52 / 70
52
しおりを挟む
送別会の場所はあの個室の居酒屋で、3月の第二週の金曜日にした。
あの場所で吊し上げの件をハッキリとさせる事は前から自分の中で決めていた。
そこにしたと話したら柴多な何とも言えない表情になったけれど。
「一度も食べられなかったし、最後に行きたいな」と私が話したら彼は「そうだね。」と了承はしてくれた。
そして、落ち着かない日々を過ごしてその日を迎えた。
水津には、余計なことは話していない。知ったら変に気にしそうだったので「用事がある」とだけ伝えておいた。
部屋の鍵を渡してあるのですれ違うことはないだろう。
「なんか不思議な感じ」
店員に案内されて二人用の個室に案内された私が呟く。あの時の広い部屋を予約するのはお店側に申し訳なかったのでやめた。
柴多は私の呟きを聞いて表情を強張らせた気がした。
その部屋は畳の和室で、向かい合うように置かれた座布団の上に私達はそれぞれ正座した。
「どれにしようかな、飲んでもいい?」
柴多は楽しげにメニュー表を見ながら聞いてきた。
「もちろん。好きなの頼んでよ」
私は明るい声を努めて出すと、柴多はクスクスと笑っていた。まるで、何もなかったあの時のように戻ったみたいだった。
私は、凄く悲しくて寂しい気分になっていた。嘘だとどこかで信じたかった。
柴多はビールを私はノンアルコールのカクテルといくつかのおつまみを注文した。
「お酒飲まないの?」
柴多は私がノンアルコールのカクテルを頼んだからか気になったようだ。
「去年ね、大きな失敗をして。もう人前では飲まないようにしてるの」
「凛子がお酒で失敗?信じられないな。弱いけどいつも慎重に飲んでたのに、飲みたくないってよほどの失敗だったんだ」
「うん、ここでは言えないくらいの失敗だった」
もう会わないとはいえ柴多に言えるわけない、理性を無くして男に跨がったなんて。
私は自嘲の笑いを浮かべると、柴多は気まずそうに頬を掻いた。
「それじゃ、飲めなんて言えないね」
「ごめん」
「謝らないでよ、俺のために送別会してくれるだけで嬉しいんだから」
柴多は顔をくしゃりとして笑った。
その笑顔は心の底から笑っているように見えた。
私がその笑顔に目を見張って驚いていると「失礼します」と声がかかり、注文したものが全て机の上に並べられた。
乾杯と共にグラスに口をつけると、まだ、柴多のことを信じていた時に戻ったような気分になる。
本当はわかってる。真実を明らかにしなくてもいい事を、何もなかった事にして会わなければ全て綺麗なままで終わる。まだ、私は躊躇っている。
けれど、一方的に何も知らないで傷つけられた私はどうしたらいい?どこに気持ちを持っていけばいいの?もう止まる事はできない。
私はどんな結果になろうとも、柴多との最期の晩餐を楽しむつもりでいた。
「本社勤務おめでとう。」
私は柴多にネクタイピンの入っている紙袋を渡した。
「ありがとう。あっちでも頑張れそうな気がしてきた。大切にするから」
柴多は嬉しそうに微笑みそれを受け取った。
もしかしたら、捨てられるかもしれないけれど、本社で着けてくれるならとても嬉しいな。
やっぱり私は彼の事を信用できなくても、友人だと思っていたようだ。向こうでここ以上に活躍してほしいと純粋に思っているのだから。それは異動が決まったときからそうだった。頑張って欲しいし、努力が実って欲しい。
「あっちに行くと通勤が大変になるな」
柴多が頭をガックリと下げて項垂れた。向こうの方がこちらよりも都会で、通勤に時間がかかるのは仕方ない。何回電車を乗り継いで会社に行くんだろうか。
「都会だからね。向こうに呼び出されるって光栄な事じゃない」
私が苦笑いをすると「通勤さえなければ、まぁ、そうなんだけど、でも」と柴多はため息をついた。
「実家がこっちにあるから時々帰ってくるつもりではいるけど、やっぱり離れるって寂しいな」
柴多は心残りがあるように微笑んだ。そして、自分に元気付けるように『よし!』と言いながら両膝を叩く。
そして、私をキッと睨むように見た。
私がほんの一瞬だけたじろぐと彼はふわっと微笑んで、とても真剣な表情になった。
