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第一章 火蓋を切って新たな時代への狼煙を上げよ

第七話 美女と最強の獣(5)

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 生じた嵐が背後から飛びかかってきた豹を切り刻む。
 それを見たキーラは場にいる影達に向かって声を上げた。

「全部隊、散開!」

 それを聞いたシャロンは、

「!」

 焦りに目を見開いた。
 その指示の意味まで読み取れたからだ。
 そしてキーラはその意味まで続けて叫んだ。

「我が槍の道をあけよ!」

 その声が響いた瞬間、影達は蜘蛛の子を散らすかのように散開し始めた。
 それは、ただシャロンから距離を取るだけの移動では無かった。
 ある影は広場を放棄した狭い路地に逃げ込み、またある影は屋根の上へと逃げた。
 完全に包囲を放棄した動き。
 しかしそれで正解だった。
 シャロンは丸見えのがら空き。射線を塞ぐ仲間はもういない。
 だからシャロンは影達を追いかけるように、広場から脱出するように走り始めた。
 そうはさせぬと、影達が光弾を発射する。
 凄まじい密度の弾幕をシャロンは切り払い、受け流し、そして避けながら走った。
 そしてシャロンは背中で感じ取った。
 キーラの手の中に赤い球が生まれたのを。
 だからシャロンは無茶を迫られた。
 足の中で星を強く爆発させ、痛みと引き換えに速さを生む。
 だが、痛みはそれだけでは無かった。

「っ!」

 二つの光弾がシャロンの体に炸裂。
 たとえ直撃してでも、最短ルートを最速で強引に突破しなくてはならなかった。
 そしてシャロンはその二つの痛みと引き換えに、狭い路地に飛び込んだ。
 直後に赤い槍が隠れている家屋に突き刺さる。

「キャアアッ!」「うあああぁっ!」

 響いた悲鳴はシャロンのものでも影のものでも無かった。
 逃げ遅れた住人のものであった。
 家屋が崩れ、濃い砂埃が舞い上がる。
 シャロンはその中に身を隠したが、

「!」

 直後に砂煙の上から光弾の雨が降り注いだ。
 バレている。感知の鋭いものに位置情報を共有されている。
 だからシャロンは光の雨を避けながら別の家屋の裏に移動した。
 同時に装填を開始。
 家屋を盾にしながら装填し、顔だけ出して射撃する、思いついたその戦法は手堅いものに思えた。
 が、

「!?」

 直後に感じ取った「それ」はシャロンの思考を止めるのに十分なものであった。
「それ」はキーラの両手それぞれに生み出された爆発魔法。
 いざという時の防御を放棄した両手使用の攻撃。
 しかし威力は単純に倍であることが、

「う、あああっ!?」

 直後の爆音と共に証明された。
 家屋を盾にしたにもかかわらず、吹き飛んだシャロンの体が路地の上を滑る。
 だがシャロンは即座に立ち上がり、装填を再開した。
 が、

「っ?!」

 次に感じ取った「それ」は、シャロンの思考を止めるどころか、狂わせるほどの代物であった。
 今度の「それ」は、指先から編み出された豹の形をした人形。
 だが、今度は冷却魔法では無かった。
 その人形はまるで身ごもっているかのように、赤い球を内部に抱えていた。
 当然、それは赤い槍。
 そんな危険なものを抱えた人形が、自走式でこちらを追いかけてくる?!
 それは脅威以外のなにものでも無く、ゆえにシャロンの足は自然と地面を蹴っていた。
 屋根上にいる影達の光弾を避けつつ、動き始めた人形から出来るだけ距離を取るように住宅街の中を走る。
 できるだけ狭い通路を選び、可能な限りジグザグに走行する。
 直線での速さくらべでは不利でも、旋回性能ならばこちらに分がある、そう考えての動き。
 であったが、

「!?」

 豹の接近が予想よりも速い。その事実にシャロンは目を見開いた。
 その理由は直後に感じ取れた。
 壁を蹴って曲がっているのだ。
 いや、蹴っているというよりは壁を走っていると言ったほうが正しい。
 身軽なあの人形にとっては壁も地面と大差無いのだ。
 このままでは追いつかれる。だからシャロンは、

(ならば!)

 と、網を後方に投げた。
 蜘蛛の巣のような障害物を狭い路地に展開し、相手の最短経路を塞ぐ。
 だが、これでようやく五分。
 いや、わずかに不利であった。
 そして互いの距離は既に槍の射程ぎりぎりのところまで縮まっていた。
 いつ起爆されてもおかしくない、
 さらに直後、前を先行させている虫から警告の知らせが入った。
 次の通路は長い直線なのだ。
 確実に槍の射程圏内に入れられてしまう。
 しかも障害物が無い。
 だからシャロンは、

「はああぁっ!!」

 気勢と共に足の中で強く星を爆発させた。
 駆けるシャロンの姿が陽炎をまとうように加速する。
 されど、その加速をもってしても間に合わない。
 しかしこの時、シャロンの顔に焦りの色は薄かった。
 予定通りだからだ。
 自分の足では限界の速度を出しても振り切れないことは分かっていた。
 だからシャロンは振り切るのでは無く、別の手を選んでいた。
 豹が同じ直線に姿を現し、シャロンの背中を射程内にとらえる。
 直後、シャロンは、

「破ッ!」

 裂帛の気合と共に真右に地を蹴った。
 まだ通路は抜けていない。
 されどそこは壁では無かった。
 そこは民家の入り口であり、ドアがあった。
 先の加速はここに辿り着くためのもの。
 気勢と共に繰り出した輝く左手でドアを押し破る。
 そしてシャロンが家屋の中に飛び込んだのと、豹が抱えている爆弾が点火したのは同時であった。
 完璧なタイミング。計算通り。
 しかしそれでもどうなるかは運任せであった。
 槍から生まれた衝撃波がどのようにこの狭い路地に反響し、どんな破壊効果を生むかの完璧な予測など、神様にしか出来ないことだからだ。

「っ!」

 轟音と共に入り口から吹き込んできた熱風に、飛び込んだシャロンの体がさらに吹き飛ばされる。
 だが、今回は運が良かった。
 家屋にもシャロンにもそれ以上の被害は無かった。もしも崩れていたらそれで終わっていたかもしれない。
 放たれた衝撃波は手前側の家屋を粉砕してその力のほとんどを使いきったようであった。

「……痛っ」

 傷ついた体から生まれる鋭い感覚を言葉に買えながら立ち上がる。
 すると、部屋の隅にいる男女と目が合った。
 その二人はこの家屋の住人であった。
 だからシャロンは、

「……ごめんなさいね」

 と、簡素な謝罪の言葉を言って部屋から出て行った。

   ◆◆◆

「……逃げられた、か」

 シャロンの生存を感じ取ったキーラはその事実を周囲の仲間に伝えるように呟いた。
 完全に射程外だ。どう工夫してもここからでは人形は辿り着けない。
 隣にいるオレグも感じ取っていた。
 だからオレグはキーラに提案した。

「キーラ、すまないが君の護衛の任から少しのあいだ離れてもいいだろうか?」

 その言葉の意を察したキーラは、確認するように聞き返した。

「彼女を倒しにいくのね?」

 オレグが「そうだ」と答えると、彼女は「かまわないわ」と許可を出し、言葉を続けた。

「あなたが抜けるぶんの穴は他の盾持ちに埋めさせる。だから心配しなくてもいいわよ」

 キーラがそう言い終えた直後、オレグは「助かる」とだけ言い残して、彼女のそばから走り去った。
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