいのか分からないのならどうしようもない話だ。
 何度かジェスチャーを繰り返すと、相手にも知性と言うのがあったのか動き出してくれた。ただし、俺の意図したものとは違ったのだが……。

 相手は投げて渡しては来なかった。そのパックを掴むと、恐る恐る俺に歩み寄ってきて出来る限りそれを差し出してきた。出来れば近づきたくない、けれどもそうせざるを得ないといった感じがあからさまなくらいに見て取れる。俺は苦笑するしかないが、それを受け取るとゴブリンは何処にそんな元気があったのだと言わんばかりに全身のバネを駆使して距離をとる。

 それでも俺は敵意や害意は向ける事無く、ただ日本人のように片手を手刀のようにしながら「ありがとう」と申し訳無さそうに言った。そんなに怖いのなら去ってくれた方がまだ良かったが、そうしなかったのはどういう理由かまでは分からない。ただ、こうやって言語が理解できずとも意思疎通が出来ると言うのが分かると、尚更”人との差は何処にあるのか”と言うのを考えてしまう。

 英語、スペイン語、日本語、中国語、ドイツ語、フランス語、ポルトガル語、米国英語──。
 俺の居た場所では数多くの言語が存在していて、人種だけでもさらに多く分かれるし、国だの宗教だのを含めれば更に細かく人々は分けられる。それでも「人間と言うのは、こういうものだ」と言う曖昧な認識の下に同属同種を理解しているとも言える。
 俺には法律的なものは判らないし、定義づけされていたとしても知らない。けれども、この前に戦闘し殺しあったオークやゴブリンも一種の人族と言えなくもないだろうか。言語が違うのは別にいい、彼らなりの言語があるのだろう。ただ俺たちと背格好が違って、ただ俺たちとは常識の範囲外と言えるレベルで肌の色や体格が違って、ただ俺たちと文明や文化などの有り方が違うだけだ。

 人類だって元は猿だ、言語なんて無いに等しかったし文明や文化なんて当初は存在しなかっただろう。そこから考えていくと彼らはかつての人類が歩んできた道を今歩んでいるんじゃないかと考えれば、人類とは別ではあるが”人”なんじゃないかと思えてきた。
 ゴミをストレージに放り込み、今度焼却処分しようと考えていると。俺が何もしないと分かったのか、ゴブリンは警戒の姿勢を弱めた。そして「ギャギャッ」と何か言いながら、俺に何度か頭を下げる。感謝──しているのだろうか。たぶんそうかも知れない、そうなのだと思っておこう。
 ゴブリンに対して「どういたしまして」とか「有難う」とか、色々言葉を投げつけてみたが、やはり意思疎通は出来ない。ここで俺に”言葉が通じるように得点を使ってみようか”というアイディアが浮かんでくる。あと何回得点を利用できたかなと思い出したが、三点か四点くらいあった気がする。つまり、考慮するに足る事柄だと判断しても良いだろう。

 しかし、今はもう考える時間が無くなって来ている。ロビンとアイアスが手合わせする場面に立ち会えないだろう。英霊とはどのようなもので、どんな戦闘を展開し、どのように戦うのかを見て見たいと言う好奇心が俺を焦らせる。知らない事を知るのは楽しいし、それが好奇心や興味の範疇であるのなら尚更直に見てみたいし、生で色々と感じて考えたいと言うのが本音だ。

 川にずっと足を突っ込んでいたが、綺麗な水で肌は幾らか浄化できただろうか? この時代で水虫とかになったらどうしたらいいんだ? 長い時間をかけて湿度を低めにし、靴下すら履かずに露出させて乾燥させながら自然治癒するのを待つしかない。

 俺が川から足を出して拭い、靴下を履いているのを更に距離を離してゴブリンは見ていた。なんだろうな、何の用だろうな? もしかして変な偽善のせいで懐かれたのだろうか? それだけは勘弁願いたい。俺にはゴブリンを連れ帰って養育する余裕など無いし、そもそも連れ帰ったところで戦闘の光景を目の当たりにしてきたミラノやアリア、カティアの反発が凄いと思う。流石に俺がこのゴブリンに敵意が無いからとウキウキ気分で連れ帰ったら、即座にぶっ殺されたとか目覚めが悪いし、コイツにも悪すぎる。
 だから関わらずに、俺は靴下から靴へと順番に足を突っ込み、銃を再び身に付け安全装置をかけた。忘れ物やゴミの置忘れが無いかを再確認だけして、その場を後にする。