「だからさ、こっちに帰ってきた時も俺と会ってほしいな」
柴多は熱が籠った目で私を見ている。
私の気持ちも知らないで、柴多はこれからも友人として付き合いをしたいようだ。あの時に散々傷つけたくせに、よくそんな事を言える。
私の腹の奥から沸々とドス黒い感情が涌き出てくる。穏やかな友人の関係を終わらせたのは他でもない柴多だというのに。
もう、私達は友達でも何でもないのよ!そう怒鳴り付けてやりたい。
「……」
だけど、私にはそれが出来ずにただ黙った。
『もう、会うつもりがない』のは決まっていた。だけどそれを言うのはあの事をハッキリとさせた後だ。私には上手に笑えている自信がなかった。
「俺の事をどう思ってる?」
私は俯いて口角だけ上げて気が付かれないように自分の事を嘲笑う。信じたいとまだ思っているから。
「俺の事を信用できない?」
柴多は私にすがるような視線を向けた。
私はあの時、誰にも助けを求められなかった。
本当は吊し上げにされた時、いや、される前に私の事を助けて欲しかった。
助けてくれなくても。何も知らなければ私は苦しまないで済んだのに。それなのに、彼は私の気持ちすら知らないで縋り付いてくる。
「信用できない」
信用できない男でも、私はどこかで信じたかったし友達だと思いたかった。だから、どうしても切れなかった…。
「どうして?」
彼は愕然としているが、そんなの自分がしたことを考えれば当然だ。
私は大きく息を吸う。あの時、柴多がコピー室で澤田と話していた事を言いたかったからだ。
あの言葉が私を傷つけて人間不信にさせた。
「『無様だったよな。アイツ、芋虫みたいに地面に這いつくばって、犬のように呼吸を荒くさせて、笑うの我慢するの大変だったよ。なあ、柴多?最初から見せてやれなくてごめんな。協力してくれてありがとな』」
澤田の口調を真似してそれを私は吐き出した。何度も繰り返しそれを思い出して、苦しみ続けた。
「柴多くんは、どう答えたの?」
私が苦笑いして彼を見ると、柴多は目を見開いて驚いた表情になっていた。そんなことを言われるなんて思ってもみなかったのだろう。
それもそうだ、私が知っているなんて、きっと、彼は予想もしていなかったのだから。
あの場所で吊し上げの件をハッキリとさせる事は前から自分の中で決めていた。
そこにしたと話したら柴多な何とも言えない表情になったけれど。
「一度も食べられなかったし、最後に行きたいな」と私が話したら彼は「そうだね。」と了承はしてくれた。
そして、落ち着かない日々を過ごしてその日を迎えた。
水津には、余計なことは話していない。知ったら変に気にしそうだったので「用事がある」とだけ伝えておいた。
部屋の鍵を渡してあるのですれ違うことはないだろう。
「なんか不思議な感じ」
店員に案内されて二人用の個室に案内された私が呟く。あの時の広い部屋を予約するのはお店側に申し訳なかったのでやめた。
柴多は私の呟きを聞いて表情を強張らせた気がした。
その部屋は畳の和室で、向かい合うように置かれた座布団の上に私達はそれぞれ正座した。
「どれにしようかな、飲んでもいい?」
柴多は楽しげにメニュー表を見ながら聞いてきた。
「もちろん。好きなの頼んでよ」
私は明るい声を努めて出すと、柴多はクスクスと笑っていた。まるで、何もなかったあの時のように戻ったみたいだった。
私は、凄く悲しくて寂しい気分になっていた。嘘だとどこかで信じたかった。
柴多はビールを私はノンアルコールのカクテルといくつかのおつまみを注文した。
「お酒飲まないの?」
柴多は私がノンアルコールのカクテルを頼んだからか気になったようだ。
「去年ね、大きな失敗をして。もう人前では飲まないようにしてるの」
「凛子がお酒で失敗?信じられないな。弱いけどいつも慎重に飲んでたのに、飲みたくないってよほどの失敗だったんだ」
「うん、ここでは言えないくらいの失敗だった」
もう会わないとはいえ柴多に言えるわけない、理性を無くして男に跨がったなんて。
私は自嘲の笑いを浮かべると、柴多は気まずそうに頬を掻いた。
「それじゃ、飲めなんて言えないね」
「ごめん」
