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朝起きたら水津は居なくなっていた。
何もなかったかのように私は出社した。けれど、現実は何もなかったかのようにはいかなかった。
「はあ……」
仕事をし始めてため息を吐く。進藤のデスクが未だに空いている。連絡がないので無断欠勤だろう。
あんなことがあったら仕方ないかもしれない。気まずさと怖さで素知らぬ顔で出社はできないだろう。
連絡すべきなのだろうが、昨日の件があるので電話するには気まずい。
電話越しで何を言われるのか想像もできない。逆恨みされていないか不安だ。
それでも、説得して来させなくてはいけない。それも、私の仕事なのだから。
再びため息をつくのを抑えて、電話の受話器を手に取った瞬間だった。
「凛子さん。ちょっといいですか?」
柏木が何か言いにくそうな表情で話しかけてきた。
「ええ、大丈夫。その様子だと、ここではできない話しよね?」
進藤の事だろうか……?私がなるべく小声で問いかけると彼は首を小さく縦に振った。
「じゃあ、行きましょうか」
柏木と人気のない場所に向かった。といっても、あまり、使われていない会議の前なのだが。
「あの、何があったの?」
私は柏木の只ならぬ雰囲気に飲まれながらも、彼に問いかけた。
「進藤さんの事なんですけど」
やはりというか想像通り進藤の件だった。
「ええ」
「僕に直接電話があって、もう来ないと」
「やはりか」と、思いながら顔には出さないように、何も知らないふりをする。
「それは本当?」
「はい、理由を聞いても答えなくて」
色恋沙汰でトラブルを起こして、仕事に行きたくないなんて言えるわけない。ここまで追い詰めてしまって、やり過ぎだったと今なら思う。
昨日は過去のことを持ち出されたせいもあって、いつもよりも感情に左右されていた。
反省を促す事だって出来たのに、それすらもせずに私達は切り捨てたのだ。
「……」
私は何も言えずに俯く。
「何かありましたか?その、進藤さんは凛子さんに嫌がらせしてたし。顔、怪我してますよね?」
どうやら柏木には気がつかれていたようだ。ファンデーションで厚めに塗ったが、うっすらと頬は腫れていた。
柏木は私の表情の変化で何かを察して、進藤と何かあったのかと心配しているようだ。
柏木にあったことなんて言えるはずなんてない。彼なら私と進藤に心を痛めそうな気がした。
「何もなかったよ、これは転んで」
私はそれしか言えずに誤魔化した。
「それならいいんですけど。あ、でも、怪我したのはいけないですけど、進藤さん何考えているんだろう。本当に」
柏木から静かに怒っているのが伝わってくる。
実は無断欠勤とかそういう事に対して彼は厳しかったりする。
『出来る事をしないなんて許せない』と以前話していたので、そういう手順を踏まずに会社に来ない進藤が許せないのだろう。
「落ち着いて」
私はそれしか言えずに彼を宥める。
「凛子さんにあそこまでキツく当たれるくらいの根性があるなら、仕事に来れるだろうが!」
あ、そっちか。
私はそう思ったが何も言わないようにした。しかし、柏木からしたらそうかもしれない。でも、意外と強がってる人間に限って心は脆かったりするけれど。
「もう、何考えているんだ。若いからとかじゃなくて挨拶しないとか、理由も言わないで会社に来ないとか本当に……」
「仕事の姿勢は最近は特に酷かったんだけど……。何考えてるんだよ」
私と拗れてからの進藤の仕事への姿勢はかなり酷いものになっていた。電話で「行かない」と言われたら怒れるかもしれない。
柏木に頼り進藤の事を任せていたが、申し訳ない事をしてしまった。その怒りはしばらく続いた。
「あ、ごめんなさい」
ようやく怒りを吐き出した柏木は慌てて謝った。
「大丈夫だけど、落ち着くまで進藤さんは来ないかもしれないわね」