「それじゃあ、またな」

 次があるのか、その時今のように無難な関係で居られるのかは分からない。けれども、社交辞令のようにそう言うと俺は視界にマップを映し出す。行きは良い良い帰りは怖いとは言うが、実際通ってきた道がそのまま帰りも使えるとは思ってない。何箇所か飛び降りたりした気がするし、もしかすると帰り道では見えない落とし穴があったりするかもしれないのだから。

 それでもこんなにも素晴らしいチートがあるのなら活用するしかないだろうと、大よその帰路とかかる時間を試算しながら歩く。ゴブリンの姿は見えなくなり、俺はまた一人になった。歩きながらも即座に射撃が出来るように負い紐のバックルを外す。三点スリングとは便利で、六四小銃の時とは違って調節や調整がしやすくていい。身体に密着させておきたい時や、直ぐに射撃姿勢に入れるようにと出来る。六四の時は三点スリングなんて無かったし、最悪な場合負い紐自体が古くて金具によるストップが利いてなかったりするのだから。

 思い出話は老化の証拠だと言われるが、その前に思い出ですらつい最近まで引っ張り出せなかった俺はもっと危機的状況だったかもしれない。それでも色々と思い出せてきたのは良い事だと思いたいが。
 そんな事を考えていると、爆破音が聞こえて驚いてその場に崩れ落ちる。膝かっくんのように背中から地面へと崩れ落ちながらその途中で身体を反転させる事でうつ伏せになり、何画とか分からずとも安全を最優先に考えてとった行動である。散々訓練でやらされた事だが、自然に出てくるあたりすっかり頭は染まっているようだ。

 一瞬「ロビンとアイアスの戦闘が始まってるのか?」と思ったが、それにしては距離が近すぎるのだ。流れ弾と言う可能性も否定できなくは無いが、未知を未知のままにしておくのは気味が悪い。異常を見つけたら即座に報告とは言われているが、報告の手段がそもそも移動と時間、距離に直結している以上難しい話だ。

 ニコルの件もある。無視して良い事柄じゃないし、その爆破音がなんなのかを理解してから去った方が一番良い。何事も無ければよし、何かあれば対処できる事なら対処、対処できないのなら全力で逃げ帰ってクライン経由で公爵に報告だ。そう決めて、俺は爆発の音が聞こえた方へと向かった。

 俺が来た川と野営地を一本の直線で結ぶとすれば、その帰り道の途中で脇道に逸れる様な位置で聞こえたものだが、どうやらそれは散発しているようだ。これで野営地にも聞こえただろうかと期待したが、もっと遠くで同じように何かの音が響いている。きっとロビンとアイアスの戦いも始まったのだろう、音に埋もれてしまって此方が気づかれない可能性もある。尚更俺が確認しに行かなければならないだろう。

 何かをして後悔するのは、何もしないで後悔するよりはいい。何もしなかった場合「あの時出来たのにな」と言う事が自分で理解できていて、尚更悔やむ事を知っている。だからこそ、そうしたいと思ったのだ。

 ただ、歩いて近づいた俺が何かを確認する前に衝撃が身体を貫き、後ずさって尻餅をついてしまった。まるで体当たりを受けたみたいだと思いながらも、なにが来たのかすら認識できなかった。
 魔法だろうか? 立ち上がろうとして地面を手で押すと、肩が激しく痛みを訴える。なんだろうかと思いながら立ち上がり、肩に触れる。方角は分からないなりに木に隠れながらも周囲を警戒し、そして手を見る。
 ──血が流れていた。たぶん、俺の血だと思う。そして呼吸を何度か繰り返していると、痛みと呼応して何かが服や肩をぬめらせながら流れていくのを感じる。流れ弾か? それとも俺を狙ったものか? それが分からずに居たが、幸いといってよいのか何と言うか──相手は既に視認できる距離に居た。

 確実に、相手がどのような人物で何をしているのかを確認するべきだろう。クラインになら──あるいはカティアになら無線通信のようにメッセージが送れるし通話をすることも出来る。把握して、情報を送って、その上で逃げるなりすれば良い。最悪ドジ踏んでも情報があれば末端だから被害は無い。
 だから──問題は無い。これで死んだらまた怒られるだろうか、悲しまれるだろうか。そろそろアーニャがグーパンしてきそうだし、俺も死に対して前向きかつ軽率になれそうな気がする。ただ痛みは本物だ。出来るだけ楽をしたいのにな、おかしいよな……。