「謝らないでよ、俺のために送別会してくれるだけで嬉しいんだから」
柴多は顔をくしゃりとして笑った。
その笑顔は心の底から笑っているように見えた。
私がその笑顔に目を見張って驚いていると「失礼します」と声がかかり、注文したものが全て机の上に並べられた。
乾杯と共にグラスに口をつけると、まだ、柴多のことを信じていた時に戻ったような気分になる。
本当はわかってる。真実を明らかにしなくてもいい事を、何もなかった事にして会わなければ全て綺麗なままで終わる。まだ、私は躊躇っている。
けれど、一方的に何も知らないで傷つけられた私はどうしたらいい?どこに気持ちを持っていけばいいの?もう止まる事はできない。
私はどんな結果になろうとも、柴多との最期の晩餐を楽しむつもりでいた。
「本社勤務おめでとう。」
私は柴多にネクタイピンの入っている紙袋を渡した。
「ありがとう。あっちでも頑張れそうな気がしてきた。大切にするから」
柴多は嬉しそうに微笑みそれを受け取った。
もしかしたら、捨てられるかもしれないけれど、本社で着けてくれるならとても嬉しいな。
やっぱり私は彼の事を信用できなくても、友人だと思っていたようだ。向こうでここ以上に活躍してほしいと純粋に思っているのだから。それは異動が決まったときからそうだった。頑張って欲しいし、努力が実って欲しい。
「あっちに行くと通勤が大変になるな」
柴多が頭をガックリと下げて項垂れた。向こうの方がこちらよりも都会で、通勤に時間がかかるのは仕方ない。何回電車を乗り継いで会社に行くんだろうか。
「都会だからね。向こうに呼び出されるって光栄な事じゃない」
私が苦笑いをすると「通勤さえなければ、まぁ、そうなんだけど、でも」と柴多はため息をついた。
「実家がこっちにあるから時々帰ってくるつもりではいるけど、やっぱり離れるって寂しいな」
柴多は心残りがあるように微笑んだ。そして、自分に元気付けるように『よし!』と言いながら両膝を叩く。
そして、私をキッと睨むように見た。
私がほんの一瞬だけたじろぐと彼はふわっと微笑んで、とても真剣な表情になった。
「だからさ、こっちに帰ってきた時も俺と会ってほしいな」
柴多は熱が籠った目で私を見ている。
私の気持ちも知らないで、柴多はこれからも友人として付き合いをしたいようだ。あの時に散々傷つけたくせに、よくそんな事を言える。
私の腹の奥から沸々とドス黒い感情が涌き出てくる。穏やかな友人の関係を終わらせたのは他でもない柴多だというのに。
もう、私達は友達でも何でもないのよ!そう怒鳴り付けてやりたい。
「……」
だけど、私にはそれが出来ずにただ黙った。
『もう、会うつもりがない』のは決まっていた。だけどそれを言うのはあの事をハッキリとさせた後だ。私には上手に笑えている自信がなかった。
「俺の事をどう思ってる?」
私は俯いて口角だけ上げて気が付かれないように自分の事を嘲笑う。信じたいとまだ思っているから。
「俺の事を信用できない?」
柴多は私にすがるような視線を向けた。
私はあの時、誰にも助けを求められなかった。
本当は吊し上げにされた時、いや、される前に私の事を助けて欲しかった。
助けてくれなくても。何も知らなければ私は苦しまないで済んだのに。それなのに、彼は私の気持ちすら知らないで縋り付いてくる。
「信用できない」
信用できない男でも、私はどこかで信じたかったし友達だと思いたかった。だから、どうしても切れなかった…。
「どうして?」
彼は愕然としているが、そんなの自分がしたことを考えれば当然だ。
私は大きく息を吸う。あの時、柴多がコピー室で澤田と話していた事を言いたかったからだ。
あの言葉が私を傷つけて人間不信にさせた。
「『無様だったよな。アイツ、芋虫みたいに地面に這いつくばって、犬のように呼吸を荒くさせて、笑うの我慢するの大変だったよ。なあ、柴多?最初から見せてやれなくてごめんな。協力してくれてありがとな』」
澤田の口調を真似してそれを私は吐き出した。何度も繰り返しそれを思い出して、苦しみ続けた。
「柴多くんは、どう答えたの?」