私が困った表情を貼り付けてぼやく。
「あの様子じゃ来ないと思うけどな」
どんな電話をしたのかとても気になったが怖くて聞けなかった。
「そう、なんだ」
「これだけは話したかったんで呼び出してすみません。他の人には流石に聞かせられなくって」
たしかに、他の社員に聞かれたら問題に間違いなくなるだろう。もし、進藤が出社するときに変な噂でも流されたら。
彼女はもう二度と会社には来れなくなるかもしれない。
「そうね、確かに」
「戻りますか」
「ええ」
私達は自分達の持ち場に戻ることにした。
歩きながら「そういえば」と柏木は前置きをして再び私に話しかけてきた。
「鞄変えたんだ」
本当に柏木はよく周囲を見ている。
私の鞄が布製のトートバッグに変わっていたことに、恐らく早い段階から気が付いていたのだろう。
「うん。壊れちゃって」
進藤との事は何も知らないはずだけれど、問い詰められているような気分になる。
そんなはずないと言い聞かせて、素直に鞄がないことを認めた。
「……本当に何もなかった?」
柏木が私に気遣わしげな視線を向ける。
昨日のやりとりを見ていたら、柏木はどちらを『酷い』と思うのだろう。私はそれが怖かった。
「何もないわよ。本当に」
「そうですか、一人で抱えるのが辛くなったら僕に言ってください」
そう言ってそれ以上は追究してこなかった。それがありがたかった。全てを打ち明けて軽蔑されるのは怖いから。何も言わない方がいい。
「早く戻りましょう」
私はこれ以上話すとボロが出そうで柏木に戻ろうと促した。
「そうですね」
デスクに戻って真っ先に考えたのは進藤の事だ。
彼女は本当にもう戻って来ないのだろうか?
水津にあそこまで『何とも思っていない。』と言われて顔を合わせて仕事をするのは辛いと思う。
たぶんもう本当に来ないだろう。
あの時は頭に血が昇っていたけれど、あそこまで追い詰める必要はなかった。
私は彼女から仕事を奪ってしまったのだ。あぁ、本当に自分が嫌になる。
ズキリと頭が軋むように痛んだ気がした。
何もなかったかのように私は出社した。けれど、現実は何もなかったかのようにはいかなかった。
「はあ……」
仕事をし始めてため息を吐く。進藤のデスクが未だに空いている。連絡がないので無断欠勤だろう。
あんなことがあったら仕方ないかもしれない。気まずさと怖さで素知らぬ顔で出社はできないだろう。
連絡すべきなのだろうが、昨日の件があるので電話するには気まずい。
電話越しで何を言われるのか想像もできない。逆恨みされていないか不安だ。
それでも、説得して来させなくてはいけない。それも、私の仕事なのだから。
再びため息をつくのを抑えて、電話の受話器を手に取った瞬間だった。
「凛子さん。ちょっといいですか?」
柏木が何か言いにくそうな表情で話しかけてきた。
「ええ、大丈夫。その様子だと、ここではできない話しよね?」
進藤の事だろうか……?私がなるべく小声で問いかけると彼は首を小さく縦に振った。
「じゃあ、行きましょうか」
柏木と人気のない場所に向かった。といっても、あまり、使われていない会議の前なのだが。
「あの、何があったの?」
私は柏木の只ならぬ雰囲気に飲まれながらも、彼に問いかけた。
「進藤さんの事なんですけど」
やはりというか想像通り進藤の件だった。
「ええ」
「僕に直接電話があって、もう来ないと」
「やはりか」と、思いながら顔には出さないように、何も知らないふりをする。
「それは本当?」
「はい、理由を聞いても答えなくて」
色恋沙汰でトラブルを起こして、仕事に行きたくないなんて言えるわけない。ここまで追い詰めてしまって、やり過ぎだったと今なら思う。
昨日は過去のことを持ち出されたせいもあって、いつもよりも感情に左右されていた。
反省を促す事だって出来たのに、それすらもせずに私達は切り捨てたのだ。
「……」
私は何も言えずに俯く。