 傷口が焼けるように痛むが、痛みなんて訓練してる最中に幾らでも味わった。肉体的な痛みよりも、精神的な痛みの方が辛い。心が折れてなければ、幾らでも動ける。そうやって、一歩ずつ動く。
 出来る限り隠密で、出来る限り暴露しないように、足音や行動の音すら最小限にするようにして。魔法で負傷を簡単に治癒をすると、俺は音の響く方角へと近づいていった。

 そしてようやくその人物が。いや、その人たちが誰なのかを認識して更に理解が出来なくなった。マリーがどこか負傷したのか痛むのか、しゃがみ込んでいる。それくらいならまだ陽気に「大丈夫か?」と聞きに行けただろう。けれども、彼女は一人の男に剣を突きつけられていた。その剣の切っ先は首に伸ばされていて、周囲の木々や草は戦闘の傷痕が存在した。つまり、先ほどの爆発とマリーの負傷、それと──逼迫した状況がなんとなく繋がった。

 よく判らない、何が起きたのかも知らないし、二人の間柄なんて分からない。ただ、このままではマリーが殺されてしまうような──或いは”俺の望まない出来事”へと繋がるような、そんな気がした。だから俺は警告も無しに威嚇射撃をした。
 銃弾は男の足元近くを穿ち、土煙を上げた。威嚇になったかどうかは分からない、それでも射撃をしてしまった以上此方の存在は認識されているはずだ。だから銃口を外す事無く、木を影に声を上げる。

「その女性から離れろ。今のは警告だ、指示に従わなかった場合、次は当てる」

 そう言ったのだが、相手は声を聞いて笑みを浮かべるだけだった。そして笑みが笑いへと変わり、ただ焦燥が募る。二発目を撃ち込むべきだろうか、その判断に迷っていると剣先がマリーからだらりと脱力するように外れた。高笑いだけが負傷し傷ついたマリーや周囲の破壊と反比例して不愉快に自然の中に溶けて行き、その顔が”グラリ”と不愉快にこちらに向けられた。

「なんだ。邪魔が入ったな──。はじめまして……かな?」

 鼻から頭の天辺まで雑に巻かれた包帯、露出している肌には傷跡なのかそれとも”別の何か”なのか分からない模様が張り付いている。ただ双眸が真紅に光っている。揶揄でも何でもなく、包帯や髪で隠された奥で鮮やかに此方を捕らえているのだ。

 嫌な予感がした、むしろ恐怖が勝った。義務だの誰かの為だのと思ったり口にはすれども、盲目的な猪突猛進ではなく、必要最低限の臆病さが、相手を異様だ異常だと警鐘を鳴らす。
 相手の姿が土煙と共に掻き消えた、それはマリーがかつてそうしたように見えなくなったかのように思えた。しかし、実際には違った。ピントの合わなかった焦点が相手を捉えられなかったようで、俺の目がピントを合わせた時には相手は笑みを浮かべながら既に目と鼻の先に居たのだ。

 地面を軽く蹴るようにして俺は体制を崩した。身体が傾いでゆき、先ほどまで俺の頭……首があった空間へと男の剣が鋭い風切り音を立てて通過する。それを認識してから、緊張が高まり吐き気がする。
 理解の出来ない死が、齎される所だったのだ。あのまま突っ立っていたら、俺は首を刎ね飛ばされていたのだ。何をされたのかも分からず、何が起きたのかも分からずに死ぬ、一番幸せとも言えるだろう不理解な中での死。
 緊張からか、それとも死んでいたかもしれないと集中が達したからか時間の流れが遅く感じられる。地面に倒れこんでいく俺の上を通過していく男。俺の顔は変に歪んでいるだろうが、相手の顔も呆気に取られた感じでまっさらになっていた。
 一秒、二秒、三秒──意識の中では時間は普通に流れているはずなのに、俺も相手もゆっくりと動いている。そして相手の目が此方を捉え、ゆっくりと顔が此方へと向けられた所で背中が地面に着き、相手が通り過ぎて時間の流れは元に戻った。

「っだ、あっ!!!」

 後方回転受身からの反転で相手へと銃口を向ける、立ち上がらずに身体の面積を小さめに保つしゃがみ打ちの姿勢。けれども、相手が土塊を足裏に溜め込み滑りながら止まったかと思ったら今度は音も無く消えた。正面も、右も左にもその姿を確認できず、焦った時にはもう遅い。

 肩に手を置かれた。背後から”こっちだよ”とでも言わんばかりに、余裕のある行動。力量の差が酷すぎる、絶望的といっても良い。俺が顔のみでそちらを向くと、相手は犬歯をむき出しにして笑みを浮かべた。そしてそのまま肩を掴んで俺を引き倒す。

 引き倒す、そんな認識が正しいとは思えなかった。負い紐の金具が弾けて八九小銃が身体から離れそうになった。それでも何とか握り締めていたが、俺の身体は二転三転と後ろへと転がされたのだ。そしてうつ伏せに地面に突っ伏して止まった時に、顔を上げるとマリーが傍に居た。何メートル転がされたんだ……? 素早すぎるし、強すぎる。なにもかもが常識の範疇から外れた存在だった。

「アンタ──」

 アンタ。その響きが少しばかり懐かしかった。ただ、そう俺を呼んだのはミラノが最初で最後だが。格好良く助けられれば良かったが、今の俺は無様に相手にしてやられてマリーの傍にまで来ただけだ。
 格好悪いったらありゃしないが、今の今まで格好良さとは無縁だったのだ、今更なんだ。

「やぁ、元気ぃ……? な、訳無いか──」

 精一杯の強がりとも軽口とも取れる言葉を発する。格好良く飛び出して来ておきながら格好つかなかったので、今の俺にはこれがお似合いだと思った。下手に緊迫した声をあげても仕方が無い、マリーを少しでも気楽にさせてやりたかった。
 その目論見は成功したのかどうか分からないけれども、マリーは苦笑するように小さく息を漏らして俺を見た。幾らか笑みが見えたような、そんな気がする。

「……助かった。貴方には感謝するわ」
「あいつは何なんだ。一体全体何が起きてる……」
「はは。それを全て説明してやるよ。おっと、マリー? 俺が、全部、話す事だ。
 余計な事を言ったら、二度目の奇跡は無しだ」

 そう言って、マリーに警告なのか忠告なのか分からない言葉を発しながらも、奴は笑っていた。笑っていなかったのは、あの瞬間だけだろう。俺は起き上がると負い紐を銃から外して捨て、八九小銃をストレージにぶち込み、右手でしっかりと拳銃を抜いた。八九小銃を使うには長すぎて邪魔だ、それに相手が早い上に近すぎて使い物にならない。
 傍にはマリー、相手は人間離れしている身体能力をしているか魔法を使っての戦闘になれている。そして俺は相手を知らないし銃口の先に相手を捉えていても安心出来ないと来たもんだ。
 最悪だ、逃げられない。マリーはニコルの使い魔として召喚されているから実際にはどっちが正しくて、どっちが間違っているかなんて分からない。
 けれども、そうだな……。少なくとも、知り合いと知らない奴とで、どっちをパッと見で助けるかと言われれば、マリーだ。
 理由? 見た目だ、んなもん。それに、正しい奴は見た目で正しい格好をしているハズだ。まあ、詐欺師の可能性も有るが。

「さぁて、まずは名前を聞こうか」
「相手の名前を尋ねる時は、まずは自分から名乗れって言われなかったか?」
「はは、笑える。殺してやろうか? お前。
 だが、今の俺は機嫌が良いから望み通りにしてやるとも。
 俺は──英雄にすらなれなかった、名前すら残されなかった一人さ」
「──裏切り者よ」

 何時だったか聞かされたのを思い出す。本当は十四人居た英雄だが、そのうちの二人は名前すら残らなかったのだという。一人は存在そのものを費やして相打ちて消え去り、もう一人は相応しくないとして削られたと。
 ……遠くでボンボンとやかましくやっているのがアイアスとロビンだとして、その仲間であるマリーがそう容易くやられるとは考え難かった。だからこそ、裏打ちされた末に目の前の一人も人類種の存続をかけて戦った一人なのだろうと思う。
 ──ロビンの膝を借りて寝た時に見た夢、似たような声を聞いたことを思い出す。そしてあの口元の笑みも、確か似たようなものだった。

 相手はマリーの”裏切り者”と言う言葉を聞いて、ククと笑う。残念な事に、笑わせておく事しかできない。引き金を引くよりも早く動かれたら? 引き金が引かれてから銃弾が到達するまでに回避されたら? そもそも引き金にかけた指に力をこめて”金属とバネが動く音”に反応されたら? 英雄なんて未知数だ、ロビンですら力は弱いと言っていながらも力量は尋常じゃない。

 常識と言う範疇で収めてはならない、そもそも戦い──いや、戦争と言うものですら常識ではなく狂気の世界だ。負ければ戦争犯罪、勝てば功罪相殺か歴史に名が残るような世界だ。
 日本に住む人が他国と違って”目に見えない速度で飛翔する弾丸で死ぬ”と言う異常を知らずに生きているのと同じように、俺には目の前の名無しがどれくらい強くて何が出来るのかすら知らないのだから。

「裏切りとは心外だな。俺は一番、一番──理解しているつもりさ」
「前口上は良い。何でマリーとお前が戦っていたのか、二人の目的を話してくれ。
 知り合いだからこっちについてるけど、どっちが正しいかも俺にはさっぱり分かんないだからな」
「はは。お前に望む回答が返ってくるとは思えないけどな。
 もし両方とも信じられない、或いはどっちも好ましくなかったらどうするつもりだい?」
「両方殴って止めりゃ良いだろ! いや、まあ。出来るかどうかはさて置いても、やらないで諦めるよりやって諦めた方が気分は良い」
「──なるほど。そういや、お前の名前を聞いてないな。なんてんだ?」
「……ヤクモだ。それ以外の名前は、過去に忘れてきたよ」

 一瞬、実名が出かけた。しかし、何故実名をここで口にする必要がある? 普通にヤクモで良いだろと、そう名乗った。
 相手は「そうかい」と言って、咀嚼するかのように何度か頷いている。そのリアクションを見ているとまるで洋画や外国人のように思えるが、そもそも俺はコイツを知らないので生前からそうだったのかもしれない。

 相手がどう反応するのか判らないが、先ほど俺の首を刎ね飛ばそうとしてきたのを忘れていない。敵かどうか以前に、好ましいとは思えなかった。それにマリーがボロボロなのもあるし、心情的にはマリーが味方であって名無しの英雄が間違った人物であって欲しいというのもある。

「ま、正直な所マリーが何でここに居るのかは俺にはわからねえ。けど”他の英雄を見かけたら始末しろ”って言われてるんでね、その通りにしようとしたまでさ」
「私は……。偵さ──様子見に来ただけ」
「はあ、なるほど? なら……悪いのはお前って訳だ、単純明快で分かりやすくて助かる」

 願いが通じたのか、或いは元からそういう展開だったのかも知れない。マリーが実は悪い事をしようとしていて、それを止めるついでで目の前の名無しが戦ったとかだと俺には宥める他無くなる。結局、宥めるにしても「殺せ」と言われてるからトドメをさそうとしている人物を止めるのなら戦うしかないのだろうが。

「おいおい、ただの人間が? 消された上に最弱とは言え英雄の俺と戦う?  冗談だろ?」
「それこそ面白い冗談だな。どんな理由や事情があるかは知らないけどな、一緒に戦ったんじゃねえのかよ? 
 俺には仲間を──いや、家族を。殺せと言われて殺すのが正しいとは思えないがな」

 俺にはそれ位しか正論が吐けなかった。だが、人類の存亡の危機の中で最後までついていった目の前の消された英雄もマリーも、役割は違えども共に戦った仲間なのではないだろうか? 少なくともそんな危機の中で同じ種が死ぬのを出来るだけ守ろうとし、そして信用し信頼したんじゃないかと思ったのだ。

 当然、俺は実際に自衛隊に居る間に戦争に行った事は無いので、嘘っぱちで軽い言葉に思えるかもしれない。けれども──災害派遣や演習、訓練などで互いに助け合い、支えあい、任務に従事し、行動したと言うのは嘘じゃない。
 だから、とりあえず正論を吐いておく。マリーたちは死んだらまた召喚されるまで眠りにつくだけだと言っていたが、それが事実かどうかも分からない上に、だからと言って許容してやる義務も無い。

「当然、俺はお前がどんな生を歩んできて、英雄の中から爪弾きにされるように消され、今こうしてマリーを殺そうとしたのかは分からない。
 それでも、仲間だったんじゃないのかよ」
「仲間? 仲間か──。良い響きだな。だが、そんなものは俺には無意味さ。
 だって、俺は……大戦時には一度も戦わなかった男だ。全てが終わってから、そんな男は不要だと名前まで消されたんだぜ? 酷い話しだよなぁ……。
 俺はただ──連れ回され、戦いの場で何度も死に掛けて、その癖その本人はご満悦でこの世からさよならした被害者さ。
 それなのに、死後こうやって呼び出されて、使いっぱしりとは気に入らないにも程がある。
 おめでたい頭にも分かるように説明するが、俺に仲間が居たとしたらそれは消えたあいつだけだ。俺は共に生きてきた、その途中でその他大勢が加わっただけさ」
「なら、そのお前の仲間が大事にしてきた奴らを大事にしてやるのが、筋ってもんじゃねえのか?
 そうじゃないのなら、お前はただ都合の良い相手に寄生して、それが厄介になれば離れるだけの寄生虫だ」
「お~お~、挑発のつもりかな? けれども考えてみても欲しいね。お前の言う仲間ってのは、役割が惨めだからといって嘲るものかい? 俺は確かに戦いもしなかったし、逃げ回ってばかりだった。そんな俺をこいつらが俺を仲間と認めるとでも?」
「──……、」

 考え込んでしまう。俺はマリーじゃないし、目の前の消された英雄一人と親しかったという消えてしまった英雄を知っている訳でもない。アイアスやロビンがどう思っているかなんてわからないし、本当に皆侮蔑していたかも知れない。
 だから俺は銃口を向けるのを躊躇い、ゆっくりと降ろした。

「おや、良いのかい? 俺は先ほどお前を殺そうとしたし、今でもマリーの事は殺すつもりだけど」
「──別に。ただ、分からなくなっただけだ。お前がマリーを殺そうとするのは間違ってると思うし、俺を殺そうとしたのは許容できる事じゃない。
 けど、お前らが生前どのような関係だったのかなんて分からないし、本当に……本当にお前が侮蔑され、仲間外れにされていたと言うのならそれは悲劇だなと思っただけだ」

 学校、社会、或いは自衛隊でも似たような事はある。学校や教師は生徒に「これをしなさい」と共同作業などを強いるが、楽しく助け合う生徒達の中には一握りの”部外者”がいる。
 楽しく助け合って作業がどんどん進んで行く彼らとは違い、分担で与えられた作業をそれぞれにこなしていく彼ら。それが早ければ悲劇じゃない、けれども苦手分野なら悲劇だ。同じクラスメイトでありながら親しくも無い人物が「俺、ちょっと手伝ってくるわ」と言ってくれたなら救いはあるが、それすらない人物は泥沼だろう。

 自衛隊なんか完全に縦社会で、無能であっても先に部隊に入り階級が高ければ何も言われない。階級が高いという事はその分下が居るので、”指示”と言う名目で投げてしまえるし、進捗を見て教育するといってしまえば座りながらぼんやりしているだけでも良い。

 だが、無能な下っ端は悲惨だ。指導や教育といった名目で叱られ、怒鳴られ、手足が出て、本来であれば就寝時間なのに反省させられ、そして班長レベルで外出禁止などのペナルティが課せられる。それでも同期が居れば良いのだろうが、同期にも嫌われている奴は見ていて悲惨だ。

 本人にやる気が無いのなら諦められる、どうせ何を教えても改善しないのだから。けれども、やる気が有るのに空回りして、同期に味方が居なくて嫌われている奴は悲惨だ。教育期間の成績や部隊ごとの枠によっては、適正が無くても回されてしまう場合もある。通信に向いている人員でも枠が無いから施設に回されたり、衛生に向いていて体力が無いのに普通科に回されたりとかもありえない話ではない。

 ──あまり大っぴらには言えないだろうが、炊事や整備といった”作業”に関しては誰よりも秀でている後輩が、体力が劣っていたりその他の業務で失敗が多すぎて嫌われたが為に鬱になって辞めて行くと言う事も有るのだ。悲しい話だ。

「お前はどう思う? お前だったら、他の十二人とは違って英雄の癖に戦闘に参加せず、逃げ回るような奴が仲間として受け入れられるか?」
「──さあ。当時の事は知らないんでね、そもそもこの世界に関しても疎いんだ。
 けど、そうだな。例えば……前線に居なくても英雄たる活躍が出来ることはある。人々を奮い立たせる弁舌やカリスマで味方を纏めるとか、食事や拠点の維持防衛や構築で支えたというのもありえる話だ。
 最前線で戦うだけが仲間で味方だっていうのなら、怪我の手当てや負傷者の面倒を見る人はそうじゃなくなってしまう。それに、仲間かどうかなんて戦闘を共にこなしてるかどうかじゃなく、同じ志の元に行動しているかどうかだと思う」
「なるほど。そういう考え方か……なるほど、なるほどね──」

 笑みが薄まり、何かを理解し納得するように何度も何度も頷いていた。そして相手は何を考えたのか幾らか離れ、倒木に腰掛け剣を地面に突き刺して深く息を吐いた。何のつもりだ?

「攻撃しない、逃げないのなら少しくらいならマリーと話をしたら良いさ。もしかすると、一縷の希望くらいは見出せるかも知れない。
 攻撃、逃亡、或いはマリーが立ち上がったり何かしらの魔法の行使をしようとしたら即座に殺す。悪いな、ヤクモとやら。だが、まあ。恨まず逝くんだな。六文銭は無いが、無用な好奇心で死ぬのだから安寧くらいは祈ってやっても良い」
「ああ、そうかよ……。マリー、怪我は? どれくらいやられた?」

 どうやら相手が余裕──いや、油断か?──してくれているようだ。座っているからと油断は出来ないし、此方に余裕なんぞ有りはしない。もしこの場で奴に対抗できるとしたらマリーくらいだ、彼女が居なければ……俺は、直ぐに殺されてしまうだろう。
 俺の声に彼女は辛そうにしていたが、直ぐに悔しそうに声を上げる。

「──回復魔法も、ちゃんと覚えておくんだった」
「回復なら俺がしてやるから。負傷のタイプは?」
「”たいぷ”って言葉の意味が分からないけど……切り傷と、剣に塗られた毒性で痺れてるくらい。あとは打撲。
 それで命を落とすかどうかは分からないけど、戦ってる最中の発言を信じるのなら痺れるだけ……」
「なら──」

 クラインの時は不安があったから試せなかった”状態異常”の回復魔法を行使する。当然それが効果を齎したかどうかなんて他人だから分からない。けれども──相手はどうやらマリーの手当て位は見逃してくれるくらいだ。それは”魔法名のみでの詠唱だから反応できていない”のか”それくらい相手を遇しても二人とも殺せる”と判断しているのかは分からないが。
 マリーの身体が傾いだ。それから辛そうだった呼吸が不自然なほどに安定しだし、整えられていく。

「──楽になったわ。感謝する」
「……どういたしまして、と言いたい所だけど、そういうのはここを切り抜けてからだな。
 結局何だかんだ俺もどうやら殺されるみたいだし、逃げるにしても抵抗するにしてもマリーが居ないと俺には難しい」

 無理だ、と言いたいのをこらえた。無理と言ってしまった時点でそれは不可能になるし、口にしてしまったら自分もどこかで諦めてしまう上に、それを聞いた相手にも悪影響しか与えない。強がりでもあるし、ハッタリでもあるが──それでも、俺じゃなくて誰かが死ぬのを指を銜えて眺めるのなんて嫌だ。

「なんで貴方がここに居るのか分からないけれども。助かった。貴方が来ていなかったら──やられてたと思う」
「まあ、ただの散歩ついでの偶然なんだけどさ。──さあ、ここからどうするかだ。
 マリー、何か良いアイディア……いや、考えはあるか?」
「分からない言葉を使わないで欲しいけど、単純に貴方がアイツに張り付いて私の邪魔をさせないと言うのが現実的じゃないかしら……」
「まあ、妥当なラインだよな。──なあ、時を改めて時間と場所を指定して万全の状態でやるってのは?」
「そんなの通る訳が無いだろう、馬鹿か」

 馬鹿かと言いながらも、相手は笑っている。けれども……なんだ? マリーや俺を殺すと言いながら、相手にチャンスを与えている。しかも敵対的と言うよりかは──何かが違う。それが性格から来るものなのか、それとも単に気乗りしていないのかは分からない。

「俺とお前には、ちょっとした不幸な食い違いが有ると思うんだ。こう、互いに冷静になって話しをするとかは?」
「そんな事をしたら、俺が主人に大目玉だ。お前を逃がせば、マリーを殺したのが俺だと知っている奴が出来てしまう。気乗りはしないものさ、お前がどこに居てもリスクを回避するべきだと思えば殺しに行かなきゃならないんでね。当然、その時に居合わせた奴らも殺さなきゃいけない。
 お前は一時的で不安定な平和の為に、無関係な人物を巻き込んで良しとする考えかい?」

 脅された。どうやら便所の中に隠れていても、見つけ出して殺されるようだ。しかも、傍に居る目撃者も巻き添えで殺されるらしい、そんなの許容できない。じゃあさようならと別れて、いくらか日時が過ぎてから屋敷や学園の人々が血の海に沈んでいる中で「よう、また会ったな?」なんて展開は到底許容できない。

「……ヤクモ、殺す勢いで戦わないと」
「──クソ」
「まあ、痛手や深手を負ったら此方も言い訳の材料にはなる。それくらいはやって見せてくれよ。
 なんだかんだ、ただの人が初撃を回避したのは面白いんでね。俺に楽しみと、この下らない生に理由を与えてくれよ」

 マリーも鬱っぽい所はあったし、どうやら目の前のこの男もそれと同様か──或いはもっと酷い状態なのかも知れない。召喚された側からは契約の破棄は出来ず、死か送還されなければずっと使役されたままで命令を強制される事もある。魔力によって存在が許され、それが無くなれば消えると言う依存による生存。人類の為に戦ったのに、その人類に良いように扱われている。

「……召喚してくれたのがミラノでよかったのかもな」
「え?」
「いや、こっちの話。それじゃ、まあ──頑張って盾になりますかね」
「ええ、お願い。私も援護、可能なら打撃を与えられるようにするから。
 ただ、理解しておいて。私が攻撃され始めたら、回避や防御で魔力が乱れて魔法の行使に影響するから。そうなったら、もう私は役には立てない。貴方の負担が大きくなりすぎて、共倒れだから」
「了解」

 マリーが何度か呼吸を繰り返し、呼気を整える。俺はその間に自分の肩の負傷と、マリーの負傷を治癒していた。相手は──動かない。口笛を吹いていて、楽しげにしながらも此方の様子をしっかりと窺っている。そしてマリーが立ち上がり、片手を出すと無から一冊の大きな書物が現れた。自動でパラパラと捲れて行くページに終わりは見えない、そもそも俺の常識で収めて良い物じゃないのかも知れない。

 マリーが立ち上がり、抵抗する準備を整えたと見て相手も立ち上がった。そして地面に突き刺していた剣を引き抜き、軽く振るう。軽い風切り音と共に相手が戦闘準備を整えた、後はどちらが先に動くかと言う状態だ。
 八九小銃は近接戦闘では無用だ、銃剣を指した所で刺突や斬打撃は難しいだろうし、何よりも相手の剣で受け止めた所で歪んでしまえば射撃の出来ない棍棒になるだけだ。左手に拳銃を持ちながら右手で俺も剣を抜いた。片手で剣や銃を扱うとなると、それぞれに小さくない負担となるけれども、相手が速度で上回る以上此方も速度と手数で勝負するしかない。拳銃じゃ防御は出来ないが中距離までは射撃で対応できる、剣なら防御と回避に役立つ。
 攻めじゃない、守りの姿勢を固めるしかない。

「俺の戦闘スタイルは不意打ち、汚い手段、暗殺──。英雄らしくない、不名誉な物だ。
 少しはアドバイスになったかな?」
「有り難すぎて涙が出るね。そのまま見逃してくれればもっと嬉しいんだけど……」
「二人とも、緊張感って言うのは無いわけ?」
「余裕が無さすぎなんだよ、マリー。俺の矜持はどんな辛い時でも笑って見せれば福が来るだって、昔から知ってるだろう? それに、英雄であるお前よりも、そっちの人間の方がまだ余裕が見える。
 殺すにしろ、殺されるにしろ。俺はその方が良いと思うがね」
「──マリー、相手の口車に乗って冷静さを欠かないように行こう」

 俺は否定も肯定もしなかった。笑いながら殺し、殺される? 理解できない。それがどのような理由であれ、笑って出来るような事じゃない。そして殺されるかも知れない時も笑う? むしろ悔しいとか、生きたいとか、絶望し生を放棄するとか……色々あるだろうに。
 ただ──

「お前さん、今笑ってるな」
「え?」

 そう言われ、呆気に取られた所で相手の姿が消えた。それが戦闘開始の合図になるとは思わず、俺は鈍重な防御体制でマリーを守る事しか、今の所選択できない事に舌打ちした。
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