私が苦笑いして彼を見ると、柴多は目を見開いて驚いた表情になっていた。そんなことを言われるなんて思ってもみなかったのだろう。
それもそうだ、私が知っているなんて、きっと、彼は予想もしていなかったのだから。
14
あなたにおすすめの小説
私が死んで満足ですか?
マチバリ
恋愛
王太子に婚約破棄を告げられた伯爵令嬢ロロナが死んだ。
ある者は面倒な婚約破棄の手続きをせずに済んだと安堵し、ある者はずっと欲しかった物が手に入ると喜んだ。
全てが上手くおさまると思っていた彼らだったが、ロロナの死が与えた影響はあまりに大きかった。
書籍化にともない本編を引き下げいたしました
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
【完結・おまけ追加】期間限定の妻は夫にとろっとろに蕩けさせられて大変困惑しております
紬あおい
恋愛
病弱な妹リリスの代わりに嫁いだミルゼは、夫のラディアスと期間限定の夫婦となる。
二年後にはリリスと交代しなければならない。
そんなミルゼを閨で蕩かすラディアス。
普段も優しい良き夫に困惑を隠せないミルゼだった…
婚約破棄された令嬢が記憶を消され、それを望んだ王子は後悔することになりました
kieiku
恋愛
「では、記憶消去の魔法を執行します」
王子に婚約破棄された公爵令嬢は、王子妃教育の知識を消し去るため、10歳以降の記憶を奪われることになった。そして記憶を失い、退行した令嬢の言葉が王子を後悔に突き落とす。
娼館で元夫と再会しました
無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。
しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。
連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。
「シーク様…」
どうして貴方がここに?
元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!
【完結】20年後の真実
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。
マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。
それから20年。
マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。
そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。
おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。
全4話書き上げ済み。
本日、貴方を愛するのをやめます~王妃と不倫した貴方が悪いのですよ?~
なか
恋愛
私は本日、貴方と離婚します。
愛するのは、終わりだ。
◇◇◇
アーシアの夫––レジェスは王妃の護衛騎士の任についた途端、妻である彼女を冷遇する。
初めは優しくしてくれていた彼の変貌ぶりに、アーシアは戸惑いつつも、再び振り向いてもらうため献身的に尽くした。
しかし、玄関先に置かれていた見知らぬ本に、謎の日本語が書かれているのを見つける。
それを読んだ瞬間、前世の記憶を思い出し……彼女は知った。
この世界が、前世の記憶で読んだ小説であること。
レジェスとの結婚は、彼が愛する王妃と密通を交わすためのものであり……アーシアは王妃暗殺を目論んだ悪女というキャラで、このままでは断罪される宿命にあると。
全てを思い出したアーシアは覚悟を決める。
彼と離婚するため三年間の準備を整えて、断罪の未来から逃れてみせると……
この物語は、彼女の決意から三年が経ち。
離婚する日から始まっていく
戻ってこいと言われても、彼女に戻る気はなかった。
◇◇◇
設定は甘めです。
読んでくださると嬉しいです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる