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旅行
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旅行
この日、私は酷くて仕事上のミスはないものの顔色が悪く、弓削と大坪にかなり心配されてしまった。
「ねえ、体調悪いなら早退したら?」
体調不良で長く休んだ大坪にそう言われると、罪悪感でどうにかなりそうだった。
こんな事で悩んで仕事に穴を開けるなんてとてもでないができない。
「大丈夫です。本当に、大丈夫ですから。大した事ないので、大丈夫」
「……辛かったら言うんだよ」
「弓削くんの言う通りだからね」
自分に言い聞かせるようにそう返すと、二人は何とも言えない顔をしてそれ以上は何も言わなくなった。
昼休憩、食欲もなくてぼんやりとしていると、姫川がやってきた。
「八王子さん。少しいい?」
苗字で呼ばれて、急に寂しさを感じる。
ほんの最近まで、優しく微笑んで下の前で呼ばれていたのに。もう、そんなことすら彼はしないのだろう。
下の名前で呼ばれるようになったのは、いつからだったのか考えかけてやめた。
虚しくなるだけよ。
「旅行の件ですけど。無理そうで」
人気のないところへと連れて行かれると、姫川が本題に入った。
やはり、というか、わかりきっていたので、曖昧な微笑みを浮かべて「わかりました」とだけ返事をする。
「あの、キャンセル代……」
キャンセル代のことに触れられて、私は律儀だなと思って苦笑いを浮かべる。
ただ、一度寝ただけの相手にそこまでしなくてもいいのに。
「大丈夫です。一緒に行く相手は探せばいると思うので、キャンセル代とかは気にしなくていいですよ」
気にしないで欲しい。という、気持ちと、声をかければ会ってくれるくらいの友達はいるから、私は寂しい女なんかじゃない。と、精一杯の虚勢が張りたかった。
「それって誰ですか?」
姫川は、それになぜか突っ込んで聞いてきて、少しだて苛立つ。
苛立つのは自分が惨めだと勝手に思っているからだろうか。
姫川は、私のことなんて何とも思ってないのに。
「姫宮ですけど」
パッと浮かんだのは、同性で付き合いの長い姫宮だった。
日帰りとはいえ温泉に行くのに、さほど親しくない人に声をかける勇気はない。
「……そう、ですか」
「あの、何か?」
気にする素振りを見せる姫川に、私は何か問題があるのか。と、聞き返す。
「何でもないです。僕と行くよりも姫宮さんと行った方が楽しいでしょうから」
断ったからっていって、そんな物言いなんてしなくてもいいじゃない。
少し腹が立ったのは、私がとても楽しみにしていたから。
「姫宮なら一緒に温泉に入れますしね」
貴方がいなくても女友達と楽しく過ごしますよ。という、当てつけも込めてにっこりと笑ってやる。
もう、やけくそだ。
断られると思うが、姫宮を誘ってみよう。
「……そうですか」
姫川は、今までで一度も見せたこともないような冷めた目を向けてきた。
彼が冷淡な態度なのは、河合と付き合っているから、一度寝た私を視界にも入れたくないのだ。
「さようなら」
別れの言葉はすんなりと口から出た。
覚悟していた事なのに、嫌われてしまったせいなのかこんなにも辛いなんて思いもしなかった。
「……姫宮に連絡しないと」
クヨクヨしたところで意味のない事だ。だから、切り替えていかないと。
断られることを覚悟していたが、姫宮の予定は空いていたらしく「行く」と言ってくれた。
よくわからない状況で、何も考えられないけれど、とにかく姫宮と旅行に行くことだけを楽しみに毎日を乗り切る事にした。
そうしないと、自分が潰れてしまいそうだから。
旅行当日。
旅行は、疲れる事も想定して三連休の始めの日にした。
「姫宮、急な誘いでごめんね」
個室で昼食を食べながら私は姫宮に謝る。
すでに温泉でスッキリした後だ。
「いやいや、全然。楽しいよ。そんな気にしなくていいから」
急な誘いを快く受けてくれた姫宮に謝ると、彼女は気にするなと言う。
けれど、彼女にも彼女のプライベートがある。
何も考えていなかった高校生の時とは違い。大切な人との時間を削ってまで優先してもらった事が申し訳ないのだ。
「でも、彼に呼び出されたら」
「大丈夫だから、気にしなくていいのよ!」
「そう」
これ以上言うな。と、言わんばかりの強い口調に私は触れるのをやめた。
「八王子と遠出したの久しぶりすぎて楽しい」
「私も」
無邪気な姫宮の笑顔に、私も笑みを浮かべる。
高校生の頃に戻ったような気分だった。
姫宮とは、付かず離れずの関係だった。お互いに「何か」あるようで、深く触れることはしなかった。
凄く居心地が良かったのだ。
「何があったの?」
普段なら何も言ってこない姫宮に聞かれて「大丈夫」とだけ答えた。
彼女がそんな事を聞いてくるなんてとても意外だ。
「大丈夫そうな顔してないけど」
「本当に大丈夫」
また、しつこく聞かれて曖昧に微笑んで答える。
姫宮がこんなにも食い下がるなんてとても珍しい。
「あのさ、アンタ自分で何でもできるって思ってるかもしれないけど、人一倍我慢ができるから、そのおかげで全部過ぎ去ってるだけだからね」
言われてみればその通りかもしれない。何かあっても喉元過ぎればまたなんとやら、で、いつのまにか終わっていたというパターンが多い。
「話なよ」
「嫌だ」
「何も知らない他人だからこそいいアドバイスあげられるかもしれないでしょ」
確かにその通りかもしれない。
姫川の事を何も知らない人に知られたとしても、噂など流れるはずがない。
「……嫌いにならないでね」
「私がアンタの事嫌いになるなんて、お金貸して返さない時だけよ」
「そっか」
私は姫宮には絶対にお金を借りることはやめようと思った。
この日、私は酷くて仕事上のミスはないものの顔色が悪く、弓削と大坪にかなり心配されてしまった。
「ねえ、体調悪いなら早退したら?」
体調不良で長く休んだ大坪にそう言われると、罪悪感でどうにかなりそうだった。
こんな事で悩んで仕事に穴を開けるなんてとてもでないができない。
「大丈夫です。本当に、大丈夫ですから。大した事ないので、大丈夫」
「……辛かったら言うんだよ」
「弓削くんの言う通りだからね」
自分に言い聞かせるようにそう返すと、二人は何とも言えない顔をしてそれ以上は何も言わなくなった。
昼休憩、食欲もなくてぼんやりとしていると、姫川がやってきた。
「八王子さん。少しいい?」
苗字で呼ばれて、急に寂しさを感じる。
ほんの最近まで、優しく微笑んで下の前で呼ばれていたのに。もう、そんなことすら彼はしないのだろう。
下の名前で呼ばれるようになったのは、いつからだったのか考えかけてやめた。
虚しくなるだけよ。
「旅行の件ですけど。無理そうで」
人気のないところへと連れて行かれると、姫川が本題に入った。
やはり、というか、わかりきっていたので、曖昧な微笑みを浮かべて「わかりました」とだけ返事をする。
「あの、キャンセル代……」
キャンセル代のことに触れられて、私は律儀だなと思って苦笑いを浮かべる。
ただ、一度寝ただけの相手にそこまでしなくてもいいのに。
「大丈夫です。一緒に行く相手は探せばいると思うので、キャンセル代とかは気にしなくていいですよ」
気にしないで欲しい。という、気持ちと、声をかければ会ってくれるくらいの友達はいるから、私は寂しい女なんかじゃない。と、精一杯の虚勢が張りたかった。
「それって誰ですか?」
姫川は、それになぜか突っ込んで聞いてきて、少しだて苛立つ。
苛立つのは自分が惨めだと勝手に思っているからだろうか。
姫川は、私のことなんて何とも思ってないのに。
「姫宮ですけど」
パッと浮かんだのは、同性で付き合いの長い姫宮だった。
日帰りとはいえ温泉に行くのに、さほど親しくない人に声をかける勇気はない。
「……そう、ですか」
「あの、何か?」
気にする素振りを見せる姫川に、私は何か問題があるのか。と、聞き返す。
「何でもないです。僕と行くよりも姫宮さんと行った方が楽しいでしょうから」
断ったからっていって、そんな物言いなんてしなくてもいいじゃない。
少し腹が立ったのは、私がとても楽しみにしていたから。
「姫宮なら一緒に温泉に入れますしね」
貴方がいなくても女友達と楽しく過ごしますよ。という、当てつけも込めてにっこりと笑ってやる。
もう、やけくそだ。
断られると思うが、姫宮を誘ってみよう。
「……そうですか」
姫川は、今までで一度も見せたこともないような冷めた目を向けてきた。
彼が冷淡な態度なのは、河合と付き合っているから、一度寝た私を視界にも入れたくないのだ。
「さようなら」
別れの言葉はすんなりと口から出た。
覚悟していた事なのに、嫌われてしまったせいなのかこんなにも辛いなんて思いもしなかった。
「……姫宮に連絡しないと」
クヨクヨしたところで意味のない事だ。だから、切り替えていかないと。
断られることを覚悟していたが、姫宮の予定は空いていたらしく「行く」と言ってくれた。
よくわからない状況で、何も考えられないけれど、とにかく姫宮と旅行に行くことだけを楽しみに毎日を乗り切る事にした。
そうしないと、自分が潰れてしまいそうだから。
旅行当日。
旅行は、疲れる事も想定して三連休の始めの日にした。
「姫宮、急な誘いでごめんね」
個室で昼食を食べながら私は姫宮に謝る。
すでに温泉でスッキリした後だ。
「いやいや、全然。楽しいよ。そんな気にしなくていいから」
急な誘いを快く受けてくれた姫宮に謝ると、彼女は気にするなと言う。
けれど、彼女にも彼女のプライベートがある。
何も考えていなかった高校生の時とは違い。大切な人との時間を削ってまで優先してもらった事が申し訳ないのだ。
「でも、彼に呼び出されたら」
「大丈夫だから、気にしなくていいのよ!」
「そう」
これ以上言うな。と、言わんばかりの強い口調に私は触れるのをやめた。
「八王子と遠出したの久しぶりすぎて楽しい」
「私も」
無邪気な姫宮の笑顔に、私も笑みを浮かべる。
高校生の頃に戻ったような気分だった。
姫宮とは、付かず離れずの関係だった。お互いに「何か」あるようで、深く触れることはしなかった。
凄く居心地が良かったのだ。
「何があったの?」
普段なら何も言ってこない姫宮に聞かれて「大丈夫」とだけ答えた。
彼女がそんな事を聞いてくるなんてとても意外だ。
「大丈夫そうな顔してないけど」
「本当に大丈夫」
また、しつこく聞かれて曖昧に微笑んで答える。
姫宮がこんなにも食い下がるなんてとても珍しい。
「あのさ、アンタ自分で何でもできるって思ってるかもしれないけど、人一倍我慢ができるから、そのおかげで全部過ぎ去ってるだけだからね」
言われてみればその通りかもしれない。何かあっても喉元過ぎればまたなんとやら、で、いつのまにか終わっていたというパターンが多い。
「話なよ」
「嫌だ」
「何も知らない他人だからこそいいアドバイスあげられるかもしれないでしょ」
確かにその通りかもしれない。
姫川の事を何も知らない人に知られたとしても、噂など流れるはずがない。
「……嫌いにならないでね」
「私がアンタの事嫌いになるなんて、お金貸して返さない時だけよ」
「そっか」
私は姫宮には絶対にお金を借りることはやめようと思った。
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