「何かありましたか?その、進藤さんは凛子さんに嫌がらせしてたし。顔、怪我してますよね?」
どうやら柏木には気がつかれていたようだ。ファンデーションで厚めに塗ったが、うっすらと頬は腫れていた。
柏木は私の表情の変化で何かを察して、進藤と何かあったのかと心配しているようだ。
柏木にあったことなんて言えるはずなんてない。彼なら私と進藤に心を痛めそうな気がした。
「何もなかったよ、これは転んで」
私はそれしか言えずに誤魔化した。
「それならいいんですけど。あ、でも、怪我したのはいけないですけど、進藤さん何考えているんだろう。本当に」
柏木から静かに怒っているのが伝わってくる。
実は無断欠勤とかそういう事に対して彼は厳しかったりする。
『出来る事をしないなんて許せない』と以前話していたので、そういう手順を踏まずに会社に来ない進藤が許せないのだろう。
「落ち着いて」
私はそれしか言えずに彼を宥める。
「凛子さんにあそこまでキツく当たれるくらいの根性があるなら、仕事に来れるだろうが!」
あ、そっちか。
私はそう思ったが何も言わないようにした。しかし、柏木からしたらそうかもしれない。でも、意外と強がってる人間に限って心は脆かったりするけれど。
「もう、何考えているんだ。若いからとかじゃなくて挨拶しないとか、理由も言わないで会社に来ないとか本当に……」
「仕事の姿勢は最近は特に酷かったんだけど……。何考えてるんだよ」
私と拗れてからの進藤の仕事への姿勢はかなり酷いものになっていた。電話で「行かない」と言われたら怒れるかもしれない。
柏木に頼り進藤の事を任せていたが、申し訳ない事をしてしまった。その怒りはしばらく続いた。
「あ、ごめんなさい」
ようやく怒りを吐き出した柏木は慌てて謝った。
「大丈夫だけど、落ち着くまで進藤さんは来ないかもしれないわね」
私が困った表情を貼り付けてぼやく。
「あの様子じゃ来ないと思うけどな」
どんな電話をしたのかとても気になったが怖くて聞けなかった。
「そう、なんだ」
「これだけは話したかったんで呼び出してすみません。他の人には流石に聞かせられなくって」
たしかに、他の社員に聞かれたら問題に間違いなくなるだろう。もし、進藤が出社するときに変な噂でも流されたら。
彼女はもう二度と会社には来れなくなるかもしれない。
「そうね、確かに」
「戻りますか」
「ええ」
私達は自分達の持ち場に戻ることにした。
歩きながら「そういえば」と柏木は前置きをして再び私に話しかけてきた。
「鞄変えたんだ」
本当に柏木はよく周囲を見ている。
私の鞄が布製のトートバッグに変わっていたことに、恐らく早い段階から気が付いていたのだろう。
「うん。壊れちゃって」
進藤との事は何も知らないはずだけれど、問い詰められているような気分になる。
そんなはずないと言い聞かせて、素直に鞄がないことを認めた。
「……本当に何もなかった?」
柏木が私に気遣わしげな視線を向ける。
昨日のやりとりを見ていたら、柏木はどちらを『酷い』と思うのだろう。私はそれが怖かった。
「何もないわよ。本当に」
「そうですか、一人で抱えるのが辛くなったら僕に言ってください」
そう言ってそれ以上は追究してこなかった。それがありがたかった。全てを打ち明けて軽蔑されるのは怖いから。何も言わない方がいい。
「早く戻りましょう」
私はこれ以上話すとボロが出そうで柏木に戻ろうと促した。
「そうですね」
デスクに戻って真っ先に考えたのは進藤の事だ。
彼女は本当にもう戻って来ないのだろうか?
水津にあそこまで『何とも思っていない。』と言われて顔を合わせて仕事をするのは辛いと思う。
たぶんもう本当に来ないだろう。
あの時は頭に血が昇っていたけれど、あそこまで追い詰める必要はなかった。